副官

 敵将の消えた先。


 ゴリアトは、そのことをずっと考え続けていた。


 傍で、ヨハンが頻りに指示を出し続けている。戦闘継続が不可能と判断してからの見切りのつけ方は、さすがだった。両翼が混乱の渦に呑まれた。それを察知し、回復もほとんど見込めないと判断すると、すぐさま中央の一万を前に出したのだ。攻撃を匂わせながら、実際は防御の陣を組んだままにしている。他の部隊の、撤退の時間を稼ぐためだった。


 敵の攻撃。実際は、敵味方の入り混じった攻撃ということになるが、中央に集中してきた。この部隊の守りは堅く、兵士たちも粘り強く耐えている。暗闇にも目が慣れてきた。松明の灯りを増やしたこともあって、この部隊だけなら、混乱からは抜け出していた。


 合図に反応し、即座に守りに徹する。そうすれば、攻める者と守る者の対比がはっきりする。敵味方の区別は、それでかなりついた。


 どこかで、青竜軍アルメの武装を回収していたに違いない。ちたマルバルクの城からか、あるいは、ここへ至るまでに潰してきた各駐屯地からか。数は十二分にあったのだろう。そしてそれを、自軍の兵士に着せた。


 死んだ者を愚弄する、卑劣なやり方だった。これが異教徒というものなのか。ゴリアトは、赤の国の人間と顔を合わせたことがほとんどない。こんなことも、平気でやるのか。


 悪辣あくらつな、とは思ったが、これ以上ないほど混乱させられたのも事実である。すでに七万のうち二万ほどは、壊滅に近い状態になっている。伝わってくる内容は、どこかの隊長が討ち死にしたとか、どこかの隊が逃げだしたとか、そんなものばかりである。本営にまでしっかりと撤退できたのは、どれほどなのだろうか。


 攻めてくる敵の圧力が、さらに一回りほど、膨れ上がった気がした。引きつけていられる数としては、もう限界が近い。


 この辺りが潮時だろう、と思った。ヨハンも同じことを察したようだ。剣を振り撤退の合図を出した。鐘が鳴り始める。


「ヨハン殿。気になることが」


「将軍どもだ。どこに消えたのか、ということだろう」


 やはり、気付いていた。ゴリアトはさらに騎馬を十騎ほど走らせる。どこに逃げおおせたのか。


「あの、アレスという将軍レガートは、何としても見つけ出さねばならん」


 ヨハンの怒りは、最もだった。命を賭けて敵陣に参った、などと言っておきながら、笛の音で策の合図を送るなど、許しがたかった。ヨハンの心中は分からないが、ゴリアトは個人的に、あの将を認めてはいたのだ。自軍の数万の兵を助けるため、死を厭わず一千名で敵軍に降る。生半可な覚悟でできることではないと思っていた。それがすべて偽りだったとは。


「あるいは、青い鎧を身に付けて、どこかに紛れているか」


「やはり一度、完全に退却せねばなりません」


 言ってから、余計なことを口にした、とゴリアトは思った。そんなことは、ヨハンなら分かっている。そういうことはあえて言葉にしないというのが、二人の間にある暗黙の了解だった。


 ヨハンは気にしたふうもなく、馬首を返している。自分は動揺しているのかもしれない、とゴリアトは思った。ヨハンの副官として従軍するのは、これが初めてではない。しかし、戦に出るのはこれが初めてである。こんなことではいけない。ゴリアトは自分に活を入れるつもりで、一度首を振った。馬の向きを変えた。


 背中に、圧力を感じた。


 振り返ったゴリアトの顔の横を、何かが飛んでいった。首を回してそれを追う。


 剣だった。剣が、回転して飛んでいく。


 なんだと思ったときには、また飛んできた。慌てて馬上で身を伏せ、それをかわす。今度は折れた槍の穂先だった。


 前方。何かが迫ってくる。剣だの槍だのを飛ばしているのは、そいつだ。何だというのか。悲鳴。悲鳴と大きな音。剣と剣がぶつかり合うようなものでありながら、大きすぎてそうは思えない音だった。


化物ばけもの


 誰かが叫んで、前方から逃げてくる。その後ろで、人が宙を舞うのが見えた。


 ゴリアトの全身に怖気おぞけが走った。


「ヨハン殿、お逃げを」


 ヨハンも前方の光景に唖然としていた。ただ、逃げろと言ったゴリアトには、険しい表情を見せる。


「おまえ、何を」


「お逃げくだされ。ヨハン殿を愚弄した罰は必ず受けます。どうか、どうかここは。この副官にお預けなされ」


 言い合っている間にも、轟音が近付いてくる。馬のいななき。何かが潰れるような音。兵の断末魔。


 ゴリアトは抜剣すると、ヨハンの乗った馬の尻を叩いた。それで、馬は駈け出す。ヨハンの怒鳴るような声が聞こえたが、振り返らなかった。


 前だけ見ている。迫ってくる。兵士のからだが、こちらに吹き飛んできた。それでも、ゴリアトは眼を離さなかった。


 剣が見えた。大剣。旗のように巨大な剣だ。それが、ありとあらゆる触れたものを飛ばしていく。人間が鎧ごと両断され、馬の首が飛んでいる。剣を振るっているのは、小山のような大男だった。長髪を振り乱し、獰猛な笑みを浮かべている。


 化物ばけもの。思わず、ゴリアトもそう言いかけた。


 化物の眼が、ゴリアトを捉えた。


「おまえ、手練れだな」


 化物が、はっきりそう言った。つたない発音だった。馬に乗り、たたずんでいるだけの男に、誰も近づかない。


「ヨハン・ベルリヒンゲン。おまえか」


「そうだ」


 口走っていた。


青竜軍アルメ指揮官コマンダント、ヨハン・ベルリヒンゲンである」


赤竜軍レギオ将軍レガート、グラウ・ティグリス。その首、寄越せよ」


 ゴリアトのからだの中を、憤怒が駆け巡った。全身が熱くなる。


 ヨハン・ベルリヒンゲンの首だと。


 青竜軍アルメの英雄。北伐最大の功労者。北の異民族討伐が最初の出陣だったゴリアトにとっては、雲の上の存在だった。あらゆる猛者を従え異民族を討ちに討った男。その背中すら、見ることもできなかった。


 だから、剣を振るうしか能のない自分が副官に選ばれたとき、夢でも見ているのかと思った。“雪の獅子”レーヴェン・ムートのような、豪傑にしか務められない。そんな評価がついたために、数ある兵士が副官を務め、そしてその任を自ら辞していったのも知っている。ただの一兵卒にすぎなかった自分を、なぜヨハンが選んだのか。何度か訊いたが、明確な答えは返ってこなかった。


 それから十年以上、副官として傍にあり続けられたのが、なぜなのか、自分にもわからない。尊敬の念だけは、誰よりも強いと思っていた。畏敬とすら言っていい。この男のためなら死んでもいいと、当たり前のように思える。


 初めて、意見に異を唱えた。最期になるのかもしれない。馬で駈け去ることになったヨハンは、自分を叱るだろうか。副官の任を解くだろうか。


 剣が振るわれてきた。受け止めた。腕が、自分の剣ごと千切ちぎれるかと思った。


 しかし、せ合った。グラウの表情。猛った笑み。自分も同じ顔をしているのかもしれない、と思った。闘気が、ゴリアトの内側で熱く脈打っている。


 はらの底から、雄叫びを上げた。


青竜軍アルメのゴリアト・ルーエ。ヨハン・ベルリヒンゲンの副官である」


 グラウの表情は、変わらなかった。自分が指揮官コマンダントヨハンであろうと、ゴリアトというただの兵士であろうと、この男には関係ないのかもしれなかった。


「グラウ・ティグリス。このゴリアトがお相手いたす。ヨハンを斬りたくば、ここで俺を斬ってみよ」


 グラウの眼は燃え、自分だけを捉えている。ゴリアトも、グラウしか見ていない。この森の中に、自分と、目の前の男しかいない。ゴリアトには、そう思えた。


「参るぞ、戦士ゴリアト」


 ヨハンとして死ぬのではない。あの男の副官として、命を賭せる。それだけで、もういいではないか。


 大剣がきた。風が唸りを上げている。


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