副官
敵将の消えた先。
ゴリアトは、そのことをずっと考え続けていた。
傍で、ヨハンが頻りに指示を出し続けている。戦闘継続が不可能と判断してからの見切りのつけ方は、さすがだった。両翼が混乱の渦に呑まれた。それを察知し、回復もほとんど見込めないと判断すると、すぐさま中央の一万を前に出したのだ。攻撃を匂わせながら、実際は防御の陣を組んだままにしている。他の部隊の、撤退の時間を稼ぐためだった。
敵の攻撃。実際は、敵味方の入り混じった攻撃ということになるが、中央に集中してきた。この部隊の守りは堅く、兵士たちも粘り強く耐えている。暗闇にも目が慣れてきた。松明の灯りを増やしたこともあって、この部隊だけなら、混乱からは抜け出していた。
合図に反応し、即座に守りに徹する。そうすれば、攻める者と守る者の対比がはっきりする。敵味方の区別は、それでかなりついた。
どこかで、
死んだ者を愚弄する、卑劣なやり方だった。これが異教徒というものなのか。ゴリアトは、赤の国の人間と顔を合わせたことがほとんどない。こんなことも、平気でやるのか。
攻めてくる敵の圧力が、さらに一回りほど、膨れ上がった気がした。引きつけていられる数としては、もう限界が近い。
この辺りが潮時だろう、と思った。ヨハンも同じことを察したようだ。剣を振り撤退の合図を出した。鐘が鳴り始める。
「ヨハン殿。気になることが」
「将軍どもだ。どこに消えたのか、ということだろう」
やはり、気付いていた。ゴリアトはさらに騎馬を十騎ほど走らせる。どこに逃げおおせたのか。
「あの、アレスという
ヨハンの怒りは、最もだった。命を賭けて敵陣に参った、などと言っておきながら、笛の音で策の合図を送るなど、許しがたかった。ヨハンの心中は分からないが、ゴリアトは個人的に、あの将を認めてはいたのだ。自軍の数万の兵を助けるため、死を厭わず一千名で敵軍に降る。生半可な覚悟でできることではないと思っていた。それがすべて偽りだったとは。
「あるいは、青い鎧を身に付けて、どこかに紛れているか」
「やはり一度、完全に退却せねばなりません」
言ってから、余計なことを口にした、とゴリアトは思った。そんなことは、ヨハンなら分かっている。そういうことはあえて言葉にしないというのが、二人の間にある暗黙の了解だった。
ヨハンは気にしたふうもなく、馬首を返している。自分は動揺しているのかもしれない、とゴリアトは思った。ヨハンの副官として従軍するのは、これが初めてではない。しかし、戦に出るのはこれが初めてである。こんなことではいけない。ゴリアトは自分に活を入れるつもりで、一度首を振った。馬の向きを変えた。
背中に、圧力を感じた。
振り返ったゴリアトの顔の横を、何かが飛んでいった。首を回してそれを追う。
剣だった。剣が、回転して飛んでいく。
なんだと思ったときには、また飛んできた。慌てて馬上で身を伏せ、それを
前方。何かが迫ってくる。剣だの槍だのを飛ばしているのは、そいつだ。何だというのか。悲鳴。悲鳴と大きな音。剣と剣がぶつかり合うようなものでありながら、大きすぎてそうは思えない音だった。
「
誰かが叫んで、前方から逃げてくる。その後ろで、人が宙を舞うのが見えた。
ゴリアトの全身に
「ヨハン殿、お逃げを」
ヨハンも前方の光景に唖然としていた。ただ、逃げろと言ったゴリアトには、険しい表情を見せる。
「おまえ、何を」
「お逃げくだされ。ヨハン殿を愚弄した罰は必ず受けます。どうか、どうかここは。この副官にお預けなされ」
言い合っている間にも、轟音が近付いてくる。馬の
ゴリアトは抜剣すると、ヨハンの乗った馬の尻を叩いた。それで、馬は駈け出す。ヨハンの怒鳴るような声が聞こえたが、振り返らなかった。
前だけ見ている。迫ってくる。兵士の
剣が見えた。大剣。旗のように巨大な剣だ。それが、ありとあらゆる触れたものを飛ばしていく。人間が鎧ごと両断され、馬の首が飛んでいる。剣を振るっているのは、小山のような大男だった。長髪を振り乱し、獰猛な笑みを浮かべている。
化物の眼が、ゴリアトを捉えた。
「おまえ、手練れだな」
化物が、はっきりそう言った。
「ヨハン・ベルリヒンゲン。おまえか」
「そうだ」
口走っていた。
「
「
ゴリアトの
ヨハン・ベルリヒンゲンの首だと。
だから、剣を振るうしか能のない自分が副官に選ばれたとき、夢でも見ているのかと思った。“雪の獅子”レーヴェン・ムートのような、豪傑にしか務められない。そんな評価がついたために、数ある兵士が副官を務め、そしてその任を自ら辞していったのも知っている。ただの一兵卒にすぎなかった自分を、なぜヨハンが選んだのか。何度か訊いたが、明確な答えは返ってこなかった。
それから十年以上、副官として傍にあり続けられたのが、なぜなのか、自分にもわからない。尊敬の念だけは、誰よりも強いと思っていた。畏敬とすら言っていい。この男のためなら死んでもいいと、当たり前のように思える。
初めて、意見に異を唱えた。最期になるのかもしれない。馬で駈け去ることになったヨハンは、自分を叱るだろうか。副官の任を解くだろうか。
剣が振るわれてきた。受け止めた。腕が、自分の剣ごと
しかし、
「
グラウの表情は、変わらなかった。自分が
「グラウ・ティグリス。このゴリアトがお相手いたす。ヨハンを斬りたくば、ここで俺を斬ってみよ」
グラウの眼は燃え、自分だけを捉えている。ゴリアトも、グラウしか見ていない。この森の中に、自分と、目の前の男しかいない。ゴリアトには、そう思えた。
「参るぞ、戦士ゴリアト」
ヨハンとして死ぬのではない。あの男の副官として、命を賭せる。それだけで、もういいではないか。
大剣がきた。風が唸りを上げている。
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