青い鎧の中、黒い槍

 森に突入した瞬間、いやな予感がアルサスを襲った。


 確実に、敵の背後を衝いた。そのはずだった。夜間、北へ抜けようとする、その敵。明かりがいくつも焚かれていて、人の姿も見えると報告があったのだ。


 南のハイデル軍への度重なる夜襲は囮で、今夜の北の本隊への攻撃こそが狙い。そう判断した。先手を打ってその策を潰せると考えた。


 森に入った途端、その考えに僅かな疑念が差した。これという根拠はない。もう、すぐ前方に敵兵の姿が見える。騎馬で突っこんでしまえば、勝負は一瞬でつく。それだけのはずだ。


 その集団が、消えた。いや、消えたのは明かりだった。唐突に、視界が暗転した。


 騎馬隊を、急速に左へ転回させた。しかし、そこにあったはずの城の明かりも、消えている。示し合わせて、消した。間違いない。


「ベイル殿とディック殿の部隊に伝達。前方で異常あり。進軍を止めよ」


 騎馬隊から四名が離れていく。後方へと消えていった。


 残った部隊で、森の木々の間を縫うようにしてけた。北。先刻まで敵のいた方角で、騒ぎが起こっている。闇の中で何も見えないが、音だけは聞こえてくる。


 何かがこちらに向かってきた。軍団。それが分かった。アルサスは槍を構え、闘気を漲らせた。自分の背後にいる騎兵たちも、同じように戦闘の態勢に入るのが感じ取れる。


 来た。歩兵だった。闇の中から、槍の先が飛び出してきた。


 下から突き出されてくるそれを跳ね上げ、槍を繰り出す。敵兵。鎧の上から貫く感触。押し寄せてくる。側面からの攻撃を、騎馬隊を転回させ続けることで弾いていく。敵の悲鳴が聞こえる。血がたぎってきた。


 け抜ける。前方に、さらなる軍団。敵。突進した。森の西に向かってけているはずである。ここに味方の兵は展開していない。


 木々の向こう。突っこむ。槍の穂先。貫く。振るう。敵が吹き飛ぶ。いとも容易たやすく崩れる。感触という感触が、ない。


 不意に、滾った血が冷めるのを、アルサスは感じた。なにか、違う。先日から戦い続けてきた赤竜軍の兵士は、もっと頑強に抵抗してきた。不意を打ったからか。闇の中だからか。違う、と思った。敵の夜襲の凄まじさは、身をもって知っている。


 さらに敵が来た。また、歩兵。槍で応戦する。剣をすぐさま抜き、首を飛ばした。一度、大きく距離を空ける。


「飛ばした首を、持ってこい」


 少しけたところで、部隊を停止させた。自分の部隊で、どよめきが起こっている。首、と言うと、部下の一人が槍の先に首を掲げてきた。かぶとを付けたままの首。


 青いかぶと青竜軍アルメの兜だった。


「ばかな」


 思わず、周囲を見渡した。闇の森。点在する明かり。弱すぎる明かりだ。消えた灯は、戻っていない。敵が消した明かりのはずだ。しかし、自分たちに刃を向けてきたのは、味方だった。


「隊長」


「ここに展開している自軍は、無かったはずだな」


「自分たちが、先鋒です」


「北の、ヨハン殿の率いる部隊か」


「しかし、それでは」


 その先を、部下は言わなかった。同志討ちということになる。槍を向けてきた。裏切りということになってしまう。何が起こっているのか、見極める必要があった。


 ベイルとディックの部隊。直後、思い返した。どうなっているのか。先鋒は自分の騎馬隊、その後詰めとしてディックの歩兵部隊。最後方にあるのはベイルの本隊のはずだ。同じことが起こっているのではないか。


 走らせた伝令。それも思い出した。戻るのを待つ。動けないのが、もどかしい。北でも南でも、混乱の気配がある。それだけは、伝わってくる。自分が捉えた異変は、部隊後方まで伝わっているだろうか。


 二名、戻ってきた。裏切り。それが、最初の報告だった。


「まず、状況だ」


 裏切りという言葉を、あえてアルサスはそれ以上使わせなかった。


「ベイル殿の部隊が、背後から襲われました。味方の部隊です。応戦中」


「どこの部隊だ、それは」


 ベイルの隊の後に続く部隊などない。そう思った。前方に不明瞭な敵はいるが、後方など何もないはずだ。


「違う」


 ひやりとした。ある。ひとつだけ。今朝合流した、六千弱の応援部隊。あれだけは、たしかどの部隊にも組み込まず、単独で後方支援に当たらせていたはずだ。いまも、陣で待機している。それが、動いたのか。先頭でけていたアルサスには、分からない。


「敵の数は」


「わかりません。しかし、ディック殿の部隊も何者かに襲われており、救援に向かえません。そちらでも、裏切りだという声が上がっており」


 たかだか五千五百の部隊をさらに二分して、ベイルらを襲っているとでもいうのか。それとも、内部でほんとうに裏切りがあったのか。


 何があったのか。この肌で感じ取るしかない。思ったときには、アルサスは黒鋼シュタールの馬腹を蹴っていた。部隊は遅れることなくついてくる。


 争闘の気配は、すぐ近くにあった。森のかなり深いところまで、後方部隊も進んでいたようだ。アルサスは槍を構え、横から集団に突っ込もうとした。


 しかし、一番近くにいた兵士たちが見えたとき、アルサスはすぐにまた騎馬隊を転回させた。争闘を迂回するようにしてける。


 青竜軍アルメの鎧。どこを見ても、それしかなかった。夜の森で区別がつかないのではない。どれだけ注視しても、自分たちと同じ鎧しか見えないのだ。そしてその同じ鎧を身に付けた者たちが、互いに剣で斬り合い、槍で突き合っている。


「これは」


 馬上で、アルサスは唸った。異常な光景だった。殺し合う男たちの放つ気もおかしく、まともな戦いではなかった。


 アルサスらと同じように、馬上で槍を振るう男の姿があった。


「ディック殿っ」


 叫んだ。アルサスの声に反応し、ディック・コップフが顔を上げる。すぐに眼の前の兵を蹴散らし、アルサスの下へ駆けてきた。


「これは。どういうことです」


「わからぬ。ベイル殿の部隊が襲われたという報告が入ったのだが、直後に我らもやられた。敵かと思ったのだが、皆、同じ鎧なのだ」


 ディックも明らかに落ち着いていない。アルサスはそう感じた。


 青い鎧を身に付けた男たちが向かってくる。槍を振りかざしていた。迷うアルサスを尻目に、ディックがそれを次々に斬る。思わず、声を上げた。自分と同じものを身に付けた男たちが、首から血を噴いて倒れていく。


「ディック殿、何を」


「わからぬか。ハイデルの兵なら、俺やおまえを襲うはずがなかろう」


 言われ、漸く、自分も動揺していることに、アルサスは気付いた。拳で、自分の頭を殴りつける。愕然がくぜんとした気持だった。


「切り抜けなければ」


「アルサス。おまえは後方へ戻れ。ベイル殿が心配だ」


「ここは」


「鐘を打つ」


 それで、アルサスにも閃くものがあった。退却用の鐘の音。ハイデルの軍に属している者だけに通じる打ち方があった。長短の間隔を織り交ぜ、三回。ほんとうに必要なときにしか使われない符号であった。


「任せてよろしいか」


「早く行ってくれ。森を抜け、本営まで退却しよう。ベイル殿だけでも生きて退却させるのだ」


「騎馬隊を、半分残していきます。ディック殿も、必ずや本営で」


 自分より、よほど経験を積んだ隊長だった。混乱を収め、戻ってこられる。信じるしかなかった。そして自分にも、襲われているというベイルの部隊を救援するという任務がある。それは、逆に任されたことだ。


「隊を二分。状況に応じてディック殿を補佐し、退却を援護せよ」


 部隊長にそれを伝えると、アルサスはすぐに馬を走らせた。ついてくる騎馬隊。二分したときの編成は、考えてあった。自分に従ってくるのは、弓を最もうまく扱う兵士たちだ。この部隊にしかできないこともある。自分が率いる最小の部隊になっていた。


 視界の内に、いくつかの争いが見える。すべて無視し、駈け抜けた。最後方まで、止まらない。


 一際大きな集団が見えてきた。あれだ。確信した。アルサスらの馬蹄の立てる音が聞こえたのか、行く手を塞いでくる。数百という規模ではなかった。もっといる。この際、味方か敵かというのは考えないことにした。


 行く手を塞ぐものは、すべて貫く。駈け抜けてやる。切り抜けてやる。我らの指揮官が、そこにいるのだ。


 アルサスは雄叫びを上げ、群衆に突っ込んだ。槍。突き出す。ね上げる。黒鋼シュタール。戦うぞ。俺たちを止められるものなどいない。騎馬の兵。馬上から叩き落とす。剣。次々にくる。槍が折られた。剣を抜く。抜きざまに首を飛ばす。黒鋼シュタールひづめが敵を踏み潰す。これは敵か。味方か。また、槍。考えなかった。叩き折る。鎧。青い鎧。貫く。血がからだに纏わりついてくる。首が飛ぶ。叫んだ。


 視界が開けた。ベイル。戦槌ハンマーが、その手から飛んだところだった。飛ばしたのは、屈強な男。加えて数十人に囲まれている。


「どけっ、雑兵ども」


 息は、もう吸わなかった。剣を突き出し、ただ駆けた。切先に触れた兵は落馬し、血を噴く。黒鋼シュタールに敵の馬が怯える。ベイルと目が合った。敵。振り向く。凄まじい勢いで剣が振るわれてくる。何も考えず、その剣筋の内側まで踏み込んだ。敵。敵将だ。目をみはっている。その表情のまま、首が宙に舞った。


「かかってこい」


 アルサスはようやく息を吸い込み、声を張り上げた。


「敵か。味方か。俺を敵と思うなら、殺してみよ。このハイデルの嚆矢こうし、アルサス・シュヴァルツを」


 敵は、たじろいでいた。誰も向かってこない。何名かが、塊になって逃げていく。あれがほんとうの敵だ、と思った。それを追おうとする兵もいた。


「おい、放っておけ。おまえたちは、このまま退却するのだ」


 鐘の音。聞こえてきた。いや、先刻から鳴っていたのかもしれない。ディックの鳴らす音だ。


「行け」


 残っていた兵たちが、ひと固まりになってベイルの下へ急ぐ。これは、ハイデル軍の兵士で間違いないだろう。近くだと、見える顔に憶えがある者もいた。


 振り返る。騎馬隊。欠けずに、ついてきている。アルサスが鍛えた兵士。そして、ベイルが鍛えた兵士だった。こんなところで負けて、死ぬ兵ではない。


 ベイルが何か言おうとしたのか、口を開けていた。疲れたような表情だった。アルサスは下馬し、地に落ちた戦槌ハンマーを拾い上げ、その手元に差し出した。


「貴方あっての、ハイデルだ。お行きなされ。ここは、私が」


「済まぬ」


 ひとつ頷いたときには、ベイルの表情はいつものものに戻っていた。槌を握れば、“大熊”ベイルは戦士に戻るのだ。先刻の表情を、アルサスは見なかったことにした。


「さて。まだ、働くぞ」


 部下たちが頷いた。黒鋼シュタールにも伝えたつもりだった。


 黒馬が、大きく鼻を鳴らす。アルサスは馬首を回した。

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