不動の敵

 伝令が戻ってきた。


 東の村、ブルクレズムからかなりの人数がこちらに向かっているという。五千名は超えているということで、聞く限りでは動きも悪くなかった。まとめているのはゼルローの駐留軍をかつて指揮していた者である。代表者として昨日、ベイルと面会しているが、顔を知っている者だった。


 赤竜軍と向かい合って五日。一度目の衝突から三日が経過した。


 三日、昼間のぶつかり合いは一度もない。しかし三日とも、夜襲があった。それも強いもので、ただ様子見でやろうとか、動揺を誘おうとか、そういう勢いではなかった。こちらを壊滅させられるなら、そこまでやるつもりだったのだろう。押し寄せてくる馬と人の足音の数が、並ではなかったからだ。


 一度目は不意を衝かれたが、二度目からはこちらも徹底して反撃した。あらかじめ部隊を百人ずつの小隊に分け、陽が昇っているうちに動きも確認しておいた。かがりも各所に焚き、全員を武装させていた。だから夜襲を受けたというより、夜の交戦になった、という感じだ。


 敵も騎馬と歩兵を組み合わせた小隊で向かってきた。野営地を囲んで小規模の戦闘が各所で起こることになった。敵は夜間の戦闘に慣れているようにも思えて、防御に徹したこちらの兵が押されるところもあったようだ。ベイル自身も一隊の指揮を執り、実際に武器を交えたからこそ、そう思える。


 そういう戦いが、三日続いた。


 これが、赤の国の戦では常套なのかもしれない。夜間の戦闘がこれほどの激しさになるのは、ベイルの経験からしても、ほとんどない。兵士たちも敵が撤収し、夜が明けるころには疲労困憊という表情を見せていた。ディックら隊長たちと兵を鼓舞して、昼間には思う存分、休ませた。


 あるいは、こういう戦いしかできなくなっているのかもしれない、とも思った。


 相変わらず、マルバルク城外に出てくるのは二万が上限で、それ以上は森から出てこない。周辺の警備が堅く情報は掴めないが、敵も動くに動けないのか。


「援軍を待っているか。それとも内部で揉め事でも起きましたかね」


 朝。ディックが、ベイルの天幕にやって来ていた。アルサスは外で騎馬隊といるらしい。


「都から五万を超える大軍が来るのを察知した。南には我らがいる。動こうにも、動かれなくなった。夜襲でこちらを疲弊させ、殲滅を考えている、という感じではないでしょうか」


 ディックも夜間の戦闘に疲れているはずだが、表情にも言葉にも、それが見えない。そこは、指揮官としての矜持なのかもしれない。


「あるいは撤退しないのは、確実な増援があるから。そう思っては、いるのですが」


「橋に動きはないのだろう?」


「昼夜交替で、常に斥候を出していますが。まだ敵軍の襲来などはないようです」


 橋というのは、東のザラ川に架かるイグナーツ大橋を指している。大軍の通行できる橋の内、この戦場に最も近く安全に通行できるのは、この橋しかない。ほんとうは橋自体を破壊するか、周辺を制圧してしまいたいところだが、現状、そこに割ける兵力はハイデル軍になかった。北の都からの五万が到着すれば、こちらがすぐに動けるかもしれない。そういう意味では、都の大軍は使える。どれほどの実力か知れないが、大軍は大軍である。敵も、無視はできないはずだ。


「敵が五万とする。こちらは二万。北からの軍が、多く見積もって七万としよう。五万で南北の九万を破るために、お主ならどうする、ディック?」


 卓上の地図を、ベイルは叩いた。ディックは顎に手を当てている。


「どちらか一方の撃滅に注力します。できれば脆弱な方を、迅速に」


「この場合は、南の我らか」


「ええ。なにせ、七万ですからな。まともな指揮官なら、数の少ないほうからひとつずつ相手にしようと思うでしょう」


「数で劣る我らになら、勝ち切れる。後顧の憂いを断ち、北の大軍に備える、か」


「しかし、それなら兵力のすべてを差し向けてくるはずですな」


 ディックの言うとおり、まともな戦をしようと思っているなら、そのやり方しかない。城に三万からの兵を置く理由は、どこにもない。


 一方、こちらは敵を打ち破ることさえ目的にしなければ、どこまでも戦える。自国で戦っているのだから、持久戦となれば負けるはずがない。ハイデルまで退がる、という手段まで取れば、いくらでも持ちこたえられる。それだけに、敵が籠城戦など選ぶはずがないと思っていたのだ。少なくとも自分なら、持てる兵力をすべて、数の少ないこのハイデル軍に当て、全滅すら狙う。


「妙なことを考えている。そんな気がするな」


「やつらは、その逆を狙っているのかもしれませんな」


「北面への突破か?」


「ここまでの進撃を見るに、敵は非常に強力ですからな。数にこだわらず、北進するかもしれません」


「そして、我らへの抑えに出してきたのが、同数の二万か。ありそうなことだな」


「野戦に出てきていた部隊が、その役割を担っているのではないでしょうか」


 都からの軍は、もう森の北に来ているだろう。ただ、それは都を出立した日から考えれば、ということであって、実際は見えない。間にあの深いマルバルクの森を挟んでいるせいで、うまく情報を得られないのだ。西を迂回して“青の道ブラウ・シュトラーセ”から北に斥候を走らせてもみた。しかし、いずれも帰ってこなかった。そこは、敵も徹底している。こちらに、連携を取らせないつもりなのだ。“青の道ブラウ・シュトラーセ”は、封鎖されているという状況だった。


「今夜、夜襲をかけてきたら、潰しきるつもりで相手をしてやろう。そのまま、森まで押し切ってもいい。いや、そうするべきだな」


 このまま様子を見ていても、得るものはない。攻められるところまで攻めてみても、いいかもしれない。戦では、粘るところは粘り、攻めるときは攻める。


「いまのところ動きは、ありませんからね。兵たちは休むことができていますし、夜に力を発揮することもできると思います。夜襲がなければ?」


「今日の増援を待ち、こちらから一気にいく」


 あれだけ執拗な夜襲を仕掛けてきた理由を、ずっと考えていた。夜間に、こちらに身動きを取らせないためなのだとしたら。連中は、夜間に自分たちから見えないところで、何らかの策を進めているのではないか。


 どこまでも情報網を遮断してくる。そこも不気味だったが、すべて北での策を隠すためのものなのだと考えれば、繋がりも見えてくる。


 籠城の気配さえ伺えるのに、援軍の到来もない。おかしいと思うほどだ。倍近い兵力を相手にするなら、正攻法ではどうにもならない。奇襲、陽動、何でもやってくると考えるべきだ。


 森の向こうの情報を得たい、と思った。北で何らかの動きがあるとして、その策を都からの軍が看破できるかは分からない。気に入らないが、同じ青竜軍アルメだ。不利な状況に陥る前に、こちらでできることはしておきたい。


「今夜の襲撃に備えておけ。それから、アルサスを呼んでくれ」


「槌を取って戦うことができた。それで、勢いが付きましたな、ベイル殿」


「黙れ。おまえこそ、出遅れぬようにしておけよ」


 ディックが頷き、退出した。幕の中には、ベイル一人になった。外には衛兵が立っている。眼を閉じ、もう一度今の状況を頭の中で整理した。


 赤の国の最大の目的は、都を陥落させることだろう。自分たちのような南方から来た兵にかかずらってはいられない、と考えるはずだ。適当な抑えを差し向けておいて、北面の七万に集中する。


 しかし、こちらに二万を割いてしまっている。実際の規模が不明瞭ではあるが、残っている敵軍の戦力は、多くて三万といったところだろう。実に倍する兵力である。それでも、北を強引に突破しようとするだろうか。


 アルサスが来た。鎧を付けたままで、武器だけは外に置いてきたようだ。


「休んでいたのではないか?」


「はい。しかし、これから警邏けいらのために出ようかと」


 騎馬隊は交替で、昼間にもけていた。馬を走らせるためだ。少しでもけさせておけば、夜であっても馬の動きはそれほど落ちない。


「そのついでというわけではないが、ひとつ、やってほしいことがある」


 卓まで手招きし、アルサスに地図を見せた。


「いま“青の道ブラウ・シュトラーセ”がどうなっているか、知っているな」


「はい。やつらが兵器を置き、防塁まで築いて押さえています。民の通行も許していないようですね」


「潰せとは言わん。ちょっと、つついてやるくらいでいい。すぐに出立し、夜までに戻ってこられるか?」


「できます」


 アルサスは即答したが、その意図を考えているようだった。


「東回りで、北に斥候を差し向ける。そちらはマルバルクの城と、森の向こうまで向かわせたい。お主が西で暴れて注意を引いていれば、見えていない北の情報が、掴めるかもしれん」


「なにか、動きがあるとお考えなのですね?」


「策を講じてくる、とは思っている。それが何なのか、僅かにでも動きを掴みたい」


「わかりました」


 簡潔な返事だけで、アルサスは頷いた。ベイルも共に、幕を出る。ちょうど、ブルクレズム村から戻ってきた斥候が五騎、こちらに向かってけてきていた。


「つついてやるだけだぞ」


 アルサスの背に、声を投げかける。熱くなると、どこまでもやりそうな男だ。指を差して念を押す。自分が、自然と笑っていることに、ベイルは気付いた。アルサスもにやりと笑って、きびすを返し駆け去っていく。


「早馬を二十騎。ここへ。武装は完全に」


 斥候から戻った兵は面食らったようだったが、すぐに三名が来た道を戻っていく。二名は残り、ベイルの前に直立した。援軍着到の報告だった。五千と、五百名ほど。いま、陣の手前で待機させているという。


「指示を出したら、向かう」


 早馬に乗った兵が来る。


「いま、休んでいたという者は?」


 全員が挙手する。何を問われているのか分からない、という顔をしていた。


「軍令でもないのに、少しは指示に背いてけようとか言う者はいなかったのか、正直者どもめ」


指揮官コマンダント殿は」


「俺は、いつでも頭を動かしている」


「ではともにけ、からだも動かしましょう、ぜひ」


「俺が本気を出せば、おまえたちなど置き去りにしてやれる」


 兵たちが、一様に笑う。軽口は、いつものことだった。ハイデルで指揮官となったとき、戒律の徹底と同時にやったのが、この雰囲気を作ることだった。北で偉そうにばかりしている指揮官たちとは違うものをつくりたい。武官も文官も隔てなく、いつも言葉を交わせる間柄にしたい。目指していたのは、そういう軍だった。今では堅物のディックですら、こういうところがある。


 指示は簡潔に出した。東回りで、北に抜ける。森の中から、可能であればその向こうまでを探る。どんな些細なことでも記憶しておく。アルサスの部隊が“青の道ブラウ・シュトラーセ”で時間を稼いでいるから、引き返すときを見誤らないようにする。


 すぐに、兵たちはけていった。あとは報告を待つだけになる。


 供回りを呼び、馬に乗った。野営地から出る。やや離れたところで、人だかりができていた。ベイルらの接近に気付くと、騒いでいた男たちが静かになっていく。


「増援に感謝する」


 ベイルは、馬上から全体を見渡した。武装はほとんどが、青竜軍アルメのものであった。すでに、昂奮している様子が見て取れる。何かを期待するような眼をしている者。据わった眼をしている者。様々だった。


「貴殿らは、一度は敗れた。私はそう聞いている」


 男たちの眼が光った。


「もう一度この戦場に戻った貴殿らを、私は尊敬する。ともに戦おう。失った者たちのために」


 男たちが剣や槍を掲げ、声を上げる。敗残兵の集まりと聞いていたが、心がくじけてしまっているというわけではなさそうだ。ただ、下を向いている者たちもいる。それはそれで仕方のないことだ、とベイルは思った。


 代表者が、前に歩み出てくる。待機の場所や野営地での動きを確認する。ひとまずこの増援部隊は、最後方に近いところで置くつもりだった。いくら士気が高くても、いきなりハイデル軍との連携はとれない。使うのは、最後の最後というのが、実際のところだった。


 打ち合わせを終え野営地に戻る。いくつかの報告が来る。“青の道ブラウ・シュトラーセ”に向かったアルサスの騎馬隊は、それなりに損害を与えたらしい。防塁を越えかなりの敵兵を討って、すでにこちらへ戻ってきているという。森の探索に向かった部隊は、当然だがまだ戻っていなかった。


 その部隊が戻ったのは、夕刻の迫る頃だった。アルサスの部隊はすでに戻っていて、ベイルへの報告も終えていた。損害は軽微で、百名余の敵を討ち取っていた。防塁と兵器で固められた相手である。戦果としては十分過ぎた。


 斥候部隊は、八名が欠けていた。森からこちらに戻る際に、高速での追撃があったらしい。しかし、半数以上が戻っていた。


 森の中に敵兵はいないと思ったが、城を越えて北に出た途端、小隊がいくつも現れた。すべて数百の単位で、斥候を出しながら北進していた。速やかで、気取られることのないように意識しているような行軍であった。


 森の北には、やはり都からの七万が着到していた。どのように展開しているのか調べるために接近を試みたところで、敵に発見された。それで、すぐさま森の中を逃げてきた。情報は、そんなところだった。


「闇に紛れて北を抜けるつもりだ」


 報告を受けたアルサスが地図を指す。マルバルクの森の北。湿地があちこちにあって、どうしてもまばらな布陣になることが想像できた。そこに都からの増援七万が展開しているなら、東西でかなり広範囲に広がっているはずだ。


「一点にのみ兵力を傾ければ、突破は可能です。やつらの夜襲の強さは、凄まじかった」


「七万を相手にでも、か」


 言いながら、ベイルもそれは可能だと思っていた。未だ、マルバルクをたった一日でとした底力を見せられていない、という気がする。その気になれば、敵はほんとうに倍する兵力を突破してしまうかもしれない。


指揮官コマンダントはヨハン・ベルリヒンゲン。歴戦の将軍だが、戦から離れて久しいと聞く。都での隠居が長くなった、とな」


「ヨハン殿といえば、北伐の英雄ですな」


 ディックが、その名前に反応する。北伐というのは二十年ほど前、北の山脈にすむ異民族を討伐した戦のことだ。ベイルやディックも参戦していた。“雪の獅子”レーヴェン・ムートが名を轟かせたのも、この戦だ。ヨハンはそのときも、総指揮官に任命されていたはずだ。


「もう六十近い高齢だ。夜間の戦闘には向くまい。失礼を承知で言うがな」


 年月はどんな猛者ですらむしばむ。言葉に僅かな自虐があるのを、ベイル自身もよく分かっていた。


「兵たちには、ここが勝負だと言っております。士気は十分に高い」


 ディックの言うことに、アルサスも頷いた。たしかに、今夜で押し切ると決めていた節が、自分にもある。


「決まりだ」


 ベイルは、掌で卓を叩いた。二名の副官も頷く。二人が幕を出て、すぐさま指示を飛ばす声が聞こえてくる。


 夜襲を受けるのではない。夜間の戦だ。受けて立つのではなく、そして、今夜はこちらが押し通ってやるのだ。北へ逃げようという敵の企みを打ち砕く。


 陽が完全に沈む前に、布陣を終えた。兵たちの闘気もみなぎっていた。


 しかし野営地を襲う敵は、この日だけは現れなかった。


 地平の向こうに、かがりすらも焚かれなかったのだ。

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