episode14 ザラ平原の戦い

緒戦

 敵が野戦に撃って出てきた。望むところだった。


 ザラ平原の南。ベイルは、ハイデルから率いてきた兵を静かに待機させていた。


 落ち延びたマルバルク城の兵士からは、総数四万から五万と聞いている。目に見えるのは、二万ほどか。四方に斥候を飛ばしているが、伏兵は見当たらない。こちらも二万である。力を測るため、同数の部隊を当ててきたと思われるが、最初のぶつかり合いで、押し切られるつもりは一切無かった。


 なんなら、都からの増援が着到するよりも早く、緒戦から情勢を決めてしまいたい。ハイデルの軍隊は精兵であるという自負が、ベイルにはあった。こちらに五万の青竜軍アルメが向かっていることは知っている。合流する北部諸侯の兵も併せれば、六万から七万の大軍になるという。七万といえば明らかな大軍だが、巨大すぎる戦力は扱いが難しくなる。だいたい、糧食からしてどう調達するのか、移動にかかる時間はどれほどかといった都合がつけにくい。


 七万の総指揮官はヨハン・ベルリヒンゲンである。老齢といえる指揮官で、ベイルも見知った実力者ではあるが、寄せ集めの軍をどこまで統御できるのか。ハイデル軍くらいの戦力が最も取り回しやすいのではないか、とベイルは思っていた。


 そもそも、我が領地に迫ろうとする敵国を、我が兵力で跳ね返せずに、何が国軍か。ベイルの心中には、常にそういった思いがある。だから、マルバルクの城がたったの二日でちたことには、焦りや嘆きよりも、怒りのほうが先に込み上げてきた。周辺の、たとえばエベネなどの街もすでに手中に収めた赤竜軍レギオは、糧食にも困っていないだろう。その街や民を敵国の侵略から守ることが、軍人であることの矜持であり、すべてではないかと思えるのだ。


 ベイルらが、ハイデルで救援の要請を受け、この平原に布陣するまでが、七日。敵が城と森を制圧し、街に乗り込み、兵站を確保するのにかけた日数も、ほぼ同じである。自国でない戦地で、城と街の占領に数日しか要さなかったという事実には驚嘆するが、そこには青竜軍アルメの脆弱さも多分に関係しているはずだ。


 ザラ川を渡河するところに追いつき、叩いておくべきだったのだ。ベイルは、マルバルク陥落の要因は先手を打てなかった怯懦きょうだにあると考えていた。


 ザラ川は、ザラ平原を南西から北に走る大河だ。西は“青の道ブラウ・シュトラーセ”を跨ぎ、北端は海まで抜けている。南のポルトから進撃してきた赤竜軍は、どういう手筈を打っても、この川で一度、兵の足を止められる。


 川と、そこにかかる橋の防衛を第一とする南東の街、ゼルローの部隊が蹴散らされていたことはたしかに大きい。しかしザラ川は幅広で、数万人単位の人間が渡るには時がかかる。橋も、最悪破壊してしまうことができたはずだ。


 早くにマルバルクの城に籠城を決意したのは、“青の道ブラウ・シュトラーセ”防衛の意識があったからなのだろうが、結果的にはその受け身の姿勢が、万端の準備をする時を相手に与えたことになる。


 ここで何を考えても、せんなきことではあるが。ベイルは幾度も現況を反芻はんすうし、幾度もかぶりを振った。終わったことを、ああしていればと振り返ることが、このところ増えている。これが歳をとるということなら、尚のこと、考えてなどいられなかった。


 ゼルローやエアフルトといった、壊された街の青竜軍アルメからは、書簡が届いていた。青竜軍アルメの符号を用いた伝書で、二日前、密かにこの軍営に届けられたものだ。


 各地の敗残兵がいま、敵から逃げ延び、国内の各地で息を潜めているのだという。ハイデルの軍に合流し、再び戦いたいという内容だった。


 ここから東の山を一つ越えた先の集落。五日後を刻限とする。そこで、軍とともに戦いたい者は集まり、ザラ平原の南に参上すべし。代表する者が事前に申し出ない場合、我が軍はそれを敵と見なし殲滅せんめつする。伝書を持ってきた者には、そう伝えさせた。


 実際のところ、これにもベイルは期待していない。ただ、屈辱を晴らしたいという軍人の気持ちだけは理解できる。使い道は、あとから考えるつもりだった。


 前線から、騎馬が三頭戻ってきた。大隊長オフィツィアディック・コップフ。二人いる副官のうちのひとりである。供回りを連れていた。


「やはり、総勢は二万どころではないということです。数万は城と、森に」


「様子見のつもりか。川へ」


 ディックが供回りに短い指示を出している。部隊の後方まで走らせたようだ。


 敵の増援は、かなり早い段階から予想している。マルバルク城をとして、すぐに敵が北上しなかったからだ。そこまでの猛烈な進軍速度から考えても、ここで居座っているのには意図があるか、何か問題が起こったかのいずれかで、前者であれば芽は可能な限り潰しておきたい。海をまた越えての援軍というのは、考えたくないが最もあり得ることだ。


 ディックに命じられた斥候は、ザラ川近辺まで走るのだろう。それくらいは、いちいち詳細な指示を出さずともやる。彼はベイルの意図をすぐさま理解できる男だった。長年副官を任せてきた、軍人らしい軍人である。若き小隊長カピタンアルサス・シュヴァルツとともに、最も信頼できる将だ。


 そのアルサスは最前線で動こうとしない。どんな戦いでも先鋒を担おうとする。これは、彼の性分だった。ベイルもディックも、そこには理解を示している。軍人とはいえ、それは駒ではなく人である。真っ先に敵に切り込み、暴れまわることで力を発揮する男もいれば、後方で細やかに戦場を見渡すのが得意な者もいる。アルサスは明らかに前者で、そうしなければ味を出せない男である。ディックは後者で、前に立って檄を飛ばすよりも、緻密な仕事を得意にしている。副官二人で、うまく役割を分け合っている、というところがある。


「先鋒は、もう勝手に馬を走らせそうな殺気を出していました。あの男らしい」


「よい。ハイデルの嚆矢こうしであるからな。限界まで弦を引いてやれ」


 アルサスには、ハイデル軍の中でも最強の騎馬隊を率いさせている。練度が他の部隊より、もうひとつ抜けていて、槍も弓もつかえる。存分に暴れ回ればいい、と思っていた。


 自分もかつては、アルサスのように暴れまわっていた。無論、いまも戦槌ハンマーを取れば、そこらの兵士には負けない。総隊長という役目があるから、陣の真中まんなかにいるだけだ。齢四十を超え、自分の立場もわきまえてはいるが、時折、最前線で思うまま槌を振るいたくなる。


 そう言うと、ディックはにやりとした。


指揮官コマンダントは貴方だ、ベイル殿。私は従うだけですよ」


「好きなようにせよ、と言っているつもりか、ディック?」


 肩をすくめる副官を手で追い払った。ディックは右翼の部隊へと向かっていく。陣の右側は前方に小高い丘があり、相手から兵を隠すことができる。そこに、最も機動力のある騎兵を五百、固めていた。敵の斥候はアルサスの部隊に遮られ、ここまで偵察には来られない。


 野戦に出てきた相手をさらに引きずり出し、叩き潰すつもりだった。本陣であるここまで敵を引きつけることはさすがにできないが、いざとなれば槌を手に取って闘うこともできる。ディックはその辺りのことも分かったうえで皮肉を言ったのだろう。


 北から、馬群が近付いてくる。後方に歩兵。斥候の報告の通りだった。さらに早馬の行き交いが多くなる。頃合いだった。すべての軍旗を立てさせる。青い旗。角笛ホルンを吹かせた。


 それを合図に、前衛が動き出した。黒馬に乗ったアルサス率いる騎馬隊が、真先に飛び出していく。まさしく、放たれた矢のような動きだった。


 敵も、騎馬を前面に出して進軍していた。こちらの前方の動きを見て、ほとんど同時に騎馬隊を前進させてくる。数は、こちらの部隊の方が少ない。しかしアルサス隊は、後方から見ているベイルからも分かるほど速く、敵陣に向かっていく。


 騎馬隊どうしのぶつかり合いが起こった。双方とも全速で前進していたはずだが、こちらの騎馬隊の勢いがさらに強い。猛烈な攻撃で、敵をかち割ろうとしている。こちらの本陣でも、味方から歓声があがるほどだ。


 敵が、二つに割れた。アルサスの部隊は敵の後方まで駈け抜けていく。割れた相手の騎馬隊が、すみやかに二つに固まっていく。そこに、後発の重装歩兵が突進していく。崩れると思ったが、持ちこたえている。


「伝令。歩兵を一段、前に出せ。アルサスが戻ってきたら、一つになれ」


 敵の割れ方が思っていたよりも、素早かった。それなりの指揮官が、二人以上はいるのだろう。アルサスには、敵の後段の歩兵まで潰せるなら潰せと言っていたが、それは難しそうだ。すぐさま、敵の騎馬隊が挟撃の構えを見せている。見事だった。


 本隊から切り離した歩兵隊が、さらに敵の騎馬隊に向かっていく。アルサスの部隊は相手の歩兵の攻撃をいなしながら、東に逸れた。大きく迂回しながら、こちらに戻ってくる。側面をこうとした相手の騎馬隊を、こちらの歩兵が遮るように動いている。


 割れたもう一方の騎馬隊と歩兵部隊が、本陣に向かってきた。勢いはある。


「二、三段目、放て」


 二段目と三段目の歩兵には、弓を持たせている。すでに矢は番えていて、一斉に敵に向かって放たせた。たてを出し、敵も猛進してくる。角笛ホルンの音。味方の歩兵が二段、退がった。それを合図に、丘の陰で右翼部隊が動き出す。


 後ろから、長槍部隊を出した。歩兵は、本陣まであと四段である。長槍部隊が、敵の騎馬隊を受け止めた。蹴散らされる者もいる。


 右から、喚声が上がる。ディックの部隊が、側面から敵に突っ込んだ。こちらの歩兵が崩れそうになる、ぎりぎりのところで来た。敵が算を乱し、退却しはじめる。


 退却の際の抵抗は、かなり激しかった。意外なほどだった。ディックの部隊が、追い込めていない。鐘を打たせる。一度、退かせたほうがいい。深追いはさせない。


 左の側面から、アルサスの部隊が飛び出してきた。先頭に、息を切らせたアルサスの姿が見える。そちらでも、敵が退却していた。歩兵部隊も戻ってくる。


「馬、武器、すべて回収せよ。そののち、前進する」


 損害の報告が来た。歩兵の損害が、想定していたよりも僅かに多い。最初に敵の騎馬隊とぶつかった部隊だ。それほど、強烈な突進だったのだろう。


 アルサスも、駈けてきた。軍馬“黒鋼シュタール”に乗ってけるアルサスの姿は、ハイデルの軍の中でもとくに目立つ。彼の武勇も相まって、兵からの信頼は大きかった。


 アルサスは味方の称賛の声はほとんど無視し、馬を寄せてくる。


「騎馬隊の損害なし。敵は、おそらく指揮官が二名。両名とも、騎馬隊を率いていた者かと」


「できる将だな」


「はい。敵陣の中ほどで、途端に手応えが弱くなりました。包囲されないように、慌てて抜け出しましたが」


「それでいい」


「あれが、本来の力ではないのだと思います。あの程度では、さすがにマルバルクを一日ではとせない」


 どちらも、余力は残している。最初のぶつかり合いとしては、こんなものだろう。


「おまえの突撃を見て、一応は敵も構えるだろう。見事だった」


 アルサスは一度だけ笑みを見せ、すぐに駈け去る。余韻に浸るようなところは、どこにもない。


 ベイルは見事という言葉以上のものを、アルサスに感じていた。数年前、峻烈な性格と弓の腕前を見込んで小隊長に上げた男だ。素質はあったが、目をみはるような成長を遂げている。ディックの助力があったとはいえ、自分が謎の怪物に襲われ意識を失っている間にも、よく部隊をまとめていたという。


 実戦の経験はほとんどないはずだが、たった今の戦闘でも、逡巡は見せなかった。最前線での指揮は、もう十分に任せられるだろう。そしてすぐに、ディックや自分を超える存在になるはずだ。


 馬と武器の回収を指揮していた小隊長が、駆け戻ってきた。捕虜をどうするか、指示を仰ぎに来たという。ベイルは、鼻白むような気分になった。そんなことは、すでに決められた手筈があるからだ。捕虜の扱いなど、どんな兵でも知っている。そう言うと、小隊長は申し訳なさそうに視線を下げた。


「それが、指揮官コマンダント殿にどうしても拝謁したいと申す者がおりまして」


「なんだ、そんなもの。相手にするな」


「いえ、それが。青竜軍アルメに属していた者だと言うのです。それも、ポルトから逃げ延びたと」


 ポルトは、二月ふたつき以上前に陥落した国土南端の港湾都市である。いまは赤の国の占領下にあった。国境の“青の壁ブラウ・ヴァント”は大軍に攻囲され、奪還は未だ成っていない。ハイデルのベイルらも攻撃に向かおうとしたが、北上してくる敵軍の相手のため、それができていなかった。


「通せ」


 言ったが、ベイルの心中にはまた怒りが沸いてきていた。なぜ捕虜に、そんな軍人崩れがいるのだ。しかも、いま我が軍に剣を向けるあの敵軍の中から、のうのうと顔を出すなど。


 男がき出されてきたとき、ベイルはその横面を張り倒してやりたいくらいだった。乱れた白髪に、こけた頬の冴えない表情。粗末な鎧。同じ軍人なのか、と疑いたくなる。ディックとアルサス、二人の副官も呼び、男と面会させた。


指揮官コマンダントベイル・グロース殿」


「話すことは許可していない。己の立場をわきまえよ」


 ディックが冷然とした調子で言う。男は両腕を後ろに縛られたまま、その場に平伏している。声は弱々しかった。


「問うことにだけ答えよ。ポルトの兵であると言うが、証左は」


「私の、鎧の下をご覧ください」


 兵に命じ、男の鎧を剥ぎ取らせる。痩せたからだが、その下から出てきた。竜紋の入った着物を身に付けている。青竜軍アルメの兵にしか渡されないものだ。アルサスが、それを見て鼻でわらう。


「そんなもの、死んだ兵からでも盗めばよい。ポルトでは多くの同朋が死んだというしな」


「その通りでございます。多くの同志が、国のため死にました。後を託されながら、私が生き恥をさらしていることも」


「問うたことにのみ答えよ、と言った」


 アルサスが素早く剣を抜き、男の喉元に当てる。男は喉を詰まらせたように微かな息を吐くだけである。しかし眼だけは、ベイルから逸らさなかった。


「なにゆえ敵の軍門に降った」


「降るしか、ございませんでした。家族を人質に取られ」


「それで、ポルトからこのザラにまで来るものか。見苦しい、赤の鎧など付けて。俺ならば、死ぬことを選ぶ」


「幾度、そうしようとしたか。しかし復讐のため、恥辱に塗れても生きようと思いました。ここに至るまでに敗れた各地の兵士も、密かに糾合きゅうごうし」


「妄言も大概にせよ」


 アルサスが声を荒らげる。剣の先が男の喉の皮膚を裂き、血が流れ出した。


「妄言では、決してございませぬ。敵の将兵の数もすべて偽りなくお教えできます。兵は開戦を合図に、必ずこのザラに集ってまいります。どうか、その情報と、兵をもって、私の忠誠の証左としていただきたい」


 ほとんど叫ぶようにして、男が懇願する。まだ、視線がベイルから離れなかった。アルサスも同様にこちらを窺う。


「どこに集めるつもりだ」


 ベイルも男から眼を離さなかった。妙に強い光を放つ眼である。身形みなりと、それだけは釣り合わなかった。


「ここから東の山の麓、ブルクレズムの村。刻限まで、あと三日」


 ベイルが二日前に伝えた内容と、一致していた。


 ディック、アルサスの両名もそれを聞き、ベイルの眼を見て頷く。アルサスが剣を下ろした。


「縄は解くな。この男だけを残し、あとの捕虜はすべてハイデルに送れ」


 男はベイルの言葉を聞き、地面に額を擦りつけるようにして感謝を述べた。兵が、男をき立てる。その顔は、泥と涙で汚れていた。


「名は何という、貴様」


 連行される男の背に、ベイルはいた。まだ、何も信用はしていない。真偽は三日後にしかわからない。元は青竜軍アルメだというのなら、名くらいは聞いたことがあるかもしれない、と思っただけだ。


「リューゲン・ヴァイプと申します、指揮官コマンダントベイル殿」


 男は再度、深く拝礼した。先刻の叫びが嘘だったように、声は弱々しいものに戻っていた。眼の光は見えなかった。

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