胸を張れ

 レーヴェンは、副官を呼んだ。


「歩兵は、ここに残す。弓を持たせ、灌木かんぼくに紛れて埋伏しておけ」


 それだけで、意図は伝わったようだ。副官は頷くと、すぐに歩兵たちに指示を出し始める。レーヴェンは、騎馬隊だけを集め、ここからの動きを念入りに確認した。


 確認を終えると、隘路をけ下りる。断崖を抜け、海岸線をひた走る。


 海に近づけば近づくほど、焼け落ちた船がはっきりと見えてくる。海に浮かぶ残骸には、まだ火が残っていた。一方で敵の軍船は、ポルトの浜に侵入を果たしたのか、もう視界にはない。


「旗を立てよ」


 レーヴェンが告げると、騎手たちが伏せていた旗を揚げた。竜紋りゅうもんの描かれた旗が、海の風になびく。青い生地が、年月を経て少しせている。しかし、これがレーヴェンの旗だった。馬が、風を受けたように脚を速める。疾駆させるには、まだ早い。まだだ。まだ我慢するのだ。もうじき、その力を爆発させるときがくる。レーヴェンは、馬に心の中で語りかけた。


 馬蹄の音以外に、耳に届いてくる音があった。喚く声、叫び声。鉄のぶつかり合う音が立て続けに聞こえる。何かが崩れるような音もする。空の明るさは弱まっているが、まだ夜の空を火が照らし続けている。街が燃えているのか。


 こちらに向かってくる、人影があった。ひとりやふたりではなく、何人もいる。レーヴェンは、けながら、目を凝らした。槍の穂先ほさきを前に突き出す。


「“雪の獅子”レーヴェン・ムート、着到」


 味方の騎兵たちが、背後から声を上げた。すでにそのとき、レーヴェンは敵のからだをひとつ、宙に突き上げていた。擦れ違った民が、こちらを見てまた悲鳴を上げる。たおしたのは、それを追っていた兵士だ。敵の兵士たちが、驚愕の表情で足を止めている。


「罪なき民すら追うか。ここで斬っててるぞ」


 声を張り上げた。馬がいななく。敵兵、と相手が声を上げ、武器を構えている。二十人以上はいる。レーヴェンは、馬腹を蹴った。敵が、槍を突き出してくる。穂先がこちらを捉えるよりも先に、槍を弾き飛ばした。ほとんど同時に、二人を突き倒す。そのままけ抜け、振り返ったときには、敵の屍体したいが転がっていた。立っている敵はいない。


 味方の騎兵たちが、自分の持っていた槍を見つめていた。


「どうした」


「戦えました。敵が、木偶でくのように」


「おまえたちが、強いのだ」


「隊長のあとを、夢中でついて行っているだけです。なのに」


「だから、強くなったのだ。よいか、おごるなよ。この“雪の獅子”の騎馬隊であるという、誇りだけをもって、突き進め」


 すぐに馬首を巡らし、レーヴェンは駈けはじめた。騎馬隊は、遅れずにけてくる。


 こちらに駆けてくる、徒歩かちの一団があった。馬を止める。武装していた。しかし、殺気を感じない。装具には、青い紋章が入っていた。


「援軍だ」


 青竜軍アルメの兵が、声を上げている。レーヴェンは、違和感を覚えた。


「助かった。おぬしらは?」


「軍より、応援の要請を受けた。おまえたちは、どこへく。援軍なら、ここに参った。ともに戦うぞ」


 兵士たちの顔が、そこで歪んだ。聞きたくない言葉が、彼らの口から出てくる。レーヴェンには、それが分かった。


「この街は、もうだめだ。俺たちは、逃げる」


「民を、放っていくのか。何のための軍だ。おまえたち、軍人だろう」


「もう、だめなんだよ。船は燃やされた。隊長も、みなやられた。敵は、これでもかというほどいるんだ。民など、知ったことか」


 吐きてるように言って、男たちが駆けていく。腰には剣をいたままである。それでも、逃げる。レーヴェンは、追おうという気にもならなかった。ただ、暗い失望が、心中に満ちた。


「これが、青竜軍アルメの、わが国の軍人だというのか」


 北の軍は腐っている。それは、これまで何度も聞いてきたし、実際に見てきたことでもあった。しかし南の、戦地に近いこの地で、しかも目の前の民を救おうとしない兵がいようとは、思わなかった。


 失意を振り払うように、レーヴェンは槍を大きく頭上で回した。自分たちが来た意味が、無くなったわけではない。かならず、どこかに戦っている者がいる。逃げようとしている民がいる。今は、けるのみだ。


 馬のを進めた。街の中心の、街道らしきところに出る。遮る敵は、斬った。歩兵ばかりで、騎兵や弓兵とは出くわさない。街全体は、赤く染まっていた。火の赤さだけではない。血の臭いも、強烈に鼻を突いた。剣を持たない者たちは、皆、街の外へ這うように逃げていく。それを追う敵兵の一団に、突撃した。


 馬上から槍を振るう。剣で首を飛ばす。武器を突き出してきた兵も、馬のひづめにかけた。勢いに気圧されたように、敵兵が背を向けて駆け出す。逃げた兵は、追わなかった。


 民衆が、遠巻きにこちらを見ている。レーヴェンは槍を、街の外に向けた。


「逃げよ。この街が見えなくなるほど、遠くに。敵は行かせぬ。振り返らず、ただ駆けるのだ」


 男も女も、老人も子供もいた。弾かれたように、駆け出していく。路地からそこへ襲い掛かろうとした敵は、騎馬でさえぎる。味方も、敵兵をぎ倒していた。


 喊声かんせいが聞こえた。高台の、崖に近いほうで、争闘の気配がある。馬腹を蹴り、レーヴェンは斜面をけ上った。敵の屍体したいが、折り重なっている。かなりの数だった。やはり、戦っている者は、いるのだ。胸に、がついた。


 かなりの数の敵が、押し寄せていた。まるで人の壁のように、街の外れに密集している。なにか、護るべきものが、ある。レーヴェンは、自分の直感を信じた。槍を、前方に向けた。


「突撃」


 けた。耳元で風が唸る。背中から、とてつもない圧力を感じた。騎兵が、一丸となって、駈けている。己の気迫を、レーヴェンは槍の穂先にすべて込めた。敵。振り返る。貫いた。吹き飛んでいく。敵の槍。弾いた。二人、三人と一度に貫き、馬のひづめで弾く。走り抜ける。壁に、風穴を開けた。壁の向こう。


 赤い敵兵の海の中心に、男が一人、立っていた。全身が血にまみれ、胸に槍が突き立っている。しかし、剣を握り、立っていた。一度、眼が合った。眼は、燃えていた。呼吸が止まりそうになるほどの気迫を、レーヴェンはその男から感じた。かすかに、男の口が動いた気がした。そして、そのまま仰向けに倒れた。レーヴェンは、さらに馬を駈けさせ、もう一度壁に突っ込んだ。三、四人と、叩き伏せるように倒した。敵が、おののくように引いていく。


 逃げている民がいた。青竜軍アルメの兵士が、その傍についている。こちらに気付いたのか、口を開けている。


「そのまま行くのだ。走れ」


 騎馬隊を反転させ、その場で回転するように駆けた。歩兵しかいない敵は、手を出せない。無暗むやみに突っ込んできた兵士は、槍に吹き飛ばされた。レーヴェンは、後方を確認する。民と兵士たちは、すでに夜の闇の中に逃げ込んでいる。灯りを持たない分、この闇の中なら逃げ切れるだろう。


 そのとき、自分たちの他に、馬のける音が聞こえた。頭上で槍を二度回す。撤退の合図である。しかし、この撤退は、ただ逃げるものではない。それは、騎馬隊だけで出立するときに、示し合わせていた。


 青竜軍アルメが街に残っていれば、共闘の後、撤退を援護する。残っていなければ、民の逃亡を助ける。ただ、いずれにしても、こちらの寡兵かへいに変わりはない。どこかで、見切りが必要ではあった。そのきっかけとなるのが、敵の騎馬兵の到着だった。船に、馬を積んでいることは、十分に予想できたことだ。これ以上戦えば、こちらが全滅する。何しろ、五十騎ばかりなのだ。


 もう一度、歩兵の中へと突撃した。今度は、反撃も激しい。真中まんなかは、突っ切れなかった。攻撃を受けながら、迂回するように人海じんかいを抜ける。


 全速で、街を出た。旗は、揚げ続けている。味方の騎兵が、自分を追い越して前に出る。殿しんがりはレーヴェンが務める。これも、打ち合わせたとおりだ。予期していた通り、敵の騎馬隊が出てきた。赤い旗が、追ってくる。こちらは、街の中で戦ったあとだ。いつまでも、逃げられるわけではない。


「もう少しだ。耐えろ」


 レーヴェンは最後方をけながら、仲間の騎兵を叱咤しったし続けた。背中には、痛いほど敵の圧力が伝わってくる。追いつかれたら、真先まっさきに死ぬのは自分だ。振り返らない。そう決めた。とにかく、前に向かってける。


 崖に囲まれた、隘路あいろに走り込んだ。敵は、まだ追ってくる。崖は、黒い壁のように両側にそびえ立つ。その壁に、灌木かんぼくの茂みが見える。通り過ぎた。


「打て」


 レーヴェンが言うのとほとんど同時に、両側の岩壁から矢が降ってきた。後方を走っていた敵の騎兵は、暗闇からの矢をまともに受けることになった。叫び声が、夜の崖にこだました。


「反転」


 最後方にいたレーヴェンが、今度は先頭になるように、部隊が反転した。そのまま、最後の余力を使い切るつもりで、敵の騎馬隊に突っ込んだ。矢で十分に混乱していた敵は、ほとんど反撃してこない。次々と、馬から落とし、槍で貫いた。後方にいた残りの敵兵が、撤退していく。それを追うほどの力は、もう残っていなかった。


「皆、よくやってくれた」


 崖の上から、ときの声が降ってきた。断崖の道を揺らすほどの声だ。レーヴェンは、それでも表情を緩めなかった。すぐに、損害を確認する。八人、戻っていなかった。五十の内の八騎というのは、実に痛い損失である。しかし、あの争闘をくぐり抜けての八騎と考えれば、少ないと言ってよかった。


 歩兵たちが崖を降り、集合する。手に持っている明かりが、隘路あいろを照らした。


「戻ってこないのでは、と思った」


 副官が、額に汗を滲ませながら言う。


「八人失った。からだも、あの街に置いてきてしまっている。やはり、つらいな」


 全部で五十名だから、失った八名が誰なのかも、すぐにわかる。それも、またつらかった。かつて国軍で千騎ほどを率いていた頃には、あり得ない感覚である。


 馬と兵士を休ませ、すぐにった。さらなる追撃の兵を出されては、今度こそ全滅してしまう。陣はすぐに払った。


 疲労しているが、兵には歩みを止めさせなかった。待機していた兵から、二名を選んで、“青の壁ブラウ・ヴァント”に先行させることにした。この眼で見たものと、何があったのかを、一刻も早く報告するべきだと思ったからだ。民の命を幾つか救うことはできても、ポルトがちてしまったことに、変わりはないのだ。指揮官コマンダントファルクが、あとは判断をするだろう。


 しばらく歩き続け、立ち入った林の奥の水場で、夜営を行うことにした。斥候せっこうから、追撃の報告はない。兵士たちは、ようやく腰を落ち着けていた。レーヴェンは休む前に、兵に声を掛けて回った。初めての戦にしては、ほんとうによくやってくれたのだ。とくに騎兵には、ねぎらいの言葉を掛けておかねばならなかった。


 隊長、と自分を呼ぶ声がした。兵士が一人、駆けてくる。見張りに立たせていた兵のうちのひとりだった。呼ばれて向かった先に、青竜軍アルメの兵士たちが数名、立っていた。


「ポルトから、逃げてきた兵だそうです。我々を探して、あのあと、この辺りを歩き回っていたようで」


 レーヴェンは、兵士たちひとりひとりの顔を見回した。


「命を、助けていただきました。お礼に参らねばと。失礼ながら」


「レーヴェン・ムートという。生憎あいにく指揮官コマンダントでも、大隊長オフィツィアなどでもないが」


 表情には、かげりがあった。それが、少し気になった。街がちたこと以上の何かに対する思いを、抱えていそうだった。それをくと、せきを切ったように数名が涙を流し始めた。


「俺たちの隊長が、死んだのです。俺たちを護るために」


 レーヴェンはそれを聞いて、あの、敵兵の中で戦い続けていた男を思い浮かべた。燃えるような眼。すさまじい気迫は、レーヴェンにも届くものがあった。


「レーヴェン殿には、最期を見ていただきました。それで、俺たちは」


 嗚咽混じりの声は、ほとんど言葉になっていなかった。しかしレーヴェンには、言いたいことがすべてわかる気がした。


「あれだけの数を相手に、戦ったのだろう、おまえたちの隊長は。胸を張れ。そうまでして、その隊長が生かしたいと思ったのが、おぬしらではないのか」


 兵士たちは、何度も頷いた。


「名は、なんといったのかな、おぬしらの隊長殿は」


小隊長カピタンラルフ・イェーガー殿です」


「そうか。ラルフ殿のことを、決して忘れるなよ、おぬしら。死んだものを、忘れない。それが、生き残った者にできる、唯一のことだ」


 レーヴェンは、左胸に手を当てた。そこにいた全員が、それにならう。


 ラルフ・イェーガー。おぬしの部下は、誇り高き青竜軍アルメの兵になるぞ。


 レーヴェンは、あの燃える瞳を思い出していた。




(海が燃える   了)

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