胸を張れ
レーヴェンは、副官を呼んだ。
「歩兵は、ここに残す。弓を持たせ、
それだけで、意図は伝わったようだ。副官は頷くと、すぐに歩兵たちに指示を出し始める。レーヴェンは、騎馬隊だけを集め、ここからの動きを念入りに確認した。
確認を終えると、隘路を
海に近づけば近づくほど、焼け落ちた船がはっきりと見えてくる。海に浮かぶ残骸には、まだ火が残っていた。一方で敵の軍船は、ポルトの浜に侵入を果たしたのか、もう視界にはない。
「旗を立てよ」
レーヴェンが告げると、騎手たちが伏せていた旗を揚げた。
馬蹄の音以外に、耳に届いてくる音があった。喚く声、叫び声。鉄のぶつかり合う音が立て続けに聞こえる。何かが崩れるような音もする。空の明るさは弱まっているが、まだ夜の空を火が照らし続けている。街が燃えているのか。
こちらに向かってくる、人影があった。ひとりやふたりではなく、何人もいる。レーヴェンは、
「“雪の獅子”レーヴェン・ムート、着到」
味方の騎兵たちが、背後から声を上げた。すでにそのとき、レーヴェンは敵の
「罪なき民すら追うか。ここで斬って
声を張り上げた。馬が
味方の騎兵たちが、自分の持っていた槍を見つめていた。
「どうした」
「戦えました。敵が、
「おまえたちが、強いのだ」
「隊長のあとを、夢中でついて行っているだけです。なのに」
「だから、強くなったのだ。よいか、
すぐに馬首を巡らし、レーヴェンは駈けはじめた。騎馬隊は、遅れずに
こちらに駆けてくる、
「援軍だ」
「助かった。おぬしらは?」
「軍より、応援の要請を受けた。おまえたちは、どこへ
兵士たちの顔が、そこで歪んだ。聞きたくない言葉が、彼らの口から出てくる。レーヴェンには、それが分かった。
「この街は、もうだめだ。俺たちは、逃げる」
「民を、放っていくのか。何のための軍だ。おまえたち、軍人だろう」
「もう、だめなんだよ。船は燃やされた。隊長も、
吐き
「これが、
北の軍は腐っている。それは、これまで何度も聞いてきたし、実際に見てきたことでもあった。しかし南の、戦地に近いこの地で、しかも目の前の民を救おうとしない兵がいようとは、思わなかった。
失意を振り払うように、レーヴェンは槍を大きく頭上で回した。自分たちが来た意味が、無くなったわけではない。かならず、どこかに戦っている者がいる。逃げようとしている民がいる。今は、
馬の
馬上から槍を振るう。剣で首を飛ばす。武器を突き出してきた兵も、馬の
民衆が、遠巻きにこちらを見ている。レーヴェンは槍を、街の外に向けた。
「逃げよ。この街が見えなくなるほど、遠くに。敵は行かせぬ。振り返らず、ただ駆けるのだ」
男も女も、老人も子供もいた。弾かれたように、駆け出していく。路地からそこへ襲い掛かろうとした敵は、騎馬で
かなりの数の敵が、押し寄せていた。まるで人の壁のように、街の外れに密集している。なにか、護るべきものが、ある。レーヴェンは、自分の直感を信じた。槍を、前方に向けた。
「突撃」
赤い敵兵の海の中心に、男が一人、立っていた。全身が血に
逃げている民がいた。
「そのまま行くのだ。走れ」
騎馬隊を反転させ、その場で回転するように駆けた。歩兵しかいない敵は、手を出せない。
そのとき、自分たちの他に、馬の
もう一度、歩兵の中へと突撃した。今度は、反撃も激しい。
全速で、街を出た。旗は、揚げ続けている。味方の騎兵が、自分を追い越して前に出る。
「もう少しだ。耐えろ」
レーヴェンは最後方を
崖に囲まれた、
「打て」
レーヴェンが言うのとほとんど同時に、両側の岩壁から矢が降ってきた。後方を走っていた敵の騎兵は、暗闇からの矢をまともに受けることになった。叫び声が、夜の崖に
「反転」
最後方にいたレーヴェンが、今度は先頭になるように、部隊が反転した。そのまま、最後の余力を使い切るつもりで、敵の騎馬隊に突っ込んだ。矢で十分に混乱していた敵は、ほとんど反撃してこない。次々と、馬から落とし、槍で貫いた。後方にいた残りの敵兵が、撤退していく。それを追うほどの力は、もう残っていなかった。
「皆、よくやってくれた」
崖の上から、
歩兵たちが崖を降り、集合する。手に持っている明かりが、
「戻ってこないのでは、と思った」
副官が、額に汗を滲ませながら言う。
「八人失った。
全部で五十名だから、失った八名が誰なのかも、すぐにわかる。それも、またつらかった。かつて国軍で千騎ほどを率いていた頃には、あり得ない感覚である。
馬と兵士を休ませ、すぐに
疲労しているが、兵には歩みを止めさせなかった。待機していた兵から、二名を選んで、“
しばらく歩き続け、立ち入った林の奥の水場で、夜営を行うことにした。
隊長、と自分を呼ぶ声がした。兵士が一人、駆けてくる。見張りに立たせていた兵のうちのひとりだった。呼ばれて向かった先に、
「ポルトから、逃げてきた兵だそうです。我々を探して、あのあと、この辺りを歩き回っていたようで」
レーヴェンは、兵士たちひとりひとりの顔を見回した。
「命を、助けていただきました。お礼に参らねばと。失礼ながら」
「レーヴェン・ムートという。
表情には、
「俺たちの隊長が、死んだのです。俺たちを護るために」
レーヴェンはそれを聞いて、あの、敵兵の中で戦い続けていた男を思い浮かべた。燃えるような眼。すさまじい気迫は、レーヴェンにも届くものがあった。
「レーヴェン殿には、最期を見ていただきました。それで、俺たちは」
嗚咽混じりの声は、ほとんど言葉になっていなかった。しかしレーヴェンには、言いたいことがすべてわかる気がした。
「あれだけの数を相手に、戦ったのだろう、おまえたちの隊長は。胸を張れ。そうまでして、その隊長が生かしたいと思ったのが、おぬしらではないのか」
兵士たちは、何度も頷いた。
「名は、なんといったのかな、おぬしらの隊長殿は」
「
「そうか。ラルフ殿のことを、決して忘れるなよ、おぬしら。死んだものを、忘れない。それが、生き残った者にできる、唯一のことだ」
レーヴェンは、左胸に手を当てた。そこにいた全員が、それに
ラルフ・イェーガー。おぬしの部下は、誇り高き
レーヴェンは、あの燃える瞳を思い出していた。
(海が燃える 了)
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