ラルフ
漁師たちが、悪いのではない。
油を流したのが彼らなのか、舟を貸しただけなのか、潮の流れを教えただけなのか、まだ、なにもわからない。ただいずれにしても、民に罪を押し付けるわけには、いかなかった。
この街のしくみを変えた、ハンスが悪いわけでもない。
ポルトの街は富み、人が増え、暮らしやすくなった。尽力した上官は、人からいろいろと言われることもあったが、街を良くしようというところでは、ラルフの思いも一致していた。
微妙な均衡の中で変わっていった街の、その均衡が崩れただけだ。ハンスが死んだことで、崩れたのだ。そして崩したのは、自分だ。リューゲンも、赤の国も、崩れたところに入ってきたにすぎない。
だから、誰かが悪いということになれば、それは自分だった。上官を死なせた、自分だ。
リューゲンのことは、もう何も考えなかった。何があったのか、彼が何を考えているのか、考えるよりも先に、敵は来る。
ラルフは、手を挙げた。振り下ろす。石が、投石器から放たれた。もう眼前に迫った敵の軍船に、石が落ちる。人の頭よりも大きな石だ。落ちた石は、兵士に当たり、甲板に穴を空ける。しかし、沈めるまではいかない。
火矢を放たせる。同時に、敵も船から火矢を放ってきた。海に火をつけたときと同じほどの数である。矢避けの楯に、それが突き立つ。一本や二本なら何とかなる火矢も、受け続ければどうにもならない。燃えた楯は、
「伝令。下がった者は、弓を持て。投石は続けよ」
敵船から、小舟が出されている。そこに、矢を射かけさせた。小舟には、敵の兵士が大勢乗っている。
「隊長。浜の北から、上陸されています」
「矢で応戦せよ。浜辺で食い止めるのだ」
速すぎる上陸だ。北だけ、防備を手薄にした覚えはない。何者かが、手引きをしたか。内応は、もうどこから起きていても不思議ではなかった。ただ、起きたことに、対処するだけだ。目の前の浜辺にも、小舟が押し寄せていた。上陸される。
「矢だ。射続けろ」
岸壁の上で、繰り返し、ラルフは叫んだ。兵たちも、必死の形相で弓を引き続けている。浜辺に、敵兵が次々上がってくる。矢が当たれば倒れるが、それを踏み越えて一人、二人、三人と敵は、やってくる。
傍で弓を
投石の攻撃は止んで、浜の北では、すでに剣での戦いになっているようだった。目の前の岸壁にも、敵が取り付いてきた。ラルフは剣を抜き放ち、登ってきた敵の兵士を横薙ぎに斬った。しかし、右からも左からも、敵は岸壁を
街だ、という声が聞こえた。視界の端に、敵兵の背中が見えた。ラルフは、背筋が震えるのを感じた。向こうには、この街の民が暮らす家屋が並んでいる。気付いた味方の一隊も、そちらに向かっていく。ラルフは一足飛びにそちらの敵兵に向かった。
雄叫びを上げ、背後から斬りかかる。敵は、動揺したようだった。その動揺の間、一気に二人、三人と斬り伏せる。さらに槍を向けてきた兵士を、武器ごと叩き斬る。剣を持った敵は腕を斬り飛ばした。
さらに敵の数十名が、街のほうに走っていく。息をついている暇もなかった。ラルフは側面から、飛び込んでいく。向き合ってきた敵の剣を飛ばし、二人
敵が、距離を取った。自分に近づけないでいるようだった。
「
跳躍する。敵が眼を見開いている。着地と同時に、その者を両断した。逃げようとした者も、味方の兵が相手をしている。
居住区のほうが騒がしい。味方の軍服を着た兵士が駆け回っている。武器を持たない、何人もの人間が走り回っていた。民が、あまりの騒ぎに家を飛び出しているらしい。そちらに、ラルフは走った。
建物の角から、なにかが現れた。人影。目に映った赤色。ほとんど何も確認せず、ラルフは三人を斬っていた。敵兵だった。
どこからだ。どこから来た。そう思っている間にも、建物の間から、何人も敵が出てくる。大きく息を吸い、ラルフは走り出す。敵も、ラルフを認めて剣を振りかざしている。互いに、雄叫びを上げる。剣を振るう。敵は、剣を振り上げた同じ姿勢のまま、胸を斬られて倒れた。
耳元で敵の剣が唸る。なにかが、肩を
まだ、敵はくる。呼吸を整えながら、ラルフは周囲に眼を向けた。青と、赤の兵士が入り乱れていた。あちこちで戦闘が起こっている。もはや、敵が侵入してくるのは止めようがなかった。
海のほうの夜空が、明るくなっていた。火の勢いは、天まで燃やすほどだ。何が燃えているのか、確認しようという気にもならない。
悲鳴を上げ、敵に背中を向けるこちらの兵士がいた。その逃げ出そうとする兵士を、敵が槍で突く。民がそれを見て、路地に逃げる。あとを敵兵が追う。別のほうでも悲鳴が聞こえる。誰かの泣くような声がする。
ラルフは一度、眼を
自分の責任だ。
もう何度目にもなる同じことを、ラルフはぽつりと呟いた。
「民を逃がせ。街を出ようという者だけでいい」
眼を開け、ついて来ていた兵士に、ラルフは言った。自分が、手を掛けて鍛えてきた兵たちだった。こんなときでも、自分の傍にいる。逃げ出した兵が、どれほどいるのか。役立たずの兵ばかりでは、ないではないか。すこし、胸に熱いものが湧いてきた。ギルベルトに、言ってやりたかった。誇りある
「もはや敵を止めることはできん。しかし民は、護らねばならん。私が、ここで食い止める。おまえたちも、民とともに、行くのだ」
「それは。俺たちも、ここで」
「
「俺たちも、軍人です、隊長」
「くどい。命令だ。軍人ならば、上官の命令に従え」
また、敵が出てきた。赤い旗が掲げられている。怒りが、ラルフの中を駆け巡った。跳び上がる。着地した瞬間、敵の一人が首から血を噴いて倒れた。
「おまえたちは行け。行って、“
背後は振り返らず、ラルフは叫んだ。いったい今度は何人いるのか、視界を人が埋め尽くしている。殺気が、自分を取り巻いて呑み込もうとする。踏み込み、声を上げ、それを振り払う。
この程度。吠えた。そう簡単に、俺を殺せると思うな。
向かってきた剣を叩き折り、斬る。突き出された槍を掴み取り、斬る。走った。敵がついてくる。向かった先にも、敵がいた。そこに、飛び込む。口を開けたままの敵を二人斬り払い、応戦した相手の首を飛ばす。剣が向かってくる。受け止める。ラルフの剣が折れた。両手でその男の首を掴む。何かを潰したような感触。剣が男の手から落ちる。それを取って、振り向きざまにひとつ首を飛ばした。
ラルフは大きく息を吐き出す。
建物の影。いると思ったところから、敵が出てくる。十人ほど。進路を遮ってくる。どけ。ラルフは叫び、急激に
もう、息が吸えているのか、いないのかも、自分では分からない。浅い呼吸のようなものをしている。時折、視界が暗くなる。かと思えば明るくなり、白っぽくもなり、敵の血の赤色で汚れる。
敵が増えているような錯覚に、ラルフは陥った。自分に向かってきているだけかもしれない。街中の敵兵を、自分が引きつけている。それならば、望むところだと思った。右に行っても、左に行っても、赤い血と赤い空、赤い紋章の鎧しか見えない。俺は、ひとりなのか。いや、部下がいる。民がいる。部下が、民を逃がしきるまで、死ぬわけにはいかない。
どこかで、
駆けながら、横目に、逃げていく者たちの背中が見えた。青い軍服の男たちが、傍にしっかりとついている。しかし、そこへ敵兵が向かっていく。
「俺はここだ」
声を振り絞った。しかし声と一緒に、血が口から噴き出した。
構うものか、とラルフは口の中に残っていたものも吐き出した。生きているから、血を吐けるのだ。俺はまだ死んでいない。俺を殺してみろ、蛮族ども。
「隊長」
誰かが自分を呼ぶ声がした。部下なのだろうか。構わず、敵の兵の中に、ラルフは飛び込んだ。民を見つけ追っていた兵は、皆こちらを向いた。それを、叩き斬る。
「行けっ」
声のような何かが口から出る。部下には、届いただろうか。
「行け。民を護れ」
もう、どこに走っても、敵だった。いや、走ることもできない。剣を振るう。ただそれだけだ。しかし斬っている。敵兵は、赤い壁のように自分を取り囲んでいる。それでも、自分は闘っている。赤の国も、この剣で斬る。
再び、別の
遠くに、青い旗が見えた。赤ではない。青だ。
おまえたち、援軍が来たぞ。ラルフは兵士たちに振り返って、言ってやりたかった。しかし槍がきた。もう、
剣を振るった。
赤い壁を、切り裂いた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます