雪の獅子

 隊伍たいごを組み、堂々と進んだ。軍を率いている感覚が、レーヴェンには懐かしかった。


 ノルンの街から、領地をひとつ跨いだ、さらにその南の果て。“青の壁ブラウ・ヴァント”までは七日の行程であった。遅れはない。誰も規律を乱さず、であろうが森であろうが、街道であろうが、当たり前のように、行進した。今は街道を進んでいるが、兵たちの表情には余裕がある。


 三百名の兵士である。戦では、いかにも少ない。しかし、一年をかけて鍛えぬいた精鋭であった。民兵の集まりといってもいいが、かつて青竜軍アルメで率いていた兵たちにも劣らない、とレーヴェンは思っていた。兵の質は、行軍を見ればわかるのだ。


 騎馬隊の数も、五十が限界だった。これは、ほんとうに物の数にもならないかもしれない。国境では荒れ地での騎馬戦が多いという。自分を含めた、この騎馬隊もよく調練しているが、戦力として扱われるかは、微妙なところだろう。


 青天の下を進んだ。アイリーン領に入り、国境も近づいてきている。ノルンからここまで四日かかっているが、荒れた天候になることはなかった。夜は野営を主にしたが、街に宿を借りることが、一夜だけあった。街道沿いの小さなところで、民は物珍しそうに自分たちを見ていた。


 まだ、戦争の音はここまで届いていないのか。レーヴェンはぼんやりと考えていた。男たちが戦に取られているようでもない。本当に厳しい戦になると、青竜軍アルメも徴兵を行うだろうから、国境の状態は、まだそれほど悪くないのかもしれない。


 斥候せっこうが、帰ってきた。常に二騎ずつ出していて、異常があればすぐさま報告される。そのやり方も、いちからレーヴェンが教えたものだった。交替で、次の二騎が出ていく。もう少し進めば街道の分かれ道に当たるという。地図では、南へ向かう道と、東の海岸線につながる道に分かれていたはずだ。


 街道を直進し、南へ。部隊の後列にまで伝えさせた。ここまで進んできたということは、もうあと三日ほどで、国境の“青の壁ブラウ・ヴァント”に着くと考えていい。順調に進んでいた。


 息子たちのことは、考えないようにしても、心に浮かんでくる。しかも、街から離れ、何日経っても、浮かぶ顔はいつも違っているのだ。かつての自分とは変わってしまっていることに、レーヴェンは驚いた。子を想う気持ちなど、自分には無縁だと思っていたからだ。


 二人とも、血は繋がっていない。それなのに、こうも自分の中に大きく存在している。


 レオンは、もう二十歳で、何もかもひとりで、できるはずだったし、妹のリオーネは、その兄が護っている。だから、何も心配はいらない。そう思って街を出たはずが、今頃は何をしているのだろうか、などと考えてしまうのだ。


 戦地に向かう男ではないな。


 自嘲するような笑みが、自然とレーヴェンの口元に浮かんだ。雲が穏やかに流れていく。


 空気が変わったのは、その後、昼間ちゅうかんに差し掛かったときだった。二騎ずつ出していた斥候に、一騎が加わって戻ってきたのだ。当然、レーヴェンほか部隊の者たちは、警戒態勢を取った。二股に分かれた街道の、ちょうど分岐点に当たるところである。行軍を止め、三百の兵たちはすぐに表情を引き締めた。


「何者か」


 斥候せっこうの二騎の間に挟まれるようにして、男がレーヴェンの前に進み出る。甲冑の胸元に、青い紋章が見えた。レーヴェンは手を挙げ、警戒を解くよう部隊に伝える。かつては自分の胸元にもあった、青の竜紋りゅうもんである。


「レーヴェン・ムート殿ですか」


 男は息を荒らげ、その乗っている馬も、落ち着かぬ様子で激しい呼吸を繰り返している。


「いかにも。青竜軍アルメの兵士とお見受けするが」


「“青の壁ブラウ・ヴァント”までの途上、足止めをいたすことをご容赦願いたい。我らの指揮官コマンダント、ファルク・メルケルより、貴殿に言伝がございますゆえ


 傍らの、自分の副官が、たたずまいを正した。その名は、無論、レーヴェンも知っている。出兵の返答は、国境の砦である“青の壁ブラウ・ヴァント”に向けて出している。宛名は、指揮官コマンダントファルクとしてあった。


「東より敵襲の可能性あり。レーヴェン殿には、これよりポルトの街の青竜軍アルメと合流し、敵軍に備えていただきたい」


 敵襲、という言葉に、レーヴェンの耳はすぐに反応した。頭が、急速にえていく。


「東だと。海ではないか。なにゆえ、指揮官コマンダントファルクはそのように?」


 レーヴェンは、平静を失わないようにしながら、言葉を返す。


指揮官コマンダントファルクは、国境と海、二方面からの攻撃があるとお考えです」


「“青の壁ブラウ・ヴァント”から兵は出されぬのか。我らは寡兵かへいであるし、遠路を行軍してきてもいる。できることなら、このまま国境に向かい、そこで戦に備えたい」


「国境は、すでに敵国の攻囲を受けております」


 兵士たちの間で、どよめきが起こった。副官が、馬首を返し、それを鎮めに向かう。


「開戦のしらせは、受けておらぬ」


指揮官コマンダントが襲撃された、直後でありました。我らも攻囲され、容易に伝令は出せぬ状態で。これでも、最も速く、ここまでお知らせに参ったのです」


「ファルク殿の容体は?」


「すでに回復し、陣頭で指揮も取られています。しかし、何分なにぶん、敵の出方が読めぬと」


 レーヴェンは、すばやく思考を巡らせた。伝令が確かならば、国境から派兵するより速く、自分たちがポルトの救援に向かえるかもしれない。攻囲されている中から、東の海岸線までさらに軍を割く余裕は、ないのだろう。出方が読めないということは、敵の動きに何か複雑なところでも、あるのだろうか。東からの攻撃というのは、その動きから何かを読み取ったのか。


 自分が部隊を率いて戦に出ていたときにも、何度かそういう経験はあった。下手に動けば、敵の罠に乗るような場合だ。それなら、現状、最も速く、自由に動けるのは自分たちの隊であるということにも、得心がいく。ポルトの街ならば、ここから半日で到着できる。


「状況次第では、南からも兵は出されるおつもりでしょう。しかし、“青の壁ブラウ・ヴァント”は国境線防衛のかなめでありますゆえ、現下、大きな動きを見せられぬのです」


 すでにレーヴェンが考えていたことを、兵士は繰り返した。


 東の海から敵軍が現れるとして、それが何日後なのか。現れたとしても、僅かな騎馬隊と歩兵だけの部隊では、海戦などには対応できない。それとも、すでに敵が上陸してくることまで考えて、指揮官コマンダントファルクは伝令を出したのか。


 次々と湧いてくる疑問を、レーヴェンは一度大きく息を吐くことで、整理した。


「軍令、ということだな」


「ファルク殿は、すでにレーヴェン・ムート殿を、戦力のひとつとして、考えておられます」


 それ以上、兵士の言葉は必要なかった。


「伝令を承った。我ら三百の微力ではあるが、これよりポルトに向かい、青竜軍アルメの応援となる」


 伝令兵は、大きく頷いた。それから、周囲の兵に水場の位置などを聞いている。馬を休ませたら、すぐに南へと引き返すのだろう。


 副官を呼び、決定を伝えた。副官は一度驚いた表情を見せたが、すぐに頷いた。その副官の声で、兵は一度に静まり返る。その前に、レーヴェンは向き合うように馬を並べた。


「予定を変更する」


 全員が、こちらを見つめている。


「これより進路を東に変え、東の街、ポルトの応援に向かう。皆も聞こえたと思うが、すでに国境は開戦を迎えたようだ。我らがこれから向かう街にも、敵の軍隊がやってくるぞ。心して向かおう」


 皆が声を上げた。それを背に、進発する。分かれ道を、東へ。伝令の兵が、早くも南へ向かって駆け去るのを、目の端で捉えた。


 ポルト。東の海岸線にある、漁村だという記憶がある。青竜軍アルメに属していたときも、訪れたことはなかった。なぜ、そんなところにとも思う。昔から、地理的に守られた場所で、四方を海と断崖が囲っている。ってしまえば、たしかにその地理を利用することはできるかもしれない。しかし、レーヴェンには、わざわざ水軍まで出して、襲うような街でもないような気がした。昔とは、何か変わったところがあるのだろうか。


 断崖地帯に差し掛かったのは、日が暮れてからのことだった。崖の間を、縫うようにして道が通っている。崖のあちこちに灌木かんぼくは見えるが、それ以外は荒れた場所である。道も隘路あいろになっていたが、レーヴェンは、その道よりも気になる光景を見ていた。


 空が、明るい。


 陽の沈んでいった方角とは別に、明るい空がある。時刻を考えても、これだけ明るいはずがない。崖の向こうに隠れているが、何かが空の下で光っているようだ。この辺りだと、ポルトの北東側になる。そこには海しかないはずだ。胸騒ぎがした。斥候せっこうが、戻ってくるのを待った。


 やがて、二騎の斥候が駆け戻ってきた。表情に焦りが見える。


「海に軍船。敵襲と思われ、その数は膨大であります」


「ばかな」


 レーヴェンは、思わず口にしていた。


「この明るさは。何だ」


「船が、燃えています」


「敵の軍船か」


「判りません。しかし、向きから考えると、青竜軍アルメの軍船かと」


 自分の眼で、確かめるしかない。隘路あいろの先に、敵兵はいないらしい。レーヴェンは指示とともに、けだした。数騎だけが、後からついてくる。


 崖の先に出た。海を見下ろせる位置である。


 間に合わなかった。はじめに考えたのは、それだった。


 海が燃えていた。伝令通り、船が燃えているのだ。しかしその勢いが激しすぎて、ここからでは海が赤く染まったようにしか見えない。そして見る限り、燃えているのは、街から出た船、つまり青竜軍アルメの船だった。


「隊長、これは」


 傍らで、副官の男が息を呑んでいた。


 風が流しているのか、それとも潮が流しているのか、海を燃やす火は南へと遠ざかっていく。海の東側には、数多あまたの軍船が浮かんでいる。火が流れていくのを、じっと待っているように見えた。


 水面に油を流し、燃やしたか。すぐに、それは思いついた。油が流れてしまえば、あの船は大挙して、その先にある港や街を襲うのだろう。ポルトの街の青竜軍アルメが、どれほど対応できるか、束の間考えた。


「水軍の様子があれでは、ポルトは敵軍に耐え得ぬであろうな」


 そして、多くの兵、多くの民が死ぬ。それも、容易に想像がついた。そして想像した瞬間には、もうレーヴェンは馬首を返していた。隘路あいろで待機していた兵のもとに戻る。


 兵の前で、レーヴェンは剣を抜いた。


「皆。あの空の明かりが見えるか。ポルトが、海が、燃えている。敵の攻撃により、青竜軍アルメの軍船がことごとく、燃やされているのだ」


 兵は何も言わず、レーヴェンを見つめている。


「敵は、ポルトに上陸し、民を襲うだろう。逃げる者もいれば、殺される者もいる。戦とは、そういうものだ。あの数では、我らにできることなど、ほとんど無いかも知れぬ。しかし我らは、ポルトの応援を頼まれてもいる」


 自分の隣で、副官が同じように剣を抜くのがわかった。


「難しい戦いになるが、私はここで、民を見捨てて“青の壁ブラウ・ヴァント”に引き返すことが、正義だとは思えぬ」


 兵の中から、声が上がり始めた。口々に、なにかを叫んでいる。その中に、反対するような声はない。


「愚かな隊長だとわらわれるかもしれない。しかし私は、せめて逃げる民を、一人でも多く救いたい。ポルトの青竜軍アルメも、命をして民を護るはずだ。その手助けくらいは、三百でもできる。私に、命を預けてくれ」


 全員が、喊声かんせいを上げた。副官が、騎兵たちが、剣を振りかざし叫んでいる。兵たちの眼に、がついた。


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