何もない村

 二人で、けに駈けた。


 しかしそれは、原野を越えたその先の、街道までであった。先に声を上げたのは、サントンである。しばらくけ続け、北の山が大きく見え始めたころだった。


 男ばかり、十名ほど。“青の道ブラウ・シュトラーセ”の路上に、屍体したいが転がっている。野外であるのに、血の匂いが馬上まで届いてくる。レオンも、馬のを緩めないわけにいかなかった。


 サントンとともに、馬を下りる。屍体したい。知らぬ顔ばかりだった。腹を裂かれたもの、首を真赤まっかに染めたもの。何かに引き摺られたように跡を残し、土に塗れているもの。込み上げる吐き気をこらえる。サントンが、自分を呼ぶ。指差した屍体したいは、裸だった。他にも三つ、同じく何も身に付けていないものがある。


 血にまみれた傷口があらわになっている。みな、首をやられていた。


「おかしいな」


 サントンが、眉をひそめている。


「なに?」


「山で、こういうものを何度も見たことがある。小さい獣はみな、大きいものに、こうして喰われる」


 猟師の子として言っているらしかった。よく見れば、レオンにもそれが分かる。潰れた傷口は、斬られたようなものではない。そうすると、不審な点がいくつもある。首のほかに傷ついている箇所はほとんどない。獣が襲ったのなら、はらわたを喰われていてもおかしくない。そういったあとが、まったくない。それにまず、獣が服をることはないのだ。


 また、男がこれだけいて、全員が殺されているというのも、妙だった。街道を行くなら、それなりに自衛の技を身に付けていなければならない。この者たちの素性は分からないが、どんな仕事をしている者でも、それは変わらないのだ。


 おかしいと言ったサントンも、それには気付いている。人のやったこととは思えない。しかし、獣の仕業にも、見えない。


 あの、獣のようなもの。レオンの脳裏に、黒と赤の生きものがよぎる。やつならば、あるいは。これだけの人間を殺し尽くせるかもしれない。


 からだが震えていることに、自分で気が付いた。大きく息を吐き、それを鎮める。自分は生きている。臆病になるな、とレオンは自分に言い聞かせた。おそれと、臆病は違うのだ。


 屍体したいは、街道の脇の、人の通らないところに寄せた。黙祷し、すぐ馬にまたがる。サントンが、まだ屍体したいに目を向けていた。


「こわいか」


「当たり前だ。人が、これだけ死んでいるんだぞ」


「そうだな。俺も、こわい」


「なあ、レオン。おまえが見たという獣、殺さなかったんだよな?」


「殺せなかった。自分が死なないようにするので、精一杯だったからな」


 サントンの眼の色が、かげったように見えた。俯き、目を閉じ、レオンがそうしたように、息を吐き出した。それを、二度やった。


「俺は、おまえの副官だ。おまえが行くというなら、俺も行くさ」


 レオンは頷いた。遅れている兵が自分たちに追いつくまで、もう少しかかるだろう。剣を、腰から抜いた。進発する。馬で、ゆっくりと歩く。小さな草の揺れる音も、聞き逃さないように歩いた。北の山が、見えてくる。


 ウルグの村。“死の風エンデ”にすべての生命いのちさらわれた村だ。死に満ちていた跡に、行くつもりだった。あの村の名を出したのは、リオーネである。呼ばれているような、感覚。以前から、そんなことを言っていた気がする。だからレオンは、ウルグの村の名が彼女の口から出たときも、それほど驚きはしなかった。ただ、あそこには一年前から、誰も足を踏み入れていない。“風”の吹いた跡になど、誰も、行くはずがなかった。


 だからこそ、今は、そこがどうなっているのか、誰も知らない。誰も、触れようとしなかったのだ。あのとき、屍体したいすら、自分たちは置いたままにしていた。獣が、腐肉を漁っているかもしれない。賊が、根城にしているかもしれない。それならまだいいが、もし、想像もできないような何かが、いるとしたら。


 レオンはそこで、考えることをやめた。想像できないことを、考えて何になる、と思ったのだ。何が出ても、自分たちが闘うしかないのだ。それが、領主レンスヘルの務めであり、剣を持つ者の使命である。


 耳をそばだてて進んでも、風が草を撫でる音がするだけで、あとは物音がほとんどない。やがて、景色が見覚えのあるものになる。


 傾いた木。扁平へんぺいになった足元の草。一年経って、ほとんど戻りかけているが、あの“風”の吹いた日を、レオンに思い出させた。丘。あのときは、後ろに父がついていた。サントンと、一気に駈け上がる。天辺てっぺんで、村を見下ろした。


 風が運んできたのは、湿気と、えた匂いであった。レオンの目に映るのは、あのときから変わらぬ、崩れ果てた軒並みである。晴れていたはずなのに、空が重たく、集落に覆い被さっているように見える。風の音しかしない。それも同じである。ときが、一年前に戻ったのかと思うほどに、あのままだった。雪がないだけだ。


 しかし、レオンはすぐに、あることに気が付いた。サントンに声をかけ、丘を下りる。警戒しながらを進めたが、視界はいい。例の獣は、まだ見えない。集落であったところに、馬で乗り入れた。


 ひづめの音とともに、集落を見て回った。家が、倉が、柵が、やぐらが、もとの形を失っている。風化した木の表面が剥き出しになっている。砂利の混じった地面には、足跡の一つもついていない。音は、ひとつもない。


 下馬した。手近な家屋の跡に入る。扉は吹き飛ばされたのか、造作なく入ることができる。サントンが、何か言いながら、後についてきた。中には、散乱した調度品や家具しかない。すぐにその家屋を出て、周辺の三つ、四つの中を同じように調べた。


屍体したいはどこだ」


 レオンが言うと、サントンは何かを言いかけ、そして、すぐに黙り込んだ。そして、もう一度いくつかの家屋に入ると、血相を変えて出てきた。


「どういうことだ。俺たちは、屍体したいを運び出さなかったのだぞ」


 すぐにまた乗馬し、二人で集落をぐるりと回った。途中で馬を止め、幾つもの建物を調べた。なにもない。屍体したいどころか、骨の欠片かけらも見つからない。


 集落のはしまで馬を戻し、サントンと顔を見合わせた。新しく、誰かがいた形跡はない。もし誰かが、随分と以前に、屍体したいを何かの方法で運び出したのなら、領内の警備をしているムート領の自警団が知らないはずがない。一年で、人のしかばねが、跡形も残らず土に還ることなどない。ならばこれは、どういうことなのか。


 馬蹄ばていの響きが、遠くから聞こえた。丘を見上げる。騎馬の集団が、丘をけ下りてきた。あとに、かちの者が続いている。先頭は、マルセルとマルコの兄弟、そして同じ稽古仲間だったハイネである。レオンとサントンの姿を認め、声を上げる。


「速かったではないか、マルセル」


「なに、おまえの顔が、あまりに切羽詰せっぱつまっていたのでな。かちの者たちがよく駆けた」


 それでも、空をよく見れば、雲間に見える太陽は、もう傾いている。街道で屍体したいを発見した頃から、考えることが多すぎて、時の流れを忘れていた。


 兵たちと、馬を休ませることにした。警備兵は、今のノルンに百名ほどいる。五十名、ここまで来ていた。半分は、街に残してきたのであろう。交替で、集落の中を警戒させることもしたが、何の報告もなかった。徒の者たちの顔色が戻ってから、レオンは馬に乗った。


「夜になる前に、ここを出ねばな」


 顔の見えるものは、皆一様に頷いた。マルセルなど、主だった者たちも、集落の異様を察している。長居したくない、と誰もが考えているはずだった。


 全員に剣を抜かせ、山の麓を歩く。まだ、見ていないところがあった。小道を登ったところに、それがある。レオンだけでなく、他の者も、分かっていた。五十名が、無言で、山を登った。岩壁が見えてくる。裂け目と、穴が、一年前と同じ姿で、そこにあった。


 空気が澱んでいる。その空気は、洞穴から出ているように感じた。暗く、外からでは先が見えない。レオンは、一瞬、躊躇ためらった。中に、何かがいるのか。いや、考えすぎか。暗闇の先には、何もいないのではないか。あのときのように、崩れ去ったほこらがあるだけではないのか。


「なあ、本当に、ここに入るのか」


 レオンは、松明に火を点けるよう命じた。震える声で尋ねてきたのは、ハイネである。整ってはいるが痩せた顔が、さらに恐怖で白くなっているように見えた。稽古仲間の内でも、一番用心深く、弱音を吐くことが多い。困惑しているようだった。


「俺が先頭で行く。何もなければ、それまでだ」


 ハイネは、ゆっくりと頷く。剣を構え、洞穴の先を見た。もともと、弓を扱うことにけた男で、剣はそれほど得意ではない。こんなところでは、一層いっそうの不安があるだろう。


 強引な物言いだったかもしれない、とレオンは思った。本当は、自分もこわい。しかし、他に言えることはない。剣を持たない、訓練も受けていない街の民に、あの獣の相手を押し付けるようなことは、できない。闘うのは、自分たちでなければならないのだ。


 十名に、外の見張りを命じた。灯りを手に、洞穴に踏み込む。


 暗がりの中に、隊伍たいごの足音が響き渡る。この音が、中にいるものを追い払えるかもしれない、とも思えた。よく響く音は、僅かではあるが不安を和らげてくれる。


 においがあった。足に何かが当たる。背後で、誰かの小さな悲鳴が聞こえた。レオンは、足元を照らす。白いもの。


「骨だ」


 兵が声を上げる。たしかに、それは骨であった。立ち止まり、周囲を照らしながら、よく観察する。足元には、骨とその欠片のようなものがいくつも見えた。中には、頭蓋がほとんど形を残しているものもあり、それを見た者がうめいていた。頭蓋の形は、どう見ても人である。骨の他には、もう風化した布切れのようなものや、うっすらと残る血の跡のようなものがある。


「進むぞ」


 絶句した部隊の空気を変えるため、レオンははっきりと言った。屍を見に来たわけでは、ないのだ。奥に洞穴は続いている。歩みを止めれば、また恐怖が襲ってくるに違いなかった。


 また、足音が響き始める。その中で、レオンは先程の光景を思い返していた。骸骨。人であったもの。おそらくは、レオンと父が以前に訪れたときの屍体したいが、骨になったのだ。そう考えたが、心に引っ掛かるものがあった。一年で、あれだけの屍体したいがすべて骨になるものなのだろうか。


 そこまで考えたとき、レオンは思わず、足を止めていた。からだがぶつかり、サントンが声を上げる。後ろで、部隊が慌てて止まる気配がする。


「おい、どうした」


「なぜ骨がある?」


 レオンは、また灯りで周囲を照らした。


 そこは、もうほとんど最奥さいおうといえるところであった。ここにも、骨がある。死んだ者が、そのまま骨に変わってしまったように。それが、強烈な違和感を、レオンに与える。


「なぜ、骨があるのだ」


 また呟いた。かつて父がそうしていたように、屍に顔を近づけ、よく見た。僅かに、毛髪などが残っているほかは、何もない。しかし、そんな骨が、ここに来るまでに、いくつあっただろうか。


「ここで死んだ者ではないのか。あのときの、屍体したいだよ」


「外には、何一つ無かったのに?」


 嫌そうな顔をしていたサントンが、表情を一変させた。


 再び足を動かす。自然と、速歩はやあしになっていた。部隊が後からついてくる。最奥。灯りが洞穴の果てを照らす。ほこらの残骸。あのときのままである。そしてまた、屍が転がっている。


「ここには、誰も足を踏み入れていないのだ」


 誰にともなく言った。それは同時に、集落から屍体したいを持ち出したか、消し去ったものがいる、ということである。


 この集落には、誰も近付いていないはずであった。“死の風エンデ”の吹き荒れたあとに近寄る者など、いない。領を同じくするノルンの自分たちですら、警備兵を入れることもしなかった。足を踏み入れれば呪われる。死をつかさどる赤の竜に呪われることになると、誰もが思っているからだ。自分たちが今ここにいるのは、緊急であるからに他ならない。


 であれば、何者なのだ。ここに足を踏み入れた。屍体したいを一つ残らずさらった。意図して、洞穴には踏み入らなかったもの。何者か。


 天井を照らした。そこは青と、緑の壁だった。大地を表す緑の上から、水を表す青のしずくが巨大に描かれている。雫は、中に複雑な模様を含んでいる。しかし表しているものを、レオンは知っている。


「青の竜を、おそれたのか」


 誰かが呟いた。いや、自分かもしれない。同じことに思い至ったのだ。風の吹いたあとおそれず、生命の雫を畏れる者。赤の竜をおそれず、青の竜を畏れる者。


「外に出よう、レオン」


 サントンが、ぼそりと言った。レオンも頷き、兵たちを外に返す。なにもいない。安堵があった。しかし、ならば、リオーネの言っていた声とは、何だったのか。やはり気のせいだということなのか。レオンは、洞穴を入り口に向かって歩きながら、思考を巡らせた。村の様子は、尋常ではない。必ず、なにかある。これで終わりだなどと、そんなはずがない、と思った。


 外に出る。意外なほど、暗かった。洞穴の中を進むために点けた松明の灯りが、そのまま明るく活きている。


 一度、村に引き返すか。そう考えたとき、大声が響き渡った。


 全員が、声のした方を見る。そこは、薮だった。薮の中から、音と声が聞こえる。何かがぶつかるような鈍い音。そして、助けてくれ、という声。何名かの兵士が薮の中に飛び込む。レオンは全員に警戒態勢を取らせた。


 やがて、兵が藪から姿を現す。脚を負傷しているのか、一人の兵士が、両脇を抱えられるようにしている。顔は青く、唇が震えていた。レオン達の姿を認めると、脚の怪我にも構わず、飛びついてきた。


「黒い獣です、隊長。魔物が出た」


 レオンは、サントンと眼を見合わせた。

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