何もない村
二人で、
しかしそれは、原野を越えたその先の、街道までであった。先に声を上げたのは、サントンである。しばらく
男ばかり、十名ほど。“
サントンとともに、馬を下りる。
血に
「おかしいな」
サントンが、眉を
「なに?」
「山で、こういうものを何度も見たことがある。小さい獣はみな、大きいものに、こうして喰われる」
猟師の子として言っているらしかった。よく見れば、レオンにもそれが分かる。潰れた傷口は、斬られたようなものではない。そうすると、不審な点がいくつもある。首のほかに傷ついている箇所はほとんどない。獣が襲ったのなら、はらわたを喰われていてもおかしくない。そういった
また、男がこれだけいて、全員が殺されているというのも、妙だった。街道を行くなら、それなりに自衛の技を身に付けていなければならない。この者たちの素性は分からないが、どんな仕事をしている者でも、それは変わらないのだ。
おかしいと言ったサントンも、それには気付いている。人のやったこととは思えない。しかし、獣の仕業にも、見えない。
あの、獣のようなもの。レオンの脳裏に、黒と赤の生きものが
「こわいか」
「当たり前だ。人が、これだけ死んでいるんだぞ」
「そうだな。俺も、こわい」
「なあ、レオン。おまえが見たという獣、殺さなかったんだよな?」
「殺せなかった。自分が死なないようにするので、精一杯だったからな」
サントンの眼の色が、
「俺は、おまえの副官だ。おまえが行くというなら、俺も行くさ」
レオンは頷いた。遅れている兵が自分たちに追いつくまで、もう少しかかるだろう。剣を、腰から抜いた。進発する。馬で、ゆっくりと歩く。小さな草の揺れる音も、聞き逃さないように歩いた。北の山が、見えてくる。
ウルグの村。“
だからこそ、今は、そこがどうなっているのか、誰も知らない。誰も、触れようとしなかったのだ。あのとき、
レオンはそこで、考えることをやめた。想像できないことを、考えて何になる、と思ったのだ。何が出ても、自分たちが闘うしかないのだ。それが、
耳を
傾いた木。
風が運んできたのは、湿気と、
しかし、レオンはすぐに、あることに気が付いた。サントンに声をかけ、丘を下りる。警戒しながら
下馬した。手近な家屋の跡に入る。扉は吹き飛ばされたのか、造作なく入ることができる。サントンが、何か言いながら、後についてきた。中には、散乱した調度品や家具しかない。すぐにその家屋を出て、周辺の三つ、四つの中を同じように調べた。
「
レオンが言うと、サントンは何かを言いかけ、そして、すぐに黙り込んだ。そして、もう一度いくつかの家屋に入ると、血相を変えて出てきた。
「どういうことだ。俺たちは、
すぐにまた乗馬し、二人で集落をぐるりと回った。途中で馬を止め、幾つもの建物を調べた。なにもない。
集落の
「速かったではないか、マルセル」
「なに、おまえの顔が、あまりに
それでも、空をよく見れば、雲間に見える太陽は、もう傾いている。街道で
兵たちと、馬を休ませることにした。警備兵は、今のノルンに百名ほどいる。五十名、ここまで来ていた。半分は、街に残してきたのであろう。交替で、集落の中を警戒させることもしたが、何の報告もなかった。徒の者たちの顔色が戻ってから、レオンは馬に乗った。
「夜になる前に、ここを出ねばな」
顔の見えるものは、皆一様に頷いた。マルセルなど、主だった者たちも、集落の異様を察している。長居したくない、と誰もが考えているはずだった。
全員に剣を抜かせ、山の麓を歩く。まだ、見ていないところがあった。小道を登ったところに、それがある。レオンだけでなく、他の者も、分かっていた。五十名が、無言で、山を登った。岩壁が見えてくる。裂け目と、穴が、一年前と同じ姿で、そこにあった。
空気が澱んでいる。その空気は、洞穴から出ているように感じた。暗く、外からでは先が見えない。レオンは、一瞬、
「なあ、本当に、ここに入るのか」
レオンは、松明に火を点けるよう命じた。震える声で尋ねてきたのは、ハイネである。整ってはいるが痩せた顔が、さらに恐怖で白くなっているように見えた。稽古仲間の内でも、一番用心深く、弱音を吐くことが多い。困惑しているようだった。
「俺が先頭で行く。何もなければ、それまでだ」
ハイネは、ゆっくりと頷く。剣を構え、洞穴の先を見た。もともと、弓を扱うことに
強引な物言いだったかもしれない、とレオンは思った。本当は、自分もこわい。しかし、他に言えることはない。剣を持たない、訓練も受けていない街の民に、あの獣の相手を押し付けるようなことは、できない。闘うのは、自分たちでなければならないのだ。
十名に、外の見張りを命じた。灯りを手に、洞穴に踏み込む。
暗がりの中に、
「骨だ」
兵が声を上げる。たしかに、それは骨であった。立ち止まり、周囲を照らしながら、よく観察する。足元には、骨とその欠片のようなものがいくつも見えた。中には、頭蓋がほとんど形を残しているものもあり、それを見た者が
「進むぞ」
絶句した部隊の空気を変えるため、レオンははっきりと言った。屍を見に来たわけでは、ないのだ。奥に洞穴は続いている。歩みを止めれば、また恐怖が襲ってくるに違いなかった。
また、足音が響き始める。その中で、レオンは先程の光景を思い返していた。骸骨。人であったもの。おそらくは、レオンと父が以前に訪れたときの
そこまで考えたとき、レオンは思わず、足を止めていた。
「おい、どうした」
「なぜ骨がある?」
レオンは、また灯りで周囲を照らした。
そこは、もうほとんど
「なぜ、骨があるのだ」
また呟いた。かつて父がそうしていたように、屍に顔を近づけ、よく見た。僅かに、毛髪などが残っているほかは、何もない。しかし、そんな骨が、ここに来るまでに、いくつあっただろうか。
「ここで死んだ者ではないのか。あのときの、
「外には、何一つ無かったのに?」
嫌そうな顔をしていたサントンが、表情を一変させた。
再び足を動かす。自然と、
「ここには、誰も足を踏み入れていないのだ」
誰にともなく言った。それは同時に、集落から
この集落には、誰も近付いていないはずであった。“
であれば、何者なのだ。ここに足を踏み入れた。
天井を照らした。そこは青と、緑の壁だった。大地を表す緑の上から、水を表す青の
「青の竜を、
誰かが呟いた。いや、自分かもしれない。同じことに思い至ったのだ。風の吹いた
「外に出よう、レオン」
サントンが、ぼそりと言った。レオンも頷き、兵たちを外に返す。なにもいない。安堵があった。しかし、ならば、リオーネの言っていた声とは、何だったのか。やはり気のせいだということなのか。レオンは、洞穴を入り口に向かって歩きながら、思考を巡らせた。村の様子は、尋常ではない。必ず、なにかある。これで終わりだなどと、そんなはずがない、と思った。
外に出る。意外なほど、暗かった。洞穴の中を進むために点けた松明の灯りが、そのまま明るく活きている。
一度、村に引き返すか。そう考えたとき、大声が響き渡った。
全員が、声のした方を見る。そこは、薮だった。薮の中から、音と声が聞こえる。何かがぶつかるような鈍い音。そして、助けてくれ、という声。何名かの兵士が薮の中に飛び込む。レオンは全員に警戒態勢を取らせた。
やがて、兵が藪から姿を現す。脚を負傷しているのか、一人の兵士が、両脇を抱えられるようにしている。顔は青く、唇が震えていた。レオン達の姿を認めると、脚の怪我にも構わず、飛びついてきた。
「黒い獣です、隊長。魔物が出た」
レオンは、サントンと眼を見合わせた。
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