夜襲

 抜けばかりだ、と思った。


 青の壁ブラウ・ヴァントの外壁からすぐのところにある、練兵場である。小隊が複数入れるほどの広さはあって、ギルベルトはそこに、二百名の騎馬兵と、五百名の歩兵を率いて入った。向かい合っているのはポルトの兵士が、同じく七百名。騎馬と歩兵の割合も同じで、率いているのは、副官のラルフである。


 一見して、指揮官の率いる騎馬隊以外には、ほとんど注意する必要がない、と思うような部隊だった。何名か、まともな顔つきをしたものもいるが、それ以外は雑兵にしか見えない。


 騎馬隊は左右に百ずつ配置し、相手の騎馬隊とぶつかり合う形をとった。ギルベルトの正面にいる騎馬隊には、ラルフとは違う者が先頭に立っている。


 角笛ホルンが鳴った。


 ギルベルトの声で、歩兵が前進する。ぶつかった瞬間に、こちらの兵の力がまさっていることが、傍らで見ていてわかる。前列の押し合いが、すでにこちらに優勢になりかけていた。馬を走らせる。相手の騎馬隊と交錯した。先頭の指揮官に、木製の槍を突き出した。一度馳せ合い、部隊同士が入れ替わる。すぐに反転する。その速度は、こちらが圧倒的だ。ちょうど、相手が後列まで馬を反転させたところに、ギルベルトは突っこんだ。


 先頭の男の、驚愕の表情が見える。それを、槍で弾き飛ばす。走り抜けたときには、あと三人を馬から叩き落としていた。後続の兵士たちも、欠けずに残っている。ラルフの姿が、歩兵同士のぶつかり合いの向こうに見えた。眼が合う。こちらの騎馬隊の一方の相手をしながら、反対側の戦況を確認している。


 馬首を巡らせ、歩兵部隊を回り込む。相手の崩した騎馬隊が、追撃してくる様子は無かった。反対側では、こちらの騎馬隊が圧されていたが、まだラルフに崩されてはいない。後ろから攻撃した。それで、一気に崩れ始める。相手の部隊が後退し、体勢を立て直そうとする。ラルフの顔。自分を、捉えていた。褐色の騎士が、一騎だけで、離れて出てくる。


 この男と、勝負したかったのだ。ギルベルトも単騎で駈けた。槍を持つ手に力を込める。馳せ合った。先刻の騎馬兵とは全く違う感触が伝わってくる。また槍。弾く。振り下ろす。こちらの穂先を、捌かれた。柄が振るわれてくる。かわし、また槍を振るう。四合目で、ラルフが僅かに体勢を崩した。甲冑の上から、その胸を突く。馬上から、彼の姿が消えた。どよめきが起こる。


 二度目の角笛ホルン。終了の合図だった。騎馬は、こちらの損害はほとんどない。相手の部隊は隊長を失い、半数以上が落馬している。歩兵たちの力比べも、こちらの完勝と見ていい。ギルベルトは残っている兵を整列させた。ゆっくりと歩き、馬の呼吸を整え、練兵場の端に向かう。そこから、砦の塔にいる金髪ブロンドのファルクと、丸い顔をしたハンスの両指揮官の姿が見えている。一礼し、ファルクと眼がかち合う。僅かに笑って見せた。


 練兵場から出て、馬を預け、砦には歩いて戻った。ファルクに言われたように、ほとんど相手には何もさせなかったが、手応えはない。こんなものか、と思うだけである。


「ギルベルト殿」


 駆け寄ってきたのは、ラルフだった。この男の声を、初めて聞いた気がする。足を止める。


「戦で、あんな兵を使うつもりか? 俺は、あんなのに命を預けるくらいなら、一人で戦う方を選ぶがね」


「本当に、恥ずかしい。何名かは、これはという者もいるのですが」


「恥じて生き残れるか? 鍛えろ、ラルフ。死ぬまで、追い込んでやれ」


「そこまでの調練を、禁じられているのです」


「誰に? あの指揮官コマンダントか? 安心しろ、何も見ちゃいない。知らないところで、調練をすればいいのだ」


「それは」


「真面目だな」


 このラルフ・イェーガーという者自体は、腕が立つ。身のこなしから、それを感じさせるほどの男である。こんな男がいるのに、ポルトの軍は何をしているのか。調練で死ぬほどの恐怖を味わわせなければ、戦場では命を懸けて戦えない。それをするなという指揮官のほうが、どうかしているのだ。


 二人で、並んで軍議のに向かう。訓練を見ていたであろう者たちが、二人を見て手を挙げたり、声を上げたりしている。


「おまえ、剣の腕はなかなかだと聞いているぞ」


「ギルベルト殿ほどではありませんが、少しは」


「文句を言わせぬところまで、腕を磨けよ。そうすれば、調練のことくらいは一任されるかもしれんぞ」


 実際、ギルベルトも兵の調練に関しては、ほとんどを任されていた。ただ、指揮官コマンダントのファルクは、軍学や用兵術だけでなく、兵の力の見極めにも非凡なところがある。それは認めないわけにはいかなかった。だから、口も出されるが、うまく意見は擦り合わせているつもりだ。


 たしか、よわい二十五か、六ほどでしかなかったはずだ。それでも、これまでにギルベルトが出会ったどの男より、優れた考えを持っている。


 十ほども年少の青年に、という思いも、始めこそあった。今はもう何とも思わなくなっている。自分には教養も品位もない。年少だろうが何だろうが、面倒なことはこの男に押し付けてしまえ、と今では思うようになった。剣を振るう。敵を斬る。この男の傍で働いて、金が貰える。それだけでよかった。


 軍議の指揮官コマンダントは、対照的な表情で二人を迎えた。ハンスが、顔を歪めている。


「ギルベルト。お主、もう少し加減はできなかったのか。あれでは、調練にならん。怪我人が出ては」


「手心を加えてやれと仰るのですか。それは、ラルフが可哀想ですな」


「調練は、調練ではないか」


「仰るとおり。ここが戦場で、指揮官コマンダント殿が馬に乗っておられなくてよかったと思います」


「口が過ぎるぞ、ギルベルト。非礼をお許しいただきたい、ハンス殿。この者は腕は立つのですが、傭兵上がりで礼儀というのがまだ、よく判っておりませんので」


 ファルクが窘めるように言っているが、眼は笑っているように見えた。


「ラルフも、見事な槍さばきであったな」


「いえ。力及ばず、己の未熟を恥じております、ファルク殿」


「そう言うな。お主は私と同じくらいの年齢であるし、剣の腕もこれから磨かれよう。ハンス殿は、良い部下をお持ちだ」


 そのハンスは、何事かを言おうとして口を閉じたきり、何も話さなくなった。ファルクは夜の会食の準備をするよう、あちこちに指示を始めている。ギルベルトは、ラルフの肩を軽く叩くと、退室した。


 夜の月が現れ始めるころ、広間に設けられた宴席には、砦の主立った者たちが集まっていた。皆、めいめいに酒を飲んでいるが、深酒はしないように揃えている。腰には帯剣したままである。これも、何月か前から、ファルクがそうさせていた。昼間のことを忘れようとでもしているのか、ハンスだけが、次々と杯に酒を重ねていた。ラルフはその隣に、沈んだ表情で黙り込んでいる。


「すぐにでも開戦、という様子でもないと?」


「私には、じっと機を待っているように見える」


“赤の国”についての考えを訊かれたファルクは、それに淡々と答えていた。列席している者が耳を傾ける。


「機とは?」


「ひとつは、季節だと思っている。次の“花の季節ブルーメ”を越えて、“火の季節ブレンネ”になるときだ。赤の竜の力が、最も強くなる季節だと言われているし」


迷信は信じないが、信仰のあることは認める。ファルクは、赤の国にとって最も良い季節に開戦となることを読んでいるようだった。


「しかし、ファルク殿。時季外れの“風”が昨年吹いた。私は、昨年の“火の季節ブレンネ”こそが、彼らにとっての機だと、思っていたのです」


 大隊長オフィツィアの一人が、熱心に言った。指揮官コマンダントであるファルクの下に、ギルベルトも含め、十名の大隊長オフィツィアがいる。そのそれぞれが、戦や国というものについて、十分な知識を備えていた。ファルクが、そういった者を選び出したのだ。中には、埋もれていた才覚を見出され、一兵卒から鍛え上げられた者もいる。ファルクのそういった人を見る眼には、並々でないものがあった。


「ムート領で吹いたという、“死の風エンデ”か? どうかな」


 やはりこれについては、ファルクは信じようとしない。ムート領ウルグで起こった“死の風エンデ”については、近隣の駐屯地から報告が届いている。一つの村が消えたというのは信じがたいことである。しかし、それがひとつの“風”の仕業だとは思えない。人の死など、実際に眼で見たのでなければ、信じることなどできない。ファルクはそういう男だった。


「何か開戦の契機となるものを待っている。私は、そう思う。“風”ではない、なにかだ」


 それが何かは分からないが、私ならば。ファルクがさらに言葉を続けようとしたとき、広間の扉が音を立てて開き、鎧を付けた兵士が駆け込んできた。


「城内に、二名の兵士の屍体したい


 もたらされた報告に、全員が立ち上がった。


「どういうことだ。敵襲か」


「不明です。二名とも首をやられており、なぜか、何も着装していない状態で」


 報告が終わるよりも先に、ギルベルトはファルクと顔を見合わせ、広間を出た。他の大隊長は、砦の方々に散って行く。廊下を人が激しく行き来する。配下の小隊長カピタンが、すでに廊下で指示を待っていた。


「俺は、指揮官コマンダントたちに付いて、ここにいる。二十名を警備に残し、あとは城内の警戒と捜索に当たれ。兵の中に、見知らぬ者がいないか、顔をよく見ろ」


 兵士に手を下した者は、この城内にいる可能性が極めて高い、と思っていた。着装が奪われたのであれば、兵士の中に紛れていると考えていい。そのまま逃走することはしないだろう。間違いなく、城内に何かの目的があるはずだ。


「城外には、警邏けいらの者に加え、一個大隊が向かっています」


「それでいい。行け」


 言いながら、ギルベルトはその目的を考えていた。暗殺。最初に浮かんだのは、それだった。


「ファルク殿、ハンス殿」


 剣を抜いておくように。言葉がそこで止まる。


 そのハンスの首から、血が噴き出していた。ファルクが、床に倒れている。剣を持った、裸体の人間。ラルフが、その切っ先を受け止めている。誰かの悲鳴が聞こえた。


 からだの中の血が、かっと燃え上がるような感覚。跳躍した。剣を抜き放ち、数歩で男に飛び掛かる。剣先が空を切る。ラルフの声。躰の左側が、ぞわりとした。反射で、そちらに剣を振るう。まだ一人いた。これも、裸体だ。ラルフが立ち上がっている。同時に床を蹴った。二人で、ひとりずつ。正面の一人と斬り結ぶ。相手の剣が、猛烈な速さで左右から襲ってくる。呼吸を止め、すべて受けとめる。五度受け、六度目で攻勢に出た。斜めに斬り上げる。かわされる。わかっていた。もう二歩踏み込み、さらに剣を反転させて三度斬りつけた。最後の一振りが、相手の剣を弾き飛ばす。息苦しさを堪え、さらに剣を振るう。斬った。感触があった。


 相手が、背を向けて走り出した。逃げる。逃がしてなるものか。ギルベルトは吠えた。視界の端に、何かが飛んでくるのが映った。上体を思いきり逸らす。剣だった。壁に突き立つ。その一瞬。もう一人の男も、広間から飛び出していくのが見える。剣を投げ棄てて逃げたのか。追おうとした。


「ギルベルト殿っ」


 しかし、ラルフの声が足を止めた。振り返る。ハンスと、ファルクの屍体の横に、跪いている。いや。ギルベルトも駆け寄った。


「ファルク殿は、生きておられます。剣がれたはずです」


 胸から肩口にかけて、血が服に染み出している。しかし、たしかに息がある。顔からは血の気が引いているが、生きている。ラルフが首筋から剣を逸らせたのか。刹那、なぜかそんなことを考えた。兵を呼ぶ。


「侵入者を、追わせました。しかし、あまりに速く」


「二個大隊に追わせろ。それより、指揮官コマンダントだ。医者を呼べ。この方に死なれては、侵入者を捕らえたところで、何にもならん。急げ」


 兵が、弾かれたように駆けていく。ギルベルトは、無理矢理にでも、冷静さを取り戻そうとした。頭に血が昇っている。しかしそれを自覚できている。ファルクは生きている。ハンスは。見遣ると、その躰の傍で、ラルフが兵たちを手で制している。すでに、それが屍体したいになっていることはわかった。せいの気配を感じなかった。


「私のせいです」


 涙を流している。


「何が、おまえのせいなのだ」


「振り向いたとき、もう指揮官コマンダントの首から、血が。私は、気付きもしなかった」


「それは、俺もだ」


「私は、このお方の副官です」


「おまえは、ファルク殿を守ってくれたではないか」


 ギルベルトは胸の竜紋に掌を重ねた。ラルフの啜り泣く声が、広間に静かに響いている。あとは、何の物音もしなかった。


 これが、ファルクの言う契機というものかもしれない。ギルベルトは、そう思った。

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