夜襲
一見して、指揮官の率いる騎馬隊以外には、ほとんど注意する必要がない、と思うような部隊だった。何名か、まともな顔つきをしたものもいるが、それ以外は雑兵にしか見えない。
騎馬隊は左右に百ずつ配置し、相手の騎馬隊とぶつかり合う形をとった。ギルベルトの正面にいる騎馬隊には、ラルフとは違う者が先頭に立っている。
ギルベルトの声で、歩兵が前進する。ぶつかった瞬間に、こちらの兵の力が
先頭の男の、驚愕の表情が見える。それを、槍で弾き飛ばす。走り抜けたときには、あと三人を馬から叩き落としていた。後続の兵士たちも、欠けずに残っている。ラルフの姿が、歩兵同士のぶつかり合いの向こうに見えた。眼が合う。こちらの騎馬隊の一方の相手をしながら、反対側の戦況を確認している。
馬首を巡らせ、歩兵部隊を回り込む。相手の崩した騎馬隊が、追撃してくる様子は無かった。反対側では、こちらの騎馬隊が圧されていたが、まだラルフに崩されてはいない。後ろから攻撃した。それで、一気に崩れ始める。相手の部隊が後退し、体勢を立て直そうとする。ラルフの顔。自分を、捉えていた。褐色の騎士が、一騎だけで、離れて出てくる。
この男と、勝負したかったのだ。ギルベルトも単騎で駈けた。槍を持つ手に力を込める。馳せ合った。先刻の騎馬兵とは全く違う感触が伝わってくる。また槍。弾く。振り下ろす。こちらの穂先を、捌かれた。柄が振るわれてくる。かわし、また槍を振るう。四合目で、ラルフが僅かに体勢を崩した。甲冑の上から、その胸を突く。馬上から、彼の姿が消えた。どよめきが起こる。
二度目の
練兵場から出て、馬を預け、砦には歩いて戻った。ファルクに言われたように、ほとんど相手には何もさせなかったが、手応えはない。こんなものか、と思うだけである。
「ギルベルト殿」
駆け寄ってきたのは、ラルフだった。この男の声を、初めて聞いた気がする。足を止める。
「戦で、あんな兵を使うつもりか? 俺は、あんなのに命を預けるくらいなら、一人で戦う方を選ぶがね」
「本当に、恥ずかしい。何名かは、これはという者もいるのですが」
「恥じて生き残れるか? 鍛えろ、ラルフ。死ぬまで、追い込んでやれ」
「そこまでの調練を、禁じられているのです」
「誰に? あの
「それは」
「真面目だな」
このラルフ・イェーガーという者自体は、腕が立つ。身のこなしから、それを感じさせるほどの男である。こんな男がいるのに、ポルトの軍は何をしているのか。調練で死ぬほどの恐怖を味わわせなければ、戦場では命を懸けて戦えない。それをするなという指揮官のほうが、どうかしているのだ。
二人で、並んで軍議の
「おまえ、剣の腕はなかなかだと聞いているぞ」
「ギルベルト殿ほどではありませんが、少しは」
「文句を言わせぬところまで、腕を磨けよ。そうすれば、調練のことくらいは一任されるかもしれんぞ」
実際、ギルベルトも兵の調練に関しては、ほとんどを任されていた。ただ、
たしか、
十ほども年少の青年に、という思いも、始めこそあった。今はもう何とも思わなくなっている。自分には教養も品位もない。年少だろうが何だろうが、面倒なことはこの男に押し付けてしまえ、と今では思うようになった。剣を振るう。敵を斬る。この男の傍で働いて、金が貰える。それだけでよかった。
軍議の
「ギルベルト。お主、もう少し加減はできなかったのか。あれでは、調練にならん。怪我人が出ては」
「手心を加えてやれと仰るのですか。それは、ラルフが可哀想ですな」
「調練は、調練ではないか」
「仰るとおり。ここが戦場で、
「口が過ぎるぞ、ギルベルト。非礼をお許しいただきたい、ハンス殿。この者は腕は立つのですが、傭兵上がりで礼儀というのがまだ、よく判っておりませんので」
ファルクが窘めるように言っているが、眼は笑っているように見えた。
「ラルフも、見事な槍
「いえ。力及ばず、己の未熟を恥じております、ファルク殿」
「そう言うな。お主は私と同じくらいの年齢であるし、剣の腕もこれから磨かれよう。ハンス殿は、良い部下をお持ちだ」
そのハンスは、何事かを言おうとして口を閉じたきり、何も話さなくなった。ファルクは夜の会食の準備をするよう、あちこちに指示を始めている。ギルベルトは、ラルフの肩を軽く叩くと、退室した。
夜の月が現れ始めるころ、広間に設けられた宴席には、砦の主立った者たちが集まっていた。皆、めいめいに酒を飲んでいるが、深酒はしないように揃えている。腰には帯剣したままである。これも、何月か前から、ファルクがそうさせていた。昼間のことを忘れようとでもしているのか、ハンスだけが、次々と杯に酒を重ねていた。ラルフはその隣に、沈んだ表情で黙り込んでいる。
「すぐにでも開戦、という様子でもないと?」
「私には、じっと機を待っているように見える」
“赤の国”についての考えを訊かれたファルクは、それに淡々と答えていた。列席している者が耳を傾ける。
「機とは?」
「ひとつは、季節だと思っている。次の“
迷信は信じないが、信仰のあることは認める。ファルクは、赤の国にとって最も良い季節に開戦となることを読んでいるようだった。
「しかし、ファルク殿。時季外れの“風”が昨年吹いた。私は、昨年の“
「ムート領で吹いたという、“
やはりこれについては、ファルクは信じようとしない。ムート領ウルグで起こった“
「何か開戦の契機となるものを待っている。私は、そう思う。“風”ではない、なにかだ」
それが何かは分からないが、私ならば。ファルクがさらに言葉を続けようとしたとき、広間の扉が音を立てて開き、鎧を付けた兵士が駆け込んできた。
「城内に、二名の兵士の
もたらされた報告に、全員が立ち上がった。
「どういうことだ。敵襲か」
「不明です。二名とも首をやられており、なぜか、何も着装していない状態で」
報告が終わるよりも先に、ギルベルトはファルクと顔を見合わせ、広間を出た。他の大隊長は、砦の方々に散って行く。廊下を人が激しく行き来する。配下の
「俺は、
兵士に手を下した者は、この城内にいる可能性が極めて高い、と思っていた。着装が奪われたのであれば、兵士の中に紛れていると考えていい。そのまま逃走することはしないだろう。間違いなく、城内に何かの目的があるはずだ。
「城外には、
「それでいい。行け」
言いながら、ギルベルトはその目的を考えていた。暗殺。最初に浮かんだのは、それだった。
「ファルク殿、ハンス殿」
剣を抜いておくように。言葉がそこで止まる。
そのハンスの首から、血が噴き出していた。ファルクが、床に倒れている。剣を持った、裸体の人間。ラルフが、その切っ先を受け止めている。誰かの悲鳴が聞こえた。
相手が、背を向けて走り出した。逃げる。逃がしてなるものか。ギルベルトは吠えた。視界の端に、何かが飛んでくるのが映った。上体を思いきり逸らす。剣だった。壁に突き立つ。その一瞬。もう一人の男も、広間から飛び出していくのが見える。剣を投げ棄てて逃げたのか。追おうとした。
「ギルベルト殿っ」
しかし、ラルフの声が足を止めた。振り返る。ハンスと、ファルクの屍体の横に、跪いている。いや。ギルベルトも駆け寄った。
「ファルク殿は、生きておられます。剣が
胸から肩口にかけて、血が服に染み出している。しかし、たしかに息がある。顔からは血の気が引いているが、生きている。ラルフが首筋から剣を逸らせたのか。刹那、なぜかそんなことを考えた。兵を呼ぶ。
「侵入者を、追わせました。しかし、あまりに速く」
「二個大隊に追わせろ。それより、
兵が、弾かれたように駆けていく。ギルベルトは、無理矢理にでも、冷静さを取り戻そうとした。頭に血が昇っている。しかしそれを自覚できている。ファルクは生きている。ハンスは。見遣ると、その躰の傍で、ラルフが兵たちを手で制している。すでに、それが
「私のせいです」
涙を流している。
「何が、おまえのせいなのだ」
「振り向いたとき、もう
「それは、俺もだ」
「私は、このお方の副官です」
「おまえは、ファルク殿を守ってくれたではないか」
ギルベルトは胸の竜紋に掌を重ねた。ラルフの啜り泣く声が、広間に静かに響いている。あとは、何の物音もしなかった。
これが、ファルクの言う契機というものかもしれない。ギルベルトは、そう思った。
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