第9話 ウェイター
すぐには仕事が見つからない事情を受け、オルヴィスはマスターの『雨宿り』で働かせてもらうことになった。フールムもここで働いているという。
オルヴィスはなにをやるのか全く想像もつかなかった。まず俺の仕事を見ていろ、と言われて、オルヴィスはじっとフールムを見つめた。その時間が何分か続いた。
「フールムさんよーなにも始まらねぇーじゃん」
「お客さんが来ないととりあえず仕事はないんだよ」
「退屈だなぁ」
ぶつぶつ文句を呟いているうちにドアが開いて鈴の音が鳴った。
汚れた作業着を着た中年の男性が入ってきた。腰ベルトにハンマーやモンキー、ドライバーなどをぶら下げている。大工職人だろうか。仕事の途中で訪れたのだろう。
「いらっしゃいませ」とフールムが丁寧にお辞儀をして迎えた。客が座るとメニュー表を差し出した。
「お決まりになりましたら、お声をお掛け下さい」
「オムライスの特盛と神聖サハルト帝国産の水を頼む」
「承知致しました。ありがとうございます」
オルヴィスはカウンターの各席にあるメニュー表を眺めた。
「フールム。オムライスの特盛なんかどこにもねぇーじゃん」
「いいんだよ。マスターのお得意様だから、メニューにないものも作れるんだ」
「そうなのか? スゲェな。マスター」
客の男が話しかけてくる。
「オマエさん、見ねぇ顔だな。新入りか?」
「ああ、そんな大層なモンじゃねぇかな。」なぜかオルヴィスは胸を張って答える。
「新入りです」とすかさずフールムが客に告げる。
食事を終わると客は店を出て行った。フールムはすかさずオルヴィスを教育する。
「俺の見てたか? まずは、お客様が来られたら、最初に口にする言葉は、いらっしゃいませ、だ。わかったか?」
「お、おう、わかった」
「あとは、言葉遣いだな。お客様には、です、ますを使え。オマエは、言葉遣いが悪い。友達じゃないんだから、ちゃんとした丁寧な言葉遣いをしろ。今まではそれで通ってきたかもしれないが、ここ首都ウッドワイドでは通用しないぞ?」
「わかった」
「わかりました、だ」
「わ、わかりました」彼にとっては噛んでしまいそうな言葉だった。
「よろしい。じゃあ、次のお客様が来たら、頼むぞ」
「了解」
オルヴィスは右手を上げた。
「少し聞いてもいいですか? なんで殿様でもないのに、様をつけないといけねぇんだ?」
「いけないのですか、だろ」
「ああ。そうだったな。…そうだったですね。いけないのですか?」
「そのことなら、商売の基本だ。マスターのこの商売は、客がいないと成立しないものだ。だから客はありがたい存在だ。別の言い方をすれば、殿様がここに来なくても商売は成立するが、客がいないと続けていられない。だから、ある意味で殿様よりも客の方が大事なお客様だ。わかるか?」
「なるほど。わかりました」
チリンと鈴が鳴った。
「ほら、来たぞ。お客様だ」
「い、いらっしゃいませ、お客様。こちらのお席へどうぞ」
オルヴィスは席の一つを示す。見たことのない豪華な衣服に身を包んだ女性だった。首都というのはすごい、と思った。
女性は言われた通りの席に座った。
「メニューはこの通りになっております」
オルヴィスはメニュー表を差し出す。
「あなた見たことないわね。新人さん?」
「はい。新人でございます」
女性はふふっと笑いながらオルヴィスを目を見る。馬鹿にされているのだろうか。目を逸らすと、またふふっと笑った。
「では、クロワッサンとパンケーキとコーヒーを頼むわ」
「承りました」
カウンター越しにマスターにそのことを告げる。フールムに手招きされた。
「思ってたよりできてる。なかなかいいぞ。ただ一つ、お客様が来られた時に、こちらの席へどうぞ、という案内は今はいらない。まだ席がたくさん空いているからな。こちらへどうぞ、というと、この席に座らなくちゃいけないのかな、とお客様を強制した感じになる。その文句は席が埋まっていて、空席がどこか分かりにくい時に言え。それが親切であり、気遣いだ」
「なんだかややこしいなぁ」
「慣れだ、慣れ。慣れたらすぐにできる」
「わかりました」
オルヴィスはカウンターの席に座った。フールムがカウンターから出てきた。
「君に質問がある。お客様がいる時いない時にかかわらず、俺たちがやるべき仕事はなんなのかわかるか?」
「わかりません。だって、皆さんのメニュー聞きましたよ」
フールムは両手で顔を覆った。
「スマン。悪かった。こういうの初めてなんだもんな。言わなくてもなんとなくわかってもらえると思っていたが、まったくの初めてだとわからないことも多いよなあ。俺のミスだ。こっち来い」
オルヴィスはカウンターの中に入った。フールムの声が内緒話でもするみたいに小声になった。
「…簡単に言えば、お客様がいない時にもやることはある。まず、最初に来たお客様が帰る時の会計だ。釣り銭の数だけは間違えるなよ。その後は食器を下げろ。同時に手ぬぐいを持ってテーブルを拭け。それが終わったら食器洗いだ。そこの女性のお客様が帰った時も同じことをやれ。ちなみに、食器洗いはためておいて後でまとめて洗った方が早いと言えば早い。その辺りは店の様子を見ながら、臨機応変に動け。基本は、お客様が来たらオーダーを聞き、マスターに知らせろ。
料理が完成したら、お客様に運ぶ。ようは、オマエの出来うる限り最大限の丁寧さと礼儀を持って接しろ、ってことだ」
「…なんだか難しそうだな」
「そうだな、難しい。言うは易し行うは難し、ってやつだ。慣れたらそんなに難しいことじゃない。ちなみに俺は厨房へ入って料理もやるぞ」
「へぇ、スゲェ。さすが先輩っスね」
昼頃になると客足がピークに達して満席になった。
まさかここまで盛況になるとは思わず、オルヴィスはテンパってわけがわからなくなり、注文をいくつか間違えた。怒られるかと思ったが、マスターはにこにこしながら間違えたメニューをまた一から作り直すという対応を取った。
バタバタしているうちに、今度はバーとして営業が始まった。
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