第5話 カフェ『雨宿り』
扉を開けると、チリンチリン鈴の音が鳴った。
「おう。フールムじゃねぇか。きょうは休みだろ? どうした? …とお客さんがいるみてぇだな」
男はオルヴィスとフリーダに気づいた。
「ああ、マスター。コイツら、訳ありでウッドワイドに来たんだ。今晩、泊めてやってくれないかな?」
「ああ、まずそこに座れや」
カウンター越しに立つ男は、カフェの店主とは思えないほどの筋肉質で、上腕が木にまとわりついたフジの大木のようだ。顔も仕事の鬼といった厳しい形相である。
「失礼します」と言って、フリーダは椅子に座り、名と出身地を名乗った。続けてオルヴィスも座り、名と出身地を告げた。カップに煎れ立てのお茶が二つ出てくる。フリーダがカップを両手で持ってすすった。オルヴィスも。
「おいしい…。ね? おいしいね?」とオルヴィスにも共感を求める。
「ああ、うまい。味のついた飲みモン、久しぶりに飲んだぜ」
「まだ他に特別なドリンクあるぜ?」とマスターが言った。「飲むか? 最近流行るかなと思って取り入れたモンなんだが」
そうして出された飲み物は、二人には見たことのない異様な黒さだった。
「おじさん。なんだい? この黒い液体は。油みてぇだな」
「油じゃねぇよ。コーヒー、っていうんだ。原料になる豆を神聖サハルト帝国から仕入れてな。どうだ? 味は? 流行りそうか?」
「いっぺんにそんなに聞かないでくれよ。味に関しては…苦い。めっちゃ苦い。こんな苦いモンよく飲んでんなぁ。流行るかどうかは、知らん。客が全員オレみたいな舌だったら流行らないと思う。スカしたヤツなら飲むかもな」
「え、おいしいよ、コレ」とフリーダの口から反対意見が出た。「確かに苦いけど、まずい苦さじゃなくて病みつきになりそうな苦さだよ」
「お? お嬢ちゃんにはわかるかい。このおいしさ」
「マジか? オレには全然わからねぇ。お茶の方がいいや。マスター、さっきのお茶くれ。代金はいくらだい?」
「ボウズ。オマエさんはよくも悪くも正直なヤツだな。代金はいらねぇよ。おそらくフールムのおごりだ。な? フールム」
「そうだね。そういうことにしよう」
彼もカウンターの椅子に座り、コーヒーを注文した。次々と客が入っては、出て行った。マスターは料理上手で、陽気な人物だった。なじみの客とよくしゃべっている。オルヴィスは知らない客に話しかけられたが、無愛想に返すだけだった。フリーダは、笑顔で応えていた。
しばらく時間が経つと、酒をオーダーする客が増えるようになった。途中でフールムが退席した。ドアが開け閉めされる時、ちらりと見ると外はもう黄昏時だった。マスターに聞くと、昼間はカフェで、夜になると酒場に変わるらしい。二階は宿屋にもなっているようだ。
「…じゃ、オレたちもそろそろ」
オルヴィスが立ち上がりかけた時、マスターが引き止めた。
「待て。フールムのヤツに今夜はオマエたちを泊めてやってくれと頼まれてる。だから泊まっていけ」
そんな話をしているうちに、チリンチリンと鈴が鳴り、男女一組が入ってきた。女は男の腕を抱いてもたれかかっている。
「マスター。二階、空いてる部屋はあるかい?」
「ああ、待ってろ。今案内する」
マスターは一度カウンターを出て、二階へ上がっていった。戻ってくると、夕食としてパンと牛骨スープと酒を出してくれた。
食べ終わると、二人とも部屋へ案内された。
マスターは部屋の前で立ち止まり、オルヴィスとフリーダを順番に見つめた。
「そういや聞いてなかったが、アンタたち、コレかい?」と言って、小指を立てた。「なんなら、一緒の部屋の方がいいのか?」
「バ、バカ言え」オルヴィスは強く反発した。「んなわけねぇーだろうが。別の部屋でいいよ。別の部屋で頼みます」
「そうか」
二人は一部屋を挟んで別の部屋へ入った。
翌朝……。
オルヴィスはまぶたが重たく、どんよりした顔で部屋から出た。フリーダの部屋の前まで行き、ドアをノックする。しばらくすると、同様にどんよりした顔でフリーダが顔をのぞかせた。
「…おはようオルヴィス」
「おはよう」
「昨夜は眠れたか?」
「ううん。あまり」
「うっせぇんだよなあ、隣の部屋のヤツら。いったい何時まで乳繰りあってんだかよー」
「仕方ないよ。マスターも言ったじゃない。ここは、宿屋もやってるって。宿屋というとそういうところだからね」
二人でドア越しに話していると、隣の部屋のドアが開いた。
あの男女が出てきた。店に入ってきた時と同じ格好である。女が男の腕に腕を絡ませている。オルヴィスとフリーダの方をちらりと見ると何事もなかったように階下へ降りていった。
オルヴィスがため息をつく。
「…ったく。スゲェな。あれだけお盛んに夜を過ごしておきながら、帰りも腕組みかい。理解不能だ」
「でもさ」フリーダが言いづらそうに口にする。「わたしもよくわかんないけど、理解不能とまでは思わないよ。あれが多分男と女の一つの姿なんじゃない?」
「なんだよ。もっともらしく言いやがって。オレがまるでガキみてぇじゃねーか」
フリーダはオルヴィスに聞こえないほどの、ほとんど口パクで、ガキだよ、と言ったが、オルヴィスは気づかなかった。
二人で階下へ降りた。
すでにマスターがカウンターに入って、調理をしていた。
「おはようございます」フリーダがあいさつをした。
「おはようござッス」とオルヴィスが続く。
「ああ、アンタたち。昨夜は、愉しんだのか?」
「え? なに?」最初はなにを言われているかわからなかったオルヴィスは途中で気がついた。「んなことするわけねぇーだろうが」
「なんだ。愉しんでないのか。はじめ、同室になるの嫌がってたが、途中でオルヴィス、オマエさんがお嬢ちゃんの部屋に忍び込んで、夜這いする、ってシナリオを描いていたんだが…つまんねーの。オマエたちずっと街から街へ旅していたって聞いたが、そのあいだ、一度もそういうことがなかったのか?」
「ねぇ。あるはずもねぇ」とオルヴィス。
フリーダはうつむいている。恥ずかしくて顔を上げられなかった。
「なんだ。オマエたち、二人そろって、そういう経験がないのか」
オルヴィスも黙り込んだ。センシティブな話だけに、きっぱりと、ない、とは言えない。実際にもないのだが。フリーダも赤面してうつむいたままだ。
「スマン」とマスターは謝った。「空気読まずにふざけすぎた。それより、飯できたから食え」
二人の目の前にパンとスープとベーコンエッグが出た。
「すまねぇな、マスター」
「いただきます」フリーダは両手を合わせるとパンをスープに浸した。
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