第80話 永い眠りの果てに、
ふわふわと、浮遊感が離れていくのを感じた。
瞼の裏にうっすらとした光を感じる。そういえば、俺は倒れてしまったのだ。何もしていない、魔力も消費してまだ体中が痛む。俺は瞼を開け、見慣れない天井があることに気が付く。
どれくらい眠っていたのだろうか。
「ハル、……もう平気?」
すると、間近にバードの顔が見えた。俺は痛みを我慢して、起き上がった。そして、無言のまま頷く。
「まだ痛むけど、倒れた時よりましかな。……ごめんね、迷惑かけちゃって」
「うん、僕もメドも気にしてないよ。……それより、一度目覚めてからまた眠って、
ちょうど一日たったけど」
バードの言葉に俺は首をかしげた。一度目覚めたって、いつだろうか。覚えていない、多分寝ぼけていた分の記憶がないのだろうけれど。すると、バードのお腹が盛大に鳴った。その派手な音に俺も空腹を感じた。一日中眠って、痛みを我慢して汗も流したから体が空っぽな感じがする。
俺はベッドから立ち上がり、腕まくりをした。
「……じゃ、ご飯にしよう。それから着替えて、明日の計画でも立てよう?」
すると、バードに服の裾を引っ張られた。少し不満げな表情を浮かべ、俺を見上げているが何かしたのだろうか。
「無理してない? また倒れたら元も子もない……」
「大丈夫だって、もう少し休んだら元に戻るだろうし、ねっ?」
不安そうなバードな頭を撫で、俺は寝室から出る。バードは監視のためか俺にべったりとついてくる。
部屋を出ると、やはり暗い部屋が明かりもつけられずしんとしていた。ただ、ソファには規則正しい寝息を立てるメド君がいた。今は夜なのだろうか、だとしたら起こすのは申し訳ないな。俺は近くにあったブランケットを彼にかけて、キッチンに向かった。
「……メド君って、いつ寝たの?」
俺の問いにバードは首をかしげた。質問の意図がわからなかったのだろう。
「ハルが起きる、……少し前?」
「そっか、……バードも? だったら、ご飯ができるまで少し眠っておいで」
多分、二人とも俺が起きるのを待って疲れているのだ。特にバードは夜行性らしいから、日中も起きていたとなれば苦痛だろう。バードは素直に頷いて、ご飯になったら起こしてと言って立ち去って行った。
俺はうなずいて、少しだけ立ち止まる。気配の数が少しだけ多い気がする。
「……もしかして、ジン?」
呟くように言うと、目の前に影が降り立った。懐かしいようなそうでないような、紫水晶の髪の毛が舞うように揺れて、泣いた瞳がこちらをまっすぐに見据えていた。
「うん。ハルが、倒れたと聞いた」
「大丈夫だよ、今は割と平気」
倒れた時はつらかったけど、と苦笑すると安心したように頷いてジンは辺りを見回した。
そして、一つの封筒を手渡された。黒い封筒に赤い蝋で封をしてある。ジンはそれを今見ろというようにじっと、俺の手元を見ている。俺は焦りながら、丁寧に封を切って中に入っているものを見た。
中には便せんが一枚。あて名は、――見当たらない。
「……誰から?」
「聞いてない、届けろと言われた」
グランに、とジンはつぶやく。書いたのは別人で、グランが配達の仲介をしたのだろうか。俺は不思議に思いながら二つ折りの便箋を開いた。
――読めない。
俺には言語理解のスキルがあるはずなのに、それに書かれている言葉が理解できなかった。言語理解は、耳で聞く言葉とよく使うことになる言語が理解できるようになる能力なのだっけか。必要な時とそうでないときが分かれている能力、だとしたらそれはとても厄介だ。
「なに、書いている」
ジンが便箋を覗き込む。すると、ジンが顔を蒼くした。
「え、どうs」
何か聞こうとした時、その紙はジンに奪い取られてしまった。焦ったような表情を浮かべているジンが、俺に何もないのを確認してほっとしたようにため息をついた。
「……今の長い時間見てたら危なかった。これ、文字じゃなくて、呪字」
呪字とは、全部読んだ後に相手に呪術をかける字だったか。なら、俺に読めなくても納得だ。呪字は、言語理解を有しても読めず、専門の術者しか読めないのだから。だが、同時にこの事実に戦慄した。
「これ、グランからなんだよね。……何が目的で」
「……ハルは気にしなくていい、なんとかできるから」
ジンはそう言った。暗殺者の次は情報屋をやっていたと言っていたジンなら、目的くらい掴めそうな気がする。だが、それはとても危ない橋を渡る行為なんじゃないだろうか。
すると、ジンは紙をくしゃりと握りつぶして、俺を見た。
「今回は調べない。……学校の方に戻ったら、調べる」
「そう。……もう行くんだよね、なら、気を付けてね」
呟くように言ったジンに俺はそう言った。ジンはなずいて、”ハルも”と言って影のように消えていった。
再び静寂が流れ始める。バードは空腹なんだろうし、食事を用意しなければならない。だが、少し恐怖を覚えて俺は動けずにいた。……誰がどんな目的であんなことをしたかはわからない。
今は気にしていられないのに。
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