第34話 殺されるかもしれないなら、立ち向かうと言う選択のみ。

 俺はグリモワールを開いた。滅多に開かない魔導書は、古くさいカビの臭いがするが、わずかに魔素の流れを感じる。俺は素の流れに沿って、魔力の流れを作る。

 魔力の流れとは、風の流れと同じだ。熱気のように対流を起こしたり、吹き荒んだりする。

 俺はカマキリの鎌を脇差で受け止めながら、息を吐いた。


「ドナー、今から20秒後に後ろに三歩下がって!」


 俺はやっとつかんだ魔素の流れにしたがって、ドナーに指示を出す。


「は!?」


 ドナーは訳がわからないと言った風に眉をしかめて、俺を見る。俺はその視線を無視して、一匹のカマキリの足の関節に刃を突き刺す。


「良いから、実行して!」


「やりゃあ良いんだろ!

 わぁったよ!」


 ドナーは一瞬、楽しそうに笑って見せた。獰猛で、雷鳴のようにとどろく大声は敵のもとへと。

 俺はそれを確認して、蟹剥きの要領でカマキリの一本の足を切り取る。

 強大なカマキリは呻くように、叫びをあげる。それでも死なないのは理解している。それに、相手は二匹。ドナーが相手をしているのを含めて四匹だ。道は長いと、辟易もする。


「······来た。ドナー今だ、下がって!」


 俺の魔力と魔素の流れが噛み合う。俺はドナーに向かって叫び、目をつむった。戦場でそんな馬鹿みたいなことをするのは、たぶん俺だけだ。


 俺の周りの空気や時間が、ピタリと一瞬だけ止まったような錯覚が起きる。

 知っている。

 あの巨大なカマキリは、炎に弱いことを。自ら炎を発するのは、相手にそれを悟らせず、かつ間合いを縮めさせないためだ。

 

 あの時、雨を降らせたのとは範囲も狭い。だから、うまく制御しなければならないのだ。

 俺の頭の中に、炎の渦が描き出される。

 呪文を唱えて、焼き払ってしまおう。


「あの日の約束を忘れてはいない。

 すべてを焼き払った、青の女神に祝福を」


 フレイムゴースト。

 心の中で、青い炎が大きく広がった。見た目は絶対零度の青い炎が。

 目を開ける。炎が業火となって、琥珀色の迷宮の通路を包んでいる。ちょうど避難していたドナーは、驚いたように目を剥いている。青い炎は、俺の眼前までをも焼き尽くそうとしている。

 この魔法は、グリモワールがなければ、決して使えないものだ。

 何故なら、制御がきかず、魔素の流れをつかめなければ死亡するからだ。


ギャアアァァァァァアァアァア


 四匹のカマキリが、断末魔をあげながら燃えていく。炎はカマキリのもとへと、収束してカマキリのみを青い炎で包む。

 俺はドナーのもとへ駆け寄った。


「大丈夫?

 怪我はしてない」


 我ながら、トンチンカンな質問だったが、ドナーはあきれたように笑ってうなずいた。それから、燃えるカマキリを眺めながら水晶の壁に凭れ掛かった。


「ちっと怪我はしたが、気にするほどじゃねぇ。

 しかし、お前の魔法か? これ」


 いつになく真剣そうに、ドナーは言った。俺はドナーのとなりに凭れかかって、そのままうなずいた。すると、ドナーは思案するように黙りこくってしまった。


「どこか、痛いの?」


 その顔は初めて見るもので、俺は心配になる。不安になった。今にも消えてしまいそうな表情だったものだから。

 すると、ドナーは首を振って、苦笑した。


「オレは魔力が制御できないからさ、羨ましいなぁと思って」


 ポツリと、ドナーが悲しそうに呟いた。


「羨ましい?」


「おぅ。オレはさ、生まれつき魔力量が異常だった。

 だけど、この国じゃ魔力を持ってるのは少ない。

 だから、重宝されてたんだけど、制御できないせいで魔法が使えなかった」


 

 ドナーは雷のような髪の毛の毛先をギュッとつかんで、悲しそうな表情を隠した。俺はその表情を覗くでもなく、黙って聞いていた。

 そして、同時にドナーに宿る魔素を聞いていた。


 確かに、魔力量は魔素の流れる器が割れるほど強大だった。割れるといっても、ヒビが入っている程度のものではあるが、何かがあれば致命傷になるものだ。


「ドナー、それなら俺が直せるかもしれない」


 俺は呟いていた。思い付きではあったのだが、一つだけ案が浮かんだ。街に帰れば試せるかもしれない。が、ザックさんに許可をとる必要がある。

 俺がやったように雨を降らせるのだ。それも、特殊な道具を使って。

 俺は使ったことはないが、魔力を形として奪う方法なのだそうだ。そして、それを人工移植する。というものがある。

 他国の文献に記載されているものらしく、ゴシップ好きなシンアさんが教えてくれた。


「本当か?」


「実際には俺がじゃなくて、ドナー自身がなんだけど······」


 俺は思い付いたことをドナーに提案する。ドナーは青い炎に包まれているカマキリを見つめながら、真剣に聞いていた。

 

「そうか、それならオレも誰かの役に」


 どこか嬉しそうに、ドナーは微笑んで俯いた。わずかに、ドナーを取り巻く魔素が揺らぐ。それは、ドナー自身の心の安定を示すものだった。

 俺一人ではできないし、彼一人じゃ思い付かなかったことかもしれない。でも、ザックさんに怒られてしまうな。


「あ」


 ドナーは崩れ落ちたカマキリを見て、ポツリと言った。青い炎を愛しそうに見つめながら、彼は大剣を鞘にしまった。

 それに倣って、俺も鞘に脇差をしまう。思わぬ変貌を遂げてしまったが、仕方ないのだろう。もうもとには戻らないのだから。それに、日本っぽくて少し安堵もした。馴染みは直接的にはないけど、地元のものがあるのはなんだか心強い。


「二人とも、大丈夫でしたか?」


 岩影から身を覗かせたイヴが、こちらに駆け寄ってくる。俺とドナーは顔を見合わせて、うなずいた。


「おうよ! ハルが一掃しちまったからな」


「あはは······」


 ドナーの言葉に苦笑しながらも、俺は少し心が軽くなっていた。カマキリを殺してしまった罪悪もあるが、気になるのは強化体のこと。

 ドナーもイヴも気づいていないから、なおさら不安になった。

 誰がやったのか。何を目的として、動いているのか。心の安堵と共に、そんな不安が顔を覗かせていた。

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