第31話 一夜のシトロンと、ハニーミルクは如何?

 俺は安全地帯のテントの前に佇んでいた。イヴは眠っているし、ドナーもたぶん寝ている。それより、イヴが睡眠をとることに驚いたのだが。イヴいわく、休養して魔素の補給をするのだそうだ。

 

「······はぁ」


 眠れない。ものすごい眠いのに、眠れない。不安とか、恐怖とかそんなものがあって静かに眠れそうにない。

 俺はポーチから小さな鍋を取り出した。それから、牛乳とマグカップ。

 ホットミルクを飲めばよく眠れる、みたいな迷信を今でも信じているのは子供っぽいかもしれない。だけど、少し安心できる気がする。


 指先に魔力を集中して、火を灯す。

 それを広げて、鍋の牛乳が満遍なく温まるように、火の加減を少し強くした。小さな炎はゆらゆら迷子のように揺れて、狭い範囲を照らしている。

 そこで、やっとこの場所に誰かがいることに気がついた。


「ぇーと、誰?」


 少し離れてはいるが、気配が濃い。魔法を使ったせいかもしれない。どうやら、魔法を使うと魔素の流れが読みやすくなり、人の気配や視線に敏感になるらしいのだ。

 俺はその視線を感じ取っていた。

 すると、視線の人物は姿を現した。どうやら水晶柱の上の方にいたらしく、飛び降りてきたが。


「······気付いたのか」


 徐々にその姿が露になる。

 俺は目を見開いた。


「君は、あのときの」


 紫水晶と同じ色の髪の毛と瞳。特殊なインナーを着て、装備の重量を抑えている格好。上半身の露出面積が広くて、寒そうだ。対照に、ズボンの方はダルっとしていて動きやすそうである。

 彼は、俺がこのダンジョンに踏み入れたとき、俺にナイフを突きつけた少年だ。とは言っても、ナイフを突きつけたことに悪意はなく、モンスターだと勘違いしただけなのだそうだ。


「······チッ」


「ぇ、あ、ごめん」


 不意に舌打ちをされたせいか、反射で謝ってしまう。すると紫紺の瞳が俺を不機嫌そうに見つけた。いや、不愉快そう、かな。

 

「あ、あの。寒くないの?」


 ぴったりとした黒のタンクトップみたいなインナーで、肩を出している彼に聞く。寒そうというか、軽くこのフロアでは不便なのではないだろうか。

 

「装備に文句はつけないスタンス。」


 冷たい瞳で端的に言われた。

 ふむ、寒いのか。俺はポーチの中身を漁る。そこからまだ未使用のパーカー型のローブを取り出す。俺が作ったやつだけど、寒いなら渡す他ない。でざいんもすこしきにいっているんだけどね。


「寒いならこれあげるよ。着てないし、当分はあったかいと思うよ」


 きれいに畳んであるローブを彼に渡しにいく。それなりに近いとはいえ、彼の顔がしっかり見えない程度には離れた距離だ。

 

「······ぼったくり商法か」


 彼がぼそりと呟いた。

 俺は聞き返そうとしたが、明らかに聞き間違えではないだろう。え、だって今、ぼったくり商法って確かに聞こえたもん!

 これが聞き間違いだったら、俺の耳は相当迷惑だ。


「違うよ!

 寒そうだったから、あげようとしただけだよ」


 俺は反論する。反論する趣旨はないが、さすがに怒りはする。

 それから、彼の手首をつかみ、鍋のところまでつれていく。その間、彼はやけにおとなしく、俺に連行されていた。


「寒いのは我慢しちゃ、ダメなんだよ。

 暖かくしなきゃ、どんなに優れた装備品でも風邪引いちゃうよ!」

 

 俺はそういいながら、ポーチから未開封の蜂蜜瓶を取り出した。小さくて、旅用に移しておいたのだ。ダンジョンにいる期間はそう長くならないだろうから少量だけど、これひとつで結構自由がきく。

 俺は蜂蜜スプーンを取り出して、マグカップももうひとつ取り出す。

 それから瓶を開封して、スプーンで琥珀色の液体をすくう。新鮮な甘い匂いが、ふわりと辺りに広がった。それをマグカップに少し流し入れて、牛乳を注ぎ込む。

 くるくると、スプーンでかき混ぜて、ハニーミルクの出来上がりだ。

 本当はシナモンとか、生姜とかでアレンジを加えたかったけど、材料がないので諦めるしかない。


「はい、どうぞ」


 俺は彼につやつや輝くハニーミルクを手渡した。

 すると、彼は乏しい表情を不思議そうな表情に知る。それから、おずおずと警戒するようにマグカップを受け取った。


「······」


 俺はそのまま自分のぶんの牛乳もあたため始める。何せ自分のぶんは、彼にあげてしまったもので、牛乳は減るが仕方がない。

 俺は彼を作業しながら、横目に見る。彼は少しずつマグカップに口をつけて、ハニーミルクを飲んでいる。どこか安心した様子で、彼は一息ついていた。そこ彼と思わず目が合った。彼は驚いたように目を見開き、急いで俺から目をそらした。


「気に入った?」


「熱い」


 感想が熱いの一言。まぁ、初対面みたいなものだし、そんなものか。俺は自分のホットミルクに口をつけた。

 そんなに熱くはない。

 もしかして、猫舌なのだろうか。俺は少しほほえましくなって、ふふっと笑った。彼に気づかれない程度に。


「なんで、ここまでやる」


 ぶっきらぼうに彼に聞かれた。その表情はどこか、怪訝そうで呆れているようでもあった。

 俺は彼の顔を見て、首をかしげた。彼を助けた(?)ことに理由はない。根っからの性分と言うやつか、年下を放っておけない長男としての責か。


「君が寒そうだったから?」


「質問を質問で返すな」


 彼が切り込むようにいった。

 うろんげな口調はどこか寒々しさを感じる。


「理由はないよ。困っていなくても助けちゃう性分だからさ」


 俺がそういうと、彼は不意に立ち上がった。

 そして俺を見下ろすようにして、マグカップを返される。


「そういうことが聞きたい訳じゃない」


 どこか機械的な声で彼はいった。そして、彼は俺に背中を向けた。呼び止めようとしたが、無駄だったらしく、彼は煙のように消えていた。

 もしくは、闇に溶けていった。

 

「······名前、聞きそびれたな」


 俺は後頭部を掻きながら、苦笑した。なにかやるせない気持ちが押し寄せてきたのは、彼のあの瞳が昔の自分に似ていたからだろうか。

 

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