化かずと開かずの黄金色

譜楽士

開かずの扉は至るところに

 穏やかな日差しの中を、絶世の美女が歩いていた。

 つややかな黒髪に、整った面差し。着物姿のその美女は、ともすれば妖艶ともとられかねない色香を漂わせている。

 ただ、のほほんとした歩き方と活発そうな瞳が、その雰囲気を親しみやすいものに和らげていた。

 美女の名を、源静羽みなもとのしずは

 背に負った荷と足回りからして、旅の途中であることが分かる。丸腰ではあったが、女だてらに一人旅をしているということは只者ではなさそうだった。

 そんな彼女――静羽は、行く先に閉まった扉があるのを見て首を傾げる。


「なんや、あれ?」



 〇●〇



「この扉を通りたくば、相応の通行料を納められよ!」

「さもなくば……分かっておるだろうな?」

「はあ。これはまた、分かりやすい感じおすなあ」


 棒を持った門番に行く手をふさがれ、静羽は困ったように笑った。

 彼女が今いるのは、街道にある関所である。

 もちろん旅を続けるためには、ここを通らなくてはならない。山越えという手もあるが、うっそうとした木立の中を歩き回るのはなかなか困難である。

 できればここを通りたい静羽ではあったが――通行料、ときた。


「ちなみに、おいくらです? まあこのとおり旅の身の上やさかい、うちにあんまり持ち合わせはないんやけど」

「額については気持ち、というものだな、うむ」

「それか、もしおまえほどの器量であれば……他の払い方もある、と考えてもいいのだぞ?」

「へえ」


 舐め回すようにジロジロ見つめてくる門番に、静羽はさらに困惑を深めた笑みを向ける。

 着物の上からも分かるくらいに、彼女の身体の描く曲線は優美である。たおやかな言葉遣いも相まって、男たちには格好のカモに思われたのかもしれない。

 しかし――気安く置かれた肩の手を、彼女はその細腕に見合わぬ力でぐい、と押しのけた。


「む……?」

「すんまへん。仰るお心づけとやら、また用意して来ますわ」


 いともたやすく肩から手を外されたことに、門番がまるで化かされたかのように目を白黒とさせる。

 あまりの鮮やかさに、無礼を働かれたとも思えないらしい。

 門番の男に微笑み、静羽は「ほな、また」と素早く去った。



 〇●〇



「お代官様が変わられて、最近ずっとあの調子なのです」


 静羽が近くの宿で事情を訊くと、主人はため息交じりにそう答えた。


「やれ税を納めろ、通行料を払えなどと言ってきて……私どもも迷惑しております。旅人さんもめっきり減ってしまって、どうすればよいのやら」

「難儀やなあ」


 宿屋のあるじの台詞に、静羽は同情するかのように、はんなりと言う。

 旅人だからこその余裕――どうせ他人事だから、という態度ではない。

 彼女がその気になれば、門番など押し切って、なんなればカンヌキのかかった門ですら押し切って、開かずの扉を突破できる。

 しかしその方法はあまりに強硬策すぎる。つまるところ静羽の態度は、彼女がのんびりしとした性格であり、荒事は好まない性質を持っている証だった。

 彼女の雰囲気にあてられ、宿の主人は続ける。


「お代官様が変わるまで耐えるしかないでしょうが、私どもにもあまり蓄えはありません。誰かがこの横暴をおかみに訴えるしかないのでしょうが、外に出ようにも関所もあの有り様でして。困っております」

「あんなやつらのいるところなんか、火をつけちゃえばいいんだよ」

「これ、由太郎ゆたろう!」


 突然割り込んできた小さな声へ、宿の主人は鋭く叫んだ。

 見れば主人の息子であろうか。柱の影から小さな男の子が、こちらを覗いてきている。

 火をつける、などと物騒なことを言い出すほどの剣呑さが彼の目の中にあった。


「滅多なことを言うものではない! お代官様に目を付けられたら大変なことになるぞ! ……すみません、旅人さん。先日息子は、母親を亡くしましてな。どうもふさぎ込みがちになっておりまして」

「さよかぁ……ご内儀が亡くなられて、お辛いやろうて」

「はい。しかも、どうもあやかしにやられたようでして……どうにも気持ちの置き場が分からんのです」

「……」


 妖、という単語に静羽は沈黙した。

 何か言いたくても言えない、複雑な感情を押しとどめた沈黙だ。しかし彼女は、同じように黙り込む宿の主人と息子――由太郎を見て、自身を鼓舞こぶするようにどんと胸を叩く。


「よっしゃ! この一件、うちにまかしとき!」

「え、本当ですか?」

「お姉ちゃん……?」

「これでも流れの旅人やさかい。後腐れなくなんとかしちゃる」


 藁にもすがるといった様子で見てくる主人と、疑わしげな眼差しを向けてくる由太郎に、静羽は力強く言い切った。

 困っている人がいるなら助けてあげたい。それは『自身がどんな存在であれ』、彼女の信念である。


「うちはあの関所を通りたいし、村のみんなは状況をどうにかしたいんやろ? だったら、お互いに助け合えばええんよ」

「ああ……ありがとうございます!」

「嘘だ。そんなことできるもんか……」

「できるよ」


 感動に涙する主人とは対照的に、由太郎の口調は冷たいものだった。

 だが静羽は、二人に対して柔らかく言う。


「あんさんたちが協力してくれれば、うちも百人力やから。せやなあ。ご主人は今日の夕飯、きつねうどんにしてくれへんか。おあげ二枚入れとくれ。それでええよ」



 〇●〇



 宿屋の主人にきつねうどんを馳走してもらい、次に静羽が由太郎に頼んだのは、『落ち葉を集めること』だった。


「何? 本当に火をつけるの、お姉ちゃん」

「いややわあ。そないな物騒なことせえへんよ」


 疑わしげに言ってくる由太郎に、静羽はころころと笑って答える。

 宿に泊まり、一晩明けてから。

 二人は山の中で落ち葉を集めていた。秋も深まり、落葉には事欠かない。爽やかに晴れた青空の下で、静羽と由太郎はかごに木の葉を入れて回る。


「たくさん集めて、焼き芋でもしよか? あったかくてほくほくで、美味しいよ」

「……焼き芋なら、母さんとやったことがある」


 美味いものでも食べれば、少しは気分も軽くなるのではないか――そう思って口にした台詞だったが、少年にとっては逆効果だったらしい。

 立ち止まった由太郎は、気落ちした様子でうつむく。その様子に静羽はむぅ、とうなった。関所も関所だが、彼の心もなかなかに手ごわい開かずの扉だ。

 その扉を無理矢理こじ開けるような真似を、彼女はしなかった。

 代わりに、手近にあった木にするすると登っていく。あまりの身軽さにあっけに取られる由太郎をよそに、静羽はそこに実っていた柿をもぎ取った。

 そして笑顔で、少年に手を振る。


「ほらほら見てみい、立派な柿やでえ。これもきっと美味しいわ」

「い、いや……そんな高いところに登って、お姉ちゃん大丈夫?」

「大丈夫だいじょうーぶ。うち普通の人よりちょっとだけ力持ちなんよ。だからこんな高さも平気……って、あわわわわ⁉」


 言ったそばから、静羽が体勢を崩した。

 そのまま、地面に向かって真っ逆さま――由太郎が顔を真っ青にした瞬間。

 静羽は空中でくるりと身をひるがえし、大地にぶつかる直前ですとんと着地した。


「ふぅ。危なかったわあ。すまんね、うちこうやってたまにドジするんよ」

「あ……うん。無事ならよかったけど……」


 お姉ちゃん、何者なの――? と、先ほどまで静羽がいた木の上と、地面を交互に見て由太郎はつぶやいた。

 驚きを隠せない少年に、静羽は答えず。

 柔らかく微笑んで、持っていた柿を差し出す。


「はい。食べえ。たくさん食べて大きくなりい」

「……うん」


 あまりの衝撃に、拒否することも忘れて由太郎は素直に柿を受け取った。きょとんとした顔で手の中にある橙色を見つめる彼に、静羽は尋ねる。


「お母はん、柿は好きやった?」

「好き……だった」

「そっか。じゃあ、もっと取ってこよか?」

「も、もういい! もう大丈夫だよ、お姉ちゃん!」


 危ないから、と止める由太郎に、にっこりと笑って「優しい子やなあ」と静羽は言う。

 頭を撫でるとさすがに気恥ずかしくなったのか、由太郎は「やめろー⁉」と手を振り払った。

 気まずそうに視線をそらす少年に、静羽は声をかける。


「そのくらい元気があれば、大丈夫や。お母はんはあんたのこと、責めてへんよ」

「……なんでそんなこと言うんだよ」

「うーん。由太郎はんはお母はんのこと、守れなかった自分が許せなくて、辛いんかなあ思って」

「……そう、なのかな」


 柿を見つめて、由太郎は小さな声でつぶやく。言われたことを否定しなかったのは、静羽の声があまりに自然だったからか、彼女の天衣無縫な行動に毒気を抜かれたからか。

 はたまた母親の好きだったものを握りしめているからか――全部かもしれない。

 温かみのある色をその手に持って、少年は静かに言う。


「……許せなかったよ。母さんを殺した妖も。母さんを守れなかった僕も。けど、どうしたらいいか分からない。全部全部、よく分かんなくて……全部燃えちゃえばいいのにって思った。けど、それも違うのかな……」

「うん、うん」

「……僕、これからどうしたらいいんだろう?」


 途方に暮れたように立ち尽くす由太郎は、最初にあった暗い雰囲気は消え、年相応の空気をまとっている。

 しかし抱えていた闇を手放しただけで、彼の中に傷があることには変わりない。

 枯れ葉の落ちる山中で、ぽつんと取り残されたように言う由太郎に――静羽は言う。


「強うなり」


 それは母の代弁だったのか、彼女自身から出た言葉だったのか。

 迷子になった子どもを導く道祖神どうそじんが、茂みから出てきて語り掛けているようでもあった。慈しみ、しかし凛とした眼差しでもって、静羽は由太郎を見つめる。


「どんなことにも負けん、どんな状況にもへこたれんくらい、強くなりや。そしたら今度こそ大切なものを守れる。大事なもんを、ぎゅっと持ってられる。そんくらい強くなればええ」

「……うん」


 静羽を見つめ返していた由太郎は、それだけ言って渡された柿をぎゅっと握った。

 うつむちがちではあるが、少年の瞳にはこれまでにはない力が宿っている。地面を踏みしめて、一歩一歩進んでいくような決意を感じさせる光。

 それは由太郎にしっかりとした存在感を与え、身体の芯をしっかりとさせていた。

 すると、そんな彼を静羽は感極まったように、ぎゅっと抱きしめる。


「うわあっ⁉」

「ああもう、偉いなあ。素直やなあ。ええ子やわあ。こんな子どもがいたら、そら可愛いわ。もうぎゅーってしとうなる」

「え、ちょ、離して……!」


 慌てたように暴れる由太郎だが、自分を力持ち、と言った静羽の腕はほどけそうにない。

 観念して大人しくなり、撫でられたり頬ずりされたりするのを黙って受け入れることになる。それは彼女が満足するまで続き――しばらくの後、少年は解放されることになった。

 静羽の身体のふわふわの感触と、温もりをその身に受け続けた由太郎は顔を赤らめてぐったりと息をつく。そんな少年をよそに、静羽は元気よく両腕を振り上げた。


「よっしゃ! そうと決まれば、落ち葉集めを再開や。みんなの役に立てるよう、気張っていこか!」

「……分かったよ。集める」


 張り切る静羽と対照的に、由太郎の口調はげんなりしたものだったが。


「……お姉ちゃん。たくさん落ち葉を集めたら焼き芋をしようよ。きっと美味しいよ」


 柿を懐に大事そうにしまった彼は、照れた様子で山の中を歩き始める。

 母親との思い出を共有しようというくらいには、どうやら少年の心も満たされたらしかった。



 〇●〇



「絶対このふすまを、開けたらいかんで」


 そう言い残して静羽は、宿の割り当てられた部屋にこもった。

 持ち込んだのは大量の落ち葉。昼間に由太郎と山中におもむき、集めたものだ。

 採ってきたいくぶんかは、二人でたき火をするのに使った。焼いた芋は、黄金色でほくほくとしており、とても甘く美味であった。


「さて、と……」


 日中の記憶を振り返りつつ、静羽はかごを下ろし中の葉を床にぶちまける。

 枯れ葉から出るのは、果たして芋か妖か――そんな印象を持つほど、彼女の動きは面妖なものであった。


「なるたけ、こういうのは無しでいきたいところやけど……しゃあないな。大見得を切った以上は、あの子と同じくらい踏ん張らんと」


 途端、黄金色の輝きが辺りに満ちる。

 炎のように揺らめくその光を、静羽は悲しげに見つめた。普段は力持ち程度の話で誤魔化しているが、これを見られたらそんなものでは済まない。

 妖に親を殺された、恨みを持つ者にはなおさら見られたくない。

 けれどあんな健気な子の役に立つなら、むべき力も使ってよい――そう思った彼女の望みどおりに、落ち葉は光の中で形を変えていった。

 この世でとても大事とされる、けれどもいつか消えてしまうものに――

 そして、その光景を。


「……」


 ふすまの隙間から、小さな影はじっと見つめていた。



 〇●〇



「お待っとうさんでした。黄金のお菓子を持ってきましたさかい」


 次の日の朝。

 静羽は関所の門の前に立ち、門番たちに懐のものを差し出した。

 彼女が持参したのは金色の輝き、ぎらぎらと光る小判である。

 門番の二人は、予想以上のものに目を見張る。そしてそんな者たちに、静羽はにこやかに言った。


「これで、お約束どおりその門を通らせてくりゃせんか。よろしかろ?」

「う、うむ……」

「苦しゅうないぞ……い、いや、だがしかしだ」


 静羽の持つ小判に、門番たちは手を伸ばしかけ、取り繕うように咳払いをする。


「お代官様がお呼びである。先日、おまえのような者が来たことを、いたく気にかけておいででな。ぜひとも挨拶に行くがよい」

「はあ、なるほど。……まあ、言われなくとも挨拶には行くつもりやったけどな」


 絶世の美女と黄金のお菓子。

 そんな組み合わせは、こういう類の手合いに覿面てきめんに効く。

 元は静羽だけであったのが、今日になってとんでもない土産を持ってきたのだ。彼らにしてみれば逃す理由もない。

 代官所はすぐそばにあった。門番たちに小判を押し付け、彼らの目がくらんでいる隙に静羽は屋敷へと向かう。

 つややかな黒髪が、歩くに従って揺れた。

 すれ違う誰もが、彼女の美貌に振り返る。男も女も問わず――

 そうして、十分に注目を集めた後。

 静羽は代官の元へと至った。


「失礼。旅の者にございます。挨拶に伺いました」

「ほう、そなたか。話には聞いていたが、この世のものとも思えぬほど美しいのう」


 目の前にいるその代官は、聞いていた話のとおりの人物だった。

 脂ぎった頭とぶよぶよに肥えた身体。夜中に見れば、こちらこそが妖なのではないか――そんな風にすら思うな風体である。

 おまけにこちらを見る目つきも、べたべたとした汚らわしいものであった。それを見て静羽の中にわずかに残っていた『まともな人物であれば見逃してやろう』という思いが、急速に消え去っていく。

 内心でため息をつき彼女が小判を取り出すと、代官は言う。


「おおおお……そのようなものまで用意をしてくれたのか。素直でよいことじゃ。どれ、こっちに来なさい。儂がもっとおぬしに教育をしてやろうではないか……ふひ、ふひひひひ」

「教育を受けるんは、あんさんの方でっせ」


 下卑た笑いを浮かべる男に、静羽はぴしゃりと言い放った。

 次いで、懐から出した小判を部屋の中いっぱいに振りまく。彼女の懐からあふれ出た黄金色の輝きは、宙を舞って床に落ちる前に――

 無数の炎となって、辺りに満ちた。


「ひ……ひいぃぃぃぃ⁉」

「騒ぐな、悪党」


 金色の炎に取り囲まれ、代官が悲鳴をあげる。それに鋭い声で応じたのは、髪の色を変色させた静羽だった。

 常は黒だった彼女の髪が。

 今は炎と同じ光を放つ、金色に変化している。

 同じ色の獣の耳と、九本の尻尾。まさに九尾の狐――人の身ならざる化生が、そこにいた。

 妖の中でも特段、力の強いとされるもの。

 その姿を見た者は、当たり前ながら強い恐怖を覚える。瞳の色すら金に変えた静羽を見て、代官は悲鳴をあげた。


「あ、妖ぃ……化け物ぉ!」

「そうや。あんさんたちが大嫌いで憎い、化け物よ。うちは」


 かけられた言葉に、静羽は凄絶な笑みを浮かべる。

 凄みの分だけ、嫌悪の感情を向けられてきた。見る者が見ればそれを感じさせる表情であったが、代官にそんな余裕はない。

 なので、予定どおり化け物を演じることにし、静羽は続ける。


「けれど、そんな化け物よりも悪いやつが、いるっちゅう聞いてねえ。どんなもんか見に来たんよ」

「わ、儂じゃない……儂じゃない……!」

「ほんまかい? とてもそうは思わんかったけどなあ……」


 怯えて尻もちをつき、後ずさる代官に絶世の美女は迫っていった。

 金色の炎に囲まれて、自身も金色の輝きを揺らめかせて。

 彼女は虹彩をぎらぎらさせ、口の両端をにいい、と上げる。


「――嘘つきは、食べてしまおか?」

「ひ、ひいいいいいっ⁉」


 もはや言葉にすらなっていない声をあげて、代官は身体をこわばらせた。

 恐怖に支配されれば、人は動けない。そんな弱きものに対して、静羽はさらに言う。


「燃やして、焦がして、脂を落とせば美味いやろなあ。甘いやろか。この火でじりじり炙れば、お芋みたいに甘うなるやろか……」

「い、命だけは……命だけは! 勘弁してください……!」

「ええ? ほんまあ?」


 命乞いをしてくる代官に、なるたけ残念そうに聞こえるよう、静羽は言った。

 もちろん彼女に人を食べる趣味はない。他の妖ならともかく――少なくとも静羽自身は、そういったことは好まない。

 しかし、今回はそういった役回りを演じなくてはならない。なのでそのまま顔を作りつつ、彼女は用意してきた台詞を口にする。


「しゃあないなあ。そこまで言うんやったら、今日のところは見逃してやるさかい。

 けどな――あんさんがまた何か悪いことをしよったら」


 静羽が言葉を切ると、周りの炎が一瞬で膨れ上がった。

 それは屋敷を覆わんほどの、膨大な金色の塊であった。


「――燃やすで」


 その一言に、代官は身も世もない悲鳴を上げて卒倒した。

 うまくいった、と思った静羽だったが、ふむ、とすぐに考える。この悪党は起きたら今のは夢だと思い、同じことを繰り返すのではないか。

 それでは意味がない。なので彼女は、部屋の机を借りて一筆したためる。


『関所の門、開かずにすべからず。もしそのようなことになれば、再び炎はぬしの元に現れる』


「これでよし、と」


 満足した静羽は、炎を解いていつもの姿に戻った。

 金色の光は消え、落ち葉となって部屋に降り積もる。

 まるで昨日の、山の中のようである。その中で気絶している代官の上に、今ほど書いた書状をかぶせ置き――

 絶世の美女は、代官屋敷から去った。



 〇●〇



 近くでは、小判が落ち葉になったと騒ぐ門番たちの声がする。

 妖が出たと彼らが混乱する中で、静羽は関所へと向かっていた。絶世の美女が屋敷に赴き、炎と小判もろとも消えた。その衝撃は村を揺るがすだろう。

 その騒ぎの分だけ、代官への圧は高まる。残してきた書状は十分な脅しになる。

 だから種が割れる前に、ここを離れなくてはならない――そう思っていた静羽の元に。

 小さな影が現れた。


「由太郎……」


 門に手をかけたまま、静羽は少年の名をつぶやいた。

 彼は真っすぐに静羽を見ている。誤魔化しはきかない――そう直感する彼女に、由太郎は言った。


「……僕、見ちゃったんだ。昨日の夜、お姉ちゃんが落ち葉を小判に変えてるところ」


 それと同じ光が、先ほど代官屋敷で爆発したところだ。

 騒ぎが起こる中、彼はいてもたってもいられず飛び出してきたのだろう。素知らぬ振りをして、家でじっとしていてもよかったのに。

 それよりも何が起こっているのか確かめたかった――静羽が何をしたのか、この目でもう一度確かめたかった。

 彼女のことを信じたかった。

 そんな少年は、黙り込む静羽に向かって覚悟を決めて問う。


「お姉ちゃんは……妖、なの?」

「……まあ、半分やけどな」


 もう言い逃れはできぬと、彼女は正直なところを白状した。

 源静羽、正体は九尾の狐――の、半妖である。

 傾国の美女に化けるという、伝説すらある大妖だ。


「そんなわけでな、あんまりひとところにおると周りが大変なことになるさかい、こうして旅をして回っておるんよ」


 黙ってて、すまんかったなあ――と、彼女は由太郎の目を見ることができぬまま謝った。

 拒絶されるのが怖かった、というのはある。

 事情が事情なだけに打ち明けることもできなかった。この素直で優しい子どもに、これ以上傷ついてほしくはなかったのもある。

 しかし今となっては全て言い訳だ。強くなれと言いつつ、嫌われたくないから自身は保身に走る。

 逃げるように去ろうとしたのは、おのれの弱さがゆえだ。旅立つときはいつもそんな思いにかられる。

 ただ、今回は少し違った。なぜなら、小さくても確かな存在が追いかけてきたから――


「人は……食べないんでしょ」

「うん。むしろそういう悪さするやつらを、懲らしめて回ってるっていうのは、あるなあ」

「じゃあ、もっと胸を張りなよ」


 由太郎の問いに静羽が答えると、彼は怒ったように言い返してきた。

 逃げずに噛みついてきた――恐れずに立ち向かってきた。

 強くなれ。

 今度は静羽の方が、そう言われているようだった。


「悪いやつらを倒してるのに、お姉ちゃんはなんで、そんなに悲しそうなんだよ。いいと思ったことをしてるんだったら、もっと堂々とすればいいのに。どんなことにも負けないくらい強くなるんだろ。だったら大事なものを守れるんだろ……!」

「……うん。うん……そうやなあ。うちも、もっと強くならんとなあ……」


 妖であることなど関係なく。

 そこにある大切なものをぎゅっと抱きしめればいい。

 ずっとずっと、怖くてそれができなかった。震える手を伸ばすと、少年は怯えることなく静羽の抱擁ほうようを受け入れた。

 そして彼女の背に、少年もそっと手を回す。


「お姉ちゃんは怖くない」


 そう言い切る彼に、どれほど救われたことだろう。


「僕はお姉ちゃんのことを責めてない。みんなのためにがんばったのを忘れない。僕を励ましてくれたことを、忘れない。だから――大丈夫」

「うん……うん」


 少しの間だけ泣いて、立ち上がる。

 できればずっとこうしていたかったが、そうもいかない。今はまだ自分は、弱いままなのだから――そう思って、静羽はあとからあとから零れ落ちてくる涙をぬぐった。

 少年の手前、気張らなくてはならない。そしてもう行かなくてはならない――ひとところに静羽はとどまることができないし、彼女がいなくならねばこうまで騒ぎを大きくした意味がない。

 名残惜しいがお別れだ。そっと静羽が門から出ていこうとすると、後ろから由太郎の声が飛んできた。


「また、ここにおいでよ」


 その声は半妖たる彼女を導くかのように、強く響く。


「そのときには僕も、もっと強くなってる。お姉ちゃんが来たら、また二人で焼き芋をするんだ。きっと美味しいよ」

「――ほんに、優しい子」


 もう一度手を伸ばしたいのをこらえて、静羽は振り返り笑う。

 いつかまた、ここにやってきて彼とたわいもない話をする――想像するだけで、なんと心躍ることだろう。

 そのときを夢見て、彼女は笑顔で由太郎に言う。


「そしたらこの門をくぐって、またお世話になりに来るわ。ありがとうな、由太郎。うちももっと強おなるから」


 後ろ髪を引かれる思いを振り払って、静羽は宣言した。

 でなければ、この少年の気持ちに報いることができない気がしたから。今度また出会うとき、昨日のように二人で山の中を歩けるように。

 強く在るため。

 ようやく開いた扉から、彼女は外へと歩き出した。



 〇●〇



 そして再び、穏やかな日差しの中を静羽は行く。

 つややかな髪も、誰もがほれ込んでしまいそうな美貌も、関所を通る前のままだ。

 しかしその足取りは若干、沈んでいるように見える。いくら半分妖であるとはいえ、半分は人間である。心を通じた者との別れに、尋常なままの気持ちでいられるはずがない。

 ただ、しかし――


「あ……柿や」


 頭上に橙色の鮮やかな色彩を見かけて、彼女は立ち止まった。

 思い出すのは、由太郎の驚いた顔、呆然とした顔、真っ赤になった顔。

 不思議なことに、笑った顔なんてひとつもなかったのに――彼のことを思い出すだけで、静羽の心の中に温かいものが満ちる。


「ふふ」


 上機嫌に笑って、彼女はするすると木に登り柿を取った。

 それを大事に懐にしまって、静羽は地面に降りる。

 今度は失敗して落ちたりしない。しっかりとした足取りで彼女は歩き出す。

 もう一度、あの扉をくぐって彼に会いにいこう。そう決めた静羽の周りに風が吹いて、祝福するかのように木の葉が舞い上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

化かずと開かずの黄金色 譜楽士 @fugakushi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ