第6話②


「時計だ。やっぱり時計がないとな。持ち物の中に入ってないのか? それか、武器みたいに取り出せればいいんだけど」

「うーん……ない。出せない」


 今まで武器や装備を出したのと同じ要領で時計のことを思い浮かべながらインベントリを確認するも、時計はどこにもなかった。出現することもない。どうやら、簡単には出せないほど重要なものらしい。


「やっぱり、シナリオ進行に大きく関わるイベントアイテムは、好き勝手に出せないのか。となると、やっぱどっかに行って手に入れるしかないのか」


 アリサの能力に期待していた様子のシロウは、少し肩を落とした。彼は最初からずっと時計のことについて言っていた。どうしても必要なようだ。


「時計って、絶対にいる? なくてと敵をぶっ倒したら万事解決ってことにならない?」

「ならんだろ。俺はさ、お前の薬が抜ける時間が知りたいわけ。薬が抜けるってことは一番ウイルスが活発化する時間だろ? そのときに叩くのが、間違いないって踏んでる」

「そっか。薬が効いてるときは、敵はどっかに隠れてるみたいなもんだもんね」


 病気とは長い付き合いだから、アリサは時間帯ごとの自分の身体の状態をよくわかっている。

 薬を投与したばかりでよく効いている時間はウイルスはなりを潜め、起きているのも苦ではないけれど、逆に薬の効き目が切れていくに従ってものすごく苦しくなる。

 ウイルスが姿を現している時間帯を狙うなら、アリサの起床の三十分から一時間前がいい。アラームが鳴る三十分前にはいつも、遠隔でバイタルをチェックしてくれている看護師によって薬が投与されるようになっている。


「ねえ、マップがあった。この光ってるとこ、怪しいよ。“鉱石の丘”って書いてある」


 ランチャー画面を操作して、アリサは周辺の情報を示す地図を発見した。それに触れると、ランチャー画面の上部にポップアップした。


「これだ! 怪しい! ここに行けば、何かイベントが起きるんだろ! あれか? あの遠くに見えるやつ」


 マップを覗き込んだシロウは、興奮したように景色とマップを見比べ、遠くを指差す。

 景色はいつの間にか森から岩石のゴロゴロした平野になっていた。この平野をずいぶん進んだ先に、小高い丘が見える。遠目からでも、何やらキラキラ輝いているのがわかる。


「じゃあ、行こうか。行けば何かわかるだろうし」

「そうだな。行こう」


 目的地が見つかって、ふたりはにわかに勢いづいた。

 ふたり一緒だと心強いけれど、やはり先のことを考えると不安になる。その不安はふたりから会話を奪い、歩みを速めさせた。



 遠くに見えた輝く丘は、遠いと感じるだけあってなかなか辿り着かなかった。歩けども歩けども、キラキラは近づいてこない。まるで真夏の逃げ水でも追いかけている気分だ。

 それでも歩き続けられたのは、マップ上にある自分たちを表す点が、確実に目的地へ近づいているのを見ることができたからだ。


「見えてきた!」


 砂埃舞う土の地面に濁った石英らしきものがところどころ混じり始めた頃。

 ようやく輝く丘に近づいているのを感じられるようになってきた。そのへんに転がっている石にも、キラキラしたものが混じっている。

 歩き続けるとやがて、真っ白な大地へと辿り着いた。


「……寒くないから、これは氷でも雪でもないんだろうね」

「水晶かと思ったけど、何かいろいろ色が混じってるから違うのかな」


 景色を構成する色が土色から白色に変わったことで、見た目は一気に寒々しくなった。でも、それらは石だから別に寒いわけではない。触れればひやりとしそうではあるけれど。


「これは、水晶であってるよ。水晶っていうより、石英だけど。不純物が混じることで色が変わって見えるんだよ。この青い線がたくさん走ってるところはインディゴライト、黄色はシトリン、紫色はアメシストが混じってるの。で、この地表に突出してる部分みたいに、肉眼で結晶の形がわかるものを水晶っていうんだよ」


 アリサは屈んで、鉱石の大地をペタペタ触って説明する。最初はキョトンとしていたシロウも、その様子を見てニヤリとした。


「お前、石とか好きなんだな。それなら、元気になったらミネラルショーってやつに行こうな。確か、こういうキラキラしたものがたくさん売られてるイベントなんだってさ」

「行ってみたい! あと、掘りにも行きたい! ちゃんと装備を揃えて行こう!」

「わかったわかった」


 アリサの好きなものを知ることができたからか、シロウは何だか嬉しそうだ。アリサも、これまで特に秘密にしていたわけではなかったけれど話す機会のなかった趣味を明かすことができて、ちょっぴりワクワクしていた。アリサがシロウの武器好きに影響されたように、シロウを鉱石好きの世界に引き込めるかもしれないと思ったのだ。


「鉱石がきれいだから好きってのはわかるけど、そういうほって集めてどうすんの?」


 足元に転がる石をひとつ拾い上げ、シロウは尋ねる。もっともな質問だ。たとえキラキラしていても、石は結局石だから、興味のない人には何をして楽しむものなのかわからなくて当然だろう。


「仕切りのある箱に収めてひとつひとつラベルを貼って鉱石標本を作る人もいるし、そのままインテリアにする人もいるみたい。私は鉱石テラリウムを作ってみたいんだ」

「鉱石テラリウムって?」

「苔とか植物をビンやフラスコの中で育てて飾るのがテラリウムで、それに鉱石を組み合わせたのが鉱石テラリウムっていうの」

「あんなのか?」


 歩きながらシロウが指差したのは、尖塔のようにそびえる水晶クラスター。見事なまでの巨大な六角柱が何本も突き出た地面には、這うようにして草が生えている。それはシロウが言うように、大きな鉱石テラリウムのように見えた。


「うん、あんなの。ていうか、ここが目的地なんじゃないかな」


 そう言ってアリサは、マップを指差す。マップの光っている部分とアリサたちを表す点が重なっている。つまり、目的地に辿り着いたということだろう。


「ついた、なあ。でも、ただのデカい水晶だろ。どっかにダンジョンの入り口みたいなのはないのか?」

「ダンジョンの入り口って……こんなの落ちてる。まだ使えそう……あ」


 水晶クラスターの周囲をぐるりと回っていると、足元にバネやゼンマイ、時計の文字盤などがゴロゴロ落ちているのを見つけた。使えそうなものを見つくろって拾い歩いていると、地面に金属製のハッチがあるのが目に入った。


「アリサ、ここだここ! 絶対ここだ!」

「ダンジョンの入り口がハッチなんて変だよ」

「ダンジョンじゃないかもだけど、ここしかないだろ」

「うーん……」


 自分の夢ながら脈絡がないし世界観に統一がないなと内心でアリサが嘆いているのには気づくことなく、シロウはお構いなしでハッチを開けた。

 そこから続く傾斜のきつい階段を下りきると、ほの明かりの灯る開けた場所に出た。

 開けたといっても、そこは小さな部屋だ。全容をはっきりと見ることはできないけれど、おそらくあって八畳ほどの広さだ。その部屋に点々と、ささやかな明かりが置かれている。明かりはよく見ると、鉱石の入ったランプだった。


「……わっ! じいちゃん!? じいちゃん‼」


 ランプのひとつを手にして部屋の隅々まで照らしながら歩いていたシロウが、奥まで行ったところで素っ頓狂な声を上げた。どうしていいかわからず立ち尽くしていたアリサも、シロウのもとへ駆け寄った。


「シロウ、どうしたの?」

「じいちゃんがいるんだよ!」

「じいちゃんって……本当だ。シロウのおじいちゃんだ」


 シロウが驚きで立ち尽くしているその前には、小さな作業台ひ向かう小柄な人の姿があった。その人物の顔をよく見れば、シロウの祖父によく似ていた。というより、瓜二つだ。

「あのさ、じいちゃん。こんなところで何してんの?」

 シロウが声をかけるも、よく似たその人は応えない。視線も上げず、黙々と作業を続けている。手元を見ると、何か小さな機械をいじっていた。


「たぶんだけど、この人はシロウのおじいちゃんじゃないと思う。きっと、私の記憶をもとにして作られたキャラクターなんじゃないかな」


 そう言って、アリサは老人の頭上に浮かぶ三角を指差した。それはゲームの中でキャラクターの頭上に表示されるマークのようだ。

 これまで夢の世界で出会ったルイもユウダイも、頭の上にそんなマークはなかった。つまり、この三角こそが目の前の老人がシロウの祖父ではなくNPCである証だとアリサは考えたのだ。


「……本当だ。じいちゃんの耳はこんなに尖ってないからな。ドワーフか? アリサ、うちのじいちゃんがちっこいからってドワーフにすることないだろ」


 アリサの考えに、シロウもすぐに同意した。そして、自分の祖父と目の前の人物との差異にニヤニヤした。


「あの、時計がほしいんですけど、こちらにお譲りしていただけるようなものはありませんか?」


 アリサは思いきって、ドワーフじいさんに声をかけてみた。時計を求めてマップに表示されたここへ辿り着いたのだ。それなら、ここで時計を手に入れられるはずだ。

 でも、ドワーフじいさんは静かに首を振るだけだった。


「どうしても、時計が必要なんです。お願いします! せめてどこにあるかだけでも」

「ん」


 アリサの言葉をさえぎって、ドワーフじいさんはアリサの手を指差した。


「あ……これ、ですか?」


 手のひらを開くと、そこにはここへ来る途中に拾った部品の数々。


「これを、修理してくれるってことですか?」


 手のひらごと差し出すと、ドワーフじいさんは黙って頷いて、それを受け取った。どうやら、修理してくれるらしい。

 それからしばらく、アリサもシロウもドワーフじいさんの作業を見守った。とはいえ、それは大した時間ではない。じいさんの手先は器用で、あっという間に歯車を組み合わせてムーブメントを作り上げてしまった。それを枠に嵌め込めば、懐中時計の完成だ。

 ゼンマイを巻いて動くようにしてから、ドワーフじいさんはそれをアリサに手渡した。


「あんたたちは、どこに行くのかね?」


 老人特有のしわがれた声で、ドワーフじいさんは問いかけてきた。その声も、見上げてくるやや鋭い眼差しも、シロウの祖父のものだ。そんなに会ったことがあるわけではないけれど、会えばいつも壊れたオモチャをさっと直してくれる、アリサにとって頼もしい人だ。

 アリサは不思議な気持ちで、その問いに答えた。


「敵を倒しに行きます」

「ジャバウォックか。……手強いぞ。娘っ子と小僧の二人で勝てるかどうか」

「それでも行きます。戦って、勝って帰らなくちゃいけないので」

「そうか……」


 アリサの言葉を聞いて、ドワーフじいさんは考え込むようにして口髭を撫でた。


「ジャバウォックはな、ここを出てでっかい山を目指したらおる。というより、その山がヤツだ。長いことおとなしくしとるのが、ある時間になると大暴れよ。……気をつけて行けよ。もう眷族たちには気取られとる」


 ドワーフじいさんは不吉なことを言って、シロウに何かを手渡した。楕円のコロンとしたものと大きな四角いもの、小さなスイッチのようなものだ。


「じいちゃん、手榴弾と、これは何?」

「爆弾だ。大事なときに使え」

「‼」


 シロウは受け取ったものをおそるおそる、ポケットとウエストバッグの中にしまった。それからふたりで頭を下げ、その場所をあとにする。


「眷族に気づかれてるって言ってただろ? 気をつけたほうがいいから俺が先に行くな」

「うん」


 外の様子を警戒して、シロウはマテバ片手に階段を上った。アリサも手に持たないまでもTP‐82ピストルに意識を集中させる。


 けれども、ハッチを開けて外に出ると、そこにはふたりが予想だにしなかった光景が広がっていた。


「アリサ、早く上がれ!」

「キャッ」

「閉めろ!」


 外に出ると、そこには大量の虫がいた。中型犬くらいの大きさの、クモとサソリが混じったような不気味な虫だ。それらがドワーフじいさんのとこらへ行って迷惑をかけないよう、急いでハッチを閉める。


「こっち来んな!」


 毒針のついた尻尾を持ち上げて向かってくる虫たちに向けて、シロウは銃を撃った。しかし、動く的になかなか当てることができず、あっという間に六発を打ち切ってしまった。


「シロウ、これを使って」


 マテバが一度に装填できるのは六発。どんなに腕がよくてもその弾数で周囲の敵を一掃するのは不可能と判断し、アリサはショットガンを取り出してシロウへ渡した。


「お、AA‐12じゃん! これなら勝てる」


 アリサがシロウに渡したのは、アメリカの銃器メーカーであるMPS社の、フルオート射撃が可能なショットガン。

 シロウが引き金を引くたび、うねるように散弾が弾け飛び、虫たちの体を貫いていく。

 アリサもシロウの背に守られるようにして、彼が撃ち漏らしたもの駆逐していった。宇宙飛行士のための銃はお守りのつもりで持っていたのだけれど、飾りではなくしっかりと守ってくれた。

 カシャコン、カシャコン、カシャコン、シャコンシャコンシャコンシャコンッ!

 銃声が響く中、虫たちは足をもがれ、頭部を砕かれ、体液を撒き散らしながら絶命していく。

 次から次へと湧いてくるように思えたそれらも、シロウがドラムマガジンの中の弾をあらかた撃ち終える頃には一掃できた。


「……終わったな。うわー、きっもちわるぅ……」


 シロウが安堵の息を吐き、顔や身体に飛び散った虫の体液を拭っている横で、アリサは肩で息をしていた。ドワーフじいさんからもらった時計を見ると、疲れをより一層強く感じた。


「アリサ、どうした? もう怖いのはいなくなったぞ」


 呼吸が整わないアリサを見て、シロウは怖がっていると思ったらしい。背中を撫でられなだめられたアリサは、首を振って時計を差し出した。


「今、ちょうど身体がしんどくなる時間になってて……あとね、もうあまり時間が残ってないの」

「嘘だろ……」


 時計の針が示すのは、四時半すぎ。あと一時間も経たないうちに、ウイルスを弱らせるための薬が投与されてしまう。つまり、敵――ジャバウォックを倒すのに使える時間は一時間を切っているし、アリサにとっては薬が完全に抜けつつかる今が一番きつい時間だ。


「アリサ、ごめん……きついよな。俺が時計なんか手に入れようって言ったから、今何時かわかっちまったから、身体がきついって思い出しちゃったよな」


 アリサの背中をさすりながら、シロウは憔悴していた。アリサ以上に、彼のほうが弱って見えるくらいだ。


「俺さ、昔からルイに言われてたよな。夢にリアルを持ち込むな、って。あのときはよくわかんなかったけど、今ならわかるよ。それがいけないことだって。夢の中でくらい、自由でいたいもんな。それなのに俺のせいで嫌な思いを……こんな苦しい思いをさせてごめんな」

「シロウ、謝らないで。身体がきついのはいつものことだし、シロウが悪いわけじゃないもん」


 シロウを励まし安心させるために言ってみるも、身体がきついのはどうにもならなかった。

 関節という関節が痛み、全身を固めのゼリーに閉じ込められたように身動きが取りづらく、嫌になるほどの怠さに襲われている。毎朝、薬が投与されて一時間かそこらで目覚めるようになっているから、一番きついときは脱しているものの、痛くて怠い中で朝を迎えるのがアリサの日常だ。

 普段は日中しか会わないから、薬が切れてダウナーな状態を見るのはシロウは初めてだ。だからこんなにも狼狽えているのだろう。


「あのさ、アリサ。時計なんかもう捨てちまわないか? ていうよりさ、もう敵を倒さなくてもいい気がしてきたんだ。ふたりでずっと夢の中にいるのも、悪くないだろ? ルイの夢なら絶対に嫌だけどさ、お前の夢ならいいかなって」


 よろよろしたアリサを座らせ、その肩を抱きながらシロウは言う。

 そんな敗北宣言をさせてしまったことに、アリサの胸は苦しくなった。

 これまで誰も彼もがあきらめていた病気のことを、シロウだけがあきらめずにいてくれたのだ。病気のままで過ごすでもなく、夢の中で過ごすことでもなく、病気を治して現実で生きることを望んでくれた。

 そのために、こんな無茶までしてくれた人だ。

 その人に、弱音を吐かせてしまったことがアリサは苦しかった。身体の痛みより怠さより、そのことが何よりつらかった。


「私の夢だってろくなものじゃないよ。だって、病院の中かゲームか本のことくらいしか知らなくて世界観の幅が狭いし、人間のことも知ってるわけじゃないからNPCも絶対似たりよったりになっちゃうし。それに……こんなところにいなくていいシロウを、閉じ込めたくなんてないんだよ」


 泣きそうになるのをぐっとこらえて、アリサはシロウにしがみついた。

 苦しくてたまらない。でも、今泣いてはいけないことをよくわかっていた。

 苦しいけれど、つらいけれど、それよりも今思うのは、この優しい幼馴染を不幸にしてはいけないということだ。

 そのために、ここで負けるわけにはいかないのだ。その決意を強くして、アリサは言う。


「帰るよ、絶対に。約束したでしょ。ふたりで遠くに行くって。私の幸せは現実にあるの。だから、ふたりで帰るんだよ」

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