第6話①

 小舟から下りて、アリサはズンズンと森の中を歩いていた。

 歩きながら、森の様相が変わっていることに気がついた。


「何か、日本っぽい……?」


 シダレヤナギやブナなどが整然と並んだ欧風の森から、カラマツやモミジ、シラカバの植わった雑多な森に変わっている。

 アリサにとって、馴染みのある景色だ。子供の頃、夏になるの家族で来ていた別荘地の景色に似ている。シロウの家族も一緒だったから、シロウや彼の父と一緒に歩き回った。たまに、ユウダイも一緒だった。

 だからだろうか。目の前の原生林じみた森は、アリサの中に強く印象に残っている。

 その思い出深い景色の中に、二足歩行で怪しげな動きをしているネコを見つけ、アリサは足を止めた。

 チェシャネコだ。ずんぐりとして大きすぎる頭を持つその姿は可愛くないと思っていたけれど、そうして何やら人間じみた動きをしているのを見ると、愛嬌があるように感じてくる。


「……何してるの?」

「わっ! びっくりしたな。って、あれ? こんなところで何してるの? 次は白雪姫じゃなかったの? 準備してたのにな」


 チェシャネコはアリサに声をかけられ驚き、慌てたように何かを隠した。その隠したものは、タブレットのようにも、宙に浮いたランチャー画面のようにも見えた。まるでSF映画の中でキャラクターが操作しているコントロールパネルのような、そんなものにも見えた。

 人間じみたネコだと思っていたけれど、どうやら本当に人間のようなことをしていたらしい。

 というより、不思議なパネルに向き合う姿や驚いて慌てる様子は、アリサのよく知っている人物によく似ていた。


「準備って何をしてるか知らないけど、必要ないよ。私、用が済んだら現実世界に帰るから。……お父さん」

「おっと……バレたのかあ」


 父と呼ばれたチェシャネコは、誤魔化すような笑みを浮かべ、前足でポリポリ頭をかいた。その仕草がまるっきり父ユウダイで、アリサは何だか溜息をつきたい気分になる。


「シロウから話を聞いたときから、きっとどこかにいるんだと思ってたんだけど、本当にいたんだね。まさか、ネコになってるなんて……」

「だって、アリスの世界におじさんがいたら嫌でしょうが。アバターだよ、これは。その世界に最適化した姿でいるというのは、大事なことなんだ」

「最適化……」


 この姿も最適化なのかと、アリサは自分の服装を見て考えた。真紅のベルベットのワンピースは、きっと赤の女王のイメージだ。ルイはやっぱり、アリサに女王になってほしかったのだろうか。


「アリサ、帰るだなんて言ってるけど、本当に帰るのかい?」


 ユウダイは地面にどっかりと座り込んで、自分の隣をポンポン叩いて示した。そこに座れということらしい。

 アリサは言われるがまま、そこに腰を下ろした。思えば、父と話をするのなんて久しぶりだ。


「アリサが、シロウくんとこれから何をしようとしているのかは知ってる。というより、彼がボクの研究にアクセスしたのも、アリサのためにいろいろよくないことをしてるのも、全部知ってる。だから別にそれを止めようとかわ反対してやろうとか思ってるわけじゃあないんだ」


 ユウダイは腕組みをして、難しい顔をしながら話しだした。ボサボサの無精ヒゲに触れる仕草がネコが丸いあごを撫で回しているようにしか見えないのがおかしいけれど、その言葉は真剣だ。


「反対してるわけじゃないなら、よかった。シロウは、私のためにしてくれてるから」

「でも、チカさんとホナミさんに会った君が、それでも現実世界に帰るっていうのが、ボクはすごく気がかりなんだ」

「え?」


 思わぬ名前が出てきたことで、アリサは言葉を失った。でも、ユウダイの口から二人の名前が出るのは、妙に腑に落ちることでもあった。


「チカさんは事故で半身が動かなくなってしまって、現在の医療では回復は見込めない。……彼女の望む回復はね。ホナミさんは生まれながらにして内臓に疾患があって、機械の臓器が彼女の生命を維持している。二人ともずっと病院にいて、普通の生活を夢見ていた。そんな彼女たちにとってあの世界がどんな意味を持つのか、アリサならわかるだろう?」

「……チカとホナミは実在するってこと?」


 ユウダイの返事がなくても、それが十分に答えだった。事の重大さを理解して、その重みはアリサの胸につらくのしかかった。


「ボクの研究の話をしたら、二人ともすごく喜んでくれてね。アリサのことも聞いてすぐ、気に入ってくれたみたいだよ。彼女たちはあの世界でずっと、アリサが来るのを待ってたんだ。ひょんなときに迷い込んでくるかもしれないって話しておいたからさ、『そしたら驚かせないように、昔からの友達みたいに接しよう』って言ってたよ。本当に、アリサと友達になれる日を楽しみにしてたんだ」


 ユウダイは淡々と話す。幼い頃から、母と比べてこの父は、あまり声にぬくもりというものが感じられないと思ったものだけれど、その温度のない声で語られても十分、胸を抉る内容だった。

 チカとホナミの笑顔や、話す声、語った夢を思い出して、アリサは悲しくなった。

 生々しい存在感だなと思ったのだ。妙な質感の夢だなとも感じていた。それも、彼女たちがあの夢の中で生きているのだとわかれば、すべて納得がいく。

 アリサはあの夢の中で確かに、彼女たちと触れ合ったのだ。


「彼女たちと会ってみて、実際にあの場所で過ごしてみて、ボクの研究の有用性はわかったでしょ? この研究で救える人がいるのも、理解できただろ?」

「それは……」


 責められているような気がして、アリサはすぐに言葉が出なかった。チカとホナミの現実について聞かされ、彼女たちのいる夢の世界に背を向けるのは、ひどく罪悪感を覚えることだ。


「それに、現実よりここのほうがいいだろうに。ここでなら、アリサはある程度何でもできるし、何でも手に入れることができる」

「……どういうこと?」

「アリサもルイくんと同じ能力を持ってるってこと。だから、その力を活かしてこの世界を豊かにしてほしいんだけどな」

「そんな……うそ……」

「嘘じゃないよ。小さなときから遊んでたから、知ってるとばかり思ってたけど」


 ユウダイから突きつけられた事実に、アリサは二の句が継げなかった。けれども、自分にも能力があるのだと思うと、必死に呼び止めようとしてきたルイの言葉も理解できた。


「チカさんやホナミさんのような人はたくさんいる。そういう人たちを幸せにする力が自分にはあるんだと思ったら、誇らしくないか? 父さんは、誇らしいけどな。ボクの研究とアリサの力、それらが合わさって世界をよくしていくんだ!」


 ネコの姿のユウダイの声に力がこもり、その表情が熱っぽいものに変わったことにアリサは気がついた。この父は、いつもそうなのだ。自分の研究のことになると、途端に情熱的になる。

 そのことを思い出して、アリサの心はスッと冷めた。先ほどまで感じていた申し訳なさや胸の痛みも、そのせいで薄れてしまった。


「ママはあんなだけど、たぶん私が何をなしてもなさなくても、私のことを誇りに思ってくれてると思うよ。少女趣味が過ぎるし夢見がちだけど、その点においてはちゃんと私の母親なんだと思う」


 毎日せっせと会いに来てくれる母のことを思って、アリサは立ち上がった。彼女のためにも、眠ったままではいられないことを思い出した。

 少しでも快適に暮らせるようにと心を砕いてくれている人だ。アリサが目覚めず、夢の中で生きていくことを選べば、ショックを受けるだろう。最終的にはアリサのことを思って受け入れても、きっとひどく傷つくはずだ。


「それにね、シロウは私が元気に暮らしていくために、いろいろ頑張ってくれてるんだ。すごく無鉄砲だよ。全然後先なんて考えてない。そんなふうに頑張ってくれる人の手を振りほどいて、夢の世界で生きていきたいなんて言えないよ」


 座り込んだままのネコ父を見下ろして、アリサは言う。

 もともとあまり表情がない人だけれど、ネコになっているからより一層わかりにくい。こんなときなのに、それはあまりにも悲しい。


「お父さんがせめて、自分の研究の成就と世のため人のためってことを全面に押し出さずに、娘である私への愛情を示してくれたら、もうちょっと違ったのにな」


 責める気持ちはなかったけれど、寂しい気持ちをぶつけてみると、どうしても責める口調になってしまった。それでようやく、ユウダイの表情が動く。


「キミ、愛を盾にする気かい? ママのことを持ち出されるとさすがに弱るけど、シロウくんのようなぽっと出の小僧に負ける気はないよ」

「シロウはぽっと出じゃないよ」

「でも、まあ、これはこれでボクなりの愛なんだけどな」

「それでも、ここにはいられないや」

「……何だか嫌だなあ。ボクはフラれるのか。これが反抗期か」


 アリサに選ばれなかったことが堪えたらしく、ユウダイは肩を落とした。ネコのひげも眉毛も、しょんぼり下がっている。

 研究第一で変人で、あまり父らしいことをしてくれたそとはない人だ。今だって、アリサのためというより自分の知的好奇心優先で動いているけれど、嫌いにはなれない。だから、そうしょげられるのはやっぱり嫌だった。


「お父さん。今度はネコじゃない姿でお話しようね」

「それは、病室にお見舞いに来てほしいってこと? それとも、元気になったらどこかに行こうっていうお誘い?」

「家に帰ってきてよ。私も退院するから」

「なるほどね」


 アリサの意思が変わらないのがわかったからか、父を完全に拒絶したわけではないとわかったからか、ユウダイはニヤッと笑った。チェシャネコらしい笑みであり、いつものユウダイの笑みでもある。


「じゃあ、どうあっても旅立っていくというキミに、父から試練と贈り物を授けよう」


 そう言ってユウダイは、指をパチンと鳴らした。すると、アリサの目の前に半透明のパネルのようなものが現れる。


「これ、ゲームのランチャー画面?」

「そそ。キミがやってたオンラインゲームのに似せてるんだ。本当はアリサも夢の中で自在にいろいろできるからこんなのいらないはずなんだけど、慣れないうちはこういうもので補完しないとアイテムひとつも出し入れできないでしょ? でも、“ある・ない”を決めるのは結局アリサの想像力頼みになるんだけどさ」


 目の前のランチャー画面は、よく見慣れたものだった。ゲームの画面を模しているというだけあって、ステータスの確認や装備品の脱着、アイテムの出し入れや武器の管理までできるようだ。


「もしかして、学校に行ってる夢の世界で消しゴムとかお弁当とかお金に困らなかったのって、自分で出してたってこと?」

「そういうこと。――ついでに、シロウくんが夢の世界に存在できてるのも、ここがルイくんだけの夢でなく、アリサの夢でもあるからなんだ」

「え……!?」


 ユウダイが「ジャジャーン」などと言って虚空を手振りで示すと、そこに檻のようなものが現れた。その中には、シロウの姿がある。


「ひどい! お父さんが捕まえてたの? 何でこんなことするの?」

「何でって、アリサがここに残るのならシロウくんには帰ってもらおうと思ってたし、不法侵入者は捕まえるのが筋でしょうが」

「檻に入れなくたっていいじゃない!」

「不満があるなら自分で助けたら……って、わー! そんなものを父に向けるんじゃなーい!!」


 アリサの手に握られているのは、サンダー50BMG。軍用対物狙撃銃の弾を撃つことができるハンドガンだ。ユウダイから授けられたランチャー画面を操作して、さっそく武器を取り出したのだ。

 ずっしりと重量のあるサンダーを構えると、アリサの細腕はプルプル震えた。それでも、何とか引き金に指をかける。

 照準は慌てふためくユウダイからは外れ、シロウのいる檻へと向けられる。

 ズガーンッ。


「わっ!」


 撃った瞬間、反動で肘から先が跳ね上がり、そのままアリサは尻もちをついた。

 驚いたし、痛かった。けれど、狙い通りに弾は飛んでいき、見事に錠前を撃ち抜いた。

 意識がなかった様子のシロウも銃声で覚醒したのか、目を丸くしてアリサを見ている。


「……お前、なんつーもんを出してんだよ」

「そうだよ! 一瞬でもそんなものをお父さんに向けるもんじゃない!」


 助け出されたシロウとユウダイに揃って言われ、アリサは閉口した。


「だって、助けなきゃって思ったし、大きな武器ってかっこよくて好きなんだもん。……でも、確かに取り回しを考えたら、もう少し重量のないものにすればよかった」


 サンダーは憧れの武器だったけれど、撃ったときの衝撃が結構腕に来た。それならばと思ってランチャー画面を操作して、TP―82ピストルに持ち替える。

 けれども、二人が言いたかったのはそういうことではなかったらしく、困惑したように顔を見合わせた。


「シロウくん、アリサと一緒にやってるゲームは、てっきりほのぼのMMOだとばかり思ってたんだけど」

「いや、そういうのもやりますけど……狩りゲーとかFPSとかも、まあ、たしなむ程度には」

「たしなむ程度にって感じじゃないでしょうが。あれ、絶対ゲームで覚えたんじゃないな。あんな武器を撃てるFPSなんてないだろ」

「まあ……すっかり武器好きになっちゃって」


 憮然とするネコ父となぜだか嬉しそうなシロウを見比べて、アリサは何だかおかしな気分になる。どうやらユウダイは、シロウに危害を加える気はないらしい。


「あーあ。せっかくならドッカーンとやってワーキャー言うキミたちを見たかったんだがなあ。それでこそ物語の盛り上がりってもんだし、ふたりの絆を確かめるためのイベントってもんで。それなのにさー、ボクが仕掛ける前に終わらせちゃってさ。もういいや。勝手にどこへなりとも行ってしまえー」


 ユウダイは本当に面白くなさそうな顔をして、シッシッと虫でも追い払うみたいな仕草をした。


「じゃあ、お父さん、いってくるね」

「はいはい。これから先はキミの夢。ボクが関知することではないからね。シロウくん、無事に返してくれよ」

「必ず成し遂げて、帰ります」

「……何かむしゃくしゃするけど、データが取れるからなあ」


 ぶつくさ言うユウダイに手を振り、アリサとシロウは歩きだした。

 歩きながら、アリサはランチャー画面を操作する。


「何してんだ? てか、それいいな」

「着替えをしたほうがいいと思って。ゲームのランチャー画面、便利だよね」


 キャラクターの操作に関する項目からバディについての設定をいじり、シロウにTシャツ、アサルトパンツ、ショルダーホルスターを装備させる。全部黒色だ。引き締まったシロウの身体に、それらはよく似合う。


「……アリサ、俺にゾンビでも倒させる気?」

「いや、だって、それかっこいいから」

「うん、まあいいけど。って、銃はマテバか。世界観は揃えないのかよ」

「いいでしょ。マテバは良い銃だもん」


 自分の服装や装備品を確認しながらあれこれ言うシロウを適当にあしらいつつ、アリサは画面の操作を続ける。


「何やってんの?」

「私も着替えようと思って」

「そのままでも十分可愛いのに」

「……!」


 何のてらいもなく発せられたであろうシロウの言葉に、アリサは寸の間絶句する。嫌だったわけではない。でも、こうしてためらいなく「可愛い」などと言われると、どうしていいかわからなくなるのだ。


「……これも可愛いけど、ルイくんに着せられた服だから。最終決戦に臨むなら、ちゃんと自分で選んだ服を着てたいの」


 そう言って画面を操作すると、アリサの身体は一瞬光に包まれる。そして、光の中から現れたアリサは、黒いワンピースに身を包んでいた。


「こういうの、着てみたかったんだよね」

「いいと思う……!」


 アリサがその場でクルッとターンすると、シロウは感激したように手を叩いた。

 控えめな半袖のパフスリーブで、引き絞られたウエストラインから下はスカートは大きく広がっている。その下にはボリュームたっぷりのシフォン地のフリル。胸元にはショートタイ。肩や袖口には金釦があしらわれ、全体の印象を引き締めている。

 いわゆる軍服ワンピースに着替えたアリサは、得意げに銃を構え直した。


「同じフリフリでも、全然感じが違うな。……ルイは嫌いそうだ」

「ママもあんまり好きじゃなさそう。でも、これからはこうやって自分の好きなものを着るの」

「だな。俺も、好きなものを着てるアリサがいいと思う」

「あ……シロウは、それでよかった? 勝手に着せちゃったけど」

「学校の制服より、様になるだろ。それに、お前がいいっていうなら、俺もこれがいい」

「……よかった」


 自分の着たいものを着るというのは、決意の表れだ。

 決意を滲ませ、アリサとシロウは再び移動を始める。

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