第4話③
***
高架の上を走るモノレールの窓からの景色に、アリサの心はざわめいていた。
眼下に見える道路も、遠くの緑豊かな住宅地も、アリサには見慣れないものだ。「遊びに来るの、久々だね」とチカとホナミが言っていたから、おそらくこうして放課後に市街地に出かけるのは初めてではないのだろう。けれど、アリサには久しぶりとも馴染みがあるとも思えない景色だった。
(……何だろう、この感覚)
教室で目覚めたときから感じている違和感を、やはり拭うことができない。
チカとホナミは良い子だ。一緒にいて楽しいし、好かれているのもわかる。でも、やっぱり彼女たちとずっと長いこと仲良しなのだと言われると、ピンと来ないというより、しっくり来なかった。……親しげに笑いかけられると、そんなことを思うことすら申し訳ない気がしてくるけれど。
「どれにしようかなー。可愛いけど、可愛すぎないのがいいんだよね」
「私はちょっと大人っぽいのがいいな」
モノレールから市街地に降り立ち、ショッピングモールへとやって来た。二人が迷うことなく突き進んでいったのは、可愛らしい雑貨の並ぶファンシーショップ。
チカはカバンにつけるキーホルダーを、ホナミは新しいスマホのカバーを買うと言って吟味している。二人とも自分のほしいものに熱中していて放っておかれているけれど、アリサは退屈していなかった。
ぬいぐるみや文具、ちょっとした食器や衣料品まで置いてあって、見ているだけで楽しい気持ちになってくる。目に入るものすべてに心がときめくという体験は、うんと子供の頃にオモチャ屋さんに来たとき以来だ。
(こういうところ、来てみたかったんだよね。……誰とだっけ?)
ときめく心の隙間を縫うように、また違和感のシャボン玉がプカプカと浮かんでくる。何も覚えていない、というより知らないことだらけだけれど、こういった店に誰かと来たかったのだという強い思いが自分の中にあるのをアリサを感じていた。
「ねえ、これ、アリサが好きそうだね」
「あ、可愛い」
自分たちのもの選びが終わったのか、ホナミがふわふわのぬいぐるみを持ってそばまで来てきた。それは、ウサギのぬいぐるみ。
「あ、何かこのウサギ、アリサっぽい。ぽいって言うか、抱っこしてるの見たらめちゃくちゃ似合うっていうか」
「そ、そう?」
チカにも言われ、アリサはまじまじとぬいぐるみを見つめた。そうやって見つめると、ほしくなってくるのが不思議だ。特にウサギが好きというわけではないはずなのに、この少しツリ目の強気な表情のウサギは何だか無性に惹かれるものがあった。
「……買っちゃおうかな」
「お金足りる?」
「うん……たぶん大丈夫」
一緒に値札を覗き込んだホナミに心配されたけれど、何となく大丈夫だという確信がアリサにはあった。
美術の時間にふたつめの消しゴムが都合よく現れたように、昼休みには食べたいと思ったクラブハウスサンドがお弁当箱の中に入っていた。
望めばほしいものが目の前に現れるだろう――そういうアリサの予想通り、カバンから取り出した財布の中には、ぬいぐるみを買うのに十分なお金が入っていた。たぶん、十代ほ子のお小遣いにしてはかなり潤沢だ。
「ぬいぐるみ、買えてよかったね」
「うん。可愛い」
ファンシーショップを出て三人は、今度はクレープ屋に入っていた。
可愛いものを買って甘くて美味しいものを食べるという行動に、アリサの胸はときめいていた。こういう“高校生の放課後”というものに強烈に憧れを持っていたのだと、噛みしめるように思い出す。
でも、何かが足りないと、欠けていると、そんなふうにも感じていた。
「アリサはさ、将来のこととか考えてる?」
イチゴとホイップクリームたっぷりのクレープにかじりついていると、ホナミに尋ねられた。突然だなと思ったけれど、高校生の会話っぽいなとも思う。
でも、誰かとこんな話をするのは久々だという感覚があった。
「将来? 将来かあ……」
「あたしはね、体育の先生になりたいんだ。身体動かすの好きだし、体育が好きだし。それにさ、学校が好きだから、先生になったらずっと好きな場所にいられるなあって」
アリサが言い淀んでいると、チカが代わりに口を開いた。その目はキラキラしていて、本当に夢なのだということが伝わってくる。それに、体育の教師というのは活発な感じのチカにぴったりだと思う。
「私は、小説家になりたいんだ。それか、映画監督。何か作品を生み出したいって気持ちもあるんだけど、今まで自分を支えてくれた創作物の世界に恩返しできたらなあって……」
ホナミは頬を赤らめながら、恥ずかしそうに言う。きっと、今の自分には遠くて壮大な夢だと感じているのだろう。でも、恥じる必要はないとアリサは思った。
「いいは。チカの夢も、ホナミの夢も、すっごくいいね。……私の夢は、何だろう」
二人の言葉に触発されて、アリサは考え込んだ。
どうしてだかわからないけれど、頭に何も浮かばなかった。思い出せないというより、考えたこともない気がする。今何も夢がないにしても、小さな頃に持っていた夢すら思い出せないのは不自然だ。「中学の卒業文集に書いたのとかでもいいよ」と言われたものの、それすら思い出せなかった。
けれども、夢について考えているうちに、瞬くように沸き上がる思いがあった。
それは、足りない、欠けていると感じている部分にぴったりのハマる気がして、アリサは苦しくなる。違和感のシャボン玉がプカプカ浮かんで、掴もうとした端から弾けていってしまうようなもどかしさを感じた。
「私の夢は……私のしたいことは……」
焦がれるように、それを思い出そうとした。
どうしても思い出したい、思い出さなければならない――そんな思いに駆られて、必死に頭を回転させる。
そのときふと、ファンシーショップの袋に入ったウサギのぬいぐるみと目が合った。黒々とした、ちょっと強気なつり目。
その瞬間、カチリと何かがハマったかのように、強い思いが胸に去来した。
「私……私、遠くへ行きたかったんだ。うんと、うーんと遠くに」
口にして、すぐにアリサは思い出した。
今誰に、そばにいてほしかったのか。ずっと誰と、遠くへ行きたいと思っていたのか。
それは、子供の頃からの夢だった。夢というより、願い。口に出さなくなっても、むしろ口に出さなくなってからのほうが強く願っていたこと。
いつも手を引いて守ってくれる幼馴染と、どこまでも遠くへ行きたい。
「シロウ」
恋しくて、アリサはその名を呼んだ。
望めば何でも手に入る世界なら、呼べば彼が来てくれるような気がして。というよりも、来てほしくて。
ずっと、元気な身体でどこかへでかけることができるのなら、シロウとが一緒がいいと思っていた。
可愛いものがたくさん売られているお店に行くのも、クレープを食べに行くのも、彼が一緒がいいと思っていたのだ。
そのことを思い出して、アリサは呼んだ。
来て、今すぐ来て。今ここに足りないものは、彼の存在だ。
そう強く確信して、アリサは手を伸ばして叫んだ。
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