第二幕 司祭チェプストー 秘蜜の由来(4)

 チェプストーの元にコレッタという少女が遣わされたのは、着任してすぐのことだった。老いた修道女が故郷へと帰り、その代わりとして城付きの礼拝堂へとやってきたのは、いまだ修道院を出たての年若い娘であった。

 ――私、昔から城仕えに憧れていたんです。

 くりくりとした瞳を輝かせ、屈託のない笑み浮かべてそう自己紹介したコレッタは、全く無邪気な少女といった感じで、他の修道女とは最初から異なっていた。とにかく生気に溢れ、とたとたと快活に動き回り、城の住人たちとも瞬く間に仲良くなった。それを微笑ましく見ていたチェプストーだったが、その笑みはすぐに苦笑へと変わり、やがてあきれ果てた落胆の苦笑いへと変化していった。

 一人の娘としては、これほど愛嬌のある娘はそういるものではない。眺めていると何だか危なっかしいが、どこか温かな気持ちになるのである。周囲の人々をほっとさせる、そんな不思議な魅力がコレッタには生まれつき備わっていた。しかし、修道女としては、チェプストーは目を覆わずにはいられなかった。

 まず、彼女の趣味は、噂話を蒐集することであった。城のあちこち噂される醜聞や、外部から入ってくる王宮や領主達に関する痴話話、どこそこの伯爵夫人は愛人を何人持っているとか、詩人との浮名を流したとか、或いは貴族の隠し子が発見され、騎士の剣で夫が妻に刺されたとか、王の血を引くものが何処そこに隠されて秘密の教育を受けているとか、そういった話題を無数に蒐集して頭の中にピンで留めているのである。歩くゴシップといっていいほど、豊富なネタを持っていた。そしてその記憶力たるや只者ではない。他の者達が忘れてしまった噂でもディテールまでしっかりと覚えているのである。にも関わらず、修道女として神の教義や言葉などはうろ覚えであり、それどころか時に勝手な解釈と注釈をしてしまい、自分なりの言葉で言い換えてしまうのである。

 ――自分なりに噛み砕いて見たのですけど。

 そういって神の言葉を改ざんして得意げに信徒に話すのだから、手に負えなかった。

 コレッタが修道女になったのは、家が貧しかったからだという、ありふれた理由だ。コレッタが神に憧憬を抱いていた、というのも事実であった。しかし、よくよく聞けば多少事情が異なる。

 「どうして神に憧憬を抱いていたのだね、どのような秘蹟が貴女に起こったのかね」

その問いに、コレッタは照れくさそうにこう答えたのだ。

 「だって、教会に飾られていた使徒の聖像がみんなかっこよくて、私その中の一人に恋をしていたのです」

 チェプストーは絶句した。さらに話を続けるうちに、天を仰いでしまった。

 コレッタは一年の間に、何度も宗派を変えていた。そればかりではない、信仰する使徒さえも、ころころと変えているのだ。

 「最初は逞しくて精悍な聖騎士様を信仰していたのですけれど、そのうち細身の学士さまの聖像のほうがクールで知的な感じが素敵に思えてきたのです。そう考えると聖騎士さまは何だか汗臭そうだし、毛深そうだし、それで信仰する使徒を変えたんです。だけど、三ヵ月後には別の宗派の教会で五人の少年聖徒の像が純粋そうで、女の子よりもずっと綺麗なんですよ。聖衣の下の成長期に差し掛かった体に痺れちゃって、それで今度は宗派を変えたんです。中でもお気に入りは、聖アノア少年なんですよ。その身を海に捧げて嵐を治めたという伝説の少年使徒です。その眼差しが少年にしては大人びた憂いを備えていて、その目を見たとたんにめろめろになっちゃって。でもやっぱり本当の大人の魅力っていうのも捨てがたくて――」

 放っておくといつまでも彼女の話は続きそうだったので、チェプストーは手を振って話を止めさせた。頭痛のしてきた頭を抱え込むと、それを不思議そうな顔でコレッタは眺めているのだった。

 信仰する宗派や使徒はそうそう変えてはいけないのだよ。そういっても、コレッタは耳を貸そうとしない。そればかりか、聞き返すほどだ。

 「あら、どうしてなのですか。人間ですから心変わりもありますし、成長していけば考え方も変わっていくのではありませんか」

 「信仰とはそうそう揺らいだり、変わったりしてはいけないものなのだ」

 「でも、どの使徒様や教義が私にあうのかまだ分かりませんし、探していくうちに、運命の使徒に出会えるのではないかと……」

 チェプストーはあきれ果ててしまった。この娘は信仰と恋を取り違えてしまっている。

 「コレッタ、信仰と恋とは別のものなのだよ。恋に心変わりがあっても仕方がないが、信仰に心変わりがあってはいけないのだ」

 「そうなのですか。どう違うのです」

 「どう?」いまだかつてされたことのない質問にチェプストーは困惑した。

 「それは……神とは結婚などできはしない。恋がしたいのであれば、生身の男とすればいい。いやいや駄目だ、君は修道女じゃないか、修道女は神と添い遂げるもの、結婚が禁じられて……」言っていることが怪しくなってきて、言葉が尻すぼみに縮こまっていった。すかさずコレッタが切り返す。

 「でしょう、だから私は神に恋をしているのですよ」

 「しかしだね、コレッタ。もしも君が心変わりをして、生身の男に恋をしてしまったら、どうするつもりだね」

 「その恋が真実であり、運命のものであるならば、これほど嬉しいことはありません、彼と結婚します」

 「修道女の結婚は禁じられているのだ。さっきいったではないか」

 もう自分がいったい何の話をしているのか分からなくなってきた。そこにコレッタが止めを刺す。

 「そうなったら、私、破門してもらおうと思っているのですけど。運命の恋のために破門されるなんて、ロマンチックじゃないですか」

 てへっと舌を出して笑い、コレッタはそうはっきりと言い切った。何の迷いもなく、まるでちょっとした悪戯を謝るような軽さで。

 チェプストーはがっくりと肩を落とすと、

「コレッタ、少し一人にしてくれないか。考えを整理する時間が欲しいのでね。今は何といっていいものやら分からないのだ」

 そう十字を切って答えた。

 「あら、司祭様でもそんなことがおありなんですね。そんなときの私のお勧めは、聖牧者の使徒ミルカ様です。『あるがままを受け入れよ。そして大切なことだけを考えよ』きっと頭がすっきりして大切なものが見えてきますよ」

チェプストーは脱力すると、何かを言おうという気力を失った。そのまま手を振ってその場から引き下がらせたのだった。

 コレッタが伯爵の子息であるクリフに気に入られ、この城に召使として雇われる段取りをつけると、チェプストーは速やかにコレッタを修道女から還俗させた。破門ではなく還俗という手段をとったのは、彼の気遣いであった。破門は消えない罪として残るが、還俗は俗世への再帰と見なされるからである。

 チェプストーはなぜに無理やりコレッタを還俗させたのか、自分でも分りかねていた。ただ、次第にコレッタを自分から遠ざけ、言葉を交わすのを厭うようになった。ある日、彼は気付いた。自分がコレッタを遠ざけたいのは、その瞳に耐えられないからである、ということに。

 コレッタの司祭に向けられる瞳、それは神への眼差しに他ならなかった。他の信徒や修道士たちとは異なる、真摯なる眼差し。それは確かに神を求める瞳だった。

秘蜜を伯爵へと売り渡すようになったのはその頃からである。やがてチェプストーは、コレッタの眼差しに見つめられていることを思い出すたびに、得もいわれる快感を覚えるようになっていた。司祭を信じきった純朴で無邪気な瞳に、彼は心を焦がされていたのである。


 コレッタの罪の告白を聞いた司祭は、その告白を密告するという想像に身悶えした。三日後、伯爵に毒殺未遂の犯人をコレッタであると告げた。その瞬間、自分を見失ってしまうほどの快感が全身を駆け巡った。それが少女を罪人へと突き落としたという罪悪感が引き起こしたものであることに、彼は気付いていた。その余韻は目くるめく官能をいつまでももたらしたし、その場面を想像するだけで、チェプストーは至福の瞬間に浸ることが出来た。

 コレッタが牢に幽閉されたのは密告より一週間の後のことだった。チェプストーは、処刑の判決が下された翌日、告戒室の中で息絶えているのが発見された。聖女の像を抱いたまま椅子に腰掛けていた。医師によれば、死因は心臓発作、或いはショック死であるという。奇妙なのは、その顔に全面に溶けた蜜蝋がうっすらと張り付いていたこと、溶けた蝋燭が数本、狭い告戒室に置かれていたことである。何より、その死に顔の凄惨さは、言語での表現を拒絶するほどであった。喜怒哀楽のいかなる表情であるのか判別不可能であり、その遺体を最初に発見した修道女は、その死に顔を見て悲鳴を上げ、そのまま気を失ったほどであった。とても聖職者とは思えない死に顔に、教会から使わされたものたちは聖者の仮面を貼り付けて埋葬することとなった。


 その後の話であるが、最初に司祭の死に顔を見た修道女は、その後、そのデスマスクが記憶にこびり付いてしまい、その夜から毎晩悪夢にうなされるようになった。その城を離れて後も悪夢から逃れることができず、やがて発狂してしまった。彼女だけではない。その司祭の死に顔を見たものは、医師も含め、やがてその全員が同じような症状に陥り、終わることのない悪夢に苛まされることになったという。

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