第一幕 魔女マリィ 火の異端審問(2)

 ――マリィ、もう朝よ、呼び鈴が鳴り始めるわ。

 マリィはふっと目を覚ますと、二段ベッドから起き上がった。冷えた空気がシーツの中に入り込んでくる。その感触が、まだ眠気の残る意識を心地よく目覚めさせる。囁き声の方に顔を向けると、ベッドの下から頭だけを出して覗き込む、コレッタのふっくらとした丸顔が見えた。朝一の気持のいい笑顔に、ああ、今日も一日が始まるのだ、そう思った。

 マリィに用意されたのは、他の十五人の召し使いたちが寝起きする離れの宿舎、その一室だった。裏の仕事は隠されたまま、表向きには新しい召使いとして雇われていた。その方が城の住人達に自然に接することが出来るし、彼らの行動や心も探りやすい、そんな理由からだった。

 「ねえマリィ、昨日の晩はうるさくなかったかしら。よく眠れた」

 二人とも身支度を手早く済ませながら、コレッタがいつものように尋ねた。

 「ええ、昨日はそれほど寝言はしゃべっていなかったわ」

 ――これは嘘だ。

 「ほんと、でも、何だかおでこが痛いのだけれど、見て貰えないかしら」

 マリィが見ると、確かに広いおでこに赤い擦り傷が出来ている。

 「やっぱり。どうやら昨夜も一回、落っこっちゃったみたいね」

 「そうみたいね、でも、ぜんぜん気がつかなかったわよ」

 そう言いながら、実はコレッタが三回もベッドから転げ落ちたのをマリィは知っている。

 コレッタも住み込みの召使いで、マリィより少し若い十六歳の少女である。癖の強い金髪と、焼きたてのパンのような肌を持つ、とても健康的な娘だ。マリィと同じ部屋で二人だけで寝起きをしている。部屋は他の召使い達のベッドが並べられた大部屋ではなく、そこから少し離れている物置小屋として使われていた狭い小部屋である。マリィが伯爵からの指示でそこを宛がわれたのは、夜に部屋を抜け出しても人目に付きにくいからである。だが、元々そこを住みかとしてコレッタにはまた別の理由があった。他の召使い達から追いやられたのである。

 その原因は、コレッタの毎晩の寝言と寝相にあった。寝言は毎夜のことで、間をおいて何十分も話し続けているのである。はっきりとした発音で、誰かと夢の中で会話でもしているのだろう。意識をして聞いていればその会話の内容から、声なき相手が誰であるか、その発言内容まで推測できるほどで、それは寝言というより一人芝居のようなものである。さらに、その寝相の悪さ。どったんばったんと音を立てながら、ひっきりなしに寝返りを打ち、毎晩ベッドから転げ落ちる。そして眠りこけたままベッドに戻るのだ。彼女自身は落ちたことも、話したことも一切記憶にないのだから手に負えない。数年前、コレッタが城に雇われた最初の頃は、それを召使い達は面白がっていたものだが、わずか一週間後には、そろって睡眠不足に陥ってしまった。夜中にその寝言に耐えかねてたたき起こそうとしても、全く起きるそぶりは見せず、昏々と眠り続ける。同僚達が目に隈を付けて起き出す中、コレッタ一人が熟睡し、すっきり爽快の笑顔で挨拶をするのだ。その笑顔も同僚達にとって腹が立つのだった。そうしてコレッタは離れた物置小屋に押しやられることになったのである。ベッドの脇に落下用の藁を敷いて。

 「貴女が新入りの召し使いね、私はコレッタ。もう三年も城にお勤めしているの。貴女が同じ部屋に入ってくれて、本当に嬉しく思っているわ。わたし、全力で歓迎するから。なにしろ一人部屋は寂しくって、最近は嫌なことも多いし。召使長のフランフラン様から、私が仕事の説明とかするように頼まれたの。まあ教育係ってとこだけど、別に緊張とかする必要ないのよ。気の置けない友達としてやっていきましょう」

 そう一息にいって、コレッタは満面の笑みでマリィを抱きしめたのだった。

 同室に入ることになったマリィへの、コレッタの喜びは大きなものだった。彼女にとって離れた部屋で一人寝起きすることは、寂しくて仕方がなかったようなのだ。人懐っこくて寂しがり、そしてそれを隠そうとはしない。そんな彼女のあからさまな性格が、マリィにはとても心地良かった。

 マリィは最初にコレッタに城の住人達を紹介され、また自己紹介をしながら、複雑な城の中を駆け回った。次に城での日常的な仕事を覚えるために彼女の後をついて回った。コレッタは自分で、「緊張せずに友達として」といったにも関わらず、召使長に与えられた教育係という役目に使命感とプレッシャーを感じたのか、緊張しながらぎこちなく仕事を教えて回った。ところが、説明しながら考えをとめたり、マリィの質問に必要以上に考え込んだり、普段は気にも留めずにしている仕事を忘れて失敗したりする始末だった。マリィにも必死さが伝わってきてはらはらするほどで、思わず「緊張しないで、友達なんだから」と声を掛けそうになってしまった。仕事内容は結局、他の召使いたちの仕事ぶりを眺めているほうが、よほどはっきりと理解できた。彼女達の仕事振りは召使いとして洗練されていて、その立ち振る舞いは軽快で、優雅な趣さえあった。。召使長の優れた手腕によって、職務に対する教育がよく行き届いていることがすぐに分かった。ただ一人を除いてだが。

 コレッタは鼠のようにちょろちょろとあたりを駆け回っていた。たえず心の片隅で緊張し、外敵に怯えるような仕草で同じところをくるくると立ち回っているのだ。その一方でコレッタは噂話が大好きで、あちこちで真偽のわからない噂話を探し回り、仕入れてきてはマリィに楽しそうに話すのだった。その様は、鼠が鼻をひくひくさせながら、零れ落ちたチーズの欠片を探し回っているようだった。他の召使い達からコレッタがネズミちゃんというあだ名で呼ばれていることを知ったのは、マリィがそんな感想を抱いた後のことで、くすくすと笑いながら納得してしまった。

 というわけで、コレッタはマリィの愛すべき隣人となったのだった。寝不足には困らせられることにはなったが。

 昨晩のコレッタの寝言は、ヒロインである可憐な侍従と騎士との恋物語であり、しかも堂々たる二部構成、一時間半に渡る大舞台であった。コレッタはその寝言の中で、ヒロインを演じて喋っているのだが、その名前はもちろんコレッタであり、騎士の名前はというと、実際に城に使えている、彼女が恋をしている(ことを隠しているがばればれの)騎士の名なのである。マリィは連日の睡眠不足から眠ろうとしたが、続きが気になってきて眠れなくなってしまった。眠りについたのは、コレッタが語り終えた後、夜明けも程近い頃だった。彼女は騎士との逃避行のパートで三度もベッドから転げ落ちたが、結末は絵に描いたようなハッピーエンドであった。寝言で永遠の愛を誓い合いながら笑顔を弾けさせたコレッタは、そのまま静かになった。マリィはベッドの上から顔を出し、月明かりに照らされるコレッタの顔を眺めた。その幸せそうな寝顔に、マリィはほっとするのだった。

 コレッタに聞くと、寝言で話していることを、自身は一切記憶していないのだという。

 「夢を見ているのではないの? それが寝言になるんでしょう」

 「違うのよ。だって、私、何も覚えていないもの。夢も見ていないと思う。もしかすると、夢は見ていても、起きると同時に忘れてしまうのかもしれないけど。ただ、物語を味わった雰囲気だけは、目覚めたときに残っているのよ。例えば今朝なんか、とっても幸福な気持ちで目が覚めたの、これ以上ないってくらい。私、どんな物語を喋っていたのかしら。本当に知らない?」

 「ええ、何か喋っていたようだけど、私もぐっすり寝ていたし」

 「そう、まあいいわ。幸福な気分だってことは、きっと素敵なお話だったのよね。これが最悪な気分で目覚めることもあるのよ。起きたら枕が涙でぐっしょり濡れていたりね。そんなときは、辛くて朝から仕事なんてできないもの。しかも何で泣いたのか、何で辛いのかさえも分からないのだから、対処のしようがないのよね。あるのは、重くて悲しい気分の残り香だけ。そんなときはなかなか気分が晴れなくて大変なのよ」

 彼女が寝言を物語のようにして話し出したのは、十歳になる前のことだという。最初は他愛もない会話のやりとりや、拙い御伽噺であった。それが次第に長くなり、演劇風の一人芝居になるまでにはそう時間はかからなかったという。

 「おかげで家族からも総すかんよ。空想癖も大概にしろって怒られて」

 「私は聞いていて面白いけどね、物語もヴァリエーションがあるし」

 「本人としては結構恥ずかしいのよ。現実の人を嫌な役柄で登場させてしまうこともあるし、一度なんて、召使長のことを意地の悪いヒステリー女として登場させてしまって、えらい怒られたのよ。実際に思っていることがばれてしまうのは困りものよ」

 「でも、大部屋を追い出されてしまうなんてちょっと酷いわね、無理をすれば眠れないことはないでしょうに。それは、貴女の話が面白いからだわ」

 「そういってくれると嬉しいのだけど、仕方がないわよ。城でのお勤めを始めたばかりの頃、私の寝言は毎晩三部構成で、しかも全七章、七日間の続き物だったらしいの。祖父から孫の代に至るまで主人公は三人、登場人物は五十人にも及ぶ、壮大な宮廷歴史物語ってところね。私、昔から王宮とかお城に憧れていたから、念願の城勤めが嬉しくて長年の妄想が爆発したのかもしれない。宮廷やお城に関するゴシップを集めるのとか、村に来た吟遊詩人の話とか集めるのが大好きだったし。でもそのおかげで、みんな寝不足になっちゃったのよね」

 七日間、その言葉を聞いたとき、マリィの笑顔は引きつった。想像力豊かにしてもほどがある。空想癖を越えた一種の天才ではなかろうか。だが、そんなことが起こったら、マリィも寝不足で仕事どころではなくなってしまう。ましてや心を傷つけ、神経をすり減らす裏の仕事など無理だ。マリィは心を引き締め、あまりコレッタの物語に夢中にならないように決めたものだ。それにコレッタこそ、マリィがまず裏の仕事をしなければならない相手であったのだ。

 マリィはこの可愛らしい少女の寝顔を見ながら、伯爵との会話を思い出し、その話の内容が信じられなかった。伯爵は仕事の説明をするとき、マリィと同室にコレッタという召使いがいることを告げ、好都合だ、そう表現した。

 「彼女の噂話は話半分に聞くべきだし、少し頭の足りないところがあるようだ。だが城のゴシップで彼女が知らないことはない。口も軽いし、住人達の情報や、召使い達の噂など、彼女に聞けば教えてくれるだろう。

 なにより、まず君には彼女を『視て』欲しいのだ」

 「そのコレッタという娘をですか」

 訝しがるマリィに、伯爵はこういったのだ。

 ――そう、彼女は暗殺の第一容疑者だ。

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