第81話 帰路


 修学旅行は東京駅での現地解散となりました。

 私はリンカやカナデへの挨拶もそこそこに、最寄り駅までの道を急ぎました。


 理由はひとつだけ。

 はやく逢いたいから。浩一郎さんに。


 逢っていっぱい話したいことがあります。

 聞いて欲しいこと、見て欲しいもの、受け取って欲しいもの。


 そして感謝を。御礼を。お伝えしたいのです。


 すごくすごく楽しい時間を過ごせたのは、全て浩一郎さんのおかげだから。

 浩一郎さんは「気にしなくていい」と言うに決まっているけれど。


 それでもきちんと、感謝を言葉で直接伝えたいと思うのです。


 電車を待つ時間がもどかしく、走行中の車内でもそわそわと足踏み。

 時計を何度繰り返し見ても到着予定時間は変わりません。

 それでも見てしまいます。


 ついに最寄り駅に停車。

 開くドア。

 飛び降りるように下車。

 階段をはしたなくも二段飛ばし。スカートの裾は鞄で隠しましたのでセーフかと!

 改札。

 今も時々不安になるICカードタッチを歴代最高速突破。

 現在の時刻は17時過ぎ。

 夕暮れ時とはいえまだまだ明るい時間帯です。

 大きな、浩一郎さんが買ってくださった鞄を背負いなおし、走り出します。


 頭では、わかっているのです。


 どんなに急いで帰っても今日は平日で、浩一郎さんは今日はお仕事で、部屋帰ってもいるはずなんてないことは。


 駅からの僅かな下り坂で加速します。

 転ばないように細心の注意を払いつつ、更に加速しました。

 

 それでも、一分、一秒でも早く、あの場所に帰りたかったのです。

 浩一郎さんが居るあの場所に。

 浩一郎さんがいなくても浩一郎さんを感じられるあの場所に。


 交差点の信号に都度ひっかかるのがもどかしいです。

 いつもはフリーパスで全部抜けられる日もあるというのに今日に限って。

 信号が青に変わった瞬間、再度加速。疾走はしります。


 逢いたい気持ちもどんどん加速していきます。止まりません。止められません。


 流石に息が切れかけてきた頃。

 ようやく見慣れたアパートが近づいてきました。

 ほんの数日離れていただけなのに、強い郷愁を感じます。

 なんだかとても不思議な気分です。


 錆だらけの階段を駆け上がります。

 キーケースを取り出すのに焦って、手間取って、早く早く、と気ばかりが急いて。


 ドアを開けて。

 帰宅の挨拶が。

「ただいま帰りマシタ!」

 無人の部屋に響くだけのはずだったのです。


「え」

 それなのに。

 それなのに、部屋には、浩一郎さんが居らっしゃいました。


 ソファからすっかり見慣れた脚がはみ出していました。ゆっくり頭を上げて、玄関の方を見て、私と目を合わせ、細い眼を弓なりにして少し笑ってくださいました。


「お帰り、ルゥさん。修学旅行、楽しかったかい?」

 ソファから起き上がり、ゆっくりとこちらに歩いてこられます。僅かに足元が覚束ないご様子。

「ただいまデス、浩一郎さん。はい、いっぱい楽しかったデス。でも、あの、お仕事はどうされたのデスカ? 体調が悪いのデスカ?」

 私も靴を脱ぎ、部屋に上がり浩一郎さんに近づきました。

「いや、飲み過ぎで有給取っただけ」

 と、浩一郎さんはバツが悪そうに答えました。


 触れれば届く距離で向かい合う、浩一郎さんと私。


 確かにお酒臭いです。

「お酒の飲み過ぎは体に良くないデス」

「ごもっとも」

 叱られて素直に頷き反省の意を示す浩一郎さん。ちょっとかわいいです。

 帰ってくるなりこんなに幸せな気持ちになれるなんて思いませんでした。

 浩一郎さんが仕事から帰るのをじりじりと待ち続けるだろうと思っていましたから。

「でも、有給にしといてよかったよ」

「?」

「ルゥさんにちゃんとお帰りを言えたから」

 そう言うなり抱きしめられました。

 浩一郎さんに。

「お帰りルゥさん。逢いたかったよ」

 え。

 なんで。

 なにが。

 状況に頭がついていきません。

 浩一郎さんからこんな風にされることは今まで一度だってありませんでした。

 嬉しいです。

 抱きしめられる力が強くて。

 好きです。

 痛いです。

 好きです。

 ずっとこうしていただきたかったです。

 好きです。

 でも、どうして。急に。

「浩一郎さん、何があったんですか?」

 私は、半ば錯乱状態で訊きました。

「……ちょっと、今のルゥさんくらいの歳の頃のことを思い出してたんだ」

 その時、浩一郎さんが涙をこぼしているのがわかりました。

 熱いものが私の頬にこぼれ落ちてきたからです。

「もし良かったら伺いたいデス。でも、私の修学旅行のお話も聞いてくださいマスカ?」

 浩一郎さんの大きな、でも小さくなってしまっている背中を、私はなるべく優しく抱き返しました。

「俺も、そうしたい」

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