第74話 泥酔

 こんばんは、日下部椿です。

 

 突然ですが、水元くんから仕事終わりに「一杯どうすか?」と誘われた。

 以前までの私なら、「きゃー! 行く行くー!」となっていただろうけれど、もう騙されてやらないんだからね。


 水元くんの顔色は土気色。声は低い。目も虚ろ。覇気がまるで無い。

 どこをとっても酒を飲みに行こうというテンションじゃあない。

 ここから導き出される結論はひとつ。

 あの小娘がらみの愚痴だか相談だかを聞かされるのだ。ロクなもんじゃない。


 まだ週中シュウナカですよ? 

 今週締めのタスクありますよ水元くん。

 今日残業しなくてソレ間に合うの?


 というのを口にするのはやめておいた。

「だが断る」と言って誘いを断るのも簡単だ。

 けれど、仕事の相棒のコンディションを整えるのも、仕事の内だと私は思う。

 飲ミニケーションについて私は否定派だけれど、そういうのが必要な時もある。

 そのうえ相手は水元くんだしね。仕方ないね。


「いいよ。今やってる分急いで片付けるからあと五分待って」

「あざす。今日は俺が払いますから」

「はいはいありがとね」

 前回の立ち飲み屋じゃないことを祈ろう。



 で、水元くんがエスコートしてくれたのはちょっと落ち着いた雰囲気のバーだった。いいね。軽く飲んで話をするには悪くないんじゃないの。


 そう思っていた時期が私にもありました。


 会話楽しむでもなく、いきなり強い酒をガンガンに煽りまくった水元くんがカウンターの隅の席でくだを巻くという展開は、この私も予想だにしていなかったわ。

「ルゥさんがまだ帰ってこないんすよ」

「そりゃまあ二泊三日なわけだからね」

 今日が二泊目なんじゃないの?

 って、なんで私があの小娘のスケジュールにここまで詳しくなってるかというと、横で泥酔している男のせいだ。いちいち教えてくれるのだ。親バカか。孫びいきか。

「そうっす。見てくださいよこのRINEのアルバム。めっちゃ楽しそうでしょ?」

「よかったじゃない楽しそうで」

「それはそうなんですけどね。家にひとりで居るとなんか嫌なんすよ」

「ママが恋しい子供か! で、、ってワケ?」

「まさしくその通りっす」

 こいつ、肯定しおった。私じゃなかったらキレて帰ってるぞ。

「おーい、水元くんよー。正直なのが美徳なのは時と場合によるんだぞ。私だって傷つくことがあるんだからね!」

「サーセン……」

 だめだこいつ。はやくなんとかしないと。

 こんな風に人に無防備に弱みを晒すタイプじゃなかったと思うけど、そこまであの小娘に入れ込んでるの? 本当に? それだけ?

「すみませーん、お水もう一杯もらえます?」

 バーテンダーのお兄さんはそつない動きでお水を一杯。ついでにピッチャーもくれた。気の利く人だ。感心しつつ私は目線で御礼。

 ありがとう。今日水元くんのせいで出禁にならなければ、次回、女子を沢山連れてきます。ちゃんと、おとなしく、お酒を楽しめるメンバーを。


「ほら、水。飲める?」

「はい」

 こぼしてるこぼしてる。全然飲めてないじゃない。

 見かねたバーテンさんがストローを持ってきてくれた。気が利くイケメン。素敵。

 彼は控えめな苦笑混じりに、

「彼女さんも大変ですね」

「彼女だったらまだよかったんですけれどねー」

 うっかり正直にそう答えた時のバーテンさんの「えっマジで」という顔。すぐに仕事用のポーカーフェイスの笑顔に戻ったものの、滲み出る動揺は隠しきれない。今拭いてるグラス、さっき拭き終わってましたよ。


 まーねー、そーよねー。

 これで付き合ってないは嘘でしょ。


「ねえ、水元くん。ちょっと、聞こえてますかー?」


 くそ、聞こえてないどころか、寝入りかけてやがるぞこの男。

 バーテンさんに、閉店時間前にタクシーを呼んでくれるようにお願いして、私は先に帰ることにした。今日のところは寂しさも紛れたことでしょう。私自身は超絶寂しいけどね!


「水元くん!」

「はい?」

「もうこれ以上は水以外飲んだら駄目だからね。それと、明日は有給にしときなさい。私が代理申請しといてあげるわ」

「マジすか」

「課長には体調不良って言っとくから」

「さーせん」

「タクシー手配しといてあげたから、家までは自力で帰りなさいよね。私もそこまで面倒見る気はないわ。押し倒されるのも嫌だしね」

 ま、それならそれで、と思わなくもないけれど、あの小娘とは正々堂々ケリをつけなければならない。世間的に見れば有利、しかし実際的には不利。そんな勝負。セコい真似をして勝ちたくはない。こればかりは性分だ。

「辛辣っすね」

「私ほど優しいオンナはいないと自負してますが?」

「ごもっともです」

「じゃあね。お先に。おやすみなさい」

「お疲れっす」

 帰り際、イケメンのバーテンさんが会計の時に、個人的なケータイ番号をくれた。

 それが唯一の収穫といえば収穫、なのだろうか。

 そうなのよ! これが普通! 私みたいなイイ女そうそういないから!!



 あーくそ! 私も明日休みたい!!

 でも今週締めの仕事の資料作っといてやらないとあの馬鹿が明後日泣く羽目になっちゃうしなー。絶対に今度、高いメシ奢らせてやる。それもディナーだ。夜景の見えるレストランでフレンチだ。フルコースだ。そんでお泊り……は無理だよねえ。あーあ。


 彼氏欲しいだけならどうとでもできる自信はある。

 けれど、私が欲しいのは彼氏ではない。なのだ。

 やれやれ。困ったものよね。

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