chapter1 -きせきをもとめるひと-
私、カトリナ=シェーンシュテットは小さな村の孤児院に勤めています。身寄りの無い子どもたちを預かり、一人で生き伸びるための知識と技術を教えています。絶え間ない戦争によって、孤独になる子どもは増えるばかり……その孤独に手を差し伸べることが私の生きがいです。
また、シスター見習いとして教会の神事にも励んでいます。孤独で苛まれるのは子どもだけではありません。そんな人たちを一人でも多く助けたくて、私は毎日祈りを捧げています。
ある日のこと、私は村の北西にある大きな森に一人で入りました。村で伝染病が流行ってしまい、特に子どもたちに苦しい思いをさせています。いち早く治したい、一人でも多く救いたい……そう思い、私は特効薬の材料を探しに行ったのです。
祭司様から預かった聖剣を片手に茂みをかき分けます。この森には猛獣や、盗賊が潜むために護身用の武器は必須です。そして何より神の御加護が与えられたこの剣は、私に前へ進む勇気をくれます。
どれだけ進んでも同じ景色ですが、私は方位磁針の示す方向を頼りに進んでいきます。日が沈み、また昇り、そしてまた沈み……そうして私は三日間歩き続けました。
「やっと……ついた……」
木のカーテンをくぐり抜けた先に広がっていたのは、白い小石が敷かれた川辺。その先にはサファイヤに見間違うほど鮮やかな川が流れていました。
目的地までにある唯一の休憩地点。私の村では〝黄泉の川〟と呼んでいます。この先には地獄すら慄く恐ろしい存在がいるとされているからです。しかし私の求めている物もこの先にあります。
と、ふと誰かがいることに気が付きました。
「……うそ」
自分の目が信じられず、思わず驚きを口からこぼしてしまいました。
一人の少女が、川の中で水浴びをしていたのです。
真っ裸になって、くるりくるりと川の中で踊っています。恐ろしい森の傍なのに関わらず、近くに武器を置いてるわけでもなければ、魔獣避けの結界も張られていません。
心配のあまり、無意識のうちに彼女へと近付いてました。
背丈や女の子の特徴が少し出ている体つきから、十歳前後でしょうか。かなり痩せていて、体を動かすたびに骨の形が皮膚に浮かび上がります。
「こんにちは。私はカトリナと言います。あなたのお名前は?」
私の声に反応し、彼女は灰色の目をこちらに向けました。
同時に膝下まである黒髪が、水の重さを含みながら揺れました。あらゆる光を吸い込んでいるような漆黒の髪に、私は数秒ほどながら目を奪われていました。
「なま……え……?」
少女は首を傾げ聞き返しました。まるでその言葉を知らないと言いたげに。
「そう、なまえです」
「わたしに……なまえ、ない」
少女は首を横に振りながら答えました。少し驚いてしまいましたが、孤児の中では名前の無い子は珍しくありません。
他にも親の名前、出身地などを聞きましたが、首を横に振るばかり。孤児である可能性もありますが、こんなか弱い少女が森の中にで生きていけるとは思えません。
証拠に、彼女の肌には一切の傷がついていません。シミ一つ無い綺麗な肌は、育ちが良いことの証です。きっとどこかの貴族が、政治的都合で彼女を森に棄てたのでしょう。そして親たちは棄てたことを隠蔽するため、この子に記憶忘却の魔術をかけたのではと私は考えています。
あまりにも不合理で、あまりにも悲しい。しかしそれが罷り通ってしまうのがこの世界。
「今、何をしていたんですか?」
「みずあび、だよ」
本人の情報以外のことであれば、すんなりと答えてくれます。少し口調はたどたどしいですが、意思疎通は図れるようです。とはいえこのままでは、獣の餌になるか餓死する未来しかありません。
「おねえさんは、なにしてたの?」
少女は私に問いかけました。とりあえず今は、少女の信頼を得ることが一番です。
「お薬を探していたんです。そうだ、ご飯にしましょう?」
「ごはん!」
少女のまんまるな瞳に光がやどり、私へと飛び付いてきました。
濡れたままの体を抱きしめ、少女の頭を撫でました。つるつるでさらさらで、まっすぐきれいに伸びた髪……女性としては羨ましい限りです。
私は携えていた剣を地面に置き、かばんから大きめなマフラーを取り出しました。防寒用だけでなく、この手の布は使い道が多数あります。私はマフラーを断裁・縫合してポンチョを作りました。
「ふわふわー」
嬉しそうに目を細め、ポンチョに顔を埋めます。微笑ましく思いながら、私は鞄の中から携帯用の食料を取り出しました。甘いきのみが混ぜられたパンで、子供にはちょっと硬いかもしれません。
私は一口サイズにちぎり、少女に手渡しました。
「ごはん!」
手に取ると少女は口へと放り込みました。もぐもぐと咀嚼する少女は、次第に首を傾げました。
「美味しくなかった?」
「おいしい。あまい」
少女の言葉と表情が一致していません。我慢してるというよりは、何か腑に落ちてないと言いたげな顔です。私もちぎって一つ食べましたが、特に味に変化はありません。
「おかわり、ほしい」
「はい、どうぞ」
二口目、そして三口目……変わらず美味しいと言いながらも、釈然としない様子です。
「ねえ、それなに?」
四つパンを平らげた少女は、私の首に掛かってあるロザリオを指しました。私はネックレスを外し、少女の小さな手の上に置きました。聖なる刻印が施された純銀製で、教会では人のために命を賭けられる者に授けられます。
「これは、ロザリオって言うんですよ。私のお守りです」
「……これは、たいせつなもの?」
「ええ、そうです。困ったとき、悩んだとき、迷ったとき……ロザリオを手に祈ると、神様が道を示して頂けるのです」
少女は色んな方向からロザリオを見て、ニッコリと笑う。
「わたし、たいせつなもの、好き」
「ふふ、変なの」
まだ会って一時間も経っていませんが、少女が心を開いてくれている気がします。会話も増えましたし、何より表情が豊かになりました。だから私は、提案することにしました。
「ねえ、私の村に来ない? 暖かい布団も、美味しい食べ物もいっぱいありますよ」
彼女を救う方法は、これしかありません。私の村で、一人で生きることができるまで育てるのです。正しくは私の住む村の隣村、です。距離は離れていますが、感染症に誰一人としてかかっていない平和な村です。
しかし少女は首を横に振りました。
「どうして? ここに一人だと寂しいでしょ? お腹も減りますよ」
「でも、おうちがあるから」
「こんな森の奥に?」
少女はこくりと頷きます。まさかこの森で一人で住んでいるというのでしょうか。
すべての辻褄が合いません。子どもの言っていることだからと、深く考える必要は無いのかもしれませんが。
「ん」
少女はロザリオを手に乗せ、私の眼の前に差し出しました。私は深呼吸して、頭の動きを止めました。彼女が何であれ、孤独な子どもであることには変わりません。
「ありがとう……あっ」
ロザリオを手に取ろうとしたら、少女の手に触れてロザリオが手からこぼれてしまいました。とはいえ、あれは昔から使われているもので、今更傷の一つや二つ増えても怒られません。
けれど、
「あぶない」
ロザリオは地面に落ちませんでした。
「えっ……?」
私は目を疑いました。
ロザリオを受け止めたのは、黒い翼です。禍々しい形をした翼角に、コウモリのように平べったい膜が広がっています。大きさは二メートル、少女の背丈を遥かに越えています。
「はい、どうぞ」
少女はロザリオが乗った翼を、私の前へと運びます。少女の髪と同じく、全てを吸い込むような漆黒をしています。
私はしばらくロザリオを見つめ、ぽつりと呟きました。
「……見つけた」
それは、百年以上の時を生きる悠久の存在〝冥府の王〟。
それは、万を越える人の命を葬った最凶の存在〝魂喰龍〟。
そしてそれは、生命の治癒と延命を導く〝霊長の万薬〟。
「君が……まさか……」
人に化ける事があるとは聞いてました。けれどもまさか、こんな幼い女の子になっているなんて思いませんでした。こんな子が、人を喰い生き永らえる化け物だと、どうして想像つきましょうか?
ええ、でも、けれど。
「……なんて、僥倖なのでしょう!」
だからこそ、私は運が良かった!
日頃から神に祈りを捧げていた結果でしょうか。
薬の材料であるこの少女に出会うことが出来たのだから!
心が傷まない、といえば嘘になります。しかし多数の子供の命と、一人の子供の命……どちらを優先すべきかは明白です。
「おねえさん?」
ぼとりと、黒い塊が地面に落ちました。地に置かれたまま鞘から引き抜いた聖剣が、瞬きする間も許さない速さで翼を切り抜きました。
彼女が手にしたロザリオは、人外生物の行動を麻痺させます。そして私が手にしている聖剣は、古今東西における竜殺しの術式が組み込まれています。鱗を構成する組織を分解し、切断面の細胞を壊死させ、魔力回路を融解させます。
「ごめんね」
続けて私は喉を深く斬りつけ、脳天へと突き刺します。とにかく脳の機能を潰すこと。それが化け物を倒す近道です。
私は子どもたちを守るため、あらゆる苦行に耐えてきました。女性の誇り、個人の尊厳なんてとうの昔に失っています。その末に手に入れた力は、化け物を倒すほどになっていました。
「これで私の子どもたちが……救われます」
少女は口をぱくぱくさせながら、涙を流しています。優しいベージュ色から紅色へ変色するポンチョを、私はじっと見ました。
「あとは〝心臓〟を取れば良いだけですね」
万能薬になるのは、龍の心臓部分と言われています。手で抜き取り専用の箱に入れれば、機能を封じたまま運べるはずです。化け物の中には、心臓一つで生き延びるのもいますからね。
少女が動かなくなったことを確認してから、少女だった体に手を伸ばしました。
「……あれ?」
どれだけ先に手を伸ばしても、私の手は少女の体に届きません。
ああ……そういうことですか。
私の手首から先が、斬られちゃったんですね。
「……ごめんなさい……ごめんなさい」
横たわる少女の奥に、もう一人少女の姿がありました。付けた筈の傷はどこにもなく、ポンチョも来ていない……私と出会ったときの状態の少女が川の中で立っていました。
ただ一つ違うのは、
少女の背後に大きな龍の影が立ち込めていること。
「それでも、私は――っ!」
走り出そうとした瞬間、私の眼の前が白くなりました。これは……河原の白い小石です。目にも留まらぬ速さの攻撃によって、倒されていました。
いえ、倒されたのではありません。
ただ、脚を喰われたようです。
神の加護により痛みを感じないとはいえ、左手しか残ってない状況で抗うことはできません。魔術を発動しようものなら、口を開いた瞬間に頭蓋ごと舌を斬り飛ばされるでしょう。
「ごめんなさい」
少女は謝ります。それは私に対してなのか分かりませんが、悲しそうで辛そうで、見るだけで心の痛む顔をしていました。
私は左手だけで合掌し、最後の祈りを捧げました。
「貧しい子供に幸あれ――」
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