chapter2 -あいをもとめるひと-
地面に死体が敷き詰められた世界に立つ、黒き髪の少女。
それが彼女と初めての出合いだった。
一糸まとわぬまま、その白い肌に僅かな汚れも無く、百戦錬磨の騎士達を鏖殺した。いや、完食した。傍から見れば、外傷のない人が倒れているにすぎない。彼女が食うのは肉ではなく〝魂〟なのだ。
とはいえ、魂を一部喰われた人間からすれば、実際に肉片が無くなっているような錯覚に陥るらしい。
「あぁ、美味しかった。あなたもすっごく美味しそう」
灰色の瞳を細ませながら、こちらへと向けてくる。極上の肉を眼の前にしていると言わんばかりに、口の端からよだれが垂れている。
しかし俺は、剣を手放した。身に付けていた武器や道具を全て放り投げた。
「……何のつもり?」
「俺はお前と闘いに来た訳でも、喰われに来た訳でもない。友達になりにきたんだ」
「とも……だち……?」
「そう、友達だ」
一歩足を前に出すと、びくりと体を震わせる。俺は右手を上げ、首を取りにきた翼を掴んだ。彼女の技は強力ではあるが、〝トリック〟さえ分かれば防ぐ事ができる。
「うそ……」
「嘘じゃない。俺は仲良くなりたいんだ」
彼女は孤独なのだ。彼女の前に立つ人間は常に、何らかの利益を狙っていた。
万能薬になるからと、心臓を。
不死になるからと、肉体を。
高度な知能を得るからと、脳を。
そして兵器になるからと、存在そのものを。
彼女は人の悪意に晒され続けた結果、心が歪みきってしまった。見境なく、近づく者を殺す殺人鬼へと。
「俺の名前は、リーヌス=ウンフェアツァークト。親しい者はリーヌと呼んでいる」
「りーぬ……?」
「そういえば、君は名前が無いんだったな」
〝名前〟という単語を聞いて、少女の羽が消える。どうやら〝龍人格〟よりも、〝擬態人格〟の方が表に出てきたらしい。
「オルクス(冥王)……オル、でどうだ?」
「オル……なまえ! 初めての名前!」
彼女の羽がふっと消えて無くなった。
オルクスとは、俺の国での通称であった。どの生命にも該当しない唯一の個体であり、研究をすることが敵わないため生物学的な名前は付けられていない。
少女はぱっと顔を輝かせた。がすくに顔をそっぽ向ける。
「……でも、あなたは人間。きっと私を殺そうとする」
「警戒されて当然だな」
思わず肩を竦めてしまうが、無理もない。オルに近付こうとした人間の中には、一年以上共に生きた後に殺そうとした者もいたそうだ。
「少しずつでいい。俺は〝オル〟と仲良くなりたい」
「……あなたは、何が欲しいの?」
「俺は〝リーヌ〟って名前があるんだけどな。それに、別に何かを求めて仲良くなるわけじゃない」
俺は少女の目の前で足を止める。まだ怯えた目をしているが、攻撃して来ないところをみると興味は示してくれているようだ。
「オルは友達が欲しくないかい?」
「……欲しい。けど、私は……勝手に壊しちゃうから……」
「でも、俺はこの通り壊れない」
俺は両腕を広げ、微笑みかける。
「今すぐ友達になれとは言わない。少し離れた場所でもいいから、何日か過ごさせてくれないか?」
「……分かった」
オルは渋々と頷いた。今までにない展開に困惑しているのだろう。けれども、それでいい。擬態人格を常に表に出し続けるためには、強く興味を引く何かを常に提示しなければならない。
「……リーヌ」
「どうした、オル?」
「っ! ……んーん、何でもない」
とはいえ、名前を呼ばれるだけで嬉しそうに身をよじるオルを見ていると、あまりの可愛さに緊張を解きそうになる。しかし、彼女は幾万人の人間を殺している危険な存在であることには変わりない。
顔は笑顔のまま気を引き締め、俺は〝友達〟になるための会話を続けた。
オルクスと親しくなりたいと思った理由は二つある。
国のため、そして、対等に接する事ができる存在だと思ったからだ。
かつて俺は国のために自らを鍛え上げ、勇者と呼ばれるほどのあらゆる〝敵〟を倒し続けた。人であろうが、化け物であろうが、それが国に仇なすと分かれば叩きのめした。しかし世が平和になる連れ、人の目が変わっていく。
尊敬から畏怖へ。
信頼から警戒へ。
平和な世の中になってしまえば、俺は歩く殺人者と変わりないのだろう。国から用意された家は、実質監視付きの監獄だった。どこに行こうにも、数人の兵士が後ろにつく。
そんなとき俺はオルクスの存在を知った。危険な存在として森の奥深くにある岩に魂を固定させられ、数百年の間隔離されていた少女。本質は龍だとしても、疑似的な人格だとしても、そこで孤独を強いられたのは一人の少女だ。
俺はオルクスの討伐に出たいと言うと、国は快く了承した。オルクスを倒したとしても、逆に俺が殺されたとしても国にとって利益だからだ。だから俺も国を利用して、オルクスの住処へと向かった。
「ねぇ、リーヌ! また新しいこと教えて!」
「新しいことってな……。簡単な遊具は一通り遊び尽くしたし、料理も全て振る舞った。魔術も見せたからどうしようも……」
オルと過ごして一ヶ月経った。好奇心溢れる彼女は、俺が見せる新しいもの全てに喜んだ。そのおかげか龍人格の方が表に出ることなく、黒い翼が顕現することも無い。
とはいえ、彼女の興味を引き続けるにも限界はある。
俺は岩山の横穴に腰を下ろして、落ちていたロザリオを弄りながら必死に考える。
「……そういえば、オルはここから外に出た事が無かったんだっか」
「? そうだよ?」
「なら……こんなのはどうだ?」
巨大な魔術式を組み上げ、起動させる。
薄暗い洞窟の中を、青白い光が照らしあげる。
「なになに? なにするの?」
「まあ見てろって」
周囲の風景が切り替わっていく。
殺風景な岩山から、広大な海岸へと切り替わる。
「みず……いっぱい……!」
「〝海〟だ。来たことないか?」
「砂がさらさら! ひゃっ! 水がこっちまで来た!」
俺の話が耳に入ってこないほど喜んでくれたようだ。
俺がやろうと思ったのは、過去に行ったことのある場所の再現。
海だけでなく、火山や砂漠、大瀑布に海底神殿……俺が言ったことあるすべての場所。
「これって、リーヌの記憶?」
「ああ、そうだ。俺がいったことある場所だ。とてもきれいな浜辺でな……といっても、このあと戦争で汚れてしまったんだがな」
「そうなんだ……残念。行きたかったなあ」
「ここ以外にも、きれいな浜辺はいっぱいある」
「ほんとに? ……へへ、行ってみたいなあ」
当然といえば当然だが、外の世界への興味が強いようだ。
この岩山に施された封印術は複雑難解で、解除しようとしても最低五年はかかる。
いや、でも五年で外に出られると思えば安いものか。
「オル。俺が、外に連れて行ってやる。少し時間はかかるかもしれないが……この岩山を壊し、もっと綺麗な場所へと連れて行ってやる」
「本当に? 楽しみだなあ」
ここにいては彼女はいつでも囚われの身で、いつでも命を狙われ、平安とは程遠い人生を送ることとなる。
とはいえ、決して他人事ではない。俺は国の命令に背き、倒すべきはずの標的と一緒にいる。ただ死刑になるだけでは軽いほどの罪をかけられるだろう。
「あ、そうだ」
オルは俺の前へ立ち、指差した。
「この浜辺も綺麗で好きだけど……私、リーヌの目が一番好き。ルビーみたいに、綺麗な赤色の瞳が」
「そ、そうか?」
「うん。今まで見たどの人間の目より綺麗だよ」
目の綺麗さを褒められることなんかなかったから、俺はただ困惑してしまった。
〝鮮血のように不気味な目〟なんて言われることが多かった。
「ありがとう。そうだ、お礼にこれをあげよう」
俺はポケットに入っていた小さな金のカチューシャを取り出し、オルの頭に乗せる。
「ありがとう! もしかして、リーヌの首飾りとおそろい?」
「よく気付いたな。とある貴族からセットで貰ったものだが――」
「ふふーん、おそろいおそろい」
オルは上機嫌になり、くるくると回りながらカチューシャとダンスを踊り始めた。
その光景を見て、俺はいつまでもこの幸せな時間が続けばいいのにと思っていた。
それから更に半年ほど経った。
ここで一つ予想外のことが起きた。今まで十代になる前の子供の体をしていたオルが、急に成長したのだ。身長が二十センチほど伸び、丸みを帯びた顔つきから大人びた細い顔になり、女性らしいまるみを帯びてきた。
これも何かしらの意図がある擬態なのだろうか。しかし龍人格自体は最近表に出てこないため、推測する余地すらない。
「オル? なんで私から目を反らすの?」
「だから言ってるだろ? 服はこうやって、ちゃんと着なさい」
そして服をまともに着ることがなかったオルはすぐに着崩れしてしまうため、目のやり場に困ったことになってしまう。
「むぅ……動きにくい」
「人間の世界はルールが多いんだ。いつか外に出るためには慣れておかないとな」
「それなら……我慢する」
外の世界への憧れは依然変わりない。
そのことを持ち出せば、オルは素直に言うことを聞く。
「でも、我慢ばっかで面白くない。それに……なんだかもやもやする」
「社会に出れば我慢ばかりだ。だから俺は自由になりたくてここに来たんだ」
「ふふ……えいっ」
オルはその言葉で頬を緩ませ、俺を押し倒した。
ぐるんと景色が周り、横穴の天井が目に入る。
「ちょ、何を……」
馬乗りになってきたオルに、思わず慌ててしまう。そして体を前に倒し、上半身を密着させる。女の子らしくと勧めた甘い花の香りが鼻腔を埋め尽くし、柔らかい体の感触が脳を麻痺させる。
「リーヌ。私、ずっと〝王子様〟を待っていたんだよ。何十年も、ううん、何百年もの間……王子様になる人をずっと待ってたの」
「おうじさま? そういえばそんな本があったな」
横穴にある本棚には、子供向けの本が多数収納されていた。
その中の一つに、王子様と姫様の恋物語が描かれた本があった。
「わたしの王子様は、あなたしかいない。私を殺そうとしない、私を人間として見てくれるたった一人の人間だから」
「それは大袈裟じゃ……」
「大袈裟じゃないよ。だって……私は人殺しの化け物だもの」
オルは無邪気に皮肉るが、その言葉がとても重く聞こえた。
人を殺していたのは、決してオルの意思ではない。龍人格が体を支配し、行っていたことである。
「わたし、もうひとりの私が出ないように完全にコントロールできるようになったんだよ。お腹が減っても、怪我しても、気分が落ち込んでも……我慢できるようになったんだよ。でもその分、私も弱くなっちゃんたんだ」
「まさか……いや、そうか。あの龍の力が使えないのか」
あくまでオルが出来たのは、龍人格を意図的に封じ込めること。つまりそれは、龍人格の力も封印することに他ならない。
今の彼女は何の力も持たない、非力な人間と相違ない。
「って、何でそれを言うんだ! もし俺が君を狙う人だったら……」
「王子様だから。王子様は優しいから、そんなことをしないもんね。一生懸命守ってくれる筈だから」
そして、有無を言わさない反則級の笑みを浮かべた。
しばらく彼女の顔に見惚れ、俺は大きくため息を付いた。
「それを言われたら、断れないだろ」
「やっぱり優しいね、リーヌは。この世界にいる誰よりも」
オルは体重を俺に預け、抱きしめてくる。気恥ずかしながらも心地良い。
やはり、俺が欲しかった孤独からの解放はここにあった。
「分かったよ、お姫様。ずっと一緒に共に生きよう」
「はい、王子様!」
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