4 申請許可
シュンのまっすぐな視線にスワは、見開いた目をまぶしそうに細めた。
「そうか……そうだな」
「居た! おい、スワン、呼ばれてるぞ!」
頭上からクシロの声がして、スワは天を仰ぐ。古い集合住宅の屋上から見慣れた顔が、こちらを見下ろしていた。
のぞき込んでくるクシロは、スワのとなりへ尋ねた。
「シュンって子は、君? スワに君を探してくれって、笹飾りの折り紙の星に向かってわめいてる、なかなかの美人さんがいるんだけど」
リコ姉だ!
仕事でどんなに忙しくてもいつも落ち着いているリコ姉が、迷惑になるような場所でわめいているなんて、シュンは見たことがないという。
ひどく困った顔をしたシュンの様子に、スワも慌てた声で応えた。
「何かあったんじゃないか? つかまれ、シュン!」
「……おいおい、ダメだろ、部外者と跳んじゃ。まあ、願いを届けてるには違いないし。大丈夫、かな?」
屋上のクシロはひとりごとと笑顔を空に向け、二人を見送った。
屋根から屋根へと、景色が流れる。
風にまばたきをし、シュンはスワの上着をぎゅっとつかむ。荷物を気遣い低く跳ぶ星の使いの背で、シュンはふたつの肩掛け鞄をしっかと抱えていた。
広場を囲む建物の屋根を跳び渡り、そこからアーケードの屋根へ。曲線が連なるその上を、スワは三歩で駆け抜ける。商店街の出口で空を見上げていたリコ姉を、シュンが見つけた。
リコ姉もスワとシュンを見つけ、背伸びするようにして大きく手を振る。リコ姉は自分に寄りかからせた自転車から離した両手で、側に降り立ったスワの腕をつかんだ。
引っ張った腕につられて前へと来たスワの顔を通り越し、その背のシュンへ、リコ姉が叫ぶように告げる。
「シュン! マツばあから電話があって、ルイが! 先に病院行きな。スワ、頼むよ!」
ひどく慌てた声の調子と、荷物を渡す際に肩を叩かれた勢いで、スワは跳び上がった。
「シュンちゃん、お仕事は終わったのかい?」
スワのひとっ跳びで病院に着いたシュンを、おとなりのマツばあの、のんきな声が出迎えた。
「リコちゃんたら、また早合点してえ。注射打ってもらったからね。すぐに下がるよ、熱なんてねえ」
ぽかんとしたままの二人を、マツばあが案内する。猛スピードで自転車をこぎ、仕事を中断して駆け付けたリコ姉が病院に着いたのは、その後すぐのことだった。
診察室のカーテンで区切られたベッドを皆が囲む。眠っていたルイが目を覚まし、シュンが弟の、まだ少し赤い顔をのぞき込んだ。
「何か欲しいものある? アイスは?」
ルイは、ぱちぱちとまばたきをして、急に顔をしかめた。
「シュンにい。もうなおるでしょ、ぼく。はなび見れるよね?」
「……うん、すぐ治るよ。風邪薬飲めるよね? ルイ?」
「うん!」
代わりに困り顔になった兄へと、ルイは喜んで約束した。その笑顔は、兄妹が姉と呼んでいる人へと向けられる。
「はなび楽しみだね! リコねえ、はなび好きだもんねぇ」
リコ姉は、ベッドの向かいのシュンへと身を乗り出した。
「あの短冊、花火大会のことだったんだね。なんで、あたしに言わないのさ?」
「短冊って……あ! スワンさんが? えっと、だって……」
シュンから困り顔がうつったリコ姉は、ため息ひとつ、きっぱり言った。
「シュン、ルイ。あたしは、あんたたちと暮らすって決めたんだよ。だから任せときな。花火大会の二時間分の稼ぎくらい、さくっと取り戻せなくて、こうのとり便二代目社長が務まるか! ってね」
八月七日の花火大会。
完全な休日とはいかないようだが、シュンの願いは届き、久々に家族そろった時間を過ごせる。
「スワンさんも一緒にって、誘えば良かったね」
シュンが、日がだいぶ傾いた、窓の外の空を見た。
病院を後にしていたスワは、仕方がないので、社に戻ることにした。仕方なしに白鳥社の扉を潜り、呼ばれて仕方なしに課長の前に立つ。
「休暇……って、一日だけですか?」
不満げなスワの様子に、課長以下、白鳥社の面々は眉をつり上げた。
「じゃ、やめるか? 今日の分、しっかりと働いてもらった方が良いんだが?」
「いやいやいや! ありがとうございますっ。で、いつですか? 俺のすてきな夏休みは?」
「八月七日だ」
口を引き結んだスワは、そのままなにも反論しなかった。お辞儀をひとつ、きびすを返すと大人しく引き下がる。一日だけとかケチだ、ひどくないかと訴えることもしなかった。
椅子に乗っかって出番を待っていた短冊をつまむと、スワは半日ぶりに自分のデスクに戻る。なにも書かれていない短冊をひらひらとさせながら、口元に笑みを浮かべた。
書いてみるもんだな……願いごとってのも。
商店街のアーケード。広場からの風に、さらさらと葉と飾りを揺らす大きな笹。笹を立てる前に集められて上の方に付けられていた、日に焼けて色が変わった短冊の中に、真新しい一枚が揺れていた。
『切実に。私に休日を下さい』
スワらしくない丁寧な書き方をしたのは、真剣さの現われか。
らしくないことは続く。いつもならそのままだらだらと席に居続けようとするスワが、デスクに散らばった短冊をきれいに束に整え、バイト代の肩掛け鞄に突っ込んだ。
「外回り行って来まーす」
すでに廊下に出ているスワには、課長の返事を聞く気はないらしい。白鳥社と白文字で書かれたドアが、軽快に閉まった。
書類から顔を上げた課長は、少しは星の使いらしくなった甥っ子に頬を緩める。クシロが運んできた冷茶をひとくち飲むと満足気にうなずいて、また書類に目をやった。
広場には、花火大会を告げる派手なのぼりが、にぎわいをそえている。そろそろ夕方の買い物に人通りが多くなる頃だ。建物の陰はどれも長くなり、広場を覆う。
暗くなると願いごとは、ずっと見付けやすくなる。星の目には祈りがきらきらと、地上に金銀の粉を散らしたように映るからだ。
時に強い願いが、線香花火の火花のように、地上で輝くこともある。その輝きは近付けば、星の使いの顔を照らすほどだ。
散って行く打ち上げ花火が、夜空の下に並んで腰掛けた二人を照らした。
『内緒にしてくれよ。父さん、仕事クビにされるかもしれないからさ』
『……わかってるよ』
『いま、ちょっと、何か考えただろ?』
『わあっ! すげぇーー! 見た? いまの、でっかい花火! 真正面に上がった!』
『特等席だろ、この橋のてっぺんは。海風も気持ち良いし、とっておきの場所だぞ……父さんが星の使いで、良かっただろ?』
アイツらを連れてってやるか。この街の、とっておきの場所へ。
スワは沈んで行く太陽に照らされた時計塔を見上げると、市庁舎の屋根を蹴って、うんと高く跳んだ。
『切実に』 おしまい
切実に、クリスマスへと続きます。
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