3 無給業務
夏休みの親子連れが買い物や遊びへと、広場から延びるアーケードの下を行き来する中。スワはシュンの後を付け、人ごみにまぎれていた。
先ほどの兄弟の光景を、思い返しながら。
窓から身を乗り出すようにして、顔を真っ赤にしたルイが嫌々と頭を振りながら、兄に抗議した。
「やだーー! シュンにい、いっしょに行かないの?」
「ごめん。今、休めないんだ。マツばあに頼んでみるから、ね?」
『いやだーー! ゆうえんち、いっしょに行こうよお』
『ごめんなぁ。父さん、夏休みないんだよ。他の時じゃダメか?』
『……ほかもダメって、言ったもん』
雑踏の中でも、いつかの会話が耳によみがえる。ぐっと自分の服のすそを握りしめた感覚までもが、腕組みしたスワの手に残っているかのようだった。
ベンチに空きがなくアーケードの柱にもたれていたスワの前を、膨らんだ鞄を肩に掛け、シュンが通り過ぎた。
スワは、その後ろ姿が見えなくなるまで待ってから『こうのとり便』と書かれた店のドアへと歩いて行った。
「シュンに休み? いきなり言われてもね」
ポニーテール、というより、ホーステールの長い髪が目立つ店主は、愛用の肩掛け鞄をカウンターに置くと言った。
「あの子が休み返上で働いてくれるのは、ウチみたいな小さいところじゃ、正直助かってる。でもね、あたしが世話してるからって手伝うって言い出したり、死んだ兄さん顔負けで休みを取りたがらないのは、シュンの方なんだ」
「じゃあ、コレは?」
短冊がカウンターに差し出される。一緒に文面をのぞき込んだスワへと、シュンの叔母は驚いた顔を上げた。
「え! お休みですか! いまから?」
こうのとり便店主からの言付けを知ったシュンは、スワの顔と走り書きのメモを何度も見比べた。
「どうしたんだろ? リコ姉……」
オバさんにしちゃ、確かに若いわな。
思わず出かかった言葉を飲み込み、スワはシュンに手を差し出した。
「ほら、鞄貸しな。少年は映画でも観て来いよ」
「でも……」
「給料の件か? 心配するな。俺のは違うとこから出る、はずだ」
次もらうのは、退職金かもな。
自分で自分にあきれているスワに、シュンがきっぱりと言った。
「いえ! 僕も配達つづけます。だからスワさん! あの、すみませんが、他の配達をしてもらえませんか?」
シュンの真剣な表情に押し切られ、こうのとり便のカウンターへと引き返すしかなかったスワは、店番のおばさんから荷物を受け取っていた。
ずしりと重い配達物を台車に載せていく。三十キロの米袋ひとつ。ミネラルウォーターのボトル十本入りの段ボール箱ふたつ。スワの登場を待っていたかのような重量だ。
「歩くか」
高く自在に跳ぶ、星の使いの能力『天の川渡り』を使うことを潔くあきらめて、人や派手なのぼりを縫うようにスワは台車を押す。
台車ががたつく石畳の広場にスワは早くも少々後悔しながら、無休で、無給の仕事を始めた。
街の地図に青いペンで確認済みの印を書き込み、クシロはペットボトルの麦茶をあおった。そうしながら目線だけ、下へと向ける。思わずお茶を噴き出しそうになり、慌てて飲み込んだ。
「……転職か? あいつ」
庁舎の屋根からのぞき込んだ先に、折り畳んだ台車をひいて、スワが広場を横切って行く姿がある。クシロは、さぼっていたはずの後輩の様子を見に行くことにした。
「いや、この辺の担当者が腰を痛めたとかで、代わりを雇う余裕がないらしいんだわ」
「次があるから、じゃあな」と立ち去るスワの背を見送る。クシロは「結局、仕事かよ」とつぶやいて、自身も短冊集めに戻った。
台車を置き、肩掛け鞄を手に、スワはまた店を出た。
その前を書類運搬専用のメッセンジャーをしているリコ姉が自転車を押して、走行禁止の通りを庁舎へと駆け抜けて行く。
結構、忙しい仕事だ。
書店が差出人の、薄いが重い封筒をいくつも入れた鞄を肩に掛け、スワも広場へと引き返す。
街の中心部である旧市街。狭い路地の住宅地がシュンの持ち場で、自転車で運べない物や壊れやすい物の担当をしている。
今はここが助っ人スワの担当地区でもある。自然と、シュンでは配達が難しい重い荷物の担当にされていた。
アーケードを後にして路地へと曲がった臨時手伝いの目に、笹をくくり付けた柱の陰の、短冊が用意されたテーブルが映った。
『ご自由にどうぞ』と書かれた箱の中には色とりどりの短冊。彩り豊かな色鉛筆とマーカーが、ペン立てに差してある。
女の子と母親が、どのペンで何色の短冊にしようかと、お願いごとを選んでいるところだ。
子どもの頃のスワにとって、願いごとをしないのが願いごとだった。
父の仕事を減らそうと、星には一切願わない。代わりに叶わないとわかってはいても、願いごとは直に言った。
今も、願いごとは、星にはしない。
今も、オヤジには休みがない。
シュンたちには……あんな思いは。
何かが我慢できなくなって、気付いた時にはスワは地を蹴り高く跳びつつ、星の目でシュンを探していた。
「うわ! びっくりした! なんで、こっちに居るんですか、スワさん!」
肩掛け鞄を押さえ荷物を守るところなど、一人前の配達人だ。
しかし振り向きざま、背後に立っていたスワに気づいて驚いたシュンは、危うく転ぶところだった。その腕を慌ててつかみ、しっかり立たせてやると、スワは謝る。
「悪い、急いでたんだ。つうか、シュン。そのスワさんっての、やめてくれるか? スワンでいいや。みんなそう呼ぶし」
スワンことスワは「毛が無くなりそうで、ちょっとな」と、祖父と伯父への余計な一言を忘れなかった。きょとんとしているシュンに、打って変わって真剣な表情を向けると、スワは言う。
「シュン、お前はやっぱり休みを取るべきだ。さっさと仕事を終わらせるぞ」
数度まばたきして、シュンは、きっぱりと強い口調で訴えた。
「僕は、みなさんの大切な物をあずかる仕事をしてるんです。だから、ちゃんと、大切に届けなくちゃいけない。それに、スワンさん」
「「仕事は受けた以上、自分が出来る範囲で良い。力を尽くせ」」
シュンの声に星の目を通し、少年の記憶の中の声が重なった。
スワには、その時の光景が見える。配達の帰り道、夕暮れの中の、自転車を押す父と並んで歩く、今よりも小さな少年の姿だ。
『仕事はな、暮らすための手段で良いんだ。でもな、シュン。その仕事に誇りを持てるように……自分が誰かのためになっているってことを、忘れるなよ』
「って、お父さんが僕に教えてくれたんです」
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