9 丘のさらに上。

 



 黙ってられるか! って意気込んだのはいいけど、その後も結局ずっと、黙ったままのおれ。

 だってさ。チビスケが足元で邪魔してきたせいで階段上るだけで力尽きちゃって、もうしゃべる気も起きないんだって。まあ、あいつへの怒りのおかげで、高さへの恐怖は薄まったけど。


 おれと同じく、度胸だめしをすることになったキャロさんはというと、脚立以上に足元が頼りなくて、しかも揺れているタラップを、やっぱり歩いては登れなかった。

 プディさんと、おねーさんに両手を持たれて、飛行船に運び込まれるはめになったけど。あの状態、何かで見たような?



 なんとか自分の足で飛行船にたどりついたおれがいるのは船内の、言うならばリビングみたいな空間だ。古ぼけた丸テーブルと、ばらばらの素材と形の椅子が三つ、置いてある。

 入ってすぐに思った。本当に家なんだ。


 船首の一段高くなったところが、操舵室ってことかな。計器とかが並んでいる真ん中に、古い木の操舵輪があるのが見えるけど……まさか、あれで動いてんの?



 船尾の方にある大小の棚に囲まれた空間が、これまた変わっていた。床に敷いたラグに置かれたテーブルが、ベッドカバーと毛布に覆われているのだ。

 その上にはルージーンが、まるでぬいぐるみみたいに、おとなしく座っていた。


「スイッチ、入れてちょうだい」


 側に来たチビスケに、命令してる。


「おれ、わかンない」


「中にね、湯たんぽ入ってるからー。こたつの中は、ちゃんと暖かいよ」


 こたつというものの説明をしながら、おねーさんはキャロさんの背中を押して、ルージーンの方へと連れて行く。少しでも低い位置にいたいのか、椅子にきちんと座っていられないくらいに小刻みに震えていたキャロさんを、こたつへと案内していた。

 おれは、きちんと革張りの椅子に腰掛けている。そう、足が震えて、ここから動けないだけさ。



「それで、どうしましょ?」


 ゆったりと風に揺れる室内でもフードをかぶりっぱなしの、おねーさんが言った。


「私としてはー、ゼントくんを、おじさんの家へ送って行きたいのですよ。これも届けたいですしー」



 そう言って、本やノートが置かれた棚から取り上げたのは……。



「サンタの袋!」


「昼寝しよーとして、中にいたらねー。お、ねーさンに見つかってねー。帰ってきてたンだよ。ねえー?」


「そうだねー。心配してたのにねー。いきなり、ただいまって、びっくりしたねー」



 ねーねーねえーねえ、ややこしいな、この親子。

 思わず苦笑していたおれに、おねーさんが魔法の袋を差し出す。



「ゼントくん、君のおじさんのですね? 一昨年に会った際の、忘れ物です。もうすぐ朝になるってことで、送りだす時に、ばたばたしてて。袋が何個あったか、初めに数えておくべきでしたー」



 その後、何日かして、洗濯物にまぎれ込んでいたのを見つけたそうだ。

 去年はおじさん、取りに行けなかったんだな。最後の仕事は子どもたちのところだけで、いそがしかったって、トナカイが言ってたし。



「そうだと思いましたー。それに暖炉もない煙突もない、どこにいるか自分でわかんないでは、探せなくて、サンタさんもこまりますよねー」



 うん。遭難はこまる。時計塔に上ったほうがいいかもしれな……なんだ、この音は?

 鳥の鳴き声? 飛行船がきしんでる? こ、故障か!



「放り出すわよ、アンタたち」



 ルージーンが静かに怒ったとたん、悲しげな鳥の鳴き声がやんだ。チビスケが逃げ出し、キャロさんはこたつの側の棚の前で固まる。

 棚にはカモメと蒸気船と輝く海の、すてきなハンドルボックスが置いてあった。きっとキャロさんの作品なんだろう。


 しかし、チビスケに取っ手の回し方を教えてやってただけなのに、怖さをまぎらわすどころか次の恐怖を呼ぶとは……不運だ、キャロさん。



「さっさと決めなさいよ、ゼント」



 寒さにいらいらしているのか、ルージーンがするどい声でおれに言った。こたつの上で、丸窓から薄曇りの空を見上げている。



「このチビと、のんきな飼い主に任せておいたら、忘れ物なんて、いつまでたっても返せないわよ」



 そうか。ルージーンって、本当は……。

 おれは、おねーさんと向き合った。



「頼んでもいいですか? 迷惑じゃなかったら、おれ……」


「送って行くよー、もちろん」



 ほのぼの口調に気が抜ける。

 でも、いいや。試験結果はもう変わらない。後のことは後で考えよう。

 それでいいよね、おじさん。って、預かり物と忘れ物を持って、直接、聞きに行こう。






「ゼントくん、いつでも来てね。また、お茶入れるわ」


 プディさんが、タラップの途中で振り返って、手を振る。


「僕より高いところの景色には、その身長のおかげで慣れてるんだから。きっと良くなる、平気になるよ! でも、無理はしないでね」


 キャロさんも黄色い手袋をした小さな手を振ってくれてる……とは思うけど、のぞき込まないといけないので、ここからじゃ見えない。でも地上に降り立って元気を取り戻したってことは、声でわかる。


 もう言ったんだけど、お二人に、もう一度。



「ありがとうございました。また今度、必ず来ます!」



 ドアから離れて船室の真ん中の椅子につかまり、だれもいないところに向かってお礼言ってるのが、情けない。



「もう呼び付けるんじゃないわよ。散歩中の街の紳士に頼む前に、アンタが歩きなさい。それと。そのチビに礼儀を教えることね」



 デッキでルージーンが彼女なりの別れのあいさつを、キャロさんを下に送って戻って来た、チビスケとおねーさんにしていた。


「ルージーンが教えてくれると、助かるんだけどなー。ネコのマナーはわかんなくて」


「アンタは人としての礼儀も欠けてるじゃない。一緒に学んだら? アンタもよ、ゼント」


 おれは勝手に鞄を寝床にしたり、借り物の袋になんか入らないぞ。

 そんなおれにもお説教して満足したのか、ルージーンは背を向けた。


「それに、口に合わないお茶菓子出されるところに住むなんて、まっぴらよ」


「海苔せンべいと、カニカマ。すっごく、おいしいよーー!」


 タラップを駆け下りるルージーンに、チビスケが飛び跳ねながら猛然と抗議していた。







 

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