7 思い出
エルノは目を閉じ、静かに話し始めた。
主人が倒れた日。ルシアが、いつものように、うちに遊びに来ることになっていたわ。
でも、たまたま、あの子は友人と出かけることになって。その日初めて、うちに来る約束を先のばしにしたの。
たまたまだったのよ。なのに……。
ルシアは「私がいれば、もっと早く気付けたはず。きっと、もっと、何かできたはずなの」って、自分を責めて。
あの贈り物を見るたびに、ひどく落ち込むの。
でもね……。
あの子が悲しむのを「見ていられない」って、そう言って何よりも一番心配していたのは……亡くなった、あのひとなのよ。
クシロはエルノの話しをだまって聞いた後、紅茶を、ぐいと飲み干して立ち上がった。
「クシロさん?」
エルノが見上げると星の使いはまっすぐ、その目を見て微笑んだ。
『天使』にふさわしい、心を明るくするような笑みを心掛けて。
「お願いを、聞きましたから」
願いを見過ごせないのは仕事柄より、性分かもしれない。そう思っただけで何の策もないままに、クシロは居間を出た。
台所に行く前にクシロは玄関のクロゼットから、いつもの白いコートを出す。
せめて今の自分は願いを叶えられる天使なのだとしておきたい。
クシロは鏡に映る自分に向かって、ひとつ息を吐くと、背筋を伸ばした。
台所では、ルシアが流しのふちに手をついて、向かいの家の壁に面した窓を見つめていた。
外はもう薄暗い。窓には沈んだ表情の自分が映っているだけだ。
ルシアが見つめる窓に映ったドアが開いて、クシロが現れた。ルシアは顔を少しふせ、そのまま振り返って謝る。
「失礼しました……わたし……」
「いえ! こちらこそ、いろいろ無神経だったわけで。あの、何か、いや、ごめんなさい!」
謝られたことに慌てたクシロが脈絡もなく謝罪したので、思わずルシアは顔を上げ、首を振った。
「気になさらないで下さい! 私が勝手に……うんと前のことを思い出しただけですから……」
祖母を手伝って、生まれて初めてクリスマス前にジンジャークッキーを作り、祖父が味見をしてくれた、あの日のことを。
そして、その時の、祖父の言葉を。
その日の光景がその眼に見えてでもいるのか、ぼんやりと窓の外を見ていたクシロが唐突に質問した。窓に映るルシアへと。
「クリスマスを、嫌いになりますか?」
ルシアが顔を上げる。沈んだ表情は首を振るうち、笑みに変わった。
「いいえ。思い出があるんです、たくさん。そう、思い出が」
確かめるように、ゆっくりと話したルシアはそれこそ、天使のように微笑んだ。
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