4 16時38分
念願のおやつでお腹が満たされ、作業はかなり、はかどった。
貼り終えた鏡のかけらが、わずかな光を受けて強く輝く。
店の裏の風通しが良い廊下。僕より背が低い丸い椅子をいつもの場所に置いて、その上に完成したばかりの、カモメのハンドルボックスを載せた。
店の戸と裏庭への扉を繋ぐ廊下から、窓を見上げる。外へのドアに付いたガラス窓の向こうには、四角い空が見えた。
亡くなった時計職人さんが店主だった頃から今も、ルージーンは店の裏庭のツリーハウスに住んでいる。
その家も、その職人さんが作ったのだと聞いたことも思い出した。
そうだった。
いま、店を借りている僕も、彼のお世話になっているんだ。
持ち込まれる時計の修理依頼は、彼のお得意様だった人たちからのものが多い。何しろ彼は、この街の象徴、時計塔の修理人のひとりに選ばれていたくらいの人だったから。
だから僕は本業ではない時計の修理にも気を抜かないと、心に堅く決めていた。いまでも彼の仕事を忘れていない人たちを、がっかりさせてしまわないように。
そう言えば、時計の修理はルージーンが勧めてくれたんだっけ。
「こっちの方が稼げるわよ」って言って、お客さんを連れて来たんだ。
実は、僕。その時ちょっと頭に来た。僕はおもちゃを作りたくて、ここまでやってきたのに、って。
でも、時計修理のお客さんが僕の作ったものを買ってくれた、最初のお客さまになったんだ。
僕から届けた初めての贈り物。
みんなと離れてひとりになったけど、この店をやって良かったって、本当にうれしかっ、たっ!
……くしゃみが出た。
冬に寒い廊下で思い出に浸るのは体に良くない。ココアでも温め直そう。今日はもう、お客さん来ないよ、きっと。
戸を開けて店に戻った僕は、階段の横に立ち尽くした。そこに怪物がいるわけじゃないけど、石になったみたいに動けない。
店の中をのぞく人影と目が合ったのだ。ショーウィンドーのリースの真ん中から、じっとこっちを見ているひとがいる。
なにも、そんな所から……。
リースの穴ぎりぎりに両目が届くかという、フードをかぶった小柄な人物。そのひとは置物みたいに固まる僕に気づくと、ドアに向かった。
お客さんだったのか!
ルージーンの、お祈りが効いた?
危うく不審者にしそうだった久々のお客さんが、扉を開ける。棚にぶつかる寸前で、開けられたドアが止まった。
その手なれた仕草。ただ者じゃない!
店の主の僕や何度も来ているプディでさえ、たまに扉を棚板にぶつける。初めて来た人で、棚にドアをぶつけない訪問者はいなかった。
戸口に立ったその人は、かぶっていたフードを払う。
ぼさぼさの黒い髪。旅人風なフード付きローブの下は、完全な普段着だ。脱ぎ忘れか防寒のためなのか、寝間着らしきもののすそも見えている。
変わってる。
間違いない。ルージーン相手に家賃を四か月も滞納した人だ。
そして何より、僕より大きな人なのに、ひどい猫背のせいか、店に入っても何の違和感もない。
まるで、おつかいのついでに旅に出た感じの前住人さんは、僕に「はじめまして」とお辞儀すると話し始めた。
「あのー、裏庭に行ってもいいですかね? ちょっと急いでてー」
急いでるわりに、のんびりした話し方だ。
「ルージーンだったなら屋根を越えて、直接、裏の家まで行けるんですが……あれ? 自己紹介しましたっけ? 身分証を見せた方が良いかな。あやしい人だもの、このままじゃ」
自覚してらした……。
驚くことばかりで身動き取れずに立ち尽くす僕そっちのけで、肩掛け鞄をごそごそやり出した前住人さんは、突然顔を上げた。
鞄の中に別のものを見つけたんだろう。ほら、いま手につかんでる、目覚まし用の置き時計とか。
「あっ! 広場に戻る分の時間、忘れてた。もう行かないとー。二十五分だけの約束なんで」
二十五分。寄り道して来たな、このひと。
お土産の品でふくらんでいるらしい大きな肩掛け鞄から、紙包みがひとつ取り出された。両手で持った包みを差し出し、近づいてくる。
「これをルージーンに渡してくれますか? 本当は、お茶の時間に来るつもりだったんですが。風向きが悪くてー」
僕は、紙包みを受け取った。
ルージーンに会って、直接渡した方がいいのにと考えないわけじゃない。
でも、わざわざ僕の目線までしゃがみ込まれたら、受け取らないわけにはいかないだろう。しかも急いでいるのは本当らしいし。
「良かったー! じゃ、頼みますね、キャロさん」
結局、僕には、すでに看板で知られている名前を名乗る機会どころか、一言もしゃべらせずに一方的に話し終えた前住人さんは、謎の紙包みを置いて店を出て行った。
というかあのひと、結局、名前なんなんだろう?
「ここにある物って、どれもすてきですねー。贈り物に、ぴったりだ!」
ってドアから振り返り、僕にはとってもうれしいことだけ言い足して、帰って行ってしまった。ショーウインドーから手を振ると路地を駆け出していった名も知らぬひとを見送り、僕はまた、お届けものに目をやった。
この紙包みを、ルージーンに渡してみればいいだけだと思うけど。中身はなんだろう。僕の両手ぐらいしかないのに結構重い。
まさか……滞納分の家賃?
「なんで、カウンターに隠れてるのよ? キャロ」
ルっ! ルージーン! いつの間にっ!?
しげしげと謎の紙包みに見入っていた僕は、ルージーンがすぐ側へ来たことに、まったく気づかなかった。
不意を突かれて、また口が開きっぱなし。作業台の側に突っ立ったままでいる僕に、ルージーンの容赦ない一言が襲いかかる。
「隠れるなら棚がいいわよ。アンタなら良い置物だって、客が来るんじゃない?」
いくら僕でも商品棚には入らないです。
そんな反論もまだ声にならない僕にはお構いなしで、ルージーンは続けた。
「あら、キャロ。アンタの目って、水色だったのね。いつもは糸くずみたいだから、ちっともわからなかったわ」
僕だって驚くと目を見開くこともあります!
そうだった! そんなこと、今はどうだっていい!
僕はカウンターの陰から出て、スツールに乗ろうとしていたルージーンの側に立った。
まだ間に合うかもしれない!
「いま外で、会いませんでした?」
僕はなんとかルージーンに、それだけ聞くことが出来た。
「配達終わった、って言ってたけど」
「プディじゃなくて! 前の住人さんです! 預かったんです、これを、いまさっき!」
両手に載せて差し出した紙包みのふくらみに見覚えがあったのか。ルージーンは大きな瞳を、さらに大きくした。
包み紙に伸ばした前足の爪が、テープを剥がす。僕の両手に鈍い銅に光る……カモメの像が現れた。
「広場には行かないんですか?」
「いまさら行っても仕方ないわよ。あっちはもう飛んじゃってるのよ。アンタ、アタシに時計塔から宙に飛べっていうの?」
五時を知らせる鐘の最後の音が、路地裏の狭い空を見上げる僕らに降り注ぐ。ぶあつい雲の下、冬の暮れかけた空を、飛行船が渡って行った。
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