3 14時09分

 



 昼食時を過ぎて路地には人通りが戻り始めた。ショーウィンドーのリース越しに、行き交うひとの顔が陽射しに照らされて輝いているのが見える。

 僕の店、キャロからくりおもちゃ店は窓が細いせいか、外の輝きも差し込まず薄暗い。もっとも節電中だからなあ。


 開店時間を過ぎようが、それから三時間経とうが、お客さんは一人も来なかった。

 こうなってくると、お昼にドアノブに掛けていた休憩中の札どころか、この店のドアそのものが通行人に見えているかも、あやしい。


『時計の修理も受けたまわります』の貼紙を、まだ剥がすんじゃなかったかなあ。

 いや、店自体が小さくて見逃してしまうんだ。貼紙もきっと目には入らない。



 考えが後ろ向きになってきた。

 僕は作業の手を止めた。

 楽しい気持ちで作らないと、楽しい気持ちは届けられないからね。



 後ろ向きだろうが前向きだろうが、僕は最初からルージーンのお祈りは当てにしていない。だって、叶う叶わないは別にして、彼女は神様にお祈りするようなネコじゃないのだ。


 いやだからこそ、彼女が祈ったら願いが届いたりはしないかな?

 ルージーンの生活費は僕が払う家賃頼みなところもあるし。


 考えが後ろ向き過ぎてわらにもすがり出したのか、持ち直して来たプラス思考が空回りし始めちゃったのか。鏡のかけらを貼り付ける作業を休憩したとたん、僕は滞納分の家賃のことで考え込んでしまった。



 ドアノブが音を立てる。古い扉が、きしりと鳴った。

 取り立ての悪夢から逃れて頭を上げた僕は、救いの神様の登場に顔を輝かせる。ショーウインドーに映った僕の顔に陽射しが……。



「どうしたの? ごめん、邪魔だった?」



 暗い店内を明るく照らすような僕の笑顔が露骨に曇ったのを見て、プディが続けて言った。



「後にするわね。深刻な顔をしてたのは、そこから見えたんだけど。ちょっと通りかかったから」



 プディはドアから体半分、店に入った体勢で、ショーウィンドーを指差した。苦笑いしてる。

 どうやら僕は相当に思い詰めた顔をしていたみたいだ。そのまま引っ込もうとするプディを、あわてて呼び止めた。



「大丈夫! いま休憩いれるところ。お茶してってよ」



 あわてついでに、丸椅子から勢いよく飛び降りる。プディは心良く誘いに応じてくれて、彼女の残り半分も店に入った。空っぽでも商品棚にぶつからないよう、慎重にドアを開けて戸口をくぐる。

 ドアの開き方も替えたほうがいいかもしれないな。

 やっぱり僕の店は大きなひとたちには狭いんだ。プディは細身なのに、高さに余裕があっても、横には彼女の肩幅ひとつ分しかあまっていない。


 前の住人も小人だったんだっけ?

 店の狭さに思わず、そんなことも考えてしまう。



「座って。ココアだったよね?」


「ありがとう。今日は配達多くて、疲れてたの」



 プディは狭い店をさらに狭くする脚立の脇を通り、スツールに腰掛けた。

 壁の両側にある天井までの棚に品物を上げ下ろしするには必要だから、脚立は邪魔でも片付けられない。品物ないし、お客さんは来ないし、そんなに出番はないんだけどね。


 隅の階段に向かった僕は、一段目に足を掛けて振り返る。残念なお知らせをしなくてはいけない。



「他に何もないけど……いい?」



 ルージーンをよく知るプディは、僕の一言で大笑いした。







「なるほど。ルージーンの気まぐれに、悩んでたのね」



 プディは自分の言葉にうなずき、小さめに切ったトーストをひとくちかじった。

 おやつを食べ損ねた僕は、きちんと昼ご飯を食べたのに結局ピーナツバターの誘惑に勝てず、ココアにトーストを添えることにした。プディが口に運んだのを待ってから、自分の分をひとくちかじる。


 そうだ! これを出せば良かったんだ!

 前に僕がピーナツバターサンドだけの遅めのお昼を食べていた時。ふらりと訪れた、ルージーンが言った。


「紙袋に入れて、子どもがランチに持って行くやつでしょ」


 ……と。そして、めずらしく手をつけなかった。


 今度こそは、おやつを横取りさせはしない!

 玉子蒸しケーキの敵討ちで頭がいっぱいになり、僕は危うく、プディの言葉を忘れるところだった。


 気まぐれって?


 僕はプディがトーストを飲み込むのを待って、

「それってどういうこと?」と問い掛けた。



「気まぐれのこと? 本気で取り立てするなら、丸一か月もルージーンが黙って待ってると思うの? キャロ、あなたが忘れてるみたいだから気まぐれに、からかって言ったんじゃないかしら」



 有り得る。


 プディはココアをひとくち飲んで、さらに続けた。



「前の人の時だって。三、四か月、平気で待ってたもの」


「そうなの!?」



 驚いて、ピーナツバターたっぷりの、かじりかけトーストを落とすところだった。

 ルージーンは滞納なんて絶対許さない、そんなことしたらどうなるかわかってるんでしょうね、って感じなのに。


 ……そう思っていながら忘れてた、僕も僕だけど。



「知らなかった。そういえば前の人って、時計職人さんだっけ?」



 金髪のおさげが大きく振られた。



「それは、この店をルージーンに遺した人。キャロの前に借りてた人は変わった人で、確か、本屋だったかしら?」



 プディはティーカップからおさげをつまみ上げ、先から落ちるココアの茶色のしずくを、ハンカチで拭いた。


 そうだ、聞いたことがある。僕がここを借りて間もない頃に、前のひとのことを。

 ぼさぼさの黒い髪をしてて、本屋のはずが手書きのノートを棚に置いてた、おかしな人……。



 あれ? このこと誰から聞いた?

 あ! プディのお祖母ちゃんか!



 日用品が並ぶ雑貨屋の一番奥、レジの横に、どかっと座った店の主。おしゃべり好きで早口で、僕はあっという間に言葉の波に飲みこまれ、その内容を整理できないまま、記憶の引き出しに突っ込んでおいたんだった。


 整理整頓が始められた頭の引き出しから、ルージーンのことが取り出されていく。

 お茶の時間に現れる理由。その時に聞いたはず。

 記憶の片づけが苦手な僕が思い出す前に、プディが言ってくれた。



「時計職人さんは、ルージーンとのお茶を楽しみにしてたって、うちのお祖母ちゃんが言ってたわ」



 その時から紅茶一滴ほぼミルク、いつものやつを飲んでいたのかな。



「だからかな? 前の人とも、お茶の時はいつも一緒だった。あ、稼ぐ気あるのって、よく言ってたわ。その人にも」


 プディは笑って、またおさげを沈めてしまわないうちに、カップを空にした。


「だから、キャロ。あんまり思い詰めないで。気になる時は直接ルージーンに聞いてみたら、どうかしら」



 アタシそこまでお金に執着してないわよ、って怒りそうだけど。



 なんて、余計なことを言い残して、プディは笑顔で帰って行った。

 ドアが閉まる寸前に、三時を告げる鐘の音が店にすべり込む。つられて笑顔になった僕は、久々に穏やかなお茶の時間を過ごせた気がした。







 

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