2 10時21分
皮張りのスツールにくつろいで、顔の毛並みを整えながら、ルージーンが言った。
「あら。紙袋脱いだの、キャロ」
するどい指摘に返す言葉がない。
二階の台所の戸棚に買った物をしまって店に下りて来た僕は、無言でカウンターに入った。ルージーンは、そんな僕のそっけない態度を気にした風でもなく、会話を続ける。
「コートは脱がないのね。紙袋は脱ぐのに」
「今日はまだ暖房入れませんよ。雪も降らないみたいですから」
僕は我慢強いんだ。
自分にそう言い聞かせて、僕の背丈と同じ高さの丸椅子に、よじ登るようにして腰掛けた。ひんやりを通り越した室温に、木の椅子の座面が冷たい。
僕のおしりにも我慢強さが大事だぞと心の声で言い聞かせながら、作業台でもあるカウンターの上に作りかけの部品を取り出す。
「お茶ぐらい出したらどう? 大家が来ているのに」
ルージーンは、ぴんと立った耳を前足でなでつけ、そっぽを向いたまま命令を下した。薄暗い天井を見上げた格好でいると、すごくよく出来た白猫のぬいぐるみみたいだ。
きらりと光るアメジスト色の大きな瞳が動いて、じろりと僕をにらむ。しゃべるネコの大家はその特権を生かして、お茶とおやつを要求していた。
僕は部品に視線を落としたまま、大家さんを見ないようにして、すばやく断った。
「バタークッキーは、ダメですからね」
「お茶受けまで用意しろとは言ってないわよ」
あやしい。青い箱を興味深げに見つめていたじゃないか。
しかもルージーンには、節約生活唯一のぜいたく、僕のおやつを横取りした前科がある。
不信感を隠し忘れたまま目を上げた僕を無視して、ルージーンは身だしなみに夢中だ。前足の爪のそろい具合を確かめながら、のどの渇きの理由を語った。
「紙袋のオバケみたいにふらふらと前も見ずに歩いていたアンタに、セール会場に突っ走る浮かれた連中が突っ込んで来ないようにって先導してたら、すごく疲れちゃったのよ」
これだけ一気にしゃべったら確かに、のどが渇くと思う。
渋々、僕は椅子から降りた。
「お茶だけですからね」
そう言い残して階段を上がる僕の背に、勝ち誇った声がかけられる。
「ありがと、キャロ。今度、玉子蒸しケーキでも持って来るわね」
狙いは、そっちか!
涼しい顔で玉子蒸しケーキの最後のひとかけらを食べ終わると、ルージーンはティーカップを取り上げた。
カウンターに載せたお盆には、中身が半分に減ったポットがふたつ置いてある。そのうちひとつは大家さん専用みたいなものだ。
ルージーンのカップの中身は紅茶というか、ほぼ、ミルク。
ミルクよりも白い、ネコそのまんまの見た目にしてはカップを器用に両前足で持って、甘くて濃いお茶を美味しそうに飲み干す。
見ているとこっちののどが渇いて、僕はミルクも砂糖も無しの、ただの紅茶をがぶ飲みした。
家賃の取り立てでもなく用があるわけでもなく、ルージーンは毎日のように店に現れて、お茶をして帰っていく。
それは、なぜか?
ルージーンが僕のおやつを横取りしに来る理由。
前に誰かに聞いたことがあったっけ?
誰かから聞いた話を思い出す前に、僕は記憶の引き出しの前から、終わりかけのお茶の席に連れ戻された。
「キャロ。アンタ、いまなに作ってるの? さっきから割れた鏡みたいなのを広げてるけど」
僕の手元に散らばるのはルージーンの言う通り、鏡のかけら。
青、緑、青に近い緑、緑に近い青。色を塗った鏡を割って作った物。箱の周りを飾る最後の部品だ。
「ハンドルボックスです。横に付いたハンドルを回したら、上の人形とかが動く」
「それは知ってるわよ。アンタ、ほとんどそれしか作らないじゃない」
失礼な!
狭いけど僕の店の顔、ショーウィンドーを飾るクリスマスのおもちゃは、僕が作った自信作なんだぞ。
僕の真正面に見えるのは、光が差し込むショーウィンドー。
ふくよかな方には少々きつい店のドアよりもさらに狭い、ただの窓にしか思えないような空間に、ほんとに申し訳程度しかないけれど、クリスマスの飾り付けをしておいた。
松ぼっくりの付いたリースに、雪に見立てたふかふかの綿。主役は、ぜんまい仕掛けのおもちゃだ。
リースからぶら下がる六頭のトナカイが引く、そりに乗った小さなサンタさん。本当は、そりを引くトナカイはもう六頭いるけど、作る材料も飾る場所もなくて泣けてくる。
でも確かにこれ以外でも店にある品物は、ハンドルボックスが九割だ。ルージーンの言う通りでしたと敗北を認めた僕は、鏡のかけらの使い道を素直に説明した。
「夏の海にするんです。箱の周りに貼り付けて。いま作っているのは船と魚と、カモメが動く仕掛けだから」
ひと呼吸置いてルージーンが、ぼそりとつぶやく。
「カモメ?」
「カモメです。港にいるでしょ?」
「知ってるわよ! この時期に夏の海って、なにって思っただけ。まあ、クリスマスだからって浮かれるのもどうかと思うけど。キャロ、アンタ、こんな季節外れのもの作って稼ぐ気あるの?」
痛い、耳が痛い。
寒い。懐が寒い。
でも僕には信念がある! おもちゃ屋を、みんなに反対された時だって、貫き通した信念が!
お寒い懐具合にこれ以上打ちのめされる前にと、懲りない僕は反論した。
「稼ぐ為に作ってるわけじゃないんです。僕は、贈り物がしたいんです! それに浮かれたっていいじゃないですか! クリスマスは特別なんですよ!」
僕の鼻息で鏡のかけらが白く曇った。反対に、磨き込まれたグラスのようにルージーンの瞳が光る。
その光はいつも僕に、嫌な予感をさせるんだ。
アメジスト色の瞳が、そこに映る僕を冷たく見据えた。
「それ前に聞いたわ。アタシ、物忘れしたこと、まだ一度もないの。どうでもいいアンタの信条と、先々月の家賃を半分滞納してることも覚えてなきゃいけないくらいよ」
大家を怒らせた! 滞納、忘れてた!?
強く輝くルージーンの瞳が、こわばった僕の顔から、ゆっくりと移動する。視線が外れてほっとした僕を、さらなる悲劇が襲った。
「あら、もったいない。いただきます」
ひょいと前足を引っ掛けられて、僕の皿から今日のおやつがさらわれた!
ふわふわで玉子がたっぷり、黄色がきれいな、ほど良い甘さの、僕の蒸しケーキが!
まだひとくちも食べてないのに……ヒヨコみたいな玉子蒸しケーキは、あっという間にネコの、ルージーンの胃に消えた……。
「いらないなら早く言ってよ。ぱさつきかけてたわよ。しっとりが蒸しケーキの美味しいとこなのに」
その、ぱさつきすら味わってない。
カップにミルクを注ぎ、ルージーンはケーキ泥棒とは思えない上品さで白い紅茶を飲み干し、お茶の時間を締めくくった。
「ごちそうさま。滞納分の家賃になる客が来ることを祈って来てあげる」
めずらしく、教会にでも行くのだろうか?
大家はドアの下のところにある、専用の出入り口から去って行った。ショーウィンドーの前を、ぴんと立ったしっぽが優雅に通り過ぎて行くのが見える。
タダのおやつと、ただの家賃の取り立てが、店に来る理由だ。絶対!
僕は、売れたわけでもないのに空きが多い棚をながめ、ため息をつく。
商品が少ないのは元からだ。天井まである真四角の棚が埋まる日は来るのかな。
こだわりすぎだと、みんなにもよく言われてたっけ。
一年で最高にいそがしい日が近づいて、おもちゃで棚が埋まっていくのを、みんなで見上げてお茶してたんだ。いい仕事には休憩も大事だっていうのも、よく言われたなあ。
いつかの光景を思い出しつつ、ティーカップを片付けに僕は椅子を降りた。
今日のお昼ご飯は早めにしよう。
時計塔の鐘より早く、おなかがまた鳴った。
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