5 17時16分

 




5 17時16分




 今日の街の話題は、突如現れた飛行船で決まりだ。

 もう見えなくなったのに路地を行き交うひとたちは時計塔を指差して、なにやら語り合っている。


 上を見上げるのに夢中なひとたちに蹴飛ばされないうちに、僕らは店へと引き返していた。

 そう言えば、あのひとが店に居た時も、狭いショーウィンドーの向こうで通行人が騒いでいたっけ。


 しかし、街の象徴、時計塔に飛行船で乗り着けるなんて、恐れ知らずなひとだ。さすがルージーンに家賃を何カ月も滞納していただけはある。

 大家さんの視線におびえていた僕は、カウンター越しでも目が見れないでいた。あの無謀さを少しでいいから分けて欲しいよ。



 僕の視線は、カウンターの上に置かれたカモメの屋根飾りと、シワだらけの包み紙とを行き来している。

 包み紙の内側は、手紙になっていた。





 ルージーンへ。

 引越しのどさくさにまぎれて密航していた、カモメの水兵さんをやっと見つけました。

 ようやく、空を飛ぶことに飽きたようです。待たせてごめん。

 飛行船を街に降ろせそうにないので、ルージーンに会えない時の為に、ここにお詫びを書いておきます。

 良い風に乗れたら、また遊びに来ます。たぶん。





 また名乗るのを忘れている。

 あのひと、身分証なんてもの、本当に持っているのだろうか。


 ルージーンは文面をさっと読んで、尻尾をぱたりと鳴らしただけ。感想もなしだ。

 僕の顔に『会えなくて残念ですね』と書いてあったらしい。ちらりとこちらを見ると、ルージーンは事も無げに答えた。



「また来るってあるから来るでしょ。そのうち」



 なるほど。



「お茶いれてきます」



 大家さんに催促される前に、僕は二階の台所に向かった。

 冬の空をながめて冷えてしまった体を温めるため、熱い紅茶と温めたミルクを用意する。もちろん、おやつ付き。残り物だけど。



 僕の玉子蒸しケーキ敵討ち作戦は、自分でも忘れていただけあって、ルージーンに何の衝撃も与えなかった。

 ルージーンは、猫舌に合わせてほんのり温めたピーナツバタートーストを、平気で食べている。


 そうか! あの時ってきっとルージーンは、昼ご飯直後だったんだ。

 無念だ。苦手なことが見つかったと思ったのに。


 いまのところ弱点がなにひとつ見当たらない、完璧な猫ルージーンは、ホットミルクのその熱さに手を焼いていた。おやつの準備で忘れてて、温め過ぎてしまった飲み物の湯気で前足を温めながら、飲み頃を待っている彼女が言う。



「キャロ、けちけちしないで暖房入れなさいよ。アンタは寒いの平気でも、アタシは嫌なの」



「僕だって苦手です。でも節約しないと」


 家賃払えませんよ。



「苦手ですって? 北国生まれが、なに言ってるのよ!」



 日が傾くにつれて下がる室温に、ルージーンの不満は急上昇だ。



「工場の中は暖かいんですっ。クリスマスに向けて、フル稼働してるから」



「へぇ、そうやって言い逃れして、アタシに風邪を引かせる気? このカモメを屋根に戻してくれたら滞納分、半分に減らしてもいいと思ってたのに」



 家賃、四分の一!

 価値あるカモメ像は水兵帽をかぶり、胸を張って、僕を見つめている。

 ああ、なんてすばらしいカモメさんだろう!



「あ、カモメ! ハンドルボックス、廊下に置きっぱなしだ!」



 僕は丸椅子から飛び降り、ドアに向かった。廊下の扉を開けると、冷たい風が店に流れ込む。


「隙間風が、ひどいと思ったら。さっさと閉めなさいよ、キャロ」


 熱い飲み物と寒い季節に弱いルージーンが、すぐさま僕を非難した。僕はあわてて、凍える廊下に飛び込む。

 裏口の窓を閉めて店へと戻る。こちらをするどくにらんでいたルージーンの瞳が、真ん丸に見開かれた。僕の手の中にある物が、そこに映り込みそうだ。



 夏の海の上を飛ぶ、カモメの水兵さん。輝く海には蒸気船。側面には、うろこをきらめかせた魚たち。

 カウンターに置くために、うやうやしく持ち上げた完成品のハンドルボックスは、ランプの明かりに輝きを放って……



「キャロ! 気を付けなさいよ!」



 よろけて落とすところだったハンドルボックスを、ルージーンが前足で押さえて、カウンターに戻した。

 スツールから身を乗り出し、前足を箱にかけたまま、ルージーンが言う。



「世界にひとつなんでしょ!」




『世界にひとつだけのおもちゃを子どもたちに贈りたい? バカ言うなって、キャロ。そんなことしたら、クリスマスに間に合わないだろ』




 ここでは間に合うんだよ。それどころか、僕でもサンタさんみたいになれるんだ。



 遥か北のサンタの国は、クリスマス前で大いそがし。

 おもちゃ工場も大変だ。組み立て、色付け、箱詰め、飾り付け、組み立て、色付け、箱詰め、飾り付け……の繰り返し。

 サンタさんの魔法の袋に詰めて、世界のあちこちへ運ばれて行く贈り物は、どれも子どもたちが欲しがるすてきな物ばかり。



 だけど僕は思ってたんだ。

 世界に、たったひとつだけの、すてきな物を贈りたいって。

 子どもに、大人に、誰かの大切なひとに。



 ルージーンがハンドルボックスの、丸い木の取っ手を回した。

 カモメが羽ばたきながら鳴き声を上げる。魚の群れが、くるくる回る。船が波に乗り、ゆったりと揺れる。

 ルージーンの耳とひげが、すました彼女の代わりにカモメの鳴き声に合わせて揺れていた。



「ところで。なんで、カモメなのよ。結局、屋根飾りは、ここにはなかったってことよね」



 どうやらルージーンは、僕がお届けもののカモメの像を、この店のどこかから見つけたと思ってたみたいだ。それなら質問してくれればいいのに。

 僕のカモメに負けず劣らずの、すてきな屋根飾りに大切な思い出があるらしい大家さんに訳を聞かれ、僕はこのハンドルボックスを作った理由を、正直に話した。



「それが、先に鳴き声が出来たんです。人形を支える針金を出す穴の大きさを間違えたら、たまたま。それがなんだか、港のカモメの声に似てるなあって思って」



 ハンドルを回すルージーンの前足が止まった。針金が板をこすらないから、当然、カモメの鳴き声も止まった。

 僕はかじかむ両手を、節約のためミルクも砂糖も入れられない紅茶のカップで温め、中身を見つめて先を続ける。


 この際だ。全部、話してしまえ!



「それと、夏の海なら作ってる間は、部屋が寒いこと忘れてられるかな、って思って……」



 ルージーンのため息が暗い店に、よく響く。

「そんなくだらないことだったわけ!」と怒鳴られそうだ。



「キャロ。これを箱詰めしておいて。空は揺れそうだから壊れないように、しっかりね。屋根飾りも早いうちに頼むわ。それと、さっさと暖房入れてちょうだい」



 ……ん?


 またルージーンの、大きなため息。



「今月は節約しなくていいわよ。だから、さっさと暖房入れてよ。風邪引くって言ってるでしょ」



 僕がまだ、きょとんとしていると、ついにルージーンが怒鳴った。



「だから! 滞納分と来月の家賃は、もういいの! 今日は節約は忘れなさい。もう支払いは済んだんだから! わかった?」



 僕はうなずいた。何度も大きくうなずいた。

 ルージーンは僕を見て、満足気に、のどを鳴らす。

 めずらしいなんてもんじゃない。そんなの初めて聞いた。すぐに終わって、爪のそろい具合を確認し始めちゃったけど。



「早くして。湯気なんかじゃ、全然、暖まらないから」



 僕は丸椅子から飛び降りた。本日三度目。本当に、あわただしい日だ。


 でも、最高!

 寒い懐から忍び寄る悪夢とは、しばらくお別れだ!


 ヒーターのスイッチを入れる。温もりを送り出す心地よい音がした。それから僕は階段に走る。一段目に足をかけた所で、振り返った。



「お茶のおかわり、どうですか?」


「いいわね。あまり熱くないのを頼むわ。それと……甘いものもいいかしら?」


「バタークッキーはダメですからねって、僕、言いましたよね?」


「お客兼大家に逃げられたいの、キャロ?」



 ……明日また、プディに注文しよう。そうしよう。






 外は日が暮れて、路地を行く人影もまばらになった。キャロからくりおもちゃ店からあふれる光が、行きかうひとの顔を照らす。

 飛行船が連れて来たのか、予報より遅れて、ようやく雪が降り始めた。ショーウィンドーの外で光の中を輝き、雪は舞う。

 僕は時間外れのお茶を楽しみながら、それをながめた。


 部屋に行き渡る暖房と共に、僕の心にも広がるこの暖かい気持ち。いまならなんだって、許せる気がする。



 あ、ルージーンが四枚目取った。

 僕まだ、二枚しか食べてないのに!



 いつしか僕とルージーンのバタークッキー争奪戦が静かに繰り広げられ、サンタさんが家に来てくれた時のためにと買った青い箱は、またたく間に空になった。

 ルージーンの圧勝。時計塔の鐘が打つ六時を知らせる響きが、僕には試合終了のゴングに聞こえた。



「あら、もうこんな時間。そろそろ行ってあげなきゃね」



 今日彼女にディナーをおごる人は、幸運かもしれない。顔には出さなくても、ふうわりと白いしっぽが満足気に揺れるのを、ながめていられるから。



「クリスマスだからって、アタシはなにも、変わりはしないわよ」



 ご機嫌ですねと言ってみたら、すぐにこの言葉が返って来た。



「特別なことなんていらないわ。毎日同じお茶と、毎日違うお菓子があれば、それでいいのよ」



 さりげなく明日のお茶の注文を付けて、ルージーンは出掛けて行った。僕は専用出入り口でなく、店の扉を開けて送り出す。ちゃんと大家さんが角で見えなくなるまで見送ってから、扉を閉めた。

 ふわりと舞い落ちる雪につられて、ショーウインドーから暗い空を見上げる。狭い路地の夜空から、きらきら雪が光って落ちる。



 特別なことなんて、か……。



 そうだね、毎日が特別なんだ。

 僕にとっても、みんなにとっても。今日も明日も、毎日同じ日は来ないから。


 でもやっぱり、クリスマスは特別。

 だって、いつもよりもうれしいことが待っていそうだって、わくわくするから。

 奇蹟が起こる日だって、信じてみたくなるから。



 そう! クリスマスは、だから特別。


 忘れちゃいけない。サンタさんもいる!



 これは僕が保証する。

 キャロからくりおもちゃ店みたいに見逃してしまうこともあるけど、確かに存在してるんだ。


 君のところへも来ているはずさ。


 一年に一回、誰にでも。


 必ずクリスマスが来るように、ね。







『クリスマスは特別』 おしまい 



 次のお話は『ないしょだよ』です。

 では、また別の日に。








 

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