分断
英俊は、百人隊長の足で谷を駆け下りた。谷底には討伐隊の兵士たちがこわばった顔で、こちらを凝視している。分隊長達が兵士を叱り飛ばしながら、陣形を整えようとしているのがはっきり見えた。
オークの突撃に合わせ、誤射を防ぐために”土竜の目”には、討伐隊中央部への弓撃を中止させていた。そして、何名かの狙撃弓兵を残して、弓兵隊全員を突撃にするように命令を出した。
(討伐隊は、こちらの倍以上いる。でも地形の有利さと急襲で相手の陣形を乱して、『実質的な包囲』が出来そうだ)
英俊は谷底を駆け下りながら、そう考えていた。…敵は混乱している。士気を挫かれた兵達は戦いから逃げ出すかもしれない。そうすれば、討伐隊は益々混乱をきたして、こちらは有利に戦いを展開出来る。
突然、自分の右脚に大きく体重がかかるのを感じた。右側に体が沈む。次の瞬間、右脚が地面を強く蹴ると、身体は左側に跳躍した。
(え?…え?)英俊は混乱した。身体をコントロールしたのは百人隊長だ。それは分かる。バスケかサッカーの選手のように、一瞬、身体を右に沈めフェイントをかけるようにしてから、左側に方向転換した。…でもなぜ?
”集中しろ!…あれが見えぬのか!”
(…あ、討伐隊の弓兵か…!)
怯えた顔で盾を構え、剣を抜いてこちらを待ち構える討伐隊。それに護られるように後ろに配置された討伐隊弓兵。彼らがこちらを迎え撃っているのだ。
”奴らの数は少ない。そして、こちらの足の方が速い…。当たりはせん!だが、油断は出来ぬ。先ほどから油断した者達がどうなったか嫌というほど見ているからな!”
谷を駆ける他のオーク達も、真っすぐには下りずに方向を少し変えたり、『敵の弓兵の射線上にいる』と察すると急激な方向転換を行ったりする。
そのたびに、緑の肌に覆われた、逞しい太ももの筋肉が、大きく膨れ躍動した。
(まじか、オークの筋肉って…競走馬の脚かよ)
英俊は、本来の自分の体を思い出した。脚は太い。嫌になるぐらい太かった。だがそれは、ポテトチップとコーラと大好きなラーメンに運動不足という要素で組み合わされた、脂肪純度100%の太さだった。ブヨブヨで醜いものだった。
体育の時間、野球部やサッカー部所属のクラスメート、そして柔道部の長倉のハーフパンツから伸びる足を思い出した。太いがよく鍛えられ、張りのある太ももを。英俊は羨ましかった。気が弱い性格で、強くありたいと常々思っていた英俊は、ああいう鍛えられた肉体になりたくて堪らなかった。
(でも、鍛えることはしなかった。そして、いま”借り物の身体”で、鍛えられた肉体がどういったものか実感している…そうか…こういう感覚なのか…自分自身が高機動の装甲車になった気分だ…)
百台の高機動装甲車が、谷底に向かって突撃を開始する。討伐隊の弓兵は必死で矢を放つが、オークの駆け下りる速度の速さと焦りからか、狙いが甘くなり、ほとんど当たらない。矢は英俊達の背後の地面に突き刺ささったり、斜面の岩にあたって乾いた音を立てて跳ね返っていた。
ゴッ
前を走っていたオークが、まったく迷いもせず、討伐隊が掲げた盾に体当たりを仕掛ける。『盾なんてない』といった感じで全く速度を落とさず、『そのまま通り抜けよう』といった勢いだった。
混乱で恐怖心に負け、怯え、へっぴり腰で盾を構えた兵が、その突撃を受け止められるわけない。無様に仰向けに転倒した。体当たりしたオーク達も覆いかぶさるように同体になって倒れたが、素早く馬乗りの姿勢になると倒した兵士に武器を振るいとどめを刺す。
討伐隊の盾による防御は初撃で大穴が開いた。そこを目指して後続のオーク達が雪崩れ込む。
対面のオーク達も同じように防御線をぶち破った。双方のオーク達は討伐隊の縦隊を断ち切って合流した。
(おせーぞ!百人隊長!)
”殺傷力”が豪快に叫ぶ。彼の持っている戦槌は血塗られている。早くも彼は討伐隊を仕留めたらしい。
(お前らが速いんだ!)英俊は叫び返すとすぐに命令を出す。
(右側面隊は後方を追い立てろ。左側面隊は前方部隊のケツから攻撃する!)
英俊の命令を受けるや、周りのオークから凄まじい闘気が発せられると、命令に従って討伐隊に攻撃を開始する。
討伐隊の歩兵たちは、そのオークの迫力にたじろぎ剣を構えながら、後ろに下がる。分断された両隊が共に。
その度に、分断された隊の距離が離れていく。このままだと討伐隊は合流できず分断されたまま。このまま勢いに負け、共同防衛の意識がなくなれば、二つに分かれた隊は、更に細かく分断されて各個包囲され全滅する。
恐怖に呑まれた軍の末路だ。(このまま行けるか?…行ってほしい…)
”そう上手くは行かんだろう…集中しろっ…!”百人隊長の鋭い声が心に響くと同時に、金属の鎧兜を付け、長剣を抜き放った騎士が討伐隊の最前面に飛び出してきた。
馬には乗っていない。討伐隊が混乱しているため、騎乗では移動できない、もしくは戦えないと判断して、馬から降りたのだろう。
一人のオークが彼に気が付くと、片手斧を横ざまに振りぬいた。騎士はその攻撃を見切るかのように体を沈めて軽々とかわす。重たい金属鎧をつけているのに、信じられない身の捌き方だった。
攻撃をかわされ、空振りをした勢いで思わずバランスを崩すオーク。騎士は沈めた身体をバネのように跳ね上げると、長剣を下から上に払い上げた。
見事な斬撃を受けたオークが、その場に倒れる。騎士は油断なく剣を構えなおす。次の瞬間、兵士たちの間から、次々と騎士達が飛び出してくる。皆、長剣を構え金属鎧を身に纏っている。
(騎士達が支援に来たのか…対応が早い。そして…強い。これ…マズいか…?)
騎士の華々しい出現に、討伐隊の歩兵たちの雰囲気が変わる。恐怖に呑まれていたはずが、再び戦意が高まっているようだった。
一瞬、オークと討伐隊は睨みあう。騎士の出現を受けても、オークの戦意は衰えたようには見えなかった。相手を睨みつけ牙を剥き出しにする。
むしろ、戦意が更に燃え上がっているようにしか見えない。
”これが、オーク一族だ。戦闘民族の誇りだ。ここで負けるわけにはいかん。あの『騎士』とかいう戦士を倒さねば、我らの勝利はない。やろうではないか”
静かに戦意を燃やす百人隊長の声。自信に満ちて揺らぎがない。英俊は、一瞬でも弱気になった自分を恥じた。
(作戦だけでは、戦いを有利にすることはできても、勝利は掴めない…。やってやる…!)
英俊は、
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