第3話

「よし、せいせいした!」

一人という安寧を手にして上機嫌を誇る堕楽の顔は穏やかな暖かみを帯びていた。

「集団イヤなのにずっと付き合わさる身にもなれっての、まぁいいや。

これでダラダラと過ごせるやい!」

押し殺した性質が解放されている事もあるが、暗い奴は一人になると少し明るくなる。


「さてと何読もうかな。時間無くて溜めに溜め込んだ書物があるから、どこから手を付けようかな?」

戦事がきらいで目立つのも苦手だが、何かを読むことは好きだった。

「内容見ずに手に取った分もってきたからわからないけど..菩薩入門、これだけは嫌だな。あとは...っと。ん?」

中断辺りの黒い本、一際ページが多い印象の読物にはしっかりと題名が。


『明王』

「いつから持ってたっけ、確か菩薩入門と一緒に数合わせで手に取って。」

如来の化身と云われる姿、過ちを犯した菩薩を制裁する怒りの顔だ。

「結局コッチに戻ってくるのね..」

偶然にしても修行を欲するとは、遂に悟りを開く以外の解決策は無いのかもしれない。

「まぁ、後でいいか」

本を隅に置き、再度探索を始める。


仏『如来堂』

菩薩が在る天空に構え、浮城の中には選ばれし悟り人が点在する。

「時空!」「はい」

「よく成り上がった、儂は嬉しいぞ」

「有り難きお言葉...。」

昇格してから数日上げて、受託式が行われる。古き者から新たなる時代へ。

「前任宝生如来、衣を彼へ」

仏の装衣を受け渡す事で、完全な受理が確定する。


「やめろ阿弥陀、もうおらはただのジジイだ。そんな堅っ苦しい名前、聞きたくもないわい」

「..構わぬが餓狼、その態度。

この日くらいは改めないか?」

「やめときなよぉ、此奴が云って聞くようなタマかい。」

肘を付き腕で頭を支え横になり腹を掻く。餓狼と呼ばれる如来の基本スタイルだ。

「うるせぇ、最後まで説教するな!

布渡しゃいいんじゃろうが。」

「下衆だねぇ、こいつが何故何千年と如来でいられたのか。甚だ疑問だよ」

「事柄というものは偶々が引き起こす産物だ、文句は言えん。」

「そういう事じゃ薬師のババアよ。

全ては成り行き、絶対は無い」

話を流しつつ、時空へ衣を装填する。


「良かったな時空、これでお前も時代の一部じゃ。良い事は何一つないぞ」

「..宝生如来は物事に価値を見出す役目です。己の偶然も一つの価値、良い気運だと捉えます。」

「がっはっは!生意気な事を言う!

こりゃあ大物になるぞ、見ておれよ」

高らかに笑い上げながら、ひょいと下へ降りていく。高名からの解放、数え切れない程の過去を超え、我が身に自由を取り戻す。

「お別れも無しに消えるのかい」

「気にするな時空、奴なりの労いだ」

「..解っております。」

価値は人それぞれだが、宝生如来はその概念。全体の価値観を一点に担う事は、場合によっては根幹から世界を変えてしまう要因になるかもしれない。

「これからの事は引き受けました」

当人に不安の眼は見られない。


「なんか違うな、外出よう。」

来たる時がきたらと、修行を上の空にして特等席を探していた。幾つかの本を抱え転々とする、適当なアテを周るのが彼らしい。と自分では思っている

「余暇に浸るのは愉しいねぇ..。」

修行で通っていた道場には、顔を出していない。活気に満ち、向上精神の強い菩薩達の顔がしんどいかららしい。

「ここにするか、よし」

少し小高い場所に、誰も来ないかつて何かを祀っていたであろう石造りの祠がある。そこの塀が適度に冷たく寝転がると、日中ならばうたた寝を煽る程穏やかな憩いとなる。

「稲荷神が住んでる場所より大きいな真ん中の鈴はなんだ?」

疑問を目で流しながら本に手を掛ける

「...これさっきの明王の奴だ。

よく選んで持ってくるべきだったな」

悪い癖が発動中、行きずりの本はいちよりばちに転がった。


「おい」「何..?」

「その本、読まねぇのか?」

「え...」

こんな書物に興味を示す奴がいるとは

「..誰ですか?」

「大したモンじゃねぇ。お前は菩薩だろ、修行の身の奴が持つには変わった本だと思ってな」

「あぁ、ですよね。

僕もいつどこで仕入れたかわからないんですけど、家にあったんですよね」

「使い方、知りたいか」「...はい?」

本の読み方くらいわかる。

なら言葉の意味合いは、からかっているか、何か他に含みがあるか。


「明王の極意、役に立つぞ?」

「..え、いや別に。」

「何故だ、強くなりたいんだろ?」

「強くはないたくないけど、そもそも修行中じゃないし。」

初対面で強めに技を伝授しようとしてくる困った男に絡まれた。因縁が特殊すぎて対処の仕方がまるでわからず取り敢えずあたふただけをしてみた。

「俺は飾裡かざり、訳あって下へ降りてきた落人だ」


「いや、聞いてないけど..」

「お前に明王の全てを教えてやる。」

「え、話聞いてる?」

落ち溢れた同じ匂いを嗅ぎ付けた、余計なお世話だ。


仁王の門 仏入り口

「うっ..」「どうした阿形?」

「何でも無い。」「..まだ痛むのか」

「それ程深くは無いと思ったのだが」

亜異故から受けた傷が疼き腹を掘る。

取り敢えずは阿弥陀に応急処置されたが気休め程度、悟りの力を有しても役割でない事には限界がある。

「癒えるまで随分と時間を貰う、当然門は見張ろうが平等でいられるかどうか難しいところではあるな」

「それは困りものだ、どうしたものか

...そうだ、こちらにも傷を付けよう。

そうすれば五角になる。」

「何を言っている?」

阿吽の呼吸、同調した感性と動き。

合わせるには条件を細やかに等しく定めなければならない。例え片方が狼狽し、痛みを伴おうとも。


「治せばいいんじゃない?」

「お前は..!」「...何故ここに」

小柄に見合わぬ大きな鞄が右腕を苦しませていじめている。

「名前も覚えてないのね、呼ばれても気持ち悪いけど」

冷めた性分が口調にも表れ、女の可愛げというものは極端に薄い。

「大きな荷物だ..治すというのは?」

「言葉の通りよ、傷を治療するの」

「そんな事ができるのか」

「出来なきゃいわないわよ、さっさと見せてくれるかしら。それとも放って醜い獣になる?」

「...是非頼む」

実験台を弄るかのような言い回しで治療を勧める。というより一方的に手を施すようなものだが。

「よし」

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