第三十四話 蜥蜴抜刀 その1
首のない老人が前に向かって倒れ、もはや安楽椅子の老人としての体をなしていない状況で。
不良はその背中に座って足を組み煙草を吸っていた。
「やっぱ死後硬直ってすげぇな。座れるぜ。」
「罰が当たりますよ。」
僕はその部屋のベッドのシーツを千切ると首にきつく巻いて、止血を行っていた。もちろん、直ぐに赤く染まってしまったが、数時間以内に処置をすれば問題はないだろう。
老人の首を右脚の踵で何となく弄りながら、今度は右目に注射器の針を刺し込む。
体を動かしすぎたせいか、効いている時間が短いのが分かる。余り何度も使いたくないのだが、命のこともあるし、次に敵がいつ現れるかも分からない。
何より、目が開くのだ。
この表現が正しいのか分からないが。
眼球に一時的に血液が増えて瞼が強制的に開かれるような。
眼球が前へ前へと飛びだそうとするような、そういう感覚である。鋭敏とでも言えばいいのか、神経が体の外に出るようなとでも言えばいいのか。
頭の中から煙の一つも消えてなくなるような、そんな具合である。
「それ、マジでただの薬なんだよな。」
「そうですよ。」
「依存してんじゃねぇの。」
不良が下品に笑う。
僕は思う。
若干その節はある。
「何ふかしてるんですか。」
「アブタビ。」
「転生前の世界の煙草ですよね。それ。」
「大学の二年の頃に、海外のやつで、強いから吸えって言われた。同じやつ吸ってる仲間でも欲しかったんじゃねぇの。知らねぇけど。」
「くっさいですね。」
「うるせぇなぁ。」
「キメたりしなかったんですか。」
「しねぇよ。体にわりぃし、ていうか、あれ、金いくらあっても足りねぇだろ。」
「僕は一応、転生前は高校生なのでそういうのはよく分かんないですね。」
「吸ってたんだろ、どうせ。」
「やってません。」
「じゃあ、キメてたのか。」
「もっとやってません。」
「ははは。嘘くせぇ。魔王、マジで当たり前の顔でパチこきやがるからな。」
「久しぶりに聞きましたよ。パチとか。」
「え。もう死語なの。これ。」
「いや、こっちの世界で使う人いないじゃないですか。」
「あ。はいはい。そういうことね。」
不良は煙草をくわえて半開きの目で空間を見つめていた。白い煙をまといながら、口を僅かばかりに開くその姿はどこか、転生前の世界を僅かばかりにおわせた。
僕も。
不良も。
お互いのことをよく知らない。
「ていうか、魔王って年下だよな。」
「だから敬語使ってやってますよね。」
「お前って、転生前、マジで友達いなかったんだろうな。」
「分かりますか。」
「分かる分かる。」
耳を澄ませてもどこからも音は聞こえない。
人の声も足音も。
波の音だけは本当に少しだけある。
死体はあるが、良い時間だ。なんとなく、田舎のおばあちゃんちに遊びに行った小学生の頃を思い出した。
特に意味はない。
「転生前、僕は結構良い高校に行ってたんです。」
「なんだ急に。嫌味か、てめぇ。」
「殴られたり蹴られたりしながら勉強してましたから、まぁ、そりゃあ良いとこいけますよ。」
「あたしは。特にそういう家じゃなかったなぁ。高校も馬鹿だったけど、超がんばって大学は結構いいとこ入ったし。」
「転生しなきゃ。僕ら一生会わなかったでしょうね。」
「間違いねぇな。元の世界と違ってあんまり、早く生まれたとか遅く生まれたとか、関係ねぇ文化だからな、ここ。ちょっとそういうのが染みついてきた感じするぜ。」
不良も僕も、同列な存在として今、ここにいる。
そして年齢差というものへの偏見も、差別も、区別も、正直ない。
僕にとっては過ごし易い環境が整っていると言える。
僕は何となく安楽椅子の老人の首を足の腹で強めに蹴って見せる。
全く転がらなかった。
頭は、とっても大事なものが入ってるから重いのだ。
実感する。
「あたしさ、転生するときの女神の間で能力選ぶときさ。蝙蝠抜刀と、蜥蜴抜刀で悩んだんだよな。」
「あの女神が、能力選ばせてくれるんですね。」
「ほら。」
そう言うと、不良がワイシャツをめくりあげてお腹の下あたりを見せた。
黒い蜥蜴。と、蜥蜴の顔のあたりに黒いハート。
タトゥーだった。
「あたし、蜥蜴好きなんだよな。」
凄い笑顔だった。
「いやぁ、マジで蜥蜴抜刀とかどんな能力だったんだろうなぁ。超、気になるぜ。」
日本刀を鞘に入れたり収めたりをしながら、随分楽しそうである。
僕はそれを横目で見ながら空になった注射器を床に捨て、足で踏みつぶす。
休憩は和やかに終わった。
と思ったけど、もうちょい続きます。
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