花が笑むように
「あっ、と・・・っと。」
いい加減チビた消しゴムが生意気にも手をすり抜け、隣の席の彼女の足元に転がった。
「あ、ねぇ新藤。それ・・・拾ってくれる、かな?」
「ん?・・・あ、えぇ。」
彼女は新藤藍奈(しんどう あいな)。もう半年もこうして席を並べているのに、ちゃんと会話を交わしたことが何回あるだろうか。授業中はよそ見をすることもなくジっと前を向き、ノートを取ることに集中している。授業態度はいたって真面目なのに、手を挙げて発言するといった積極性を見せることは無いので、彼女の周りにはいつも近寄りがたい不思議な緊張感がまとわりついている。
そんな雰囲気だから、拾った消しゴムを将棋でも指すようにピシッと机の上に置いた彼女に、
「あ、ありがとう・・・。」
と礼を言うだけでも緊張してしまう。
「いえ。」
そう短く返して、ノートを取る作業に戻るためコチラに横顔を向けた。
彼女は成績優秀にしてその素っ気ない態度や表情、それにこの容姿もあって学園内でも目を引く存在で、男子からの羨望の眼差しとそれに対する女子からの嫉妬心を独り占めにしている。
そんな彼女をこれまでずっと『高嶺の花』だと思っていたけど、こうして席を並べるうちに、次第にその緊張感に慣れてくるのだから、人間の順応力というのは不思議な・・・いや、自分の『鈍感さ』の賜物なのか。
「あの・・・さっきは、ありがとう。」
授業終わりに改めて礼を言う。
「ん・・・え?」
「あの、消しゴム・・・拾ってくれて。」
「ん?あぁ、いいのよ。あぁっ、ここ間違ってるわ・・・。」
こっちを見ることもなく先ほど取ったノートの見直しをしている。いつもこんな調子だから会話が続くことなんて無いのだが、前々から気になっていたことを今日は思い切って訊いてみることにした。
「あ・・・ね、ねぇ。」
「ん?なにっ?」
不機嫌に見えるが、これが彼女の『いつも通り』だ。
「少し、見せてくれない?その、ノート。」
「ん?・・・いいけど。人のノートなんか見てどうするの?同じ授業受けてるんだからノートなんてみんな一緒でしょ。」
鋭い視線をこちらに向け、早口で正論をぶつけてくる。
「あ・・・あぁほら、いつも必死にノート取ってるから、どうやってるのかなぁ・・・って思って。」
「ん?・・・ふぅ。まぁ、いいけど。ちょっと待って。」
もう一カ所直してから、
「ん・・・はい。」
と、こちらによこした。
「あ、ありがと・・・。」
キレイなノートだ。黒板を丁寧に書き写し要点をまとめ、重要と思われる箇所には色ペンを使って目を惹くようになっている。自分の拙いモノと比べると、まるで教科書か参考書みたいだ。
なんて感心していると、
「ねぇ、もういいかしら。」
と、強い口調。
「先生に質問に行きたいだけど。」
「へ?・・・あぁっごめんっ。」
ノートをパタッと閉じ、
「あ、あの・・・キレイなノートを、ありがとう・・・。」
彼女に返すと、
「う・・・ん、別に閉じなくてもいいのに。」
受け取ったノートを改めて開きながら、教室を出ていった。
放課後、
「あ、ねぇ・・・。」
珍しく新藤の方から話しかけてきた。
「あの・・・さっきは、ありがと。」
「ん・・・ん?」
「あ、だ、だから、その・・・『きれいなノート』だって、言ってくれて・・・。」
普段よりも穏やかな表情に見えるのは、彼女にも『放課後の解放感』が影響しているからだろうか。
「あ・・・うん。だって、ホントにきれいに取ってあったから驚いて・・・というか納得して、というか。」
「納得・・・?」
「あ、うん。やっぱり新藤ぐらいになるとちゃんとノート取ってるんだなぁって。」
「ん?『新藤ぐらい』って何よ。」
語気が強くなると、やはり身構えてしまう。
「だ、だから、やっぱり成績の良いヤツはきれいにノートを取るんだなぁって・・・。」
「わ、私は、そんなに成績良くないけど・・・ぅん、それ、たぶん逆よ。」
「逆?」
「えぇ、ちゃんとノート取らないから授業の内容が入ってこないのよ。」
「う・・・そういう、もん?」
「わ、私はそう思って取ってるけど・・・っ。」
急に表情を強張らせた新藤が辺りに目をやった。どうやら、周りからの視線が気になる様子。
「と、とにかく、ノートはきれいに取るものなのよ。じゃ、じゃぁ私、このあと用があるから。」
そう言い残して、教室を出ていった。
「な、なぁ・・・。」
程なくしてクラスメイトのリョージが声をかけてきた。
「お前、いつから新藤とあんなに仲良くなったんだ?」
「仲良く・・・って、あぁ、まぁ隣の席なら多少会話ぐらいするだろ?」
「そ、そりゃぁ・・・そうだけど。なんかさぁ、楽しそうに話してるからさぁ。」
「ん?俺、そんなに楽しそうだったか?」
「あ?お、お前じゃなくて・・・その、新藤がさぁ。」
「新藤が?」
「あぁ、なんか、楽しそうにしてるように、俺には見えた。」
「そうかぁ?いつもあんな感じだろ?」
「ん~まぁ、そう・・・っちゃぁ、そうだけど。少~し笑ってるようにも見えたからさぁ・・・。」
「ん?なんだお前、そうやって新藤の事ジ~っと見てたのか?」
「あぁっ?ば、バカお前、お、俺はなぁ・・・あ~いやっ。お、俺だけじゃねぇからなぁ・・・新藤の事、見てんの。」
「あ~、そう・・・だなぁ。」
見渡すとクラスメイトの多くがこっちを見て、数人はヒソヒソやっている。
(確かに、これだけの視線は気になるな。)
「なっ?これだけの目がお前と新藤が仲良く話してるの見てたんだ。」
「いやっ特別『仲良く』って訳じゃぁ・・・。」
「いいやっ、傍から見るとそう見えるんだ。だから気をつけろよ~、明日あたり『あの新藤藍奈と仲良く話してたヤツ』って全校で話題になってるぞぉ。」
「またまたぁ、お前はいつも大袈裟なんだから。」
「い~や、今回ばっかりは笑ってらんなくなるぞ。なんたって相手があの新藤藍奈なんだからな。」
「あのなぁ、隣の席のヤツと話しただけでイチイチ話題になってたら、一日が60時間でも足りなくなるぞぉ。」
「あ~ぁ、お前なぁ。そうやって呑気なこと言ってっとぉ・・・もう、知らねぇからなぁ。」
「も~、大丈夫だってぇ。そんな大袈裟なことにはならんからぁ。」
翌日、いつも通り遅刻すれすれで学校へ行くと、リョージの言うように・・・は、なっていなかった。
「なっ?」
とリョージに言ってやると、
「お、おかしいなぁ。一大事のはずなのになぁ。」
と、大袈裟に悔しがった。
昼休みが終わり午後の授業が始まる少し前、
「ね、ねぇっ・・・。」
不意に新藤が話しかけてきた。
「ん・・・ん?なに?」
昨日のリョージの言葉を思い出して、いつにも増して妙な緊張感が走る。
「あ、の・・・ん、ぅん。・・・何でもない。」
「ん・・・うん、そう。」
何かを言おうとしたのは分かったけど、それを訊く勇気が出ないまま授業が始まった。
それにしても、どう頑張っても午後の授業なんてのは眠くなる。その上「三角関数」なんてやられた日には、先生より睡魔の言うことを聞いていたくもなる。
「ねぇ・・・ねぇっ。」
右肩をつつく新藤の声で我に返った。
「あ・・・ん?」
「もう、そうやって船漕いでるから授業が頭に入らないのよ。」
小声の新藤は、妙に色っぽい。
「そ、そうは言っても・・・さぁ。」
「ん~。分からなくは、無いけど。せめて起きてなさい。学生の務めよ。」
「は、はぁい。」
とは言ったものの、上のまぶたは重力に逆らいきれず・・・、・・・。
「はい、コレっ。」
チャイムが鳴り睡魔との楽しい時間が終わったところに、新藤がノートを突き出して来た。
「ほらっ、ノート貸してあげるから今日のところ書き写しちゃいなさい。どうせ取ってないんでしょ?」
「え・・・いい、の?」
「そ、その代わり、私、図書室にいるから終わったら持ってきてちょうだい。」
「あ、う・・・ぅん。わかった・・・。」
「いい?必ず持ってくるのよ。」
そう念を押して彼女は去っていった。
ノートを開くと昨日と同じように、キレイに整理され見やすくまとめられた『参考書』がそこにあった。普段なら「コンビニ行ってコピーしちゃお」なんて考えるのだが、このノートを前にすると不思議とそんな気にはなれなくなってくる。何よりそんな手抜きがバレたら間違いなく怒られる。
(字もキレイで読みやすいし、こりゃあんな眠たい授業受けるより新藤に教わった方が頭に入りそうだなぁ・・・。)
幸い、さっさと部活に行ったリョージに邪魔されることもなく作業は順調にいったが、それでも3ページのノートを書き写すのにたっぷり一時間かかってしまった。
「ふう・・・。新藤、まだ図書室にいるかなぁ。」
図書室へ行くと、静かな空間でひとり参考書らしきものと格闘する新藤の姿があった。
「あ、の・・・新藤?」
恐る恐る声をかけると、
「そこ、座って。」
と、こちらも見ずに斜め向かいの席を指さした。
「あ・・・うん。」
音をたてぬようにゆっくり座ると、
「随分かかったのね。もう帰っちゃったかと思ったわ。」
静かだが強い口調。
「ご、ごめん。・・・ノート、ここに置いとくね。」
あまりの居心地の悪さに退散しようとするが、
「待って。そこ、座ってて。」
新藤が引き留めた。
「あ、ぃや、俺ここに居たら、邪魔だろ?」
「いいから・・・、そこに居て。」
こんなセリフを目を見て言われたら、従わない男はいないだろう。まして新藤藍奈に言われたら。
(こんなとこをリョージが見たら、また大騒ぎするんだろうなぁ。)
新藤のカツカツというペンを進める音が、静かな図書室で小気味よく鳴っている。
「いいわよ、寝てても。」
「へ?あ・・・うん。」
「ふふっ。」
(・・・笑った?)
「もうすぐ終わるから、ちょっと待ってて。」
言われなくても、夕日に照れされた新藤の姿はずっと見ていたくなる美しさだった。
「ねぇ・・・新藤?」
「・・・ん?」
「ぅ・・・ううん、なんでもない。」
「ん・・・そう。」
バタンッと音を立てて大きな本を閉じると、
「ふう・・・。」
どうやら納得がいったようだ。
「・・・終わっ、た?」
「え、えぇ、なんとかひと段落つけたわ。」
「なら、よかった。」
「ん?このまま終わらないんじゃないか・・・とか、思った?」
「う・・・ちょっと、ね。」
「ふぅん、じゃぁもう少し続けようかしら。」
なんて意地悪な事を言う。
「あぁ、いやぁ・・・。もう暗くなるから、この辺で・・・。」
「ふふっ、そうね。」
(やっぱり、少し笑った・・・。)
「あぁっ、で、なに?『待ってて』って言うから・・・?」
「あぁ・・・そう、ね。」
そのままノートやペンケースを片付けると、ひとつ息をついた。
「私、ね・・・ちょっと、嬉しかった。」
「え・・・?」
「あなたが、話しかけてくれた時・・・。」
「あ・・・ぅ、うん。」
いつのことを言っているのか・・・と、つい曖昧な返事になってしまった。
「みんなは・・・私とは距離を取りたがるのに、ね。」
「そう・・・だね。」
優しさを売りにした表面的な男なら否定してあげるんだろうけど、こればかりは事実だから仕方ない。
「えぇ。言いたいことがあるなら直接言えばいいのに、わざわざ先生なんか通して言ってきたり。」
口調はきついが、その表情は幾分穏やかだ。
「ねぇ、だから・・・直接話しかけてくれて、ちょっと嬉しかった。」
「あ・・・ぃや、でも『消しゴム拾って』って言っただけな、気がするけど・・・?」
「う、うん・・・それでも、よ。」
「そう・・・なんだ。」
「うん・・・。」
小さく頷く新藤の普段とは違う仕草に、思わず鼓動が高鳴る。
「ぃやぁ、でも・・・」
ごまかすように会話をつなごうとしたところへ、
「はぁい、お二人さん。お話し中のところ悪いけど、そろそろ図書室閉めるわよぉ。」
と、図書室のミサキ先生。
「あぁ、すいません先生。すぐに片付けます。」
「ふふっ、珍しいわねぇ、新藤さんがお友達といるなんて。」
「え、そんな・・・と、友達なんかじゃぁ・・・」
「あらっ?じゃぁ、彼氏ぃ?」
「そっ、そんなんじゃ無いですって・・・。も、もう、あなたからも言ってやってよ。」
「あの、ほ、ホントに、ただのクラスメイトの一人ですので。」
「あらぁ、そうなの?『あなた』なんて呼んでるから、てっきりそうかと。」
「も~、ホントに、違いますから。」
ミサキ先生と話す新藤は、とても自然で活き活きとしている。
「んふふっ、じゃぁそうしといてあげるわねっ。」
「ん~もうっ、違いますってぇ・・・。うぅ、いいわ、帰りましょ。」
「あぁぅ、うん。じゃぁ先生、失礼します。」
「はぁい、また明日ねぇ。」
校門の手前で、
「私って、怖がられてるのかな?」
と、また否定しにくいことを訊いてきた。
「え・・・う、うん。」
「やっぱり・・・?」
「あ、あぁ。だって・・・いつも、物静かで無表情で素っ気なくて目つきが鋭くて、なんか・・・冷たい感じ、するから。」
「そう・・・なんだ。」
「うん・・・。」
新藤と肩を並べて歩く。
「あ、あなたは・・・良い人ね。」
「ぇ・・・えっ、俺が?」
「えぇ・・・なんだか、話しやすい。」
「そう・・・なの?」
「えぇ。」
「な・・・なら、新藤だって。」
「・・・え?」
「今日は・・・なんだか、話しやすかった。」
「え・・・そ、そう?」
「あぁ・・・いつも、あんな感じでいればいいのに。」
「えっ・・・そ、それは・・・イヤよ。」
「そう、なの?」
「え、えぇ。」
うつむきがちに歩く新藤が、妙に可愛い。
「じゃぁ私はここで、また明日。」
「あ、あぁ。ま、また・・・明日。」
校門を出たところで別れた。
普段は見せない表情豊かな新藤が、冷たい視線の新藤と緩やかに混ざり合い、夕暮れの街に溶けていった。
翌朝。
「おはよう。」
遅刻すれすれの寝ぼけ頭で挨拶すると、
「え、えぇ。おはよ・・・。」
やっと聞き取れる小声で返した彼女は、いつもの『冷たい新藤』だ。昨日の別れ際の表情との大きすぎるギャップに戸惑っていると、彼女の手がスッと伸びて机の上にメモを一枚置いた。
放課後、昨日の続きを。
たまには時間に余裕を持って登校しなさい
殴り書きの二行目は直前に書き足したものだろう。
「あ・・・はい。」
精一杯抑えた声は、彼女の耳に届いただろうか。
新藤の方を向いても、いつもの横顔しか見せてくれない。
放課後までの時間を、いつもの冷たい新藤と並べた机で過ごす。
昨日の図書室での彼女を思い出していると、真剣な顔で黒板に向かう新藤が急にこっちを向き、ふいに目が合った。
「ん・・・なに?」
「あ、ううん。」
「・・・そう。」
再びこちらに横顔を向けた新藤は、少し微笑んでいるようにも見えた。
「なぁ、お前・・・」
放課後真っ先にリョージが声をかけてきた。
「お前、授業中ずっと新藤のこと見てたろ?」
「あ、ば、バカお前・・・あぁ、あれだぁ、お前がこないだ変なこと言うから、妙に意識してだなぁ・・・。ってか、お前こそ、俺のことずっと見てたのか?」
「あ?あぁ。」
「お、お前・・・そんな趣味が?」
「はぁ?バ~カ、そんなんじゃねぇよ。目の前でチラチラ新藤の方を見られたら誰だって気になるだろ?」
(俺、そんなに見てたんだ・・・。)
「なぁ、それより今日どうする?」
「どう・・・って、お前これから部活だろ?」
「いやぁ、それが急に休みになってさぁ。なぁ、だからたまにはウィ~ンって羽伸ばしに行こうぜ。」
「はははっ、よく言うぜいつも伸び伸び生きてる奴がさぁ。それに、悪ぃけど今日は先約があるんだ。」
「なんだっ?デートか?」
「ば、バカそんな訳ねぇだろ。進路の先生に呼ばれてんだ。」
「あぁ、なんだ。あ、お前まだアレ出してねぇのか?」
こんな苦し紛れの嘘でも真に受けてくれるリョージは、良い友人だ。
「あぁ。なかなか将来が定まらなくてなぁ。お前は良いよなぁ、もう『とんかつ屋の三代目』で決まりなんだろ?」
「あ?あぁ、まぁなっ。そんじゃ、まぁ頑張って将来と向き合って来いよっ。」
「あ、あぁ。じゃぁな。」
図書室に入ると、数人の生徒が勉強している姿が目に入った。もちろんそこに新藤もいてくれている。
「お、お待たせ・・・。」
こっちをちらっと見て、
「そこ・・・」
と斜め前の席を指さした。
「待ってて。」
気付けば見慣れた景色と雰囲気に、素直に従い腰を下ろす。それにしても勉強に集中している新藤の姿には、ある種の神々しさを覚える。
「寝てても良いわよ。」
軽く微笑みながら言う彼女に、
「そ、そんな訳には・・・。」
と返すと、
「ふふっ・・・。」
と、また勉強の世界に行ってしまった。
そんな神々しい新藤をこのまま見いてもいいけど、それでは勉強だけで時間が過ぎてしまいそうで、朝渡されたメモを取り出し、
明日からはガンバります
と書き加え、新藤の手元に差し入れた。メモに目を止めた彼女は、
「ん?・・・ふふふっ、約束よ?なら、明日は今日より一時間早く来なさい。」
と、意地悪そうな表情を見せた。
「えっ?い、一時間はちょっと・・・。」
「なぁに?・・・ふふっ、嘘よ。でも、5分は早く来なさい。」
「は・・・はぃ。」
「ふふふっ。うん、さてっ。」
バタンと参考書を閉じ、改めてこっちを見て、
「昨日の続き、よね・・・。」
新藤の表情にこれまでとは違った緊張感が感じ取れる。
「え・・・っと、どこから話そうかしら・・・。」
しばし考え込んだ後、
「うん・・・。私ね・・・」
ゆっくりと話し出した。
「私ね・・・あなたの事が、不思議だった。」
「え・・・そう?」
「えぇ。だって今まで私の隣に・・・隣の席になった人って、大概休み時間になると席を立って・・・私とは距離を取って、誰かと一緒にこっち見ながらヒソヒソやったりクスクスしたり、時には睨みつけたりして・・・とにかく、私の周りには誰も居なくなってしまうんだけど・・・。あ、あなたは・・・いつも、私の隣に居て、何か・・・勝手なことをしたり、居眠りしたり、時々・・・その、は、早弁とかしたり・・・ね。」
緊張した表情の中に、時折笑顔が見える。
「あの・・・もしかして、全部見られてた?」
「み、見たくなくても気になるわよ。今まで隣には誰も居なかったんだから。」
「あ、あぁ・・・それも、そうか。」
「えぇ。それで・・・うん、でもね。なんだか・・・居心地、良かったんだ。」
この言葉は、意外だった。
「え?」
「えぇ。誰も居ない時より、あなたが隣に居てくれる方が・・・不思議と、居心地良かった。」
「そう・・・なの?」
「えぇ。だから・・・今、あなたとこうしてお話してるのが、私・・・ちょっと、楽しい・・・。」
「え・・・うん。あ、ありがとう・・・。」
何故だか、そんな言葉が出た。
「え?う・・・うん。ね、ねぇ・・・だから、これからも時々ここで、こうして会って・・・お話してくれないかなぁ、なんて・・・。」
これは、とてもありがたい申し出だけれど、
「ん~・・・それは、どうなのかなぁ。」
このままにはしておけないと思っていることがあった。
「私じゃ、迷惑・・・かなぁ?」
「そ、そうじゃなくて・・・ちょっと、面倒かなぁって。」
「私、と・・・会う、のが?」
「いや、だからそうじゃなくって。もう・・・ん~だから、せっかく隣の席なんだから、教室で話せばいいんじゃないかなぁって・・・。」
「え・・・ん、ん~・・・。」
「ダメ、かなぁ?」
「い、イヤよっ・・・みんな、見てるもの。あ、あなたはあの嫌な視線、気にならないの?」
「う~ん、気にならないことも無いけど・・・?」
「そんな呑気な・・・今頃何言われてるか分からないのよ。いつだってコソコソヒソヒソ・・・。」
「う・・・うん。言いたいヤツには言わせておけばいいんじゃない?。」
「そんなの・・・。」
「そりゃ・・・悪口かも知れないけど、良い話かもしれないだろ?」
「そんなの悪口に決まってるわよ。」
「ホントにそうかなぁ・・・確認した?」
「そ、そんな事出来るわけないじゃないっ。そんな事したら、それこそ全校の笑いものよ。」
「・・・ねっ。」
「え?」
「そんな確認もできない他人の頭の中を気にして生きてたら、一日が60時間でも足りなくなるよ。」
「へ・・・?」
「そんなん気にしてる暇があったら、他の事やった方が良いと思わない?」
すると新藤は、呆気にとられたように無防備な表情を見せてから、
「ふふっ・・・ふっ・・・ははっ、あはは・・・っ。」
と大笑いしだした。
「新藤・・・?」
「ふふふ・・・ごめん、ふふっ・・・あなたって、そうやって生きてきてのね・・・ふふ。」
「そんなに笑うこと?」
「え、えぇ・・・ふふふっ、もう・・・ふふ、バカみたい。」
「ん~?俺の生き方は、そんなにバカみたいかい?」
「えっ?う、ううん・・・ふふっ、私・・・ははっ。」
「あの~、落ち着くまで待ってましょうか?」
「ん・・・う、うん・・・ふふ。」
ひとしきり大笑いした新藤が落ち着くのを待って、
「そんなに、俺の生き方はバカみたいだった?」
改めて訊く。
「ん・・・ううん、そうじゃないの。私が、ね。」
まだ少し笑ってる新藤が続けた。
「私・・・そうね、そうよね・・・ふふっ。私がずっと気にしていた事って、そんなバカみたいなことだったのよね。」
こんなに明るい表情の新藤、初めて見たなぁ。
「そうよね・・・他人の頭の中なんて、所詮わかりはしないわよね。」
「そうそう、気にして生きるだけ時間の無駄ってこと。」
「えぇ。ふふっ・・・じゃぁ、私が今何考えてるかなんて、あなたは分かりもしないんでしょうね。」
「え・・・え?」
「ん~?」
質問を繰り返すようにこちらの視線を覗きこむ表情は、時折見せる意地悪な顔だ。
「えっと・・・『早く勉強に集中したいわぁ』かなぁ?」
「ふふっ、それもちょっとある。」
あるんだぁ・・・。
「でも、今はね・・・このまま、あなたを好きになりたい。」
新藤の真っ直ぐな視線に、緊張感を越えて暖かい感情が湧いてくるのを感じた。
「私じゃ・・・迷惑、かな。」
不安げに表情を曇らせても、それでも視線を外さない。
「新藤・・・?」
「ん?」
「俺で・・・良いの?」
「えぇ。・・・あなた、は?」
「ぁ・・・ん・・・。うん。」
「ふふっ、うんっ。」
とても嬉しそうに頷いた新藤が、少し涙目に見えた。
「はいはいはい、お二人さん。そろそろ図書室閉めるわよ~。」
と、割り込んできたのは図書室のミサキ先生。気付くと図書室は二人だけになっていた。
「あらやだっ、もうこんな時間。」
「すいません、すぐ出ます。」
と、退室する背中に、
「新藤さん・・・」
ミサキ先生が声をかけた。
「・・・良かったわね。」
振り向いた新藤が、
「はいっ。」
と、まぶしい笑顔で応えた。
「それから、『あなた』もね。」
「え・・・あ、はい。」
「むふふ、じゃぁまた明日ねぇ。」
校門までの短い時間。
「俺・・・頑張るから、ね。」
「ん?」
「だから、その・・・『新藤さんってあんな人が好みなのねぇ』なんて、陰口叩かれないように。」
「ふふっ、えぇ・・・それなら、私も。」
一歩大きく前に出た新藤がこちらを向き、自然と向かい合う形になった。
「私も、頑張る。あなたと・・・教室でも、同じように話せるように・・・ね。」
「ん・・・出来る?」
「わ、分かんないけど・・・ぅん、頑張る。」
「ふふふ・・・。」
「あ~、笑ったなぁ。」
「ははっ、ごめんごめん。」
「も~、じゃぁはいっ。」
と目の前に右手を差し出し、スッと小指を立てた。
「ん?」
「約束・・・。ちょっと、子供っぽいけど・・・指切り。」
「あ、あぁ・・・うん。」
新藤の小指に自分の小指を絡ませ、そのままキュッと握る。
「ふふっ、ウソついたら『ハリセンボン』だからね。」
「え?あ、あぁ。」
「お魚の方よ?」
「へ、あ?魚の方?」
「そう、怒るとパンパンに脹れてトゲットゲになるヤツ。」
「え、えぇっ?」
「ふふふっ、ウソついたら・・・ね。」
「あぁ、うん・・・。」
小指を絡めたまま、少し見上げるように新藤が見つめてくる。
「ねぇ・・・少し、汗ばんでる・・・?」
確認するように、改めて右手をキュッと握る。
「え・・・お、お互い様、だろ?」
「そう・・・かな?」
「あぁ・・・。」
「ふふっ。じゃぁはいっ、指き~った。」
やや強引に指を放し、
「じゃまた明日・・・教室で、ね。」
新藤は背を向け、去っていった。
「あぁ、また・・・明日。」
なんとか頑張って早起きし、いつもより5分早く登校すると、
「おはよう。今日は早いのね。」
と、新藤の方から声をかけてきた。それに対し、
「あ、あぁ。約束、したからね。」
と返すと、クラスの視線が一斉に集まるを感じた。『あの新藤藍奈』が朝から他人と会話を交わしている、それも自ら話しかけているのだから驚くのも無理は無いだろう。
「なら、もう少し早く来ても良かったんじゃない?」
「え、こ、これでも早起き出来た方なんだぞ。」
「ふ~ん・・・もう5分早かったら、褒めてあげても良かったのに・・・。」
ごく自然に話す姿に、クラスのみんなは唖然とした様子だ。すると、新藤がこちらにだけ聞こえるような声で囁いた。
「ねぇ・・・みんな、驚いてるわね。」
「あ、うん。気になる?」
「いえ・・・案外、平気よ。」
「なら、良かった。」
あの新藤藍奈が、隣りで笑ってくれている。
この事実に少しの興奮を覚えつつ、コレがこのまま『日常』になればいいなぁ。なんて、つい考えてしまう。
「ねぇ、お昼は今日も焼きそばパン?」
「えっ?なんで分かったの?」
「分かるわよ、あなた週に4日は焼きそばパンなんだから。」
「あ・・・そう、か。」
「私だって、ずっとあなたの隣に居たんですからね~。」
と、カバンから見慣れたパン屋の紙袋を取り出した。
「あ、それ・・・。」
「ふふっ。だから、今日はお揃い・・・ね。」
「な、なぁ新藤・・・そういうことするの、世間では『バカップル』っていうんだぜ。」
「え~っ、『カップル』は良いけど『バカ』はやめて欲しいわ。」
「ん?」
「ふふふっ。」
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