月を愛でるように

 ただ見ていることしかできなかった。


「えぇ~っ!熱海に移住っ!?」

 喫茶店を営んでいる両親が、お店を俺に任せて『熱海に移住する』なんて言い出した。

「そ、そりゃぁ・・・親父たちのことずっと見てたからやることは分かってるし、いつかはそのつもりで調理師の免許も取ったけどさぁ・・・。俺、まだ23だぜ?」

「あら、23なら立派な大人よ?」

「かぁちゃん・・・。」

「そうだぞ。高校出てすぐにプロ野球で活躍してる子もいるんだから、23にもなりゃもう立派なもんだ。」

「親父~、野球と一緒にしねぇでくれよ~。あっちは『選手』でこっちは『店主』だからなぁ。」

「あら、うまいこと言うわねぇ、ふふふっ。まぁ、あんたなら大丈夫よ。ねぇ、ご近所さんも助けてくれるから。」

「ん~、そうだろうけど・・・。」

 カランコロ~ン・・・と、ドアを開けるとベルが鳴る昔ながらの喫茶店。

「こんにちは~。」

「あぁ、ひろ姉ぇ。聞いてくれよ・・・。」

 彼女は4つ上の幼馴染。子供の頃は「ひろ子お姉ちゃん」なんて呼んでたけど、いつからか「ひろ姉ぇ」と呼ぶようになった。

「聞いてくれよ、親父たち『熱海に移住する』とか言い出してるんだぜぇ。」

「あぁ、おばさんたち決めたんですねぇ。」

「・・・ん?なに?知ってたの?」

「え・・・知らなかったの?」

「・・・うん、いま聞いた。」

「やだぁ、おばさんたち黙ってたんですか?」

「えぇ、いきなり言ってびっくりさせてやろうと思って、ねっ。」

「も~、かぁちゃん・・・。」

 何のためなんだ、このサプライズは。

「で、いつ行かれるんです?」

「うん、もう来週には行くことになってるのよ。」

「来週!?・・・ホントに、もう全部決まってんの?」

「えぇそうよ。ふふっ、びっくりした?」

「そ、そりゃぁ・・・なぁ。」

 

 そんな訳で、ひとりで喫茶店を任されることになった。

 ありがたいことにご近所の常連さんが変わらず来てくれるから、お店は問題なく経営していけそうだけど、ひとりで全部の作業をやるのは思った以上に大変だ。

「なぁひろ姉ぇ、日曜日手伝ってくれよぉ。」

「え?いいけど・・・バイト代いくら出す?」

「も~、そんなケチぃこと言わねぇでさぁ。俺とひろ姉ぇの仲だろぉ。」

「ふふ~ん、それとこれとは別の話。それにほらぁ、私がそっち入ったら夫婦と間違われるし。」

「そ、そんなこと・・・な、なぁ、前はよく手伝いに来てたのに、なんで俺は手伝ってくんないの?」

「ん?だって、おばさんお小遣いくれたもん。」

「え?・・・もらってたの?」

「うん、ちょっとだけどね。」

 俺にはそんな『特別手当』なかったな・・・。

「ねぇそれより、他に手伝ってくれる人いないの?」

「他にぃ?」

「ほらぁ、彼女とか恋人とかガールフレンドとか・・・ねぇ、いるんでしょ?」

「い、いねぇよ・・・そんなん。」

「あら、それはそれで・・・ふふっ、さみしいわね。」

「さ、『さみしい』とか言うなっ。ひろ姉ぇだって似たようなもんだろ。」

「あら、私にだってボーイフレンドの一人や二人・・・。」

「え・・・いるの?」

「ふふっ、むふふっ。」

 不敵な笑み。

「な、なんだよ~。」

「ふふっ、ヒ・ミ・ツ。」

「な、なん・・・も~俺の周りは秘密主義者が多いなぁ。」

「ふふふっ。ねぇ、なら友達紹介しようか?ちょっと年上になっちゃうけど。」

「え、あぁ・・・うぅん。」

「ん?なに、その返事。・・・あぁっ、まさかまだ『ポニーテール女子』とか言ってんの?」

「ば、バカっ、そ・・・ん~、悪ぃかよ。」

「あははっ、悪くはないけどさっ。ポニーテールなんて時代遅れもいいとこよ。」

「そ、そんなことねぇって。少なく見積もっても『可愛らしさ3割増し』なんだからなっ。」

「はははっ、分かりましたっ。じゃぁ、ミーコにそう伝えておきますぅ。」

 唐突にひろ姉ぇの友達の名前が出てきた。

「え、『ミーコ』って、テニス部の?」

「そうそう、インターハイに行った・・・あ、知ってる?」

「そりゃ・・・ひろ姉ぇの友達のことは、だいたい。」

「あ、そっか。ココにも来てたもんね。」

「うん。よくホットケーキ食べてた。」

「あら、よく見てるわねぇ・・・あ~、まさかミーコのこと~?」

「ば、バカっそんなんじゃねぇってぇ。」

「またまたそんなこと言っちゃって~。」

「も~、ひろ姉ぇのバカぁ。そもそもなぁ・・・。」

「・・・ん?」

「そ・・・そもそも、俺がポニーテール好きなのは、ひろ姉ぇのせいだからなぁ。」

「ん?なんで私のせいになんのよ~。」

「ほら、ちっちゃい頃、よくポニーテールにしてたろ?あれ、見てて・・・その、カワイイなぁって・・・。」

「ふ~ん・・・。」

「・・・な、なんだよぉ。」

「私の事・・・そんな目で見てたんだ。」

「・・・あ、あぁ。」

「この・・・変態。」

「はぁ~っ!?そ、そんな言い方ないだろ~!」

「だってそうでしょ~?ちっちゃい女の子のポニーテール見て『カワイイなぁ』なんて思てたんだからぁ。」

「あ、あのなぁ、ひろ姉ぇのちっちゃい頃は俺はも~っとちっちゃかったんだぞ。」

「はいはいはい、そうでしたそうでした。」

「もぉ、なんだよ~。・・・もう、それより日曜日手伝ってくれよ~。」

「えぇ~日曜日ぃ?」

「あぁ。」

「・・・いくら出す?」

「う、ウチには今そんな余裕ねぇって。」

「ふ~ん。じゃぁひとりで頑張ってぇ。」

「ん~・・・もう、コーヒー出すから。」

「コーヒー・・・一杯?」

「も~、分かったよぉ、ホットケーキもつける。」

「ふふっ、やったぁ。じゃぁ、このひろ子お姉さんが手伝ってあげるからありがたく思いなさい。」

「は、は~い。」


 忙しい時にひろ姉ぇがいてくれると本当に助かる。このお店のことを良く知っているし、何より『お客さん受け』が良い。

「お次、チョコレートパフェふたつね。」

「は~い。」

 チョコレートパフェなんて手間のかかる面倒くさいメニューはやめてやろうかと思う時がある。

 カランコロ~ン。

「いらっしゃ~い、あぁミーコぉ、来てくれたんだぁ。」

「ひろ子~、来ちゃったぁ。」

 彼女が例の『ミーコ』さん。隣町でテニスのインストラクターをしている。久しぶりに会ったけど、やっぱり美人だ。ただひとつ残念なのは、彼女がショートヘアということか。

「お久しぶりです、ミーコさん。」

「うん、お久しぶり。ふふっ、しばらく見ないうちにずいぶんと大人っぽくなったわねぇ。」

「そ、そりゃ23にもなりゃぁそれなりには、ねぇ。」

 最後に会ったのは、俺がまだ中学生の頃か?

「へ?そっか、もうそんな年かぁ。ふふふっ、そうよねぇ。」

 そう言ってカウンターに座り、

「それにしても、元気そうでよかったぁ。」

 と、こっちを見て一言。

「へ?・・・え、えぇ。」

「いやぁひろ子がさぁ、『両親が家出してさみしそうにしてるから顔見にきてやって』なんて言うから・・・。」

「ちょ、ちょっ、ちょっと待ってミーコさん。え、ひろ姉ぇからなんて聞いたの?」

「ん?だから『両親が出てっちゃって、ひとりでさみしくしてる』って。」

 ひろ姉ぇ・・・。

「あ、あのねぇミーコさん。出てったって訳じゃなくて、夫婦で仲良く熱海の方へ移住したんですよ。」

「え?そうなの?」

「えぇ、なんでも毎日温泉に入れる生活をしたかったんだって。で、この店を俺ひとりに押し付けてったってとこです。」

「あぁ、そうだったのねっ。ふふっ、も~ひろ子ったら大雑把ぁ。」

「ホントにねぇ。で、何にします?」

「う~ん、じゃぁ久しぶりのホットケーキっ。」

「は~い、ホットケーキねぇ。」

「ふふっ、お父さんと同じ味がするかしら?」

「お・・・っと、お、親父より美味しいの作ります。」

「おぉ、言ったねぇ。ふふっ、じゃぁおねぇさんがしっかり見極めてあげよう。」

 正直ホットケーキには自信がある。毎日親父が焼いたやつを食べてきたのは伊達じゃない。

「は~い、お待たせぇ。」

「まぁっ、上手に焼けたわねぇ。」

「そ、そりゃぁ、お金取って出してますから。」

「ふふふっ、それもそうね。じゃぁ、いただきます。」

 一口食べて見せた笑顔は、テニス少女だったあの頃と変わらない。

「コーヒーもどうぞ。」

「うんっ、ありがと。」

 コーヒーを一口、ブラックで。

「はぁ、コーヒーも美味しい。」

 カップに付いた紅の跡をサッと拭う姿に、『大人の女性』を感じた。

「お気に召しましたでしょうか、おねぇさま。」

「ん?ふふっ、大変良いお味でしたわよ。ふふふっ。」

「あれ~、なんかお二人さん楽しそうなんですけどぉ。」

「あぁ、ひろ姉ぇ。ミーコさんが美味しいって言ってくれた。」

「あらぁ、良かったわねぇ。」

「うん。これなら、また安心して食べに来れるわ。」

「あれ、疑ってたの?」

「ん?ちょっとねっ。」

「はいはいはい、それよりお次、ホットサンドと玉子サンドにコーヒーふたつね。」

「は~い。」

「ふふっ、すっかりマスターが板についてるわね。」

「そりゃ、ちっちゃい頃からずっと見てましたからね。」

「まぁ、頼もしい二代目だこと。」

「ふふっ、ありがとうございます。」

 彼女が以前より話しやすく感じるのは、俺が少しは『大人になった』って事なのだろうか。

「あ、ねぇそれより、どう思う?ひろ子のお相手。」

「ひろ姉ぇのお相手?」

「うん。ねぇどう思う?」

「え?・・・どう・・・って、えっ?」

「あれ?まさか・・・聞いてないの?」

「聞いて・・・って?」

「え?ね、ねぇひろ子ぉ~、話してないの?結婚のこと~。」

「え・・・ひ、ひろ姉ぇ・・・?」

「あ~っミーコぉ、も~内緒にしててって言ったじゃぁん。」

「え?いやぁ、てっきりココには話してるもんだと思って・・・。」

「え、えっ?ホントなの?ねぇ、ホントに結婚すんの?ねぇ、いつ?誰と?ねぇ、ホントにっ?」

「ほらぁ、落ち着いてぇ。も~、ギリッギリまで黙ってようと思ったのになぁ。」

「ご、ごめんひろ子ぉ。」

「もぉ、しょうがないなぁ・・・。そう、私、来月結婚すんのよ。」

 こうして本人の口から改めて聞くと、もう事実だと認めざるを得なくなる。

「・・・そう、なんだ。」

「あぁ~あ、前の日に言ってビックリさせてやろうと思ってたのに。」

 時々見せるその『いたずらっ子』みたいな表情。

「・・・で、誰?俺の、知ってるヤツ?」

「ううん、今度紹介する。」

「こ、『今度』って、来月なんだろ?」

「うん。だから、今度ね?」

「ん~もう、俺の周りはホントに秘密主義者が多いなぁ。」

「ねぇ、それよりあんた、幼馴染が『結婚する』って言ってんのに『おめでとう』の一言もないわけ?」

「え・・・。」

 確かに、めでたいことではあるけれど・・・。

「お・・・おめでと・・・。」

 この祝福だけは、したくなかったな。

「ねぇ・・・。」

 ミーコさんの心配そうな声。

「ねぇっ。上がってるわよ、煙ぃ!」

「へ?・・・あ、うわぁっやっちゃったぁ。ごめんなさぁいっ、ホットサンド焼き直します~。」

「はははっ、しっかりしてよぉも~。」

 って、ひろ姉ぇのせいだろ・・・。


『本日 臨時休業』

 来月とか言っておきながら、実際には2週間後だったひろ姉ぇの結婚式。結局お相手とは式の後で会うことになった。

「ねぇひろ姉ぇ、なんでこんな時にポニーテールなの?」

「え?だって、ポニーテールは『可愛らしさ3割増し』なんでしょ?」

「そう・・・だけど、さぁ。」

「ふふっ、せっかくなら少しでもカワイイ花嫁さんでいたいじゃん?」

「そ、そんなことしなくったって、ひろ姉ぇは・・・カワイイのに。」

「あら、褒めてくれてるの?」

「そ、そんなんじゃ、ねぇけど。」


お隣さんで、幼馴染で、あこがれの人で、ずっと思い続けて。

いつか一緒にあそこに立つんだと思っていたのに。

俺はただ・・・。

愛するポニーテールが見知らぬ男と誓いのキスをするのを、ただ見ていることしかできなかった。

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