加藤ショウイチロウ
「……成る程な」
僕の長い「相談」を聴き終えた僕の……いや、橘高ヒロトの上司、彼が所属する情報自衛隊「備品管理部別室」室長、加藤少尉は平然とした様子で僕の話を飲み込んだ。
敏腕銀行マンといった風情の年齢不詳の整った容姿。落ち着いたしかし聞き取りやすい声。どこかのスーパーの店長とは真逆の仕事のできる有能上司だ。
僕がこの世界にこの世界の主人公としてまろび出て丸一カ月。この状況が自然に解消することを僕は諦めた。仮にここが僕の書いたラノベの内側で、その外側に現実の世界があるとする。僕は今、外には出られず、また外とは全く連絡の取れない状態にある。だから、この内側の世界において僕の上長で、なおかつ最も頼りになる人物に僕は今の僕が置かれた状況を正直に相談することにした。
「幾つか確認したい」
「はい、少尉」
少尉、というのは防諜部隊であるここ、「備品管理部別室」──通称「備管別」での彼のワークネームだ。自衛隊の階級には正確には「少尉」という呼称のものはない。だが僕らが彼を自衛隊の階級である「三尉」と呼んでいて、その音声記録や書類の記述が万が一外部に漏れたら、それは即自衛官の関与を示すものとなってしまう。隊員の正式な立場の秘匿と利便性の間を取って、この備管別では自衛官は旧軍式の階級で呼ばれるのが通例……という設定に僕がしたのだ。
「君の話が正しいとすると、この世界は小説の記述世界で、私も君もその登場人物だとなるわけだが、それを証明することはできるか?」
「現時点で橘高ヒロトに伏せられている今回の事件の全容を、作者である僕、青木ヒロシは知っています。僕が書いた筋書きですから」
「ほう?」
「今回、ヒロトとロザが戦ったのは英国情報部M.I.6。そのマシナーズと呼ばれる機械化部隊。機械犬バスカビルをけしかけたのはダブルオー要員のダッチ・シェーファー少佐。彼自身もサイボーグで、左手に重積衝撃デバイスを装備した近接戦闘型の強襲エージェントです」
「…………」
「少尉の権限では肯定も否定もできないですよね。続けます。表向き僕らは、高度な暗号解析技術を偶然発見した天才数学者を守ったことになっていますが、それは備管別が用意したカバーストーリー。僕らが守ったのが四つの博士号を持つ十五歳の天才少女であることは間違っていないですし、彼女が純粋数学をその専門の一つにしていることも欺瞞情報ではない。僕らが彼女を守ったのは、彼女がある大発見をしたから、という点も事実です」
「橘高君……」
「だがそれは、落し戸付きα関数暗号の解析方法なんてチャチなものじゃない。先進各国が国家存亡に関わる事案として重要視し、秘密裏に躍起になって研究を続けている全く新しい理論体系。アインシュタイン物理学を過去のものにし、今後の百年を統べる数学と物理学の絶対の法。その名は──」
「そこまで! もう十分だ」
少尉は溜息をついた。
「次の質問だ。君が書いたと言う小説に、作者がその世界に迷い込む、というパートはあるのか?」
「……ありません」
「もう一つ。私が君の小説の作中人物なら、私の能力や知識は作者である君を超えない。なぜ私に相談した?」
「僕は、青木ヒロシはあなたを、僕自身よりはるかに仕事が出来て賢明な人物として設定しています」
「その設定が、現実として反映されていることに賭けた、と?」
「はい」
「……私の意見を言おう。可能性の話だが」
「お願いします」
「一つ。君自身の能力、アプリオリの副作用の可能性。二つ。何らかの精神攻撃を受けている可能性。三つ。君が語った世界自作小説説が正しい可能性。それぞれ詳しい説明が必要か?」
「いえ。言わんとするところは分かります」
「私の判断では……君に言わせれば、これすらも君が記述したことなのかもしれないが……一つ目の可能性が高いと感じる。何らかの要因で君のアプリオリの能力が肥大化し、認識能が暴走気味に拡大した。君は一時的に世界の様々な真実に触れるに至り、混乱すると同時に極度の不安を抱いた。その不安定な状態の解消手段として、君の精神は君自身を騙した。この世界が小説で、君はその小説の作者だと」
「……」
ううっ。流石は僕が有能で賢いと設定した理想の上司。いかにもありそうでギリギリ現実的な解釈……! だとすると僕は力ゆえに心を病んだ予知能力者だということか……。構造的に僕側からは覆せない仮説じゃないか。
「だが、敢えてここは君の世界自作小説説が正しいとした上で、その脱却方法を考えてみよう」
マジで? なんて……なんて良い上司……!
「そうだとするならば、ここは檻で君はそこに捕まったネズミのようなものだ」
「ええ……まさに」
「ネズミが檻から出るには二つ方法がある。今回の場合だと、どちらも仮説以上にも以下にもならないが。一つ目は? 何を思い付く?」
「なんとかして……檻を壊す?」
少尉は頷いた。
「つまり、君の物語が壊れれば、君が出られる可能性はある」
「確かに」
「手っ取り早いのは、例えば重要なキャラクターの死だ。物語が成立しなくなるような、ストーリーの中心に近いキャラクターであればあるほど、効果が期待できるだろう」
「そんな……じゃあ、じゃあもう一つは?」
「君も薄々気付いているんじゃないのか?」
***
少尉の執務室から出るとロザが待っていて、僕を見てパッと明るい笑顔を作った。
「終わったのか? 進路相談は」
「うん」
「よし、じゃあ帰ろう。今日はロースカツだ。デザートはキミと買って帰ろうと思って今は用意してない」
「じゃあスーパーに寄ろう」
「済まない。私の段取りが悪かった。予めキミにデザートは何がいいか訊いておけば、帰り道に遠回りをさせずに済んだな」
彼女は真面目にしゅんとしていた。
「いいさ。僕自身、少しロザと一緒に歩きたいと思ってた所なんだ」
「そ、そ、そうか。それなら……丁度良かったかも知れない。適度なウォーキングは人体のコンディションの維持に有効だしな」
「そんな理由じゃないよ。ただロザと歩きたかったのさ」
「キ、キミの言うことは、特に私への態度は、私には難解すぎる……非合理だが、受け入れたくなる言動ばかりだ。それがいつも……私を混乱させる」
「好きってことさ」
ロザは俯いて黙った。
僕は彼女の手を取って歩き始めた。
庁舎を出ると外は既にとっぷりと日が暮れていて、空には無数の星がギラギラと言っていいほどに輝いている。
美少女アンドロイドの手を引いてスーパーを目指す僕の耳の奥に、少尉の二つ目の仮説が一度だけ反響した。
(ネズミが檻から出られる時。それは──ネズミが死んだ時だ)
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