メッセンジャー

 階層世界の全てに迫った滅亡の危機を退けた。その数日後、辰哉はアーセルトレイ公立大学の医学部棟に訪れていた。数日前の酷く立て込んだ空気は無いけれど、それでもまだ慌ただしい様子なのは事実だった。

 落ち着くまではもう少し掛かるだろうか、周囲を観察していた辰哉に声を掛ける人物がいた。辰哉よりも小柄で黒髪の、ともすれば彼よりも年下に思える程に若く見えるがれっきとした医師である。

「七地君」

「Dr.天埜……」

 医師の敬称で呼ばれる彼、天埜 澪は辰哉にとっては諸事情あって少しばかりどういう顔を向けるべきか分からない相手であるけれど、しかし決して無碍にしていい人物ではなかった。

「顔を出しに来てくれたんだ。ありがとう。お疲れ様」

「Dr.もお疲れ様です。……流石にまだ、慌ただしいですね」

「そうだね。でも、もう少しすれば落ち着くと思うよ」

 だから安心して、と向けられた気遣いの意図を察して辰哉は頭を下げる。

 そしてふと、その時になって辰哉は澪が見慣れた白衣を脱いでいる事に気付いた。

「今から退勤ですか?」

「うん。午前だけ来てたけどね」

「そうですか。よく休んでください。引き留めてしまって失礼しました」

 顔からは疲労の色といったものが一見するだけでは分かり辛いけれど、澪の置かれた状況を鑑みれば疲れていない訳がないのだ。星の騎士としてもそうだが、医師としてもほぼ不眠不休の勢いで働いている彼の姿には感服する。

 立ち去ろうとした辰哉を、しかし澪は「待って」と呼び止める。

「丁度会えて良かったよ。君宛てに預かってるものがあるんだ。僕の方が君に会える機会が多いからって……」

 そう言って手渡されたものは折り畳まれた一枚の白い紙だった。

 誰かからの伝言メモだろうかと内心で首を傾げつつも広げてみると、そこには『七地先生へ』と拙さを残しながらも整った文字が綴られていた。

『こわかったけど、七地先生に大丈夫だって言ってもらえて、とっても安心できました。ありがとうございました。七地先生も、体に気をつけてください。』

 本文から少し離れた所には小さく『麻生 ミメイ』と書かれていた。

「君と次にいつ会えるか分からなくて、でもどうしても伝えたいことがあるからって言われてね」

 常からあまり大きく表情が変わる人物ではないが、それでも今の澪の目には柔らかい色が宿っていた。

「確かに受け取りました、ありがとう、そう伝えて頂けますか?」

「うん、分かった。でも、出来れば七地君の方からも顔を見せてあげて。きっと喜ぶから」

 その言葉には「はい」と頷いた。辰哉の返事に澪は小さく笑い「じゃあ、また」とその場を立ち去った。

「……返事を書かなければいけない宛てが増えたな」

 誰も聞いていないその声は、どこか温かな色が滲んでいた。

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