楽園の白き鳥たち

@serenthia

第1話ミャハランとスピレア 夏の誓約

 世界がいまだ創世の魔法によって息づいていたころ、<森>がひとびとの唯一の世界であった。人々は春のあおあおとした新緑に、また雨期の雫纏う濃緑と共に産声をあげ、夏の若草と共に成長し、秋の紅葉と舞踏のようにかさかさと声を出して散っていく枯葉を悲しみ、冬の処女雪つもる木枝に沈黙した。

 木々に留まり憩う小夜啼鳥にあわせて詩人は歌を詠い、諸王は自身の象徴となる樹木や花を決めて、常に纏い、戦になれば掲げて勇敢にたたかった。

 森の大部分を治める<上王国>に、爽やかな一陣の風と共に夏がやってきた。花蜜が甘やかに匂いたつ中で行われた<夏柳>の部族の夏告げの宴は華々しく豪奢で、この上ないほど陽気なものであった。

 人々は部族のものとも、よそのものとも等しく手を取り合って笑い、時には手を叩いて踊りあかした。その日は、部族の外から、年若いバルドの青年が族長を訪ねてきていた。

 ミャハランというそのバルドは、<森>ではめったにみかけることのない、鴉の羽根のような髪をしていた。夢見る様に微睡みがちな若草の瞳に、やはり昼夜の夢を灯していた。唇は血のように紅かった。ミャハランは族長にいった。その声は、彼の膚と同様に、何処までも透き通っていた。感じの良い、快活な声であった。

「奥方様は、一年とたたずに、娘御をお産みになられるでしょう。」

それを聞いて、族長は真心から喜んだ。夫婦は子供に恵まれなかったのだ。<上王国>では男子が嗣子とされる風潮が根強いが、<夏柳>の族長の伴侶は<霧の島>の巫女だったのである。族長は妻を愛していたので、娘の誕生を喜んだのだ。

「あなたは一度に二度祝福されるでしょう。双子の姉妹を授かるのですから」

「バルドよ、もしそれが本当ならば、私は嬉しい。それが真実となった日に、私はそなたになんでも差し出そう。これは誓約だ」

「ならば、生まれてくる下の娘御を、私に託してくださりますよう」

 それはならぬ。族長は思わずそう言いかけたが、これは自身の命よりも尊い誓約のもとになされたやり取りであった。どんなものでも、破ることはできなかった。

族長は、どこまでも族長であった。<森>にすむ男であった。彼はついに頷いた。

 しかし、バルドであるミャハランのうるわしい双眸は、その時になっても変わらず微睡み、何を想っているのか、ついぞ余人には計ることはできなかった。


 季節は巡り、再びの夏が来る頃に、<夏柳>の一族の族長とその妻の間に、双子の姉妹が生まれた。

 太陽のように力強い族長と、月の様に清廉な妻からは、二粒の星のように美しい姉妹が生まれたのだ。双子は金の星と銀の星という違いはあったものの、それはとても良く似ていた。姉は太陽の光をこよなく愛し、妹は月の光の冴えやかな清楚と優しさで愛し、互いにそれらからも愛されるだろうと部族のドルイドにいわれた。

 姉妹の出生の折には、バルドであるあのミャハランも部族の砦に滞在していた。

 そうして、誓約は遂行された。


 <森>から少し離れた場所にぽつりと存在する<霧の島>は神秘の島であった。<森>に存在する神々や妖精たちの居場所ともいわれ、巫女である娘たちが、<神秘>の前に日々仕えていた。

 <霧の島>に近い森の先端に、湖に守られて存在する、余人には気づかれない城があった。

 スピレアはその不思議な城で、この上なく可憐な処女として成長した。彼女は白に存在する温室にいたが、ミャハランを見つけて、にっこりと笑い手を振った。

「お兄様」弾む声は、満開の花のようだ「何をなさっていらっしゃるの?」

「ああ、スピレア」黒髪のバルドは、変わらずに感じのよい、優しい声で答えた。「これからお客様がいらっしゃるんだよ。僕は忙しいから、あなたの相手は今はできないんだけれど、許してくれるね?」

「もちろんだわ。わたし、淑女ですもの。ううんといい子にしています」スピレアは言った。「ああ、でも、でもね。温室で遊んでいたら、眠くなってしまったの。お兄様、夜は同じ部屋で眠ってくださる?」。

「僕のお姫様は」ミャハランは笑った「とても甘えん坊な淑女だね。ああ、けれど構わないよ。」

「本当? わたしのお兄様、大好きよ。兄でもあり、お父様である。ただ一人の方ですもの」

 スピレアはそういってはにかむように微笑み返した。温室は光が射し溢れて、花がそれに合わせて風に揺れた。

 この象牙の娘の腰まで伸びた雪のごとく白い髪はミャハランとは真逆であったが、いつでも微睡むように輝いている若草の瞳は、本当の兄妹のように似ていた。

 夏に生まれた雪の娘。スピレアこそ、ミャハランと<夏柳>の族長の間に交わされた誓約の娘であった。その立ち姿は白い雪の精さながらに清らかだった。声は濁りなく澄んでいて、天高く舞い飛ぶ鳥の歌を思わせた。

 スピレアは、ミャハランが自分の本当の血筋でないことを知っていたが、しかし本当の両親や、姉について訊ねることはなかった。満ち足りていたのである。ただし、スピレアは別のことを想わずにはいられなかった。

 お兄さまにお客様だなんて、今までにあったかしら? いったい、どんな方がお見えになるのだろう。

 スピレアは確かに淑女であったが、無垢で、好奇心の旺盛な娘であった。彼女は、窓辺に隠れて、兄の来客を見てみたいという気持ちを、遂に抑えることはできなかった。

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