第4話


 朝になるとCDプレーヤーをポシェットに入れてから家を出て町を散歩します。通行量が多くない、神社や公園に繋がる道です。


 公園には何人かがいますが、神社には誰もいません。月に数回くらい謎のお爺さんがうろうろするのを見たりしますが、話を交わすことはありません。多分神社の関係者か誰かなんじゃないかと。


 参拝をしに来たわけではないのでぐるっと境内が見える範囲を一周してから家に戻ります。この行為自体に特に意味はありません。


 昔ドイツにいた頃は朝になると聖堂の周りを歩いたりしましたからね。神への怒りの現れだったんだろう。それとも私こそ神の怒りだったのかもしれない。


 ほら、お前たちに罪がなかったとすれば、神はきっと私のような人間をお前たちに仕向けたりはしなかったんだろうという、モンゴルでは有名かもしれない言葉があるじゃないか。


 CDプレーヤーには気分によってパガニーニ、ラフマニノフ、チャイコフスキーなどを適当に選び、鼻歌でメロディを歌ったりもしながら聞いています。


 特にクラシックにこだわっているわけではなく、歌詞のある歌はメッセージがあるものでして、その意味について一々考えてしまいます。


 現代になると何気ないテクニックが特別な意味を持ったりしますので、そういうのはちょっと面倒くさいんですよね。


 そういうのは間に合っていますので、あまり聞かないようにしています。物事を考えるのは、不本意で避けられない移動時間でするものです。


 そうでない時間には痛みなく生きていること自体を噛み締めて楽しむのです。


 英里ちゃんと仲良く(?)なってからは時々アニソンも聞いていたりもしますが、なんというか、ちょっとむずがゆいですね。


 どことなく無意識の奥底を直接刺激してくる感じがなんとも卑猥で。別に卑猥な歌詞で書かれているフランス人が歌うような曲を聞いてるわけではないんですけどね。


 家に戻ると丁度七時で、学校に行くための支度を始めます。朝ごはんは紅茶と季節の果物を一個だけ食べます。今の季節だとリンゴやミカンになりますね。


 食べ終わると歯磨きをして制服を着て外に出ます。


 そうです。


 小学生なのに制服が義務付けられています。


 私立だとそう珍しくもないかもしれませんけどね。


 ブレザー制服に見えなくもない…、かなり昔の、それこそ60年代や70年代のOLやフライトアテンダントが着ていた制服に似てます。飢えは紺色の上着を着て、下には白い半袖ブラウスを着ます。


 下半身は同じく紺色のプリッツスカート…、と言い張ることもできなくもないデザインですかね。ちょっと長い白いソックスにオーソドックスな黒か白の革靴、最後にまた紺色のリボンを襟元に付けます。


 紺色好きなんですね、この学校は。


 それにしても如何せんみんな身長が低すぎてですね。ちょっと、いや、かなり滑稽です。私も滑稽です。皆滑稽です。


 これが可愛いと言う人もいるっちゃいると思いますけど、誰が決めたんでしょうね。


 誤解がないよう申し上げますと、ミッション系とかじゃないです。紺色=ストイックなイメージ=ミッション系っぽい、とかにはなりません。


 どこかの財団が作った学校らしいです。不思議オブジェクトを確保したり収容したりする財団らしいですが、ちょっと意味がわかりません。


 冗談はこれくらいにして、外へ出ると運転手さんが待っています。


 ヤクザの親分とかが乗りそうな黒いセダンで、少々物々しい雰囲気がしなくもないです。


 時刻は八時くらいです。元々義父の専属運転手さんで、40代くらいの気弱そうなおっさんです。


 話しかけると最初に、あ、って言ってから喋る人です。あ、はい。みたいな。


 運転自体はスムーズにできてて、安全運転を心掛けているのが伝わってきます。ぼんやりと窓の外を眺めたり物思いに耽るとすぐに時間と空間は進んでゆき学校に到着します。


 挨拶をしたりされたりしながらクラスに入り着席すると、突っ伏していたり何かを読みながらニヤニヤしていた英里ちゃんが私に気が付き話しかけてきます。


「おはよう、沙織ちゃん」


 彼女は礼儀がなってないガキにしては純粋な好意を感じさせる表情を自然と浮かべます。私は笑顔を振りまくような人間ではないので目だけ英里ちゃんに向いて挨拶を返します。


「ええ、おはようございます」


「何言ってるの、そこはごきげんようでしょ?」


 お前こそ何言っているんでしょうか。こういう突拍子もない行動はとても新鮮に感じますが、反応に困ります。怒ったりはしませんよ?


 そもそもどういった行動原理で行動しているかよくわからない間は怒ることもありません。実害もなく、付き合う分には楽しくないわけでもないので。


 憶えてはいるんです。覚えてはいますが、本当に毎回私が言うことを期待しているのかなって。まあ、言いますけどね。


「え、ええ…。そうでしたね。ごきげんよう」


「キャッ、もう一回…。ぐへへ…」


「ええと…。ごきげんよう?」


 きっと私で遊びたいだけなんでしょうね。


 人の声や顔はそれを見る側、聞く側がいないと何の意味も持ちませんからね。つまり自分のものでありながらも他人がいないと成立しないもので、それを楽しむと言うなら是非もありませんね。


「今度はその、これ」


 自分の襟元に付けてあるリボンをわざとずらしてから私に近づいてきて…。彼女は一体何がしたいんでしょうか。


「ほら、こう…。あれだよ。タイが曲がっていてよ? って言うの」


「ええ…?」


「だめ?」


「い、いいえ…。タイが曲がっていますよ」


 私は彼女のタイ…ではなくリボンをもとに戻します。


「もう、タメ口でいいのに…。けどやってくれる沙織ちゃん、大好き!」


 抱きしめられちゃいました。これは一体なんなんでしょうか。


 何が何だかわからない私は英里ちゃんに聞いてみることにしました。


 彼女によりますとお嬢様学校を背景に展開される物語があるらしいです。


 結構有名な作品で、その作品の影響を受けたらしく、両親に頼んでお嬢様学校に入ることになったらしいですね。


 それでその作品? ではお嬢様学校ではごきげんようと挨拶するのが当たり前らしく…。


 前世での知人でお嬢様学校に通っていた女性がいましたが、彼女からごきげんようなんて真面目に挨拶するのは教師やシスターの前だけだったと聞きました。


 多感な思春期にそんな学校の外では使ってもない挨拶を口にするわけないという…。


 それだけではない気がしますけどね。どう取り繕ったところで大量生産と大量消費で成り立つ20世紀の軽い雰囲気に合わないと思います。


 軽薄さを売りにしていますからね。技術の発達は人の感覚も変えてゆき、メディアで量産されるイメージは人を単純な思考に誘導してしまうものです。


 と言っても別にそうでない何かに拘ること自体が執着に見えてなりませんが。具体的には過去に対する執着です。戻れない過去に対する執着です。


 その観点からすると未来は暗くて当然なのでしょう。案外誰もが共有しているコンセプトでもあります。未来は暗く、過去は美しいということは。


 何が起こるのかわからないのが未来で、何が起こったのかを分かっているのが過去なのです。未来には不安を投影し、過去にはノスタルジアを投影するのが人の心理です。


 だからこそ、それは現実ではなく人が持つ習性に過ぎないのです。人間という名の動物のね。


 話を戻しましょう。


 リボンのことは…。もう定期的にやらされたりはしないんでしょうね…。まあ、お願いされたら聞いて上げるのもやぶさかではないですけれども。


 ちなみにそんなやり取りがある間、殆どのクラスメイトが私たちをちらちらと見ています。そりゃ目立ちますよ。


 別段特筆することもなかったですね。


 いじめの件はどうなったについてにでも話しましょうか。


 あのいじめっ子の父親は政治家で、今度の選挙には当選されず。


 その結果、子供に冷たく接したようです。


 ちなみに今の季節は冬で、いじめ事件は秋に、選挙に落選したのは夏でしたね。夏に行われる選挙と言えば…。まあ、これ以上は言う必要もないでしょう。


 彼女たちは私を見てると悲鳴を上げるようになりました。


 流石に何かがあったと感づいてしまう人間が現れそうだったので、親切な私は彼女たちの親の家に訪問し、思考を誘導、転校させてもらいました。


 最初からこうすればよかったのかなとも思いましたが、もう過ぎたことです。


 私の異常性を知っているからってどうにかできるはずがありません。


 暴行はこの年齢だと保護者が処罰されちゃう明らかな犯罪ではありますが、証拠がないからね。


 逆にそっちが英里ちゃんをいじめた証拠もないからそれでいいんじゃないですかね。


 午前の授業は国語と英語と体育でした。こういう教科の分類は前世から変わりませんね。


 そろそろ教育システムを変えてもいいところだと思いますけど、誰も困ってないから変えてないのか、そんないちいち変えなくても幼年期なんて所詮は一時期に過ぎないからと、投げやりになっているのか。


 アメリカの公立学校に比べたらましに見えるかもしれませんけどね。


 こんな金持ちが通う学校もありますし。


 そんな高学力があるからってやることは大して学力を必要としない仕事が大半ですからね。


 先進国はちょっと前から学力インフレ状態なんですよね。


 進学率も上がって、ろくでもない大学も増え、ろくでもない大学生も増え…。これは前からあんまり変わってないですね。


 授業内容は小学生なだけに簡単です。どこがどうやって簡単かと言うと理解するためにロジックを複雑に組み立てる必要もなく、ただ教師が言っている内容を整理するだけで終わります。


 体育はまあ…。今日は卓球でした。


 しょうもないですね。私は身体能力を存分に発揮して二対一でやったり、教師とやったり…。


 今更ですけど超能力って身体能力まで強化するものなんでしょうか。


 前例なんてあるわけがないので、あっても記録なんて残ってないので、地道に検証するしかないんですよね。


 せっかく超能力が使えても、どこまでが超能力で、どこまでが元の身体能力や思考能力なのかがわからないところは、もどかしいと感じてしまいます。


 休み時間には本を読んだり大学で学ぶ物理学などを勉強します。


 前世では大学に通ってなかったもので、一応教養はありますけど、学問として学んだわけじゃないので物足りなさを感じます。


 大学に通えたところでまともな勉強ができる状況ではなかった気もしますけどね。大した脈絡もなく学生運動とかやってて、すごくうざかったことを憶えています。


 学問は学生運動をやって学ぶようなものじゃありませんよね。


 学生が政治に参加することの意味や、権利を主張すること自体が重要なことではあることくらいはわかっているつもりですが、それより義務教育が学校と言う現場で限定的に行われることやテスト勉強をして強制的に評価されるところが根本的な問題だと思ってしまいます。


 何というか…。そこじゃないんですよね。そこじゃないんですよ、お前たちが見るべきところは。学生の権利じゃなく教育システム全般がおかしいと気が付くべきでしたよ。


 例えば英語。誰も喋れないんですよ。12年間勉強して。こういうのは誰も突っ込まないんですか? それと工場労働者の子供たちが集まる高校の質とかすごいことになってるから。


 ちょっと見てみなさい。学校のトイレでセックスとかしているんですよ。学級崩壊とかも問題になってましたね。いじめもそうです。学級がないといじめも起きないんですよ。


 閉鎖的な環境に多感な時期の子供たちを詰め込んでるんですよ。


 問題が起こらない方が逆にあり得なくないですかね。まあ、部活などでストレス解消はしているようで何よりなんですけどね。


 こういうのが気になったのは私だけなんでしょうかね。別に超能力者じゃなくても考えられるようなものな気がしますが。


 学級って何? なんで分けるの? クラスで分けて何がしたいの? ってね。


 大学みたいに講義システムにしてもいいんじゃないですかね。


 子供が権利を主張したいなら、そんな感じで自ら選択してそれに責任を取ることを教えたらいいと思います。


 学生運動を頑張った結果がこれだと言うなら、まあ…。もはや何も言うまい。


 そんな誰も気にしちゃいないことは実はどうでもいいことだったりするんですよね、ここでは。


 言い換えると金持ちが集まるお嬢様学校ではそういった問題はさほど重要ではないんですよ。


 クラスは同じでも生徒同士の繋がりが希薄で、いじめっ子と取り巻きのようにしっかり繋がれている場合は元から知っている場合が多いですね。


 社交的なグループは社交的ではありますけど、表面的な付き合いがあるだけです。親に文句なんてない、欲しいのがあったら何でも手に入る子供が大半なんですよ。


 そのせいで性格に問題がある子も少なく、共通の話題だってそう多くありません。


 誕生日パーティーとか開いて集まることはあります。何というか、一度行ったことありますけど、不毛な気がしてなりませんでした。


 洗練されたカオスと言いますか。子供であっても礼儀作法はそれなりに学んでいるけど、互いに言いたいことだけずっと言っていて会話が成立しないんですよね。


 そりゃさ、子供同士で利害関係もくそもないからそうなるのもわかるけど。


 別段誕生日パーティーを経てから親しくなるわけでもなく。親が子に繋がりを求めたりはしないんですよ。最近の親は子を道具として見ないからね。仕方ないね。


 とは言うものの、私は容姿やら成績やらいろいろ目立っているので絶えずに招待状をもらいます。


 社交界じゃないんだからさ。招待状なんか作っちゃって…。


 行かないよ? なんで私がそんなろくなことのない子供の集まりになんかに行かなきゃいけないの?


 何というか。こういうところは中流階級の人たちが羨ましくなるかもしれないですね。


 私は別に何ともないですけど、こっちでは元から親同士での付き合いがない限りクラスが変わるとすぐ疎遠になってしまいます。隣人だから親しくなるとか、そういのも全くないです。


 親同士の付き合いと言うのも仕事やら何やらから来る付き合いです。逆に言うと親同士の付き合いがあると死ぬまでずっと友達だよ? ってなるんですけどね。


 そこら辺が結構冷たいんですよ、こっちは。こう、子供同士が勝手に親しくなることが一定以上できなくてですね。同窓会も多分開きませんね、この感じだと。


 例外は…。まあそこそこいるんじゃないですかね。知りませんけど。


 英里ちゃんが私にとってその例外になってくれると嬉しいです…、はい。ちょっと恥ずかしいですね。


 クラスが変わっても私と親しくしようとするなら、私もそれでいいと言うか。


 認めざるを得ないです。どうやら私はこの人生で初めて友人ができるかもしれないことに舞い上がっているかもしれません。


 年甲斐もなくはしゃいでいたりはしないんですけどね。前世でもそれなりに友人はいましたからね。愛人もいました。いや、私の方が愛人でした。端的に言うと浮気ですね。後で彼の奥さんに発覚されましたが別に修羅場になることなんてことはなく。


 互いにエンジョイしただけと言ったら奥さんともやることになったんですよ。もう何が何やら。私もまんざらではなかったので、どうやら私はバイセクシャルだったようです。


 そんな大人の話をしたかったわけじゃないんだけど、どうしてこうなった。


 閑話休題してお昼休みです。食堂で食べています。小学生の場合はメニューが強制的に決まるのでただの給食になりますね。アレルギーがある場合だけメニューを変えてもらえます。


 普通に全部美味しいです。学費が高いだけはあります。


「沙織さんが今見ている本って、小学生が読めるようなものではないんですよね」


 私たちのグループの一人です。落ち着いた声が特徴的(?)な綺麗な子です。名前はどうでもいいです。どうせクラスが変わると忘れてしまうでしょう。


「そうですね。日本には飛び級制度がなくて、仕方なく独学で勉強中です」


「へぇ…」まあ、そうなりますね。特に妬んでるようには見えないです。つまりどうでもいいけど気になっただけと言うことなんでしょう。


 見ての通り薄い付き合いです。


「沙織ちゃんがすごいのはいつものことだからね。それより来年の部活、沙織ちゃんと一緒のにしたいんだけど、今沙織ちゃんが入ってる部活って私が入ってもいいかな」


「私が決めることではありませんよ? 書道部です。英里さんは美術部でしたね」


「そうだね。書道部かー。悪くないと思うけど、なんかちょっと堅苦しそうな感じじゃない?」


「人によるでしょう。堅苦しいのは苦手なんですか?」


 書道部に入っているのは微細な筋肉のコントロールを身につけるためです。体を思うように動くには練習が必要なのです。


「苦手じゃないように見える? そりゃ私だって沙織ちゃん見たいな大和撫子になりたいよ。なりたいけど、どうしようもないというか…。沙織ちゃんはなんか生まれた時の産声すらも優雅だったんじゃないかと思っちゃうくらい」


「なんですか、それは…」


 そう返事をしながらも笑ってしまいます。


「お二人はとても仲がいいんですね」


 先の綺麗な子です。


「へへ、そう見える?」


 英里ちゃんが答えます。


「ええ、お似合いです」


 これも別に嫉妬なんてない素直な感想です。


「家に訪問したりもしますか?」


「え? ああ…。それはまだかな。沙織ちゃん、家に遊びに行っていいの?」


「別に構いませんよ?」


「言ってみるもんだね。ありがとう、千佳ちゃん」


 だから名前なんてどうでもいいって。


「いつにします?」


「今日はちょっと習い事があって、ピアノやってるんだけど、沙織ちゃんもピアノできる?」


「嗜む程度です」


「沙織ちゃんの嗜むって、結構ガチなやつなんだよね」


「ええと…」


「あ、ガチってのはその…」


 別に言葉のチョイスがどうのこうのと言う話ではなく、私をなんだと思っているの? と聞き返したくてもいちいち聞くのが面倒くさくて聞き返せないだけですからね。


「ま、まあ…、英里さんは男性的で野性味があふれると言いますか…」


 今のは私じゃなく千佳ちゃんです。この歳の子供って変なことを口走ってしまうことありますよね。


「ええええぇ! 沙織ちゃんに嫌われちゃうよぉ」


「そんなことで嫌いになったりはしませんよ。なら明日一緒に下校しましょう。どうです?」


「うん! いいよ。ママとお父さんには言っておく」


「ピアノでデュエットでもしてみます?」


「それいい。ふへへ…。沙織ちゃんとピアノデュエット…」


 本当、可愛いんですから。


 なるべく丁寧にさばいて、一級品の料理に仕上げたいくらい。


 いや、しないから。


 するだろう。


 しないから。


 まあ、そんな約束もしたところで、午後の授業です。しょぼい算数と簡単な道徳です。道徳の時間だけはちょっと議論をすることもありますが、所詮は小学生レベルですからね。真面目に参加したら逆にこっちが痛いことになります。


 放課後になると部活をする日なら部室に行って、そうでない日は家に直行します。


 登校時と同じく運転手さんが運転する車に乗ります。


 家に戻ってからは制服を脱ぎ捨てた後、東南アジアから半分攫ってきた同年代の子供たちに洗濯や掃除などをさせます。


 浮浪者のおっさんたちはどうなったかって? それは後々話します。


 日が暮れる前にトレーニングルームにしている部屋の中で筋トレやら前世での感を取り戻すための訓練をした後はお風呂に入って汗を流し、自室に戻ってから超能力でどこまでできるのかを試します。


 例えば物質を同時に何個まで自在に操作できるか、操作する範囲はどこまでになるか、とかですね。ベッドで座った状態でもできるものですので、いつもそうしています。


 家事を終えた同居中の子供を使って精神に関連する超能力の実験をする時もあります。壊れそうなことじゃなく記憶を読み取ったり強制的に体を動かしたり、私が意図した方向で思考を誘導したりですね。


 大体そんなことをやってると夕飯の時間になり、同居人の子達と共に食卓を囲みます。食事を終えるとそれからは毎回違いますね。本を読むときもあればピアノやヴァイオリンを演奏する時もあり、映画を見に行ったりゲームをしたり。


 ゲームは携帯ゲーム機だけです。うちにテレビはありません。アニメはパソコンで見ます。


 以上、私のとある一日でした。


 途中にくだらない雑談を挟んでしまいましたが、ご愛嬌ってことになりませんかね? ならないですね。


 わかってましたよ。

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