解き屋~その縁、解きます~

増田みりん

解き屋~その縁、解きます~


 「ミュリエル・リヴィア! 貴様との婚約を破棄する!」


 公爵家主催の夜会で、そう高々に宣言したのは、ミュリエルの婚約者である男だった。

 艶やかな短い金髪に、キラキラと輝くエメラルドの切れ長な瞳。

 かつては優しくミュリエルを見つめてくれていたその目は、今は冷たく嫌悪感すら滲ませてミュリエルを見ていた。

 公爵家の嫡子である彼──メレディス・グリーナウェイとの傍には、亜麻色の髪の可愛らしい少女がいる。彼女こそが、メレディスがミュリエルに婚約破棄を言い渡した原因でもあった。

 その彼女の周りには、メレディスを始めとする、名家の子息たちが彼女を守るように並んでいた。彼らは彼女の取り巻きで、彼らにもメレディスとミュリエル同様に、婚約者がいた。

 彼らの婚約者たちは顔を青ざめ、今にも倒れそうだ。そんな中で、ミュリエルだけは冷静だった。

 いずれはこうなるのではないかと、婚約者の最近の言動を見て予測していたからだ。


「貴様が彼女に行った卑劣な行為の数々、とても私の婚約者として、未来の公爵夫人として相応しいとは思えない」

「わたくしは彼女になにもしておりません。メレディス様、わたくしを疑うのですか」

「疑うもなにも…事実だ。証拠もある」


 そう言ってメレディスが用意していたのは、ミュリエルが彼女──エリンに嫌がらせをしていたところを目撃した、と証言するメイドや令嬢たちだった。


「この通り、これだけ貴様の卑劣な行為を目撃している者がいるのだ。これが何よりの証拠ではないか」

「本当にそれを行っていたのがわたくしであるというのですか? わたくしと同じような背格好の方も、わたくしと同じ髪の色の方もたくさんいらっしゃるでしょう」


 ミュリエルの髪の色は平凡な、どこにでもあるような茶色だ。瞳の色だって、どこにでもある普通の青い瞳で、珍しくもなんともない色合いだ。

 証言者の話では、エリンに嫌がらせを行っていた令嬢の後ろ姿を見た、というものばかりで、それだけではミュリエルが嫌がらせをしていたという決定的な証拠とは言い難いし、そもそも目撃証言だけで証拠になるとは言えない。


「被害者であるエリンがそう言っている。それが何よりの証拠だ」


 きっぱりと断言したメレディスに、ミュリエルはため息をつきたくなった。

 いつから彼はこんなに愚かになったのだろう。前はもっと賢いひとだと思っていたのに。

 優しいひとだった。こんな公の場で、ミュリエルを断罪しようなどと考えるようなひとではなかった。なのに、どうしてこんなに変わってしまったのだろう。


「潔く己の罪を認めろ、ミュリエル・リヴィア」

「…やっていない罪を認められるはずがありません」

「まだ認めないか」


 険しい顔でミュリエルを睨むメレディスに、ミュリエルはとても悲しくなった。

 ミュリエルはメレディスが好きだった。優しい彼の人柄に、惹かれていた。

 それが今ではすっかり変わってしまった。人の気持ちを思いやれるひとだったのに、今では自分のこと、エリンのことを中心に考えて行動している。

 そのことが、とても悲しい。

 ミュリエルが顔を伏せた時、場違いな声が響いた。


「あー。ここだ、ここ。やっと着いたぜぇ。…まったく、助手がしっかりしていないから」

「私のせいにしないでください、レオンさん。そもそも『オレに任せとけ!』と自信満々に道案内を買って出たのはレオンさんじゃありませんか」

「なにをぉ? そこは助手がさりげなーくサポートするとこだろ?」

「はあ。そうでしたか。気が利かない助手ですみませんね。クビにしてください」

「だが断るッ!」

「チッ」

 

 忌々しげに舌打ちをした珍しい黒髪に黒目の少女と、真っ赤な髪のド派手な青年が、そんな軽快な会話をしながら入って来る。

 この場はドレスコードでなければならないのに彼らは普段通りの服装で、しかしそのことを後ろめたいとも恥ずかしいともなんとも思っていない堂々とした様子だ。

 突然現れた異質な彼らに、会場中が注目を集めた。


「なんか注目されてねぇ?」

「きっとレオンさんのせいでしょう。レオンさんの馬鹿みたいに真っ赤な髪が珍しいんですよ」

「ほお。なるほどなぁ。……っておい! 馬鹿みたいとはなんだ、馬鹿みたいって!」

「事実じゃないですか。それよりほら、お仕事の時間ですよ、レオンさん」

「……あとで覚えていろよ…サヤ…」

「ごめんなさい、もう忘れました」

「てめぇ…」


 レオンと呼ばれた青年が凄んで睨んでも、サヤと呼ばれた少女はどこ吹く風だ。

 そんな彼女をしばらく睨んだのち、レオンはゴッホン! とわざとらしく咳をして会場を見渡し、にっこりと笑った。


「どうも~皆さんこんばんわ~。『ほどき屋シシオドシ』です~」

「あれ…この前までシャチホコじゃありませんでしたっけ?」

「店名はオレの気分で変わんだよ。細けぇことは気にすんな」

「……全然、細かくないと思いますけど…」


 レオンはそんなサヤの言葉を華麗にスルーし、自身の店の宣伝を始めた。


「あなたの家の絡まった糸から引っ越しの荷解きまで! “解く”ことならなんでも致します! 解き屋シシオドシです。どうぞよしなに」


 ウィンクをして宣伝をしたレオンに、サヤはため息をはいた。

 そして付き合ってられない、とばかりに首を横に振った。

 そんなサヤの仕草とは対照的に、周りはざわざわとし出す。


「『解き屋』…もしかして、あの『解き屋』?」

「ただの噂だと思っていたが、本当に存在していたとは…それもまだ若い」


 昨今、社交界で密かに噂されているもの。

 どんなものでも鮮やかに解く、『解き屋』の噂。

 その『解き屋』はどんなに複雑に絡んだ糸でも、数分も経たないうちにするりと解いてしまうのだという。


 しかし、その『解き屋』の真骨頂は糸を解くことではない。

 『解き屋』が解けるのは糸や引っ越しの荷解きだけではない。

 人と人を繋ぐ『縁』をも解けるのだという。


 ある人物は、自分の夫とその不倫相手との縁を。

 またある人物は大嫌いな相手との縁を。

 

 『解き屋』はどんなものでも解いてしまう、まるで今は廃れた魔法使いのような存在であると噂されていた。

 しかしその『解き屋』の所在地を知る者は少なく、また『解き屋』を訪ねることも、彼らのお眼鏡にかかった者ではないとできないという噂で、今、ありとあらゆる手段を用いて『解き屋』と接触を図ろうとしている者が大勢いる。この夜会に出席していた人の中にもいるはずだ。 

 

 もはや伝説とも取れる『解き屋』が今、この場にいるのだ。注目されないわけがない。

 そんな周りの様子にレオンはにやりと笑みを浮かべた。


「オレって人気者? いやあ、人気者はつらいねぇ」

「…人気者ならもっと忙しいと思いますけどね。明日の仕事の予定は?」

「ナイ」

「……」


 きっぱりと断言したレオンに、はぁ、とこれ見よがしにサヤは再度ため息を吐いた。


「『解き屋』だがなんだか、知らないが…ここは君のような者が来るべきところではない。それに今は取り込み中だ。帰ってくれないか」

「…こりゃ手厳しい。これでもオレ、仕事でここに来たんですけどねぇ」

「仕事? なにか頼んだ覚えはないが」

「いや、あなたじゃなく…まぁ、いいか」


 レオンは説明するのをやめ、ぐるりと辺りを見渡した。

 そして少し眉間に皺を寄せて「こりゃ酷い」と呟く。


「酷い…だと?」

「酷いなんてもんじゃない。よくもまぁ、こんな状態で動けるなぁ。オレなら絶対身動き取れなくなるな。あんた、すごいよ」


 そう言ってレオンが見つめた先にいたのは、エリンだった。

 エリンは目を見開いてレオンを見つめた。そして不思議そうに首を傾げる。


「なんのこと?」

「こんなぐるぐるになって…あんたらには視えないかもしれねぇけど、人と人を繋ぐ『縁』って呼ばれる糸がある。あんた、その糸でぐるぐる巻きにされてるんだよ。普通なら身動き取れなくなって、すごく追い詰められるはずなんだが…あんたにその様子はないみたいだな」

「え…?」

「うーん。体質か? まぁ、どうでもいいけどさ。あんたのその絡んだ縁を解くように、と依頼が来ているんでね。解かして貰うぜ」

「え…な、なにを…」


 エリンはじりじりと後ろに下がる。

 そんなエリンの背後にそっと回り込み、彼女を押さえた影。


「───動かないでください」

「あ、あなた…」

「動かないでください、と言いました。動いたら怪我をしますよ?」

「おいおい、サヤ。もっと穏便にだな…」

「穏便にできないから私が動いているんでしょう。とっととやってください」

「…へいへい。仰せの通りに、お姫様」


 会場内にいる誰もが反応できなかったサヤの動きに、誰もが目を丸くしている。

 確かにサヤは先ほどまでレオンの隣にいたはずだった。なのに瞬時にエリンの背後に回り込んで彼女を取り押さえた。通常に考えて、あり得ないほどの速さで移動したことになる。

 その手腕の鮮やかさに、彼女が堅気の者ではないことが伺えた。


「な、な…」


 あまりの事に言葉が出ないようすのエリンにお構いなく、レオンは視えない何かをなぞるような仕草をした。そしてとても集中し、糸を解くかのような手を動きをしばらくして、ふっと顔を上げた。

 その顔には「良い仕事した」とでも言いたげな、満足そうな笑みが浮かんでいた。


「はい、完了。これであんたに絡んだ縁は全部解いた。これであんたのハーレムも終わりだなぁ、エリン嬢?」


 にやりと人の悪い笑みを浮かべたレオンをエリンはぽかんとして見つめた後、険しい表情で睨んだ。


「なんで…!」

「仕事なんでね。あと、オレの宿命みたいなもんもあるか? なぁ、あんた。その香、どこで手に入れたんだ?」

「……!」

「特殊な香だよなぁ。なんだか懐かしいニオイだ。これってさ、思い描いた相手を意中にできるっていう、奴だろ。それの強化版みたいな? じゃなきゃ、こんな何人も虜にできねぇんもんな。で? どこで手に入れたんだ?」

「……」

「レオンさんが尋ねているんです。答えなさい。答えなければ…」

「ちょっ…サヤ。あんま脅すなって…」

「私は早く帰って寝たいんです」

「……そうですか」


 レオンは何とも言えない顔をサヤに向けたあと、すぐに真剣な顔をしてエリンを見つめた。

 エリンは顔を真っ赤にしてレオンを睨んでいた。


「知らない! 香と一緒に送られてきた紙の通りにしただけだもん! あたしは何も知らないわ!」

「本当か?」

「本当だってば!」

「レオンさん、彼女、嘘はついていないと思いますよ」

「そ。じゃあ、信じよう」


 レオンはサヤの言葉にあっさりと頷き、サヤにエリンを解放するように告げる。

 サヤがエリンを解放すると、エリンはレオンたちを一瞬だけきつく睨んだあと、傍にいたメレディスに縋った。


「メレディス様! あたし、とてもこわ…」


 メレディスを見つめたエリンは言いかけて、目を見開いた。

 そして呆然としたように「メレディス様…?」と彼を呼びかけた。


「…私は、いったい、今まで何を…」

「メレディス様…?」

「君は…気安く私に触らないでくれないか。私にはれっきとした婚約者がいるのだ。彼女に勘違いをされたくはない」

「え…だ、だって…メレディス様は、さっき、ミュリエル様との婚約を破棄するって…」

「私が彼女との婚約を破棄? 何を馬鹿なことを。彼女との婚約は家同士で決めたものだ。私一人で破棄することなどできはしない」

「そ、そんな…なんで…」


 呆然として呟いたエリンに、レオンが「言っただろ?」と告げる。

 エリンはゆっくりとレオンの方を振り返り、レオンを呆然として見つめた。


「あんたに絡んだ縁を全部解いたって。縁を解くってことは、その縁で結ばれた人物との縁が消えるってことだ。今まであんたが築き上げてきたもん、全部消えたってことだ」

「そんな…! なんで、どうして…!? いったいあたしが何をしたっていうの!」

「あんたさぁ、人の婚約者奪って、人を不幸にしてまで自分が幸せになって、それで何事もなくただ幸せになれるとでも思ってんのか? 悪い事をしたらその分だけ自分に跳ね返ってくるようにこの世の中できてんだよ。だからあんたのこれは自業自得だ。変なモンに頼って楽したのも悪かったな」

「知らない! そんなの知らない!」

「…あなたの身柄を渡すように、ととある方に言われております。安心してください、悪いようにはしないとのことですから」


 そう言ってサヤがエリンの腕を掴み、エリンとサヤは会場の外へと向かって出て行く。

 会場はそんな二人の行動など気にも止めずに、まるで先ほどの騒動などなかったかのように夜会が再び始まる。

 その中には婚約破棄騒動を引き起こしたメレディスも混じっている。彼はエリンのことなどまるでなかったかのように、ミュリエルに接している。

 とても優しい目でミュリエルを見つめるメレディス。それを嬉しそうに見つめるミュリエル。これが本来の二人の姿なのだろう。

 レオンはそんな二人の姿に微笑み、人知れずに会場去って、外に出た時、「レオン様!」と呼び止められた。

 振り返れば、慌てた様子でレオンを追いかけてきたミュリエルの姿があった。


「レオン様、わたくしの依頼を受けてくださり、ありがとうございました」

「お礼なんていいさ。がっぽりとお金は貰っているしな。それよりも、もとに戻って良かったな」

「はい。こんな風にきれいに収まるとは思っておりませんでしたが…これもレオン様のお力のお蔭でしょうか」

「んー。まあ、今回は運が良かったのと、やっぱオレの腕がいいお蔭だな!」

「…ふふ」


 笑みを溢したミュリエルに、レオンも笑みを返した。しかし、その笑みも長く続かず、レオンは複雑そうな顔をしてミュリエルを見つめた。


「…でも、いいのか? 婚約破棄されたんだぞ? それをなかったことにして、あの坊ちゃんとこれまで通りに過ごせるのか?」

「…お気遣い頂き、ありがとうございます。覚悟の上ですわ。それに、先ほどメレディス様も仰いましたけれど、この婚約は家同士で決めたものですもの。わたくしたちの意思など関係ないのです」

「…そうか。あなたが納得しているなら、いいさ。お幸せにな」

「ありがとうございます、レオン様」


 レオンに一礼をして、ミュリエルは会場内に戻っていく。

 その後姿を見送り、レオンはポリポリと頭を掻いた。

 果たしてこれで良かったのか。なんとも後味の悪い結末だな、と思ったのだ。


「さすが、噂の『解き屋』だな。想像以上の働きだ」

「…お褒めにあずかり、光栄です。殿下」


 背後から掛かった声に、レオンはぎこちない笑みを浮かべて振り向くと、そこにはこの国の王太子の姿があった。その王太子の背後には、先ほど会場を出て行ったサヤの姿もあり、サヤはレオンを見ると、真っ直ぐとレオンの元へ来た。


「レオンさん、彼女を言われた場所へ無事に送りました」

「そうか。ご苦労さん」


 レオンが労うと、サヤは少しだけ満足げに頷き、レオンより一歩後ろに下がった。

 そんな二人のやり取りを見ていた王太子は笑みを浮かべ、レオンに話しかける。


「彼女…サヤと言ったか? とても優秀だな。どうだろう。私の嫁に来ないか?」

「私のような者ではとても殿下の妃など務まりません。謹んでお断りします」

「そうか、残念だな。だが、気が変わったらいつでも私のところに来ると良い。君ならば喜んで迎え入れよう」

「……」


 にっこりと笑って言った王太子に、サヤは黙り込んだ。

 そんな二人のやり取りにレオンはため息をついて「あまりうちのサヤを揶揄わないで貰えませんかね、殿下」と言った。


「揶揄ったつもりはないが」

「なら尚更たちが悪いですよ」

「…フフ。冗談だ。それよりも、君たちのお蔭で優秀な人材を失わずに済んだ。改めて礼を言おう」

「大したことなんてしてませんけどね」

「君にとってはそうかもしれないが、この国の未来にとっては大したことだ。是非、これからも協力してほしい」

「気が向いたら考えますよ」

「料金は弾ませよう。なんなら、私直属の部下にしても…」

「殿下直属の部下だけはお断りします」

「つれないな」


 王太子は面白くなさそうに呟いた。

 レオンはそんな王太子の様子など気にも止めずに話し掛ける。


「それよりも、彼女の香の入手先がわかったら教えてください。恐らくですが、今回の件についてはオレの師匠が関わっている可能性が高い。師匠は混乱とか戦乱とかが大好物ですから」

「…君の師匠か。どんな人物か気になるが…わかった。わかったら君に教えよう」

「ありがとうございます」


 レオンが頭を下げると、王太子はもの言いたげな顔をしたが、それをすぐに消し去り、「しかし意外だったな」と話を変えた。


「ミュリエル嬢も君に依頼をしていたとは」

「それだけ思い詰めていたんじゃないですかね。彼女の本来の依頼は『婚約者との縁を解いてほしい』だったんですよ」

「…ほう」

「殿下の依頼で彼女の婚約者であるメレディス様のことは調べていたので、彼女と相談して今回の依頼内容に変えたんです」


 依頼をしに訪ねてきたときのミュリエルはとても悲壮な表情を浮かべていた。

 けれど瞳の奥には決意が滲んで見えて、ついつい、彼女を応援したくなってしまった。

 まあ、殿下の依頼と被っているし、と思い、彼女の依頼は普段貰う金額よりも少なめの金額を貰い、彼女の依頼を受けた。

 それが今回の件であった。


「なるほどな」

「そういう訳です。ところで、エリン嬢はどうされるおつもりで?」

「ああ…彼女からは詳しく話を聞き出した上で、辺境の修道院に送るつもりだ。彼女を社交界に置いておくわけにもいかないし、王宮にも置けない。また騒動を起こされたら困るからな」

「…まあ、その辺が妥当でしょうね」


 意外と可愛い処分で済んだな、とレオンが考えていると、その考えを見透かしたように王太子は「彼女の騒動は“なかったこと”にされているからな」と言う。

 彼女の縁をすべて解いたことにより、彼女の存在こそ知っていても、彼女がしたことは誰も覚えていない。そもそも彼女の騒動の原因は彼女の香にある。

 あの香は特殊なもので、あの香の効果が切れたり、彼女が香を使った相手を鬱陶しく思えばすっぱりと彼女とのことを忘れられるというものだ。とても都合のいい物で、浮気をしたい貴族たちに大人気だった代物らしい。

 とはいえ、それはもうかなり昔の話だが。今ではその香を作る術は失われているはずだった。ただ一人、レオンの師匠を除いては。


 レオンの師匠は、この世界最後の“魔法使い”だ。

 魔法を扱える者が段々と少なくなってきたこの世界で、レオンの師匠は特別だった。

 桁外れに強大な魔法を扱え、その魔法で多くの人たちを救ってきた。レオンもその救われたうちの一人だった。

 レオンにも魔法の才はあったが、師匠ほどではない。せいぜい、人の縁を解くくらいしかできない。レオン自体にはその力は魔法だという認識はなく、ただの特殊能力だと思っているのだが、師匠から言わせれば魔法らしい。


 そんな師匠が狂い出したのは、いったいなぜなのか。

 恐らく、師匠は優しすぎた。そして、人に裏切られ過ぎた。

 それで心を壊してしまったのだと、レオンは考えている。レオンの師匠はある日狂った目をして消えた。そしてその日から、あちこちで戦乱が巻き起こった。

 その原因が師匠であると気づいたのは、大分あとだった。そして気づいた時、師匠をなんとかするのは弟子であるレオンの役目だと感じた。


 だからレオンは師匠を探し出さなくてはならない。

 『解き屋』の仕事をしつつ、レオンは師匠への手掛かりを探している。

 その途中で、レオンはサヤに出会い、なんだかんだあって今はこうして一緒に仕事をしている。


「では、私はそろそろ戻らなければ。また、なにかあったら依頼を出す」

「どうも。これからも『解き屋シシオドシ』をご贔屓に」

「…いつも思うんだが、店の名前を統一しないのか?」

「それじゃあ面白くないでしょ」

「……そうか。まあ、いい。ではまたよろしく頼む」

「ご依頼、お待ちしております」


 王太子はレオン達に軽く手を振り去っていった。

 レオンは後ろを向き、サヤを見てにこっと笑った。


「んじゃ、帰るか」

「はい」

「今日はパーっと、どっかで飲むか! 殿下からがっぽり貰ったし」

「レオンさんの辞書には『貯金』という言葉はないんですか」

「ナイ」

「…そうですか」

「そんな残念そうな目で見るなよ。サヤちゃんの好きなモン、食わせてやるから。な?」

「本当ですか? じゃあ、最高級のお肉食べたいです」

「そんな金ありませーん! 普通のやっすいステーキで我慢しろ」

「好きな物食べさせてくれるって言ったじゃないですか…」

「それはそれ。これはこれ。じゃ、いつもの店行くぞ」

「はぁ…」


 サヤは本日何度目になるかわからないため息をつきつつ、歩き出したレオンのあとに続く。

 

「明日はどんな依頼くるかなぁ」

「…また糸が絡んだから解いてほしいとか、そういうのじゃないですか」

「まあ、そういうのでもいいんだけどさ…そのついでに裁縫までさせられるのはちょっと…」


 レオンはグチグチと言いつつ、この間あった依頼の話をサヤとする。

 なんだかんだと言いつつも、レオンはこの『解き屋』の仕事が好きだった。

 今日のような依頼も、糸を解く依頼も、人と関わるこの仕事が好きなのだ。

 レオンは明日の仕事について思いを馳せつつ、夜道を歩く。



 


 『解き屋』は本日は店じまい。

 またのお越しをお待ちしております───


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