第9話 最上階、役員フロア

 ***

 おばちゃんがボタンを押した時、最上階の役員フロアでは何が起こっていたのでしょうか?

 ***


 このビルの最上階は役員専用のフロアになっていた。エレベータも、通常のエレベータ以外に地下の駐車場フロアまで直通で行ける専用エレベータが完備されている。さらに、ビルの屋上にはヘリポートまで用意されており役員ならばヘリコプターによる移動が自由に可能なのだ。なんて役員には優しいビルだろう。


 昔の有名な武将は言いました。

「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」

 でも、このビルの役員は言います。

「人はゴミ、人は金、人は道具、情けは要らない、仇なんか無視」


 このビルは名前の言えない『有る組織』が管理している。その組織は機密レベルが星三つなので具体的な説明を書くと、書いた人間と読んだ人間の双方が機密違反に当たる事になり最低でも禁錮20年の刑罰を受けるのだ。従って作者と読者の身の安全を守るために組織の全容は具体的に書けない……


 しかし、どうやらお金は有るらしい。毎年年度末になると、年度内に予算を消化するという大義名分のためにどうでもいい物が大量に購入されてフロアーに溢れてくるらしい。去年はコーヒーを美味しく入れる機械が20セットも置いてあった。一人一台自前のコーヒーマシンが用意されて毎日コーヒーばかり飲んでいたため、体がコーヒー臭くなったと言う話が何処からか伝わって来るぐらいだ。

 金が余っているなら返せば良いじゃないか? と普通の人間ならば考える。しかし組織の人間は一度予算が余ると来年度予算を削られると考えているらしい。だから年度内の予算消化は絶対命令になっている。そんな事をしているから税金が下がらないんだ、と思う。(閑話休題)


 この組織は、人材も豊富な上に必要ならば自由に優秀な人材を集める事が出来る。国家公務員上級職をサラリと受かる(レベルの)人材を「辞令交付」と言う技で強引に引き抜く事が出来るらしい。しかも全ての関連行為が『秘守義務』という名目で固められているので、働いている人間から何かを漏らされる心配も無い。事務系職員や技術系職員だけでなく、特別職と言われる戦闘関連の経験豊富な部門からも必要な人材を引っ張れるのが、この組織の強みだ。更に研究機関にも手を回して、特別招聘とくべつしょうへいとか言う甘い言葉で、世界でもトップクラスの研究者を連れて来ることも難なく出来るのだ。


 たとえ都心の一等地であっても、特例建物として建築基準法の枠外で秘密の建造物を立てる事が可能なのだ。正にこのビルがそれで外見上は地上20階の何の変哲も無いビルの様に見えるが、実は地下28階まであるオバケビルなのだ。


 秘密組織だけあって各部門の横の繋がりはほとんど無い。今回の騒ぎの発端である文字通りの『ボタンの掛け違い』は工事発注部門と実務部門の連携が悪いから発生したと考えて良い。(本当は、出てるボタンを勝手に押しちゃったバイトのおばちゃんが悪いのだが、間違いは誰にでもあるからここでは追求しない。)


 全ての組織は縦割りで、書類とハンコが全てだ。しかもハンコの順番を絶対に守らなくてはいけない。たまたま承認権限の順番に当たる人が休んでしまったら、もうその日はその次の人にハンコをもらいに行けない。

 更にすごいのは、ハンコが微妙に傾いていく事だ。ハンコの印影がより上位の承認者のハンコ欄に向けてお辞儀しているように見せるため、ハンコを押すときに角度を変えて押すらしい。もしも普通にハンコを押して書類を持っていくと『書類の不備』でもう一度最初からやり直しになる。(この小説はフィクションだけど、これは本当の話)


 前例のない仕事は基本的に行わないが、その反面組織のトップが「やる」と言ったら『忖度そんたく』して書類の捏造までしてでも作業が進む組織だ。ある意味では究極のトップダウン方式なのでトップがしっかりしてさえいれば理想的な動きが出来る。だからこそ役員待遇の人達は大事にされているのだ。でも大事にされている本当の理由は、全身全霊を使ってこの組織を目的のために有効に使って欲しいからだ。他の煩わしさの為にこの組織を使いこなせないのは困るという事だ。


 しかし、最初の目的を忘れた役員達はただ平々凡々と日常生活に流されていた。最近は、有り余るお金に物を言わせて役員室のラウンジで給仕する女性達にバニーちゃんの格好をさせたりゴスロリの格好をさせたりしている。そして給仕のお姉さんに『ご主人様おかえりなさい』と言わせる役員も現れた。ただし、この対応は少しやり過ぎだろうという話になって将来的には夜間限定に移行される予定だった。


 そこに今回の騒ぎが発生したのだった。


 ★ ★ ★


 ぶぉー、ぶぉー、ぶぉー。

「最終破壊兵器の起動時間まで60秒です。停止させたい場合は緊急停止ボタンを押してください」

 ぶぉー、ぶぉー、ぶぉー。


「なっ! なんだ?!」

 役員フロアのラウンジで午後の緩やかなひと時を、バニーちゃんの格好をして給仕するお姉ちゃん達と過ごしていた役員達は飛び上がって驚いた。


「誰だ、こんなイタズラをする奴は!」

 頭の薄いお腹周りがきつそうな役員がウイスキーの入った紅茶を口から飛ばしながら叫んだ。


「イヤ、コレはイタズラでは無いでしょう。確か最近最終破壊兵器を日本の何処かに設置したと言う話を聞いた事がありますし」

 コーヒーを飲みながらメールを見ているナイスミドルな役員が答える。


「でも、いくらなんでもイキナリ起動ボタンを押した奴がいるのか。ボタンを押すための承認書類は私の所に回って来てないぞ?」

 白髪交じりの渋茶を飲んでいる役員がいぶかしげに話す。


「イヤ、確かあのボタンだけは管制センターの専権事項で我々の処に承認書類は回ってこない筈だ。承認書類を回している間に何か事が起きても間に合わないからな」

 メールを見るのを止めて立ち上がり役員フロアを見回すナイスミドルな役員。


「なんてこった! 早く逃げないとダメじゃないか。日本が何処かの国から襲われているのか? そんな極秘情報は入っていないぞ!」

 ゴマ頭の恰幅の良い役員も慌ててソファーから立ち上がる。でもピンクのバニーちゃんからは離れない。


「イヤ、先ずは正確な情報を手に入れて正しい判断を下すべきだ! それがこの組織の役員としての使命では無いのか?」

 他の役員を制するように話すナイスミドルな役員。


「バカヤロウ! そんな事を考えている役員なんかこのフロアにいるわけない。早く屋上の脱出用ヘリコプターで逃げるんだ!」

 頭頂部だけが禿げている背のひょろ高い役員は高そうな背広をバニーちゃんに着せてもらいながら叫ぶ。


「イヤ、最終破壊兵器が起動したらヘリコプターで逃げるくらいでは助からないだろう。それなら起動停止の方法を考えるべきじゃ無いのか?」

 浮ついている役員たちに両手を押さえる様に向けるナイスミドルな役員。


「クッソー! さっきから貴様ウルサイぞ。役人ならサッサと逃げる事を考えるだろう?! 俺はこんな所で死ぬ為にこの組織に来たのでは無い。あと数年で定年になって天下るための大事な体なんだ。こんな所で犬死なんか絶対にヤダ!」

 頭頂部だけが禿げている背のひょろ高い役員はナイスミドルな役員に反論する。


「イヤ、役人ならばこそこの国の未来を考えて欲しい。とにかく落ち着け! 貴方もこの組織に配属される理由があるはずだ。貴方の能力を使えば停止させる事が出来るかもしれない。先づは落ち着きましょう。あと60秒も有るのですから」

 興奮している役員たちを必死になだめるナイスミドルな役員。


「クッソー!!!」


 パーン!

 パーン!


「キャー!」

「キャー!」


 ラウンジでお茶を配っていたバニーやゴスロリの服を着たお姉さん達が悲鳴を上げてフロアから一斉に逃げ出して行く。


「うわぁー! なんて事するんだ。さっきから反対していた役員を撃ってしまった」

 頭の薄いお腹周りのきつそうな役員が青ざめた顔で呟く。


「お前らも俺の命令に逆らうなら撃ち殺す――」

 頭頂部だけが禿げている背のひょろ高い役員はまだ煙の出ているハンドガンを持ったまま他の役員たちをじろりと見まわす。


「俺は屋上のヘリコプターで逃げるから逃げたい奴は付いて来い。邪魔する奴はこのハンドガンの餌食になるだけだ!」

 頭頂部だけが禿げている背のひょろ高い役員はハンドガンを役員たちに向けて叫ぶ。


「本当なら俺は事務次官になってから勇退し、天下りを三回経験するはずだったんだ。しかしライバルにハメられてこんな所まで落ちぶれたのだ。どうせ死ぬなら邪魔する奴は容赦しない」

 頭頂部だけが禿げている背のひょろ高い役員は目を血走らせ口から唾を飛ばしながらハンドガンで他の役員達を脅す。


「お前ら早く決めろ! 俺は直ぐに屋上に向かう!」

 その言葉が引き金になって、会長を除いた役員全員が屋上に通じる非常階段に向かって走り出した。


 屋上には、移動用の大型ヘリコプターがパイロット付きで待機していた。全員がそのヘリコプターに乗ると、ハンドガンを持っている役員がパイロットに『直ぐにビルから離れろ』と命令した。


 しかしパイロットは平然としてこう言った。

「それでは出発許可の書類を出して下さい。私は書類が無いとヘリコプターを出す事が出来ません。それが会社の決まりですから」


「何をフザケタ事を言っているのだ! これから大変な事が起きるのだ。早くヘリコプターを出せ。俺たち役員の言う事が聞けないのか!」

 パイロットにハンドガンを向けながら、興奮して顔が真っ赤になっている役員は叫び続けた。


「出せ! 出せ! 出さないとお前を撃つぞ!」


 パイロットはハンドガンを気にするそぶりも見せずに平然と言い放った。


「どうぞご自由になさって下さい。私を殺したらヘリコプターは飛びません。それで良いのならそうして下さい。そもそも書類を出さないとヘリコプターを飛べないように決めたのは、あなた方役員でしょう?」


 さらにもう一言決定的な言葉を告げる。


「例外は認められません」


「クッソー、やかましい! 俺様に指図するんじゃあ無い!」


 パン!

 パン!


「うッ」

 一言唸って、パイロットは操縦席で倒れた。


「何やってんだ! パイロットを撃ち殺したぞ!」

 ゴマ頭の恰幅の良い役員が驚きの声を上げる。


「ウルサイ、お前も殺すぞ! 操縦する機械なんてどれも同じだ。スイッチを入れて左右のペダルと真ん中のレバーを使えば自由に動くはずだ」

 役員はハンドガンを持ちながら撃たれたパイロットを席からどかす。


「おりたい奴は降りろ! 俺は行くぞ」

 そう言いいながら、役員はハンドガンを持った手でそこら辺のスイッチを軒並みONしていった。


 ブル、ブル、ブル、


 ブルン、ブルン、


 ゴーン、ゴーン


 グォーン、


 グゴーーー!ーーー


 ヘリコプターのローターが勢いよく回り始めた。それと同時にヘリコプターはビルの屋上のヘリポートから少しづつ上り始めた。


「ほら見ろ、人間必至になれば何でも出来るんだ!」

 役員は叫びながらヘリコプターの操縦席に座ってレバーを握りしめた。


 ヘリコプターは、ユックリとしかし確実に上昇していく――しかしビルから離れる事は無かった。ローターの勢いに任せて、ビルの真上をドンドン上昇するだけだ。

 ハンドガンを持った役員は持っているレバーを慌てて前に倒した――と、ヘリコプターは突然前方に傾いて勢いよく前に進み出した。しかし前に傾きすぎていたようで、高度は一気に下がり始めた。

 役員は今度はレバーを手前に引いた。ヘリコプターはそのレバーの動きに合わせて後ろに傾いた。しかしヘリコプターの落下はもう止まらない、地面はもう直ぐだ。


「ギヤー!」

「うわー!」

「ひえー!」


 役員達の断末魔の悲鳴の後に大きな爆発音が聞こえた。


 ――


「ドカーーーーーン!!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る