第7話 後30秒
***
あと30秒で全てが終わる!?
***
「え!」
係長は驚く。
「トメさんというおば様が、地下25階のトイレに居るんですか? あんな地下深くで一体何をしているんだ――あ、トイレ掃除か」
確かに、日本中のビルにトイレ掃除のおばちゃんがいるのは周知の事実だ。このビルにいたって全然不思議じゃない。トイレ掃除のおばちゃん無くして今の日本の秩序は成り立たないのだ。
「どうしたんすか? 係長。なんか悪いもんでも食ったんっすか? 突然トイレの話なんか始めて」
社員の一人が係長の話を聞いて不思議がった。
「いやトイレの話じゃあ無いよ。トイレ掃除をしてくれる掃除のおばちゃんの話さ。おばちゃん達がいなかったら誰が建物のトイレ掃除をしてくれるんだ? 君達は考えたことがあるかい?」
係長は周りにいる社員達をぐるりと見渡して話し始める。
「君達はオッサンが掃除したトイレ使いたいかい? それとも君達が自分で掃除をするかい?」
「うーん確かにそうですね。今まで全然気にもしていなかったですけど、良ーく考えたらすごい事ですよね。日本中のどんなビルにも必ずトイレがあって、そこには掃除してくれるおばちゃん達が必ず居ますもんね」
係長の横で話を聞いていた社員も腕を組みながら真剣に考え始めた。
「時々駅のトイレはオジちゃんが掃除してますよね。ですけど正直オジちゃんに掃除してもらってると落ち着かないですよねぇ――やっぱりトイレはおばちゃんに掃除してもらわないと安心出来ないですね」
「そうだろう! 君もそう思うよな。ある意味、今の日本を支えているのはおばちゃん達じゃないか。しかも今回ラッキーな事に地下深くでトイレ掃除してるおばちゃんがいるらしいぞ。だからその人に灯りを点けてもらおうじゃないか!」
ぶぉー、ぶぉー、ぶぉー。
「最終破壊兵器の起動時間まで30秒です。停止させたい場合は緊急停止ボタンを押してください」
ぶぉー、ぶぉー、ぶぉー。
「オットいけない、こんなところで油を売っているわけにはいかない。すみません、その『トメ』さんを電話口に出してもらえますか? 大至急お願いしたい用事があるんです」
係長はクリーンセンターにいるおばちゃん達に地下にいるおばちゃんに連絡してくれるようにお願いする。
「ハイハイ、チョット待ってくださいね」
今の話をしてくれた『ハル』という名前の掃除のおばちゃんは館内電話で地下25階を呼び出していた。
ルルルルー
ルルルルー
……
ルルルルー
「あら? 電話に出ないわねえ」
ハルおばちゃんは受話器を持ったまま困ったように頬に手を当てる。
「予定表では『25階』と書いてあるけど、ついでに上か下のフロアにあるトイレ掃除でもやってるのかしらね? 時間が空いた時に別の場所の掃除をしておくと、休み時間がチョットだけ増やせるのよね。だから大部分の人はチョット多めにやっておくのよ! まあ、おばちゃんの哀しい
ちょっと恥ずかしそうに口に手を当てながら、ハルおばちゃんは笑ってみせる。
「25階じゃないとすると、明日掃除の予定の26階かしら? でもお茶セットは25階にあるからお掃除終わったら戻ってくると思うし――トメさんに連絡するのはその時でも良いかしらね? 係長さん」
「ほッ、ンッ、トッ、ウッに、ごめんなさい!!!」
係長は全身を折り曲げるようにしてハルおばちゃんに向かって謝りながら言った。
「人間て先に謝られるとあまり断れないんだよなー。久しぶりに見たよ係長の
係長を良く知っている古参社員が係長のおばちゃんへの対応を見ながらつぶやく。
「私たちにはお茶を飲む余裕も無いんですっ! お願いですから地下のフロアの各階に連絡して大至急トメおばさんを見つけて下さいっ!」
そこで係長は一息ついてから――
「本当に……本当に……お願いしまーーーすッ!」
「お、ついに出るかな天下の宝刀! 『土下座落とし』」
ドカン!
――
係長は遂に膝を床に付けて『土下座』の体制に入った。
「まぁまぁ。そんな事やめて下さいな係長さん――承知いたしましたわ! 今からしらみつぶしに各階のフロアに電話しますね。そんな、係長さんに土下座までしていただいて断れるおばちゃんなんていませんわよ!」
係長が土下座してしまって困っているおばちゃん達は、慌てて電話機が置いてある場所に向かって歩き出す。
ぶぉー、ぶぉー、ぶぉー。
「最終破壊兵器の起動時間まで29秒です。停止させたい場合は緊急停止ボタンを押してください」
ぶぉー、ぶぉー、ぶぉー。
「ウメさんはそこの電話機で24階に電話して下さいな。しばらく呼び出して出ないようなら23階ね。そこもダメなら22階にも電話してちょうだい!」
ハルおばちゃんは、自分で電話しながら横にいるウメおばちゃんにも声をかける。
「私はこの電話で26階から下を順番に電話するから!」
ハルおばちゃんは係長の土下座落としに見事に一本取られたようだ。可哀想な係長のために一肌脱いでる感じだ。
2台の電話から交互に呼び出し音が聴こえて来る。トメさんがどのフロアにいるかで作戦の内容が変わって来るだろうから係長も必死だ。
「捕まえたわよ! 係長さん。トメさん28階に居たわ。随分と早く予定より掃除進めてたのね。さすがトメさんね!」
ハルおばちゃんは受話器を持ったまま係長に向かって叫ぶ。
「よっしゃー! 28階に人がいるのをゲットした」
係長と課長が手を取り合って喜んでいる。オットー、今度はおっさん同士でハグし合っている。更に主任も加わって、おっさん3人の不気味な抱き合いだ。まるで宝くじに当たったようなハシャギ様だ。
「おお、そうだ! ここではしゃいでいる場合では無い」
我に返った係長は課長と主任を制す。
「すみません、トメおばさんと電話を代わってください!」
そうやってトメおばちゃんと繋がっている電話機をハルおばちゃんから奪う様にして取る。
「トメさん初めまして。私はこのビルのオーナー会社の係長です。今から非常に大事な事を伝えますので、必ず復唱して下さいね」
係長は早口でまくし立てる。
「はい、トメと申します。係長様で――御座いますか――初めまして」
受話器の向こうでは、ちょっと驚いたようにゆっくりとした返事が聞こえる。
「ところで、あのー。別に私は悪い事してませんよね? それは確かに少し前倒しでトイレ掃除を進めていますけど――」
受話器の向こうでは、オドオドした声が聞こえてくる。
「別にそれは後でサボろうとしている訳では無くて――トラブルが発生しても日程の遅れが出ないように予備日を作っている訳で――」
トメおばちゃんは、受話器の向こうで自分がサボっている訳ではない事を一生懸命に説明する。
「決して後でサボりたいとか、ユックリとお茶を飲む時間を作りたいとか。そういう訳では無いんですよ」
クドクド、クドクド、――
「それで係長さん、一体私になんの御用でしょうか?」
ひとしきり言い訳を放った後で、トメおばちゃんは係長に要件を聞いてきた。
「出たなー、オバチャンの得意技『本質飛ばし』! このワザをかけられると当初の話からドンドン離れていき最後は世間話ではぐらかされるんだ」
係長と受話器の向こうのおばちゃんとの会話に聴き耳を立てている社員が感心したように言う。
「頑張れ! 我らが係長。もう時間がないのだからおばちゃんのペースに乗っちゃダメですよ!」
別の社員も係長を密かに応援する。
ぶぉー、ぶぉー、ぶぉー。
「最終破壊兵器の起動時間まで28秒です。停止させたい場合は緊急停止ボタンを押してください」
ぶぉー、ぶぉー、ぶぉー。
「ハイハイ、分かりました。それはそれとしてお願いが有ります!」
係長は、受話器の向こうのトメおばちゃんに向かって話し続ける。
「出た! 係長の『長い話し――うっちゃり』。相手の勢いを受け流して自分の言いたい事だけを伝える必殺技だ」
係長の横にいる社員は、電話の向こうに聞こえないようにつぶやく。
「あなたのお仕事の進み具合に関しては、私どもとしましては一切文句はありません! そこの所は信じております」
係長はトメおばちゃんを安心させるように話しかける。
「ですから、今から言う事を実行して下さい。お願いですから、絶対に実行して下さい。1000パーセント実行して下さい。本当にっお願いします!」
トメおばちゃんが理解できるように一言一句を丁寧に話し始めた。
「この電話が終わったら直ぐに非常階段のある場所に移動して下さい。そこで地下28階の非常階段の明かりが消えない様に絶えず動いていて下さい」
「あ、お茶は飲んでも良いですよ!」
と、一言付け加える係長。
「良いですか? 私たちはあなたの明かりめがけて階段の吹き抜けを降りながら進みますので、明かりだけは絶対に消さないで下さいね」
電話口の向こう側のトメおばちゃんが、なにやら頷いている気配が伝わって来る。
ぶぉー、ぶぉー、ぶぉー。
「最終破壊兵器の起動時間まで27秒です。停止させたい場合は緊急停止ボタンを押してください」
ぶぉー、ぶぉー、ぶぉー。
係長は、地下28階にいるトイレ掃除のトメおばちゃんに明かりは絶対に消さないでくれと念押ししてから、電話対応してくれたハルおばちゃんとウメおばちゃんにお礼の言葉を述べる。それからエレベーターに乗ってきた社員達全員を引き連れて地下3階の倉庫室に向かって走って行った。
ぶぉー、ぶぉー、ぶぉー。
「最終破壊兵器の起動時間まで26秒です。停止させたい場合は緊急停止ボタンを押してください」
ぶぉー、ぶぉー、ぶぉー。
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