第3話

 私の仕事は教師だ。中学生に音楽を教えている。たとえ、旦那が死んだとしても、喪中期間が過ぎれば、学校へは行かなければならない。体と心にむちを打って、今日も私は学校へ向かう。


 旦那が死んでから一カ月ほどがたった。人間、どんな状況にも適応するものである。旦那が居ない日常も徐々に慣れつつあった。そんなある日のことだ。

 

 ふと、メガネを取りにいっていないなと思った。結局、あの事件当日はバタバタしていてメガネを取りに行くことはできなかった。事件が起きたメガネ屋だが、受け取るぐらいはできるだろう。私は事件のあったメガネ屋に向かうことにした。




 メガネ屋は事件の後も営業は続けているようだった。店の中に入ると、中には客が一人もいなくてがらんとしていた。店の中には店員一人で暇そうにしていた。私は店員に注文したメガネを受け取りに来たと伝えた。


 店員は軽く頷くと、部屋の奥に行ってメガネを探して持ってきた。私はそれを受け取り、自分がかけていたメガネを外し、新しいメガネをかけてみた。店員が鏡を私の正面に持ってきてくれたので、どんな感じか確認する。


 うん、いい感じだ。あまりメガネメガネしていないし、きつくも見えない。お金を支払い、店を出る。


 新しいメガネに新調したおかげでなんだか気分がいい。私は気分よく、帰途についた。




 私は教師だが、教師として欠けているものがある。教師に必要なのは、人それぞれ考えが違うと思うが、私は名前を覚える能力だと思う。それが致命的に欠けている。何度授業をしても、生徒の名前を呼んでも、次の授業ではすっかり生徒の名前を忘れている。呪いでもかけられているかのように頭に入ってこない。


 これでは教師として失格だ。生徒の名前も覚えられないような教師は教師としてどうなのか。最近では、キラキラネームも多く、漢字とフリガナが一致しないケースも多い。漢字の読み通りに名前を呼ぶと、違うと言われることもある。一度だけでなく、二度も三度も間違えてしまっては、親から苦情が来てしまいそうだ。



 ただ、それが今までなかったのは、「音楽」という特殊教科を教えているからだろうか。音楽の教師は大体、一つの学校に一人しかいない。そのため、全学年を教えることになる。全学年の生徒の名前を覚えることは大変だろうと思っているのか、今のところ、保護者から訴えられたことはない。


 生徒の名前を覚えられず、あいまいに生徒の名前を呼ぶと、生徒は「違う、私の名前はそんな風に読まない、間違えすぎだ」といわれる。そのたびに「ごめんごめん、次からは間違えないようにするね。」と私は謝る。授業はこの繰り返しである。

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