三 僕=私
――なぜって、僕だからですよ。僕が僕であることに、一体全体どんな理由が必要なんです?(解離性僕化障害の患者の言葉より)
僕が私になったのは、一体いつのことだったろうか。少なくとも幼少の頃僕は僕であったし、私は私であった気がする。けれども今現在僕は私で、あるいは私が僕だ。この一見矛盾しているような状況は、僕や私から見ても矛盾しているのだが、実際は何も矛盾などしていない。今この場において、どう考えても僕は私であって、私は僕であるのだから。
「僕は私なのか」
僕は私にそう問いかける。私の方も何となく悟っていたから、僕に向かってこくりと頷いた。
「でもどうして私が僕なのかしら」
僕にも私にもわからなかった。常識的に考えて、僕が私であるはずなどないのだ。
けれども実際問題、それは疑いようのない事実だった。
「そうか。僕も私も僕だったのか」
僕は叫ぶ。
「違うわ。私も僕も私なのよ」
私は叫ぶ。
「だが、僕は僕だし私は僕だ」
「私が私で僕も私なのよ」
僕と私は、互いをじっと睨んだ。目の前の人間が、果たして自分を名乗るに足る人物か……そんな風に、品定めしているようにも見えるかも知れない。
最初に折れたのは僕だった。いや、私だったろうか。
「ひとまず仲直りしておこう。僕が私なのか私が僕なのか――まずはそこをはっきりさせなくちゃいけない。喧嘩している暇なんかないぜ」
「それもそうね」
私はいった。仲直りの握手は当然ながらできなかった。自分自身と握手できる人がいたら、是非お目にかかりたいものだ。無論腕を捻ればできないこともないけれど、それは握手じゃないと僕は思っている。
できなくとも、しようと思えばそれでいい……本来それがあるべき仲直りの姿なんだと、僕はいう。
「例えばシュレーディンガーの猫というものがあるわ」
「知ってるよ」
レストランに入るなり、窓際の席に座ると、僕は早速メニューを開く。店員が、あるいは店員のように見える何者かが、冷水の入ったコップを一つ、テーブルに置いた。
「死んでいて生きている、二つの相反する状態が同時に成立している猫だ」
私はラザニアを注文した。店内に客はなく、しんと静まりかえっている。
「それと同じよ。私は僕であり、私である。僕は私であり、僕である。それが同時に成立しているこの状況は、まさにシュレーディンガーの猫だわ」
「そうかも知れない」
僕はいう。
「だがそうじゃないかも知れない」
それからスパゲティを注文して、私の方に向き直った。
「だからなんだという話だ。何の解決にもならない」
私はふと疑問に思う。僕は一体どんな解決を望んでいるのだろう。僕あるいは私への統一? 第三の何か――例えば「俺」に変化すること?
「そういえば」
僕は私に語りかけた。
「君は例の猫ちゃんの話に違和感を覚えたことはないかい?」
「違和感?」
私は首を傾げた。
「いいえ……ないわ」
僕は、ため息をついた。
「『シュレーディンガーの猫』において、猫は死んでいるか生きているかの二択を迫られている。これがおかしい」
ウェイターが、ピザを持ってきた。私は延々と伸び続けるチーズの始末に困りながらも、僕の話に耳を傾ける。
「死んでいる猫、生きている猫、それから死にかけている猫がいるはずだ」
「でも、これは例え話でしょう。量子力学をマクロの世界に当てはめた場合、どんなことになるかをわかりやすく示した思考実験に過ぎないわ」
「いや。これは例え話であると同時にマクロの世界の事象でもある。僕と君が『シュレーディンガーの猫』状態だと指摘したのは君じゃないか」
ウェイターがアップルパイを運んできた。アップルの代わりに大小様々な猫がトッピングされていて、小便臭い香りがあたりに充満した。これはアップルパイじゃない。
「死にかけている猫をさらに区分して、その『死にかけている度合い』によって個別に扱ってしまえば、シュレーディンガーの猫の重なりは百にも千にもなりうるんだ。事実上、あの猫は箱の中においては無限に重なり合っていることになる。二匹どころじゃあないんだ」
パイの猫が、肯定するかのようにニャアと鳴いた。もしかすると、僕の聞き間違いかも知れない。泣いていたのかも。何しろ私のピザから伸びたチーズが、猫たちを絞め殺し始めていたのだから。
私は首を捻り、それから逆に捻って、やっぱりわからないと音を上げた。
「それでも僕かい?」
あざ笑う僕に、私は答える。
「あなたが私なのよ」
食事を終えた私と僕は、会食の費用を頭に浮かべながらレストランを出た。――もっとも、その頃にはレストランではなくてペットショップになっていたのだけれど。陳列された無数の猫はどれも死んでいるか生きているか死にかけていて、チーズが何重にも絡みついていた。まるで蜘蛛の巣。
「なあ」
と僕は語りかける。
「何よ」
私は僕の顔を見やる。
「私は今、どちら側を歩いている?」
「どちら?」
「右か左か……」
「右ね」
「そうか」
「僕は左」
「だよなあ」
僕は曖昧に答えると、それからふっと口を開いた。
「もしかすると、僕と私は完全なイコールじゃないんじゃないか」
「どうしてよ」
「思うに僕と私が完全なイコールであるならば、僕は左を歩きつつ同時に右も歩いていなくちゃいけない。なのに僕は、左を歩いているだけだ」
きょとんとする私に向かって、僕は続ける。
「つまり、僕と私は完全に一致するわけではないんじゃないか、ということだ」
僕は話し始めた。
私と僕がイコールで結ばれるならば、私と僕の体験は完全に一致していなければならない。けれど、そうではない。私はステーキを食べて、僕はタコスを食べた。私は右を歩いているし、僕は左を歩いている。
「この違いはどこから来るか――」
「完全に一致しているわけではない――つまり、部分的な一致……?」
そうだ、と僕は頷く。
「『僕=私』ではなく、一部が合致している状態……『僕∩私』なんじゃないかと、そう思うんだ」
「ふうん……」
私は考える。確かに一理あるかも知れない。けれど私あるいは僕が、僕あるいは私を内包しいている……『私∈僕』もしくは『僕∈私』であるというという可能性は……?
違う、と私は否定した。それならば私あるいは僕が僕あるいは私の体験を完全に把握していて、内包される私あるいは僕は一部しか体験できない、という構造になるはずだ。現状、私も僕も自分自身の体験しか体験することはできていない。
「それじゃあ私と僕は、部分的に同一人物ということになる」
私あるいは僕あるいはその両方の共通部分がいった。
「だけど……」
僕は私と目を合わせ、残念だとつぶやく。
「そんなことがわかったところで、事態の解決には繋がらない」
僕たちが模索すべきは僕と私が同一人物であるこの不可解な現象を収束させる方法であって、その詳細ではない。部分的同一人物であろうと完全な同一人物であろうと、僕と私を切り離さなければならない現実は何も変わらないのだから。
道は延々と続いていた。僕と私は並んで歩き続ける。引き返そうにも振り返ってみるとそこにはただ「何もない」があるばかりで、進んでみようにも道の先には何もない。「何もない」が続いている。
続いておらず、続かなかった道。僕と私は延々と歩き続ける。
「例えば僕と私が、分かれ道に差し掛かったとする」
僕がいう。何かに気づいた、とそんな表情をしている。
「角度は?」
「二つの道の間は四十五度。広すぎず狭すぎず、丁度良い角度だ」
道の両脇には雑草が生えている。いつの間にか家々は消え、街頭だけが続いていない。人気はなく、取り残されたような気分になった。今ここを歩いているのは、私と僕だけ――私と僕は同一人物なのだから、結局この場にいるのはたった一人なのだ。
「僕は右に行く。私は?」
「私が右よ」
「……いいだろう。私が右で、僕が左。――ともかくそうして二人が別々の道を歩く。二人は段々と離れていく……」
離れていく。二人の重なり合いは少しずつ解消され、やがて完全に切り離される。影。その存在は別個のものとなって、「僕∩私」は私と僕に等しく返還される。
ただ、今後一切それが同期することはない。同じだった「僕∩私」は、その瞬間同じではなくなる。一つのものは二つになり、それぞれが別の道を歩いて行く……。
「簡単なことだったのね」
私は笑った。
左、遙か彼方にかすむ僕は、それに応えて手を振った。
延々と続く四十五度の道を、私は一人歩き続けている。周囲には砂漠が広がっていて、スーツを着た会社員らしき人影がまばらにある。いつもの電車に間に合うだろうか。
――それっきり、僕と私は会わなかった。
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