一 僕の書棚

――僕不在論は、僕を量子コンピュータ上でシミュレートし、僕として語らせることで僕の主観世界を描写し、その非現実性から僕が実在しないことを示そうという試みである。(国立僕観測所所長、Amazing PlaceとSF作家Peter Poleの対談記事より)


 父が西洋の高級家具メーカーに特注したというその本棚は、僕が物心ついたときには既に自我を持っていた。

「本棚というのは、そういうものなんだ」

 本棚に、キャサリンとかキャシーとか、妙な名前をつけて可愛がっていた叔父は、いつだったか僕に向かってそういった。駅前のカフェで、僕はオレンジジュースを、叔父はコーヒーを飲んでいたように思う。叔父の手元にはハードカバーの何やら難しそうな本が数冊あって、そのどれもが本棚のために仕入れられたものだった。

「はじめ、本棚は本をしまうだけの家具に過ぎない。けれど次の段階になると、今度は挿入された本を取り込むようになる……しまわれた本を読むようになるんだ」

 僕は子供だったから、叔父の話はいまいちよくわからなかった。僕はしきりに本棚が自分の中から本を取り出し、ペラペラめくって読み始めるというシュールな場面を想像して、首をひねっていたのだ。本棚に手はない。目もない。それではどうやって読むのか。

 大学に行ってまずまずまともな勉強をするようになってから、僕はようやく叔父がいわんとしていたことを理解した。けれども結局のところ、本棚は本を読むのではない。知性のない本棚が本を読むはずがなく、本を読んで知性を得るはずが本を読めるということは既に知性があるじゃあないか云々ということになってしまう。

 だから、本棚は本を読まない。

 本棚と本が一体となり、一つの人格が形成される。……要は、そういうことだ。本という膨大な情報を詰め込んだ媒体がさらに集積され、本棚という限定された空間に圧縮されることで、文字配列や装丁が複雑かつ有機的に結びつき、人間の大脳に類似した構造が完成するのである。

 だから正確さを期するのであれば、「本棚が人格を持つ」のではなく、本棚というハードウェアに本というソフトウェアが積み込まれ、相互につながり合うことで、可能性として存在する無限に近いバリエーションの集合的ソフトウェアのうち一つが選択され、本棚によって実行されることで人格が形成される……と、そういうことになる。

 こんなことをいうと、叔父は

「よくわからん」

と、いってそっぽを向いてしまうのだが、事実なのだから仕方がない。叔父が提示した表現より、断然優れているはずだ。教授の保証もついている。

 叔父の「本棚」に人格が宿るという考え方は、「明確な用途を持つ人工物の突発的知性獲得現象」の「本棚」の項目において、素人が陥り易い典型的な間違いだ。

 けれども叔父を擁護するためにいっておくと、仕組みがわからない――勘違いしていたとはいえ、僕よりも長い時間本棚と付き合ってきたのは事実なのだ。叔父は本棚の内側を知らなくとも、そこから何が出力されるかについてはよく承知していた。

 だから、叔父が本棚に何十冊という難解な哲学書を詰め込んだことには、それなりの意義があったのだ。

「人間の本体はどこにあるのかわかる?」

 あるとき本棚はそう問いかけた。どんな話の流れでそうなったのかは覚えていない。

「脳じゃないの」

 僕はそう答えた。

「そうね。私の中の二段目右から三冊目の本にもそう書いてあるわ」

 本棚は、僕が本を手に取ろうとしないことに軽く失望したらしかった。

「けれど脳だというのなら、あの巨大な器官がほんの少しでも削れればそれはあなたではなくなるのかしら。分子一個、原子一個でも。どこまでの欠損はバグとして処理され、どこからは明確な異常として検知されるのか。その境界はどこにあるのかしら。脳のうち、あなたを構成するのに必要不可欠といえる部分は、全体のうちどのくらいなのか……そこ以外をみんな切り取ってしまっても、本当にあなたはあなたのままなのかしら……。わかる? 人間の本体は一つじゃない。群体なのよ。無数の部品が集まることで、その構造自体が意味を持つ。一つ一つの部品が持つ意味の合計以上の意味が発生する。群体であるが故に、一つを失っても自分でいられるし、自分ではいられない……それが人間であり、私の基本構造なんじゃないかと思うの」

 と、こんな調子で本棚はまくし立てた。結局のところ僕には本棚のいうことがわからないでもなかったし、全くわからないともいえた。それくらい抽象的な話に思えたのだ。叔父が大量に仕入れた哲学書は、こんな風に自己にまで言及するほど本棚の知性を向上させたのだった。

 叔父がこの結果を狙っていたのかは定かではない。なぜならその答えを聞く前に、叔父は消えてしまったから。正確には、本棚へ引っ越してしまったから。僕が大学に入って、ようやく本棚の構造を理解し始めた矢先のことだった。

「キャシーの中に行きます。探さないでください」

 本棚には、そう書かれた紙切れが挟まっていた。

 誰も信じようとしなかったけれど、僕は確信している。叔父は自らを本棚に同化させたのだ。本棚には、叔父が持ち込んだのであろう分厚いアルバムや、子供の頃の作文、好きな本、初恋の女の人の写真……と、膨大な量の叔父の断片が収納されていた。

 全部を丹念に読み込めば、叔父の本質が丸わかりになってしまうくらいの。

 我が家の本棚は巨大だったし、父は整理整頓というものが大の苦手だったから、結果的にこのことに気づいた人間は僕以外に一人としていなかった。

 おや、いつの間にか蔵書が増えていやしないかな、とそんな怪訝な表情をしても、気のせいだろうとそっぽを向いてしまう。

 これはこのときばかりに限った話ではない。本棚が幾度となく増殖し、父の書斎からはみ出て廊下を進み、階段を降りてドアの隙間をくぐって居間にまで到達しても、眉をひそめてじっとそれをにらんだ後、やはり気のせいだと納得してしまう。

 それはきっと正しい判断だし、増殖していると感じる僕が間違っているに違いないのだけれど。

 本棚は本を内包し、本は無限の時空を内包している。その入れ子構造の隙間隙間には膨大な混沌が隠されていて、所詮本も本棚も人間の製造した不完全な記憶媒体にすぎないことを考慮すれば、漏れ出た混沌は更なる本棚という形で具現化されても何ら不自然なことではない。それは一般的にはあり得ない増殖であり、あり得ないということは観測し得ないということであり、つまりは実際それが起こっても決して観測することはかなわないということになる。

 それを観測してしまう僕が、人間一般にとっても本棚や本一般にとっても、物理法則一般にとってもアブノーマルな存在であることは疑いようのない事実だ。だからなんだという話で、だからどうという訳でもないのだけれど。

 詰まるところ僕は家族の中で――もっと大げさな言い方をすれば、全人類の中で唯一叔父の引っ越し先を知っている人間ということになる。少々誇らしくもあり、少しばかり孤独を感じてもいる。

 叔父はきっと生きているのだろう。本棚が内包する本が内包する空間で。あるいは本棚が内包する本が内包する何かが内包する空間で。それとも本棚が内包する本が内包する何かが内包する何かが内包する……。

 僕がいいたいのはそういうことではなくて。

 つまり、叔父はどこかで生きているのだということだ。生きている限りいつかは会えるなんて青臭いことをいうつもりは毛頭ないけれど、それでもそのものの内部に潜む空間をたどっていくうちに、やがて元のところへ戻ってきても何ら不思議はない。輪っかだって、ずっとたどれば元の場所へと戻るのだ。空間aが内包する空間bが、空間aを内包していたとしてどこに矛盾が生じるだろうか。本の中に登場する本の、本についての記述の中に、はじめの本の紹介文が含まれていたっておかしいことはなにもない。

 つまりは、そういうことだ。

 叔父は生きていて、その大層な引っ越しを何十何百、何千何万何億と繰り返していれば、いつかはここにたどり着くことだろう。

 けれどそのときまで、おとなしく待っていることなどできそうにない。

 僕は家族――僕の記憶の残滓たちの姿を思い描いて、それから僕を内包していた頃の叔父の姿を思い浮かべて、決意した。僕の記憶によって発生した幻想たちを、一人一人消去していく。壁に掛けられたタペストリーも、家族写真も、花瓶も鳥かごも、壁も床も天井も。

 僕は自身を整理していく。僕は右手で右手を握り、ひねって外す。左手で左手を握り以下同文。そうして消去されていく無駄な情報たちは、そろって恨めしげな視線を僕に浴びせると、あらがう間もなく叔父と僕との境界線に消えた。

 残されたのは、僕の本質と何もない僕自身と、本棚と本。

 本棚はいった。人間の本体は群体であると。その通りだ。僕は自身の中にこうして存在し、今や自身の更に深淵へ向かおうとしている。無限に続く入れ子構造は、僕自身が全てを内包する――つまりは僕が全てであることと、同時に僕自身もまた内包されるものであり、僕は誰かあるいは何かであることを同時に肯定している。僕を内包し内包されている空間全てが僕であり誰かあるいは何かであって、それさえも僕自身であるのならば、無限に内包し内包される全ては僕自身――僕はやはり、群体なのだろう。

 もしかするとこれは自分探しの旅などという愉快な呼び方をすることができるのかも知れないと、そんな風に思った。

 そうして残された本棚に、僕は僕の断片を詰め込んでいく。僕自身が、本棚という極小かつ巨大なハードウェアによって実行される。

 自身の内包する本棚が内包する本の中へ。本棚の人格を形成する、複雑かつ有機的な無数の空間の網の中へ。

 叔父が、内包する僕へ侵入し、僕が内包する本棚が内包する本へ侵入したように、僕もまた無限に続く入れ子構造を裏返すようにして飛び込んだ――。

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