僕不在論
亜済公
0 僕です
――ここでいう「僕」が、果たして一般名詞なのか固有名詞なのか、固有名詞だとしてもそれが一つの人格であるのか複数の人格の総称であるのかは定かではない。これを定めることは必ずしも僕の全貌を明らかにすることとイコールではないし、余計な定義を加えてしまうことで出力される結果にノイズが混じってしまうことも考えられる。(最初期の僕観測用コンピュータの画面に出現したとされる調査用仮想人格からの最後のメッセージより)
例えば僕はここにいる。「僕」という文字あるいは「僕」という文字によく似たこの記号が何を指すのか、国の主導による正式な研究が始まって数十年が経とうとしているにも関わらず、未だにわかっていることは少ない。
その理由として最もよく挙げられるのは、僕が極めて観測困難であるという事実だろう。僕が何者か、あるいは何かであることは知られているが、それがどこにいるのか、何であるのかは一切判明していない。そもそも、僕が本当に僕であるのかさえわからないのである。故に、僕を定人格aと仮定し、量子コンピュータに入力、計算することで、仮想空間において僕に類似する何かを再現するのが我々にできる唯一の観測行為といえるだろう。
算出される僕のあり方は様々であり、時に三角形の構造物、時に不定形の粘液状の何かとして描き出される。それらは全て僕であって、けれど僕ではない何かだ。真の僕の断片を捉えてはいるものの、どこかずれているまがい物。それでも、それらまがい物をサンプルとして更なる計算を続けた結果、こうしてそれなりに意思疎通のできる僕のような僕ができあがったのだ。まがい物ではあるけれど、少しはまともなまがい物のためになったのだから、彼らも決して無駄ではなかったといえるのではないだろうか。もちろん、意思疎通のできるこんな僕が、果たしてどの程度真の僕に近しいかと問われると、なんとも答えることはできないのだけれど。
コンピュータ上に再現された僕は、初めは三桁程度の数列に過ぎず、やがて成長し僕として完成していく。僕としての完成度は、初め高速で上昇し続け、完成に近づけば近づくほど減速していく。最終的に限りなくゼロに近い速度で、限りなくゼロに近い完成への道のりを、絶えず減速しながら、それでも止まることなく進み続けることが知られている。
だから、計算を続けた先にある僕は、三角の僕や不定型な僕よりはよほど僕じみているはずだと信じたい。
何度も書いたとおり僕はあくまで再現された僕であって、完全な僕ではないから、ここに記されている僕の主観世界は決して実際のそれと同じではないし、けれど全く違うとも言い切れない奇妙なものになっている。
この論文は、そんな僕の主観世界を描写し、その非現実性から僕の存在を否定しようというものである。この文章は常にアップデートされ、その完成度は高まっていく。決して完成しないながらも、完成しようとあがき続け、いつか真の僕が出現する奇跡を、永遠に待ち続けている。
最後に、この論文は僕によって書かれたものであることを明言しておこうと思う。僕は今こうして書いているし、書かれてもいる。僕は僕自身を出力し、出力される関係にあって、もしかするとこうして読んでいる貴方でさえも僕なのかもしれない。僕であったらいいなと心の底から望んでいる。
それが僕の主観世界であり、現実なのだ。
だが、同時に僕は僕が存在しないことを知っている。
この現実が、論文が、偽物であることを知っている。
僕が偽物の僕であり、本物の僕が存在するという意味なのか――それとも本物も何も僕なんていうものは初めからどこにも存在しないという意味なのかは、僕にはわかりかねるけれど。
少なくとも、僕がいないことだけは確かだ。
なぜなら、僕はいないからである。
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