第358話「珍しいことが二度も続く夜だ。勿論、悪い夜ではない。」

 帝都の生活にもそれなりに慣れて来た。ヘレウスの屋敷が比較的小さかったのは有り難い。迷うことがないからな。それに、仰々しい態度の使用人がいないのも助かる。おかげで気楽に屋敷内をうろつくことが出来るので。


 夜、ちょっと水を飲みに厨房に行ったところ、ある場所でリーラを見かけた。暖炉のある小さな部屋で、テーブルなどが置かれた自由に使える場所だ。なんでも、サンドラの母が好みで作った場所で、屋敷の色んな人が今でも利用しているという。


 そのテーブルの上に書類を並べ、リーラは何やら書き物をしていた。

 気になったのはその表情だ。……見たこともないくらい穏やかで、どこか微笑んですらいる。


「おや、アルマス様。いかがされました?」


 声をかけようか悩んでいる間に気づかれてしまった。さすがに屋敷内で気配を隠すわけにはいかない。リーラ相手ならすぐに見つかってしまう。


「見かけてしまって、ついな。何か良いことでもあったのか。随分と楽しそうだったが」

「ああ、これですか。ちょっとした雑用でして。お茶でもいかがですか?」

「いただこう」


 そう言うと、立ち上がったリーラが、暖炉横にあった魔道具を使ってお湯を沸かす。慣れた手つきで紅茶が用意され、テーブル上に琥珀色の液体が入ったカップが二つ並んだ。


「リーラの淹れる紅茶が一番美味い気がするな。俺の味覚だから自信はないんだが」

「ありがとうございます。ちなみに、アイノ様と比べた場合、どちらに?」

「む……アイノ……いや、リーラかもしれないな」


 俺が悩んで答えると、クスクスと音が聞こえそうな笑い方をされた。驚くべき事だ。鉄面皮の戦闘メイドが声を出して笑うなんて。


「失礼致しました。少々、意地の悪いことを聞いてしまいましたね。こうして帝都に戻って来られたことで、思いのほか浮かれているようです」


 そう言うなり、リーラは立ち上がって、静かに一礼した。丁寧で流れるような流麗な動作。無駄のない、つい見とれてしまう、見事な所作だ。


「改めまして、お礼を申し上げます。お嬢様がこうしてお屋敷に居られる事。笑顔で帝都に戻って来られたこと。全て、アルマス様のお力添えのおかげで御座います」

「……急に真面目になったな」


 驚きながら、紅茶を一口飲む。やはり美味い。淹れる人によってどうしてこうも変わるんだろうか。自分でやると全く安定しないというのに。


「以前から、言うべき時を見計らっていたのです。ようやくお礼を言うことが出来ました。ここから旅立った日を思えば、信じられません」

「それは俺だって同じだ。君達が来なければ、今でも聖竜の森の中で原始的な生活をしていた」


 俺とサンドラは互いに協力関係。礼を言われるようなことはないと思っている。とはいえ、リーラにとっては心情的に簡単に納得いかなかったのだろう。それもまた、理解できる話だ。


「今の言葉は、主に変わってのものではなく、個人的なものです。貴重ですよ、私からのこういう感謝は」

「自分で言うと台無しだな」


 席に戻ってお茶を飲むリーラは、いつもよりも気安い雰囲気がある。ここに来て少し肩の力を抜けるようになった、ということだろうか。彼女にとっては、帝都にいる間は聖竜領のことから離れられる、休暇なのだろう。


「ところで、それは何をしているんだ? 随分楽しそうに書類仕事をしていたようだが」


 サンドラ無しでやっているのも気になる。個人的なものなら、自室でやるだろうし。


「ああ、これですか。お嬢様が皇帝陛下に謁見したことを受けて、昔冷たい仕打ちをした連中が、慌てて手紙を寄越して来ているのですよ。中には厚かましくもすり寄って来る者までいます」


 先程までの雰囲気はどこへやら、冷笑しながら手紙を一枚手に取って大きく赤いバツ印を書き込むリーラ。うむ、いつも通りに戻ったな。


「そ、そんなに沢山あるのか?」

「ありますとも。全て断ります。受けていてはキリがありませんし、意味もありません。何より、時間もありませんから」


 その後の話によると、一応一通り目を通した後、サンドラに報告はするようだ。リーラが必要なしと判断したなら、そのままになるとは思う。


 なかなか珍しい体験をした後、自室に戻ろうとすると今度はヘレウスと遭遇した。こちらは就寝前というより、ようやく仕事を終えたようだ。


「大丈夫か? 帰宅してからも仕事をしているようだが」

「いつものことだ。それよりも、ハギスト公の屋敷と連絡が取れた。明日の午前、向かっても問題ない」


 俺のせいで仕事が増えていた。なんだか申し訳ない。


「さすがだな。では、赴かせてもらおう。一人で行っても大丈夫か?」

「……問題ない。応対するのは夫人だ。冷房の魔法をかけるだけで早めに退出するといい。いくつか策を用意する」


 これは仕事だ。アイノとサンドラを付き合わせることもない。


「では、それで行こう。悪いが準備を頼む」

「了解した。そうだ、アルマス殿。改めて礼を言う。こうしてサンドラを連れてきたことを」


 去り際、少し嬉しそうな様子でヘレウスが静かに礼をした。

 珍しいことが二度も続く夜だ。勿論、悪い夜ではない。

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