第354話「やれやれ、これは少し説明がいるようだな。」
「つまり、ヴィクセル伯爵と面会するよりも、妹さんと過ごす時間の方が大事だと?」
「当然だ。かけがえのない時間だぞ」
ヴィクセル伯の使いらしい男は俺が断言すると絶句していた。やれやれ、これは少し説明がいるようだな。俺がいかに妹のことを大切に思っているのかを。
「そもそも俺が聖竜様の眷属をしているのも妹の命を救うためだ。つまり、妹の存在は俺の人生よりも上位に位置する。そんな生き方をしているわけだ。わかるか?」
「……噂通りのシスコンだということがわかりました」
何よりだ。このままだと、四百年以上前の昔話をせねばならない所だった。アイノ誕生から始まり、俺が聖竜様と出会うまでの話だ。半日以上かかる。
『ここであの話をするのだけはやめてくれ。何度も聞かされたワシまで巻き込まれる』
聖竜様も嫌がっている。昔、話し相手がいない時によく聞いて貰ったからな。
「ひっ……その目、まさか、聖竜が?」
「いや、聖竜様と相談していたわけではない。個人的な話だ。ともあれ、ヴィクセル伯との面会はお断りする」
「帝国貴族と直接話せるまたとない機会ですよ? これほどの栄誉は……」
「俺は既にクレスト皇帝のみならず、二人の副帝とも知己を得ている。魔法伯とも仲良くしているぞ」
「…………」
なんか、黙ってしまった。ちょっと俯いている。申し訳ない気持ちになるな。
「とはいえ、君達を困らせたいわけじゃない。突然の申し出には対応できかねるが、ヴィクセル伯と話したい気持ちはある。次は正面から招待するように伝えてくれ」
「お会いする気持ちはある、と?」
「会った後のことまでは保証できないがな。ああ、いや、暴力的なことはしないぞ」
なんか向こうが不安そうな顔をした。俺をどんな人間だと思っているのか。まさか、あの怪しい本の内容をちょっと信じたりしてないだろうな?
「わかりました。伯爵に言伝いたします。すぐに正式な招待があるでしょう」
「わかった。ああ、パーティーは勘弁してくれ。苦手なんだ」
苦笑しながらいうと、向こうも軽く笑みで返した。
「承知しました。妹様との貴重なお時間を奪ったこと、謝罪致します」
そう言い残すと、ヴィクセル伯の使いは去っていった。
思ったよりもあっさり引き下がったな。対応も紳士的だ。皇帝と謁見しておいたのが効いたのかもしれない。ある意味最強の後ろ盾だな。
さて、急いでアイノの所に戻らねば。俺相手に監視がついていたなら、アイノ達にも同様の接触があってもおかしくない。荒事ならばマイアもいるので安心だが、交渉ごとだとうっかり着いていってしまうこともある。知らない人の家にホイホイ行ってはいけない。
『聖竜様、アイノ達の現在位置を聞いてもらっても良いですか?』
『任せるのじゃ。ちょうど今、ちょっと問題が発生しているところじゃしの』
『なんですって!?』
俺は慌ててアイノ達のいる所に向かった。
聖竜様に言われて到着したのは総合店舗内の、大量の服が並ぶ階だった。婦人物が多く、ちょっと居心地が悪い。気にしている場合ではないので、まっすぐ現場に向かうが。
「アイノ、マイア、どうしたんだ?」
到着するなり、俺は大きめに声をかけた。そうすべき状況だったからだ。
アイノ達が、女性に囲まれている。数は八人、完全に包囲状態だ。
「すまない。家族なんだ。通してくれ」
女性達の間に割って入ると、疲れた様子のアイノとマイア、それと案内の人物がいた。
「兄さん。ごめんなさい。なにか、囲まれて質問攻めで」
「どうやら、私達が聖竜領の人間だと知られているようでして」
案内の人物を見ると深く頭を下げられた。軽く見た感じ、囲んでいるのは身なりがかなり良い人間だ。つまり貴族。気を遣って下手な発言が出来なかったのだろう。
「まあ! 噂の聖竜領の賢者様がいらっしゃったわ! 是非ともお話を伺いたいところですわ!」
一人が大げさにそう発言すると、いきなり周囲が騒がしくなった。なるほど。このまま勢いで何か頼み事を押し切られかねない圧があるな。
「申し訳ない。緊急事態だ。妹たちと話がある。もし、俺に冷房の魔法を頼みたいなら別途聖竜領と交渉してくれ。無償でかけられるものではないし、無限にできるものでもないのでな」
少しだけ、威圧感を出して言ってみた。竜としての能力だ。声に魔法的な力を込めることができる。
「…………」
幸い、集まったご婦人方の中に武人や魔法師はいなかったらしい。全員、俺の声を聞いて静かになった。
「たしか、どこかの部屋を押さえていると言っていたな」
「はい。こちらへどうぞ」
状況を素早く察知した案内人は俺達を五階のレストランへと案内してくれた。
五階というのは、この建物の最上階だった。大きなガラス窓のはまった個室。そこへ俺達は手早く案内して貰えた。落ち着いた暖色系でまとめられた部屋で、ようやく一息つくことができる。
「兄さん、ありがとう。名乗ったらどんどん人が集まってしまって……」
「私が迂闊でした。聖竜領の評判は思った以上にご婦人方の間で広まっているようでして……」
どうやら、冷房の魔法だけでなく、シュルビアの治療や眷属印の薬草のことが知れ渡っていたらしい。危なかった。冷房以上の用件を切り出される所だったわけだ。
「あの人も最初は助けてくれようとしたんだけれど、凄い早さで人が増えてしまったの……」
案内人の若者は、サンドラも呼ぶと言って席を外している。行動が的確だ。今回の件は本当に予想外かつ迅速だったのだろう。
「もしかしたら、この店に入った瞬間から目を付けられていたのかもしれないな。俺よりもアイノの方が話を持ちかけやすいと見られた可能性も高い」
実際、アイノ経由でお願いされれば俺も断りにくい。ある程度情報を集めていれば、アイノ達と懇意になるという選択肢が浮かんでくる者もいるだろう。
「困りましたね。満足に買い物できないとは……」
マイアは無念そうにしているが、それほど事態は悪くない。なにせ、余計なことに巻き込まれる前に上手く抜け出したのだから。
「兄さんの方も何かあったのよね? 凄い剣幕で聖竜様から連絡があったもの」
「ああ、ヴィクセル伯の手の者から接触があった。それで、アイノ達にも何かあるかと思ったんだが、まさか別件とはな……」
この店での買い物は切り上げて、移動すべきかもしれないな。
そう思った時、部屋のドアが開いた。
「早くも色々起きたみたいね。想定はしてたけど、本当に満足に買い物もできないなんてね」
憮然とした顔をしながらそう切り出したのは、出かけた時と少し装いが変わったサンドラだった。後ろのリーラは沢山の荷物を持っている。
彼女だけは、帝都の買い物を満喫していたらしい。
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